sokkenaiの星間鐵道 〜天の川線 アンドロメダ方面行〜

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悼む人

2017-03-22 22:58:22 | 小説

天童荒太「悼む人」
を読んでいます。

まだ、上巻の丁度ど真ん中あたりを読んでいますが
面白いかどうかは別として、引き込む力があります

なぜなのか

内容はウェットが大部分を占めていて、気が重くなるものです。
しかし、それでもなお惹きつける力があります。
かの、ダイソンの如く


死についての考え方という、漠然とした不毛にも感じるテーマが魅力する一因かと思います


私は、ネクロフォビアでありタナトフォビアだと、それはとても小さい頃から自覚しています。

聞き慣れない単語かも知れませんが、つまりは、自分以外の人の死に恐怖感を覚えること。自分の死に対しても恐怖感を覚えるということです。

人や動物、植物の終わりを考えた時に、どういった感じなのだろうと考えてしまいます。

私は物理的にしか物事を考えていません。とんでも科学も含まれますが。圧倒的に知識がない頭を絞って出てくる死のイメージが幾つかあります。

一つ目、寝てる状態の無意識が永遠に続く
二つ目、何もない暗闇(星の無い宇宙空間)を一方向に永遠にすすむ
三つ目、意識の無い粉になる

このあたりが、学の無い私が絞り出せるイメージです。
どれを取ってみても、圧倒的に恐ろしいものではあります。
だからこそ、信心があるのだと思います。

宗教には染まったり属したりはしない確固たる自身がありますが、死に対しての捉え方や考え方の面では参考になります。
どの宗教も基本的には、死後に意識ありなんですよね。
まぁ、ありえないとは思いますが気の持ちようとしてはありなのかな。

実は、私の見解に他のものもあるんですね。
四つ目、死の間際に体感時間が無限大に伸ばされる。
五つ目、時間が逆行して、再び同じ人生を繰り返す。
六つ目、パラレル分岐

そんなわけねーじゃんと思うかも知れません。むしろそんなわけねーと自分でも思っています。

四つ目、体感時間の無限大化はあるかもしれません。人は時間に対しての感覚が疎らとなりますし。一個人としての死という漸近線に対して、時間感覚が莫大に変化する可能性も無きにしもあらずかと思います。ずっと痛いのとかはいやですが。

五つ目のイメージは
壁に挟まれた空間でスーパーボールを投げて、往復しまくるイメージです。これは、時間流れが一方向でない可能性を考えていますが、ちょっとありえないかなと思います。
イメージとして時間を映写機で考えている感じです。
時間という一方向流れに直行した平面があるイメージで、ここでイメージした平面は実際には三次元座標系です。
今と言う時間に対して、過去の座標系は保持されている可能性がありますよね。
死んだら記憶屋は無くなるもののどこかの時間の座標系に飛ぶのでは?とか思ってます。

六つ目、確率論です。今、少し手を動かしたとして、、動かさなかった場合と分岐しますよね。
こう、分岐がとてつもなく連なったとして、今は確率論的には無限大ぶんの1の確率を引いて生きてるってことなんですよね。ならばです、今生きてる無限大ぶんの1の確率は、、これからも死なないという無限大ぶんの1の確率を継続することと、さほど変わりがないんですよね。
つまり、結局死なないんじゃね?論です。


とまぁ、とんでも科学で気を紛らわせてはいます。
神様がいるのなら、なぜ永遠に生きられる様にしなかったのか聞いてみたいですよね。
私は正直、死ってやつはエラーか何かだとおもってます。
マビキとかだったらブチ切れてしまいそうですね。


話がめちゃくちゃ逸れましたが、
悼む人、もう少し楽しみます