おいしい魂

2009-09-04 20:12:52 | Notebook
     
ある霊能者のおばあさんから教えてもらったのだが、縁談の相談をうけたときに、おもしろい方法で占うことがあるそうだ。

相手の名前と生年月日を小さな紙切れに書いて、油揚げの上に載せる。
そしてお祈りを捧げながら、それを火にくべる。
すると、キツネの姿をした精霊たちがたくさん現れて、その油揚げを食べるために集まってくるんだそうだ。

キツネの姿をした精霊たちにとって、油揚げは好物だから、喜んで集まってくる。
ところが、載せられた紙に書かれた生年月日と名前が、あまり美味しくない場合は、精霊たちはよりつかない。その人物の魂に、なにか問題があるというわけだ。

魂がおいしい人物の場合は、精霊たちは喜んでたくさん集まってくる。そういう相手であれば、だいじょうぶ。きっと幸せになれる。
しかし魂がおいしくないと、精霊たちにも嫌われてしまう。そして、そういう相手との縁談は良くないということだった。

せっかく本物の油揚げなのに、それに、おばあさんのような一流の霊能者が祈りを捧げているのに、まずくても我慢して食べる、ということはないらしい。
わたしは精霊たちの、そんなふうに素直で正直というか、現金な姿を想像して、心のなかでちょっと笑ってしまった。

おばあさんは、それ以上のことをあまり話してはくれなかったけれども、久しぶりにいま思い返してみると、いろいろ考えさせられることがある。

たとえ知性がすぐれていたとしても、心が稚拙で、自分の気持ちばかり優先しているとか、嘘をついても平気でいるとか、目の前のひとの気持ちを踏みにじるとか、ちょっと気に入らないことがあると相手を悪くいうとか、浅薄であるとか、酷薄であるなど、なにか人格に問題がある場合は、そのぶん魂がおいしくないということに、なるのかもしれない。

とくにここで問題にされているのが「正しい」でもなく、「立派な」でもない。「おいしい」であるところが、とても新鮮に感じられるけれども、なんだか妙に納得させられるような気がする。

おいしい魂の持ち主こそが、ひとを幸せにする。

おいしい魂とは何か、はっきりとは分からないなりに、長年をかけて、くりかえし考えるに足る、鏡のような謎の言葉。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。