かんがえることと、はなすこと

2007-01-28 07:50:25 | Notebook
      
どこぞのクニの偉い先生が最近、女性のことを「子どもを産む機械」であるかのような発言をしたのだそうだ。

なにが仰りたかったのかというと、ようするに少子化問題にあたって、子どもを産むことのできる年齢にある女性の絶対数はかぎられているので、一人ひとりの女性にぜひ頑張ってほしいと、激励をするような内容だったらしい。その「数がかぎられている」という現実を強調したくて、つい「機械」というたとえを使ってしまったみたいですね。機械の数はかぎられているので生産に励んでくれと。
先生ご本人も、表現が不適切なことを承知しておられて、「ごめんなさいね」と断わりながら、そういう発言をされたのだそうだ。とりあえず悪意や差別意識はなかったようです。

なんか、どこかで聞いたような話ですね。
そうそう。
お姑さんが、お嫁さんに「子宝」を催促する話にそっくり(笑)。

「シン子さん、隣りのお家では可愛いお孫さんが産まれたみたいねえ」
「はあ」
「うちはもう結婚して10年にもなるのに、まだ産まれないのかしらねえ」
「はあ」
「シン吉のことが嫌いなわけじゃないんでしょ?」
「はあ」
……そんなかんじ。

こういう感覚に問題がないというわけではない。ある意味、
「シン子さんの体型なら、三つ子だろうが六つ子だろうがポンポン産んでくれそうなんだけどねえ、それに、栄養だって有り余ってるでしょ、見るからに」
などという、品のないセクハラ発言と同根の意識がありそう、ではある。ここから「出産マシーン」の着想までは、あと一歩だ。

しかし、そういう問題はともかく、この場合かんがえるべきは、やはり「表現のまずさ」なんでしょうね。
言いたいことを、そつなく相手に伝えるということ。その能力の問題なんでしょう。
この先生ご本人も、その能力に問題があったと自覚しておられたから、くりかえし「機械と言ってごめんなさいね」と断わりながら発言していたのだろう。ほかの表現がたまたま思い浮かばなかったから、こうなってしまったのでしょうね。

ところで。

サッカー日本代表チーム監督の、イヴィチャ・オシムさんの言動が話題になったことがあった。
彼の言葉は深いとか、人間にたいする洞察がすぐれているなどと言われている。わたしもそう思うけれど、すこし違った感想をもっている。

オシムさんの深さというのは、とくべつ深い思想があるというものでもない。とくべつの世界観が構築されているというほどでもない。教養から来るものでもない。そういう意味では、特別すごいことを言っているわけでもない。わりと、当たり前のことを言っておられる。しかし、素晴らしい。わたしは感動した。

何に感動したのか?
彼が自分と他人と世の中を、きちっと客観化して、きちんと批判精神でみつめ、自分の頭でかんがえて、それをちゃんと言語化して伝えていることに、感動したのだ。彼の精神の深さは、この言語化のいとなみから来ていると思う。
その「いとなみ」の深さに、感動したのだ。

先にあげた先生の場合も、女性にむかって舅や姑みたいなエールを送ってみたところで、なんにもならないのだということに気づく程度には、ちゃんとものを考えていれば、もうすこし気のきいた講演ができたのではないかと思う。激励されちゃった女性のほうだって、困りますよねえ(笑)。この先生は、そのことに気づく程度の批判精神も客観化もできていなかったのだということになってしまう。

そして、それをさらに言語化する努力をしてきておれば、なにも機械などという表現を持ってくるような失敗をしなくてもよかったのかもしれない。

こうした「考えのいたらなさ」「表現のつたなさ」という問題は、わたしを含めて誰にでもあることだ。わたしたちは案外、この先生や、子宝催促姑と五十歩百歩だったりする。案外なにも考えないで、ぼやーっと生きていたりする。わたしがこの先生の立場だったら、もっとヘンなことをうっかり言ってしまって、大問題になっていたかもしれない。そうして、トーキョーのなかでもとくに面倒な酔っぱらいが集まるというアサガヤ近辺の居酒屋で、おもいっきり笑い者にされていたかもしれない。コワイですねえ。

かんがえること、はなすこと。批判精神と客観化、そして言語化。これは、すごく重要なことなんだろう。きっと、生きることの質にかかわる大問題なのだろうと思っている。たぶんそれは、教養とか勉強よりもっと重要なことだという気がする。それ以前の、なにか。オシムさんの顔をテレビで観るたびに、そんなことをかんがえている。


※追記
その後、やはりこの発言は大問題になっていました。
テレビのニュースを観ていたら、レポーターがこの先生のことを、
「女性は子どもを産む機械だと『発言した』のですが、どう思いますか?」
と道行くひとにインタビューしていたので、びっくり。だって、機械であるかのような『発言になってしまった失言』と、機械であると『発言している』では、えらい違いです。
感情に訴える報道のほうがニュースになるし、受けがいいのは分かるけど、いつもいつも、やりすぎではないかと思いました。子どもが殺された悲しい事件が起きると、その子の生前のVTRをこれでもかというふうに流す。ある街で不動産屋さんが許可を得て建てた高層マンションと、周辺住民の反対の声との確執を、さぞ「悪徳不動産対善良な市民」みたいなウソのイメージで報道する(わるいのは建築許可を与えた市のほうなのに)。どれもこれも、一般受けするほうの味方について、一般感情を刺激するための報道ばかり。NHKまでそう。どうなってるんでしょうね?

冬の歌、ひとつ。

2007-01-22 00:05:27 | Notebook
      
※若い時に、こういう作品を歌うひとはいいなあと思ったのでした。2年前に巡り逢って、かなり感激した作品。いまでも聴くたびに揺さぶられます。孤独と哀しみは彼女の親友なんですね。


街は北風にその身をさらし
人びとの頬にぬくもりを灯す
車を降りて歩く、すこしの距離
この時が、なんか、好きで
ブーツの音が、ことん、ことん、
おまえは歩いていると
なぐさめて、くれる

まじめな顔して、
まじめに考えろ、なんて
なんか、ばかにされているみたいで、いやになった
どうでもいいやつもいれば、目が離せないやつもいる
だけど、どうかしたら、目の前にいる誰でも
遠く、遠く、感じて、聞こえなくなる
ぜんぶ、嘘に変わってしまう、時がある


 手押し車のじいさんは
 今日もゆっくり行き過ぎる
 怒ったような大きな顔
 ゆらゆら揺れて行き過ぎる


あったかい部屋が好きで
きらきら光るものが好きで
黒いピアノにのせて
全部のせて生きたくて

何が嘘で、何が本当か
伸ばした手は、切り落とされる
それも、やさしさだと、教えられた

どうせなら、叫び続けて
誰にも分からぬ言葉で
声がなくなるまで、叫びつづけて終わるのもいい


 手押し車のじいさんは
 今日もゆっくり行き過ぎる
 怒ったような大きな顔
 いつもおなじ、あの顔さ


あのじいさん、去年の大雪の夜も
おなじように歩いていた
からだじゅう、雪で真っ白
へんな分厚い帽子をかぶって

その姿が、おかしくて
うれしくて
ふしぎで
頭のなかに、焼き付いている

どうせなら、叫び続けて
誰にも分からぬ言葉で
声がなくなるまで


冬は好きだ
あったかいのが、隠れていそうだから
なにかを、まもっているみたいな
人びとの姿がみえる

車に向かい、歩く、すこしの距離
この時も、やっぱり、好きで
ブーツの音が、ことん、ことん、
おまえは、歩いていると


どうせなら、叫び続けて
誰にも分からぬ言葉で
声がなくなるまで、叫びつづけて

どうせなら、叫び続けて
誰にも分からぬ言葉で
声がなくなるまで、叫びつづけて、終わるのもいい


矢野絢子「ブーツ」
ライヴDVD『ナイルの一滴』より
(社)日本音楽著作権協会承認番号:J070102424

初年運について

2007-01-21 03:02:56 | Notebook
    
東洋の占いの人生観のなかに「初年運・中年運・晩年運」というものが出てくる。
たとえば三元九星の占いでいうと、そのひとの生まれ星によって運命のパターンが違うと考える。ざっと分類すると以下のようになる。

初年運  一白水星・三碧木星・四緑木星・九紫火星
中年運  六白金星・七赤金星
晩年運  八白土星
不動運  二黒土星・五黄土星

もっとも、ひとの人生を「晩年」とか「初年」などといった区分で捉えることじたいに無理があるし、こんな単純な分類がそのまま占いとして通用するわけでもない。それにこうしたことは観念にすぎず、現実とはとりあえず関係がない。が、しかし人間の生きている世界がそもそも、すでに幻想であり観念なのだから、話はそう単純なものではなかったりする。人間の世界とはUFOも飛んでくるし、おカネというフシギな紙が流通したり、念力でテーブルも持ち上がるという(笑)、やっかいなところでもある。どうして占いが当たるのか、という主題を解き明かすには、かなり長い議論が必要だ。

わたしがここで取り上げたいのは、だからこうした占いの有用性ではなくて、その考え方のほうだ。

たとえば、初年運とはなにか?
一白水星・三碧木星・四緑木星・九紫火星は初年運と言われる。わたしは信じていないが、若いうちに運命のピークが訪れるんだそうだ。なぜそう考えるのかというと、彼らの生き方の傾向が「初年にしか通用しない生き方である場合が多く、そういう傾向をもったパーソナリティである」ということになる。「いや、そういう運命だから、そういう人格ができあがるのだ」というひともいるだろうが、わたしはこの考え方をとらない。運命とは、人格のことなのだ。なぜなら、時間は存在だから。

すこしこまかく見ていこう。
わたしの印象を言うと、三碧木星はどこか新鮮な印象を受けることが多かった。それに若いころの彼らは目立つ。勢いもある。なんだか生意気でうるさいが、からっとしている。若々しい青葉のようなイメージ。
それから九紫火星については、いちばん華やかな印象をもっている。わたしは二黒土星だが、いままで生きていて九紫火星にたすけられたことがずいぶんある。九星では「火生土」といって、火星の力が土星にとって母体のような意味をもつのだが、わたしの実感もそんな感じだ。
いっぽう一白水星は、わたしにとっては印象がうすい。ときどき巡り逢っても、なんだか打ち解けなかった。しかし、しっとりとした雰囲気で語りあってみると、仲良くなれる。そんな印象をもっている。初対面では表情が暗いことが多かったが、見かけほど気難しくも暗くもない。
四緑木星にたいしては、スマートな印象をもっている。女性はとくに存在感があるが、男性はそれほどでもない。いろいろなところで四緑木星の女性に会ったが、いつも輪の中心である(このイメージを「才媛が多い」と言った占い師がいる)。おだやかで話しやすい。
このうち、とくに九紫火星、三碧木星は、いきなり舞台に上がって映えるタイプが多い。人前で目立つ印象。ちいさな子どものころからすでにそうだ。これを「天性のエンターティナー」と表現した占い師もいる(笑)。

こんなことがあった。
ある知り合いと喫茶店で話していたら、若いころの話になった。
彼は若いとき、まったく経験のない業界にいきなり飛び込んで、ずいぶん失敗もし周りに迷惑もかけながら、しかし持ち前の元気とバイタリティーで乗り切ったことがあったのだそうだ。とにかく行動。結果はあとからついてくる、というのが彼の持論で、それは中年になったいまも変わらないようだった。失敗をかさねながら、いろいろ経験を積み、それなりに仕事もできるようになったと言っていた。

しかし、わたしはその話を聞いていて、だんだん不安になってきた。なぜかというと、そんなやり方が通用したのは、やはり本人がまだ若者だったからで、周りもまた大目に見ていただけのことであり、仕事としては破綻していることに違いはないからである。世間に迷惑をかけたことに違いはない。
そんな人生観が、いまでも彼の行動の基底にある。信念よりも結果が勝る。とにかく、やっちゃえ。結果オーライ。そういう姿を見せられることがすくなくない。もちろん、たいていは周りがなんとかしてくれるから、結果的になんとかなっているが、ほんとうは失敗している。だから批判も多い。
それから、いつもなんとなく友人に甘えて、たすけてもらう。それを当たり前と思っているわけでもないのだが、そうやって上手く事が運べば儲けもの。そう思っているふしがあることだ。
そういう人格の薄っぺらさに気づいて、周りのひとは愛想を尽かし去っていく。ふだん彼の、そういう姿を見せられているものだから、彼の話を聞いていて不安になってきたわけだ。

そうして、どこかで聞いたような話だな、と思った。そうそう、むかし読んだ占いの本に出てきた話にそっくりだ。初年運の人格。そうおもって彼の生年月日を訊いてみると、四緑木星だったのである。

初年運の人格。それが当たっているかどうかはともかく、そのイメージをざっと述べると、上にあげたような特徴にくわえて、以下のようなことがあげられる。
「まずチャンスに強いということ。とくに若い時期には。ということは逆に言うと、実力勝負という考え方が後回しになる。これがそのまま人格に出て、ひとに気に入られることにばかり汲々としているひともいる。
またそんなふうだから、当人の在り方よりも、他人からどう評価されるかに重点をおいた人生観をもちやすい。こういうところは土星、金星の頑固さ重さとはまったく違う。
それから、はったりを排除しない。人前に出れば、それなりに見映えの良さも考える。印象の良さも重視する、ということを、幼年のころから本能的に知っていることがある」

手許に資料がないから思い出すままに書いてみたが、かなり舌足らずで偏っているし足りないところもあるし、われながら書いていてすでに失笑してしまったが、まあこんなふうなものだと思えばいい。お叱りを受けるかもしれないが、どうせ教科書に書かれたものも、誰かのインスピレーションから生まれたものなので、そんなに目くじら立てることもないだろう。「天性のエンターティナー」ほどひどくはないだろう(笑)。

それから四緑木星単独の特徴として、「こころのなかのモヤモヤした部分をさらけ出す傾向がある」というものが上げられる。見た目は上品ですましているくせに、意外なほどウジウジしてみせたり、コンプレックスを丸出しにしたり、陰湿だったりする、という特徴があげられる。
つまり誰もが自分のなかで解決すべき葛藤などが、そのまま表に出て露出してしまう。だから、そんなものを見せられた友人たちはびっくりして、すっきりした性格のわりには、くよくよした面もあるんだなと思う。いっしょに暮らす家族は、ふだんからそういう本人の陰湿でケチな面を見せられて(男性の場合はこれに優柔不断というのが加わる)、うんざりするということもある。このことを「四緑木星は外づらがいい」と表現した占い師もいた。
ただし、わたしの意見を言わせてもらえば、すこし違う。四緑木星はそれほど陰湿でもないし、外づらがいいわけでもない。そう見えるだけで、これはもうすこしべつのところに原因がある。

しかしどちらにせよ、なるほど、こういう人格ならば、はったりや勢いの必要な若年期には見映えもいいし通用するだろうが、中年期では通用しない。若いうちは、多少たりないところがあっても、元気で活きがよければ大目に見てもらえるし可愛がってもらえる。むしろその活きのよさや元気のほうが重要なことさえある。しかし、おなじことを中年のオヤジがやっていたら目も当てられないだろう。

このように、占いが当たるかどうかは別として、その世界観や人間観にはおもしろいものがある。そこにはきっと、占い師が実感から学んだ知恵が込められているからだろうと思う。
有名な江戸時代の占い師の水野南北さんのような、なかなか個性的なひとの本を見ると、その観察力、洞察力、人間を観る目のふかさに驚くことがある。
水野さんは晩年になって、自分の説に疑問を抱いたといわれる。つまり、自分が生みだした占いは当たらないのではないかと疑ったというわけだ。だから水野流には価値がない、当たらないのだ、というひとに会ったこともある。

しかしわたしは、水野さんの占いが当たろうが外れようが、どうでもいいひとなので、彼の洞察のふかさ、その値打ちに変わりはないと思っている。
この三元九星の人生観も、むしろ占いとしては幼稚すぎて見るべきものもないが、その洞察のほうに、なかなか値打ちのあるものがあるではないか。

先の知り合いの話も、べつに彼が四緑木星じゃなかったとしても、たとえば六白金星や八白土星だったとしても、じつはおなじことだと思っている。初年運の星をもちながら、苦労して晩年で花開くひとだって大勢いる。たいせつなのは神秘ではなく、実感から学んだもののほうなのだ。見るべきものがそこにある。

ひとの気持ちと共感

2007-01-19 23:10:49 | Notebook
    
昨年末の紅白歌合戦で、若い音楽家のパフォーマンスに、裸みたいなボディスーツを着た女性が出演したことが問題になっている。
わたしはそれを観ていたが、たまたま家族が席を外していた。同席していたら気まずかったかもしれない。

わたしの趣味ではないけれども、なかなか面白いパフォーマンスだと思った。しかしああいう番組では、家族の団らんとか、年の境目の神聖な気持ちといった役目も担っているので、たとえスーツに描かれたものであっても、裸をいきなり出されると困る。まあ失敗だったのだろうと思う。
ここで重要なのは、わたしが困るのではなく(笑)、わたしの家族が嫌がるだろうなと思ったから、その心中を察して困るわけだ。じっさいに家族が嫌がるかどうかとは、またべつの問題なのである。

言うまでもないが、わたしは「神聖な正月と女性の全裸」の組み合わせが、良いか悪いかを言っているのではない。そういう理屈を言うならば、むしろ正月と「性」は文化的に近いところにあるかもしれない(笑)。
また、あの表現がほんとうに性的だったのか、エロチックだったのかという点も、議論がいろいろあるだろう。わたしの目には、浅草サンバカーニバルのダンサーのほうがずっとエロチックで素敵に見える(笑)。それにあのパフォーマンスより、ある意味ずっと過激である。
だから問題は、あの演出の是非なんかではなくて、もうすこしべつのところにある。それは「他人の気持ちへの共感」という問題だ。

「あれを見たいとは思わないひとが、たぶん、たくさんいる」「傷つくひとが、きっと、たくさんいる」ということに思いが届いていなかった、ということが、いちばん大きくて深刻な問題なんだろうと思う。お茶の間のひとたちへの「共感」がないわけだ。そのことじたいが救いがたいことのような気がする。

あるひとのホームページの掲示板で、ひとへの共感を欠いた書き込みをする人物がいた。どうやら、まじめで善良そうな人物だったから、なおさらその鈍感さが気の毒だった。たぶん、かなり若いひとだったのではないか。男性のようだった。

笑い話として書いた話に、まじめなコメントを書き込む。つまり「いっしょに楽しんで笑ってあげるべきところ」で、その話題を「知性のレベル」で考察したようなコメントを入れる。もとのトピックを肯定してささえるようなコメントにすらなっていない。むしろ否定しているようなニュアンスもある。つまり、もとのトピックへの「共感」がない。ふつうなら嫌がらせになってしまいそうなところだ。
あるいは、まじめで誠意を込めた話題なのに、その内容を受け止めたコメントではなく、まるでそれを無視したような、まったく関係のない話を書き込む。けんかを売っているようなものなので、わたしはそのコメントを見たとき、管理者がいつ怒り出すかと、はらはらしていた。この場合にも欠けているのは「共感」だ。
またべつのときには、なにかを主張している内容のトピックにたいして、いきなり「くだけた」冗談のようなコメントを入れる。それがもとのトピックへの共感を感じさせるものであればいいのだが、やはり「共感」が感じられない。

どの場合も、相手への共感のなさが問題になっている。逆に言うと、あたたかい共感さえあれば、多少はズレたコメントでも、いや、たとえちょっと失礼でも、まったく問題はないわけだ。もし誤解が生じても、なんとかなるだろう。
書かれている内容にたいして、「そのとおり」とか「なるほどね」、あるいは、そこまで書かなくとも、なんらかのかたちで共感を示す。そのうえで、べつの話を付け加えたければ加える。しかし、それが元のトピックにとってマイナスにならないように気づかう。こうして書いていても馬鹿馬鹿しくなるような(ほんとに馬鹿みたいで、すこし落ち込んだ)当たり前のことなのだが、しかしその人物の場合は、その程度の気づかいも示せない。つまり相手の気持ちへの想像力も気づかいも共感もない、というところが、まったく救いがたかった。彼には、そこに書かれている文章の「意味」しか目に入っていないわけだ。文章の背後にある、「書き手の気持ち」にまで気持ちが届いていないということになる。

とうとうこの人物が非難されたことがある。するとこういうひとは、きまってこういう。想像どおりの反論だった。
「掲示板でのコメントには、いろいろな意見があって当然だし、いろいろな書き込みをするひとがいていいのではないでしょうか。べつに悪意から書いているわけではないし。誤解を乗り越えて、それをお互いに分かり合おうとする気持ちのほうがむしろ、たいせつなのではないでしょうか」
ようするに気の毒なくらい、「その場と、時と、ひとの気持ち」が見えておらず、そこには「共感」が欠けているわけだ。彼にとってホームページの議題は議題にすぎず、その議題について自由に発言する場が掲示板だったのだろう。
このホームページはいまはもう閉鎖されている。なにも閉鎖することもないと思うのだが、がまんがならなかったのだろう。しかしむしろわたしは、荒らしてしまったことにまったく気づいていなかった本人のほうが、かなり気の毒だと思っている。周りのひとも、こういうことを忠告などできないから、彼を適当にあしらっていることだろう。友人はいるのだろうが、「共感」がとんちんかんな友人関係ということになってしまう。それははたして友人なのだろうか。

あの紅白の出演者の問題も、じつはかなり気の毒で深刻だと思っている。その共感のなさ、ひとの気持ちへの想像力のなさが、まったく気の毒で、救いがたい。なんとかしてやれるものなら、なんとかしてやりたいと思うくらいだ。

ひとへの共感のない人物というものは、じつは、なにより「自分自身」への共感を欠いているものだ。朝から晩まで自分を否定しているのだが、それが自分で分かっていない。そんなものだ。いっしょうけんめいひとを受け入れ、優しく、善良であったとしても、受け入れていることにならないし、肯定していることにもならない。周りのひとは彼からいつも否定されている感じを受けるだろう。だからとても気の毒だと思う。
自分自身からの疎外感。それを彼らはいつも感じていて、それを自分の身体に投影することがある。その結果、やたらと身体意識にこだわる。ひとによってはフィットネスにはげみ、ストレスを恐れる。勘違いがきわまったすえに鍼灸師になるものもいる。しかし見るべきはべつのものなのだ。

クニを愛する?

2007-01-17 01:33:16 | Notebook
     
海外へ移住したニホンジンは、クニや国旗にたいする意識が変わってくるらしい。ニホンにいたころはまったく国旗のことなどかんがえなかったひとが、遠く異邦の地で、にわかにニホンというクニと国旗のことをかんがえる。

いちがいには言えないだろうが、国旗をうやまい、国歌を斉唱することは、どうやら海外では普通のことらしい。さまざまなクニの、さまざまな人種の集まる場所でも、それぞれのクニの国旗をちゃんと大切にするし、国歌も厳粛に歌う。
ところがニホンジンは、自国への意識もうすいし、クニをうやまう気持ちもうすい。国歌も歌わないし、国旗をたいせつにしない。これはかなり海外では異様に見える場合があるそうだ。そして、なんだか野蛮人にも見えるらしい。

どこのクニでも、自分のクニの国旗をたいせつにする。だから他国の人々の国旗もたいせつに扱う。それがマナーなんだそうだ。ところが海外のニホンジンは、「国旗? それがどうかしたの?」という態度だから、ずいぶん恥ずかしいひとたちに見えるんだそうである。そしてうっかり、他国の国旗がデザインされたハンカチを椅子にしいて、そのうえに座ったりする。

せめて小学校で、子どもたちにちゃんと国歌を歌わせ、クニや国旗への尊敬の気持ちを教えてほしい、という海外在住者の切実な声もある。なるほど、茶碗や箸の使い方を教えるように、国旗と国歌を尊重することを教えるのは最低限の教育なのかもしれない。しかしそうなると、それらを否定したいひとたちは偽善的に子どもに接し、笑顔をつくり、嘘をつかなくてはいけない。なかなか難しい問題だ。

「いや、わたしはコスモポリタンですから」と言って、地球の写真や万国旗を敬えばいいだろうか? でもそんなことをしたら、海外のひとたちからますますバカにされてしまうかもしれない。なぜなら、人間はあくまでローカルな生き物だからだ。ほんもののコスモポリタンほど、ローカルに行動することの大切さを知っていて、自分が育ったクニの言葉や町内会や家族、そして友人を大切にするものだ。

むかしむかし、ある宇宙飛行士が、とおい宇宙空間から丸く青い地球を見て、啓示のようなものを受けた。そうしてなんだか即席宗教家みたいなことを言い始めた。地球意識。ガイア。彼の話はまともで、なんだかとっても良い話だったけれども、それはやはり宇宙空間で得た悟りというだけあって、地に足がついていなかった(ここ、笑うところですが、つまらなくてすみません)。やがて彼は会員を募り、会費を集め始め、閉じた空間で話をするようになったらしい。ますます即席宗教家みたいだ。ローカルを忘れた思想は、身体を忘れた観念とおなじ道をたどる。風船みたいに雲の上までふわふわと浮かんでいき、やがて破裂し、落ちてくる。



テレビの小さな箱のなかで、このクニの偉い先生たちが、クニを愛することを教えましょう、と言っていた。賛成、というひともいれば、いかがなものか、と首をかしげるひともいる。

ニホンの国旗や国歌には、ひと言では述べられないような事情があって、それをまた、へんな即席信仰心をもった変わり者たちが、さらにややこしくしている。それに、先の戦争の痛い記憶や嫌悪感、その後の占領政策の影響もあって、まっさらな目で国旗・国歌を見ることのできない国民になってしまったことは確かだ。国旗も国歌も、ずいぶん汚されてしまったのだ。

それをことさらに支持しろと強制するほうもどうかしているし、ことさらに拒否させようとするほうも、いかがなものだろうか。祝日に国旗を掲げることを、いっさい拒否している戦争経験者もいる。国歌なんか絶対に歌うな、という戦争被害者もいる。もちろんその逆もいる。あの国旗のためにお爺さんは死んだのだから、あの国旗をずっと尊重しつづけたいというひとだっている。どちらの気持ちも、あんがい庶民は理解している。そっと見守っている。そういうものだ。それを他人に押しつけるような筋合いのものでもない。

ニホンの国旗・国歌をめぐる感情は複雑なのだから、その複雑な感情を丁寧にあつかうべきではないか、としか言いようがない。答えにならなくて申し訳ないが、わたしの意見など誰ももとめていないだろう。いや、すっきりとした答えを求める態度そのものが、根本的に間違いだという場合もある。

海外の方々が、国旗や国歌を粗末にするニホンジンを見て仰天する、軽蔑する。海外在住者は肩身の狭い思いをする。そういうことがもしあるならば、すくなくとも外国の方々は、いまのニホンジンの「本当の姿」それも「恥ずかしい姿」を、わりと正確にご覧になっていると言うべきなんだろう。善し悪しは別として。

それを無理矢理とりつくろってみたところで、さあ、はたしてどれほどの効果があるだろうか? 国旗や国歌が大好きな子どもたちをたくさん増やしてみたところで、あまり「本当の姿」は変わらないのではないかと思う。都合がいいのは支配する側に立っている者たちばかりだ。市井の庶民は「クニ」なんて言葉は、あまり理解できていないし、子どもたちが元気よく国歌を歌い国旗を振ってみせたら、それこそ奇妙な、フシギな世の中になったものだと空を仰ぐ大人もたくさんいるだろう。

小学校の卒業式に、国旗・国歌を拒否するひともいればそうでないひともいる、という現実を、子どもに見せておくのは、よいことかもしれない。そういう個人の感情をたいせつにしないようなクニを、愛してくれと言うほうが、なんだか浮世離れしているとは言えないだろうか。庶民の感情のひとつひとつはローカルであり、それを雲の上から見て、どうこうしようというのは間が抜けている。クニを愛してほしかったら、地面まで降りてきて、目の前のひとや自分の気持ちを愛し、大切にすることを教えるべきだろう。目の前のひとを踏みつけにしておいて、クニだけ愛してくれというほうが、どうかしている。



わたしにとってのクニとは何か? 残念ながらピンとこない。わたしの生活圏はトーキョーというところがメインだ。わたしの世界観はきわめて貧しく、いわばトーキョーが載せられた丸いお盆のようなカタチをしていて、それを三頭の巨象が下から支えており、その三頭の象は巨大な亀の上に乗っている。あまり遠くへ行くと、丸いお盆からこぼれて、世界の果ての海に落ちてしまう。そんなものである。

この「世界」の中心に、わたしのよく行く商店街があって、いろんなひとが歩いていて、みんな、なんだか健気に生きている。それをクニと呼ぶならば、わたしのクニは商店街なのかもしれない。

昨日も、今日も。不景気そうで真っ青な顔の老人が、いらいらして歩いている。ひょろひょろした中学生が三人横に並んで、のんきにだらだら歩いている。自転車に幼児を乗せてひく堅実そうな主婦が、前をまっすぐ見つめてきびきびと通り過ぎる。四角い眼鏡のサラリーマンが、まるで国家機密でも明かすような深刻な顔をして携帯電話を耳にあてがい、テレビドラマみたいな喋り方で話しながら飛び去ってゆく。仕事もなく破産状態のSleepyShinが、すがりつくような目をして、ゆっくりスケートでもしているみたいな足どりで移動していく。世渡り上手な猫は抜き足差し足、媚を売るのを忘れない。散歩の犬は飼い主についていくのが嬉しそうで、歌い出しそうなステップで歩く。カラスは今日もアーケードの上で、縄張りに目を光らせる。

偏屈な、顔も見たくないような店のおやじ。生意気で威圧的な、客の顔をじろじろ見る雑貨屋の息子。道の向こう側から聞こえてくる、お菓子屋の女将のやけっぱちな高笑い。愚痴ばっかりの店番。あの不動産屋の息子の、心を閉ざした愛想笑い。くしゃくしゃで可愛いタバコ屋のおばあちゃん。繊細すぎていつも不安定な笑顔の、おどおどした酒屋の若夫婦。なんであたしこんなところにいるのかしらつまんないわと顔が言っている女子高校生。恨みがましく客をにらみつける傾きかけた紳士服屋のおやじ。いつも哀しそうな顔で野菜を切る定食屋のマスター。意外にまじめな仕事ぶりの、ピンクの髪と唇ピアスの書店員。子どもの写真をカウンターの上に、だいじにだいじに飾るラーメン屋のおばちゃん。

愛らしいひとや、憎たらしいやつ。やっかい者。とてもとても愛する気持ちにはなれないが、たぶん愛すべきひとびと。そんなひとびとの命が危険にさらされたら、いきなりミサイルが飛んできたら、きっと、なんとかしなくちゃ、と思うのだろう。あの偏屈おやじはどうでもいいが(笑)、おばあちゃんだけは助けなくちゃ、と思うのかもしれない。それを愛国心と呼ばせたいのは、雲の上のひとたちばかりだ。愛の言葉を強要する、うるさい恋人みたいじゃないか。

わたしがよく歩く並木道に、ときどき現われる老女がいる。顔立ちは上品なのだが、いつも汚れたショッピングカートを引いていて、家財道具の入った紙袋をかかえて、ぼろぼろのタイツをはき、腰まで延びた胡麻塩の髪の毛をぶら下げている。ゆらゆら、ゆらゆら歩いている。ときどき青ざめた顔でゴミ箱をのぞいている。
そんな彼女がビルの礎石の前に座り込んで、道行くひとを眺めている姿を見かけることがある。横になっている姿を見かけることもあった。

彼女は大地の上に横たわる。からだを縮めるように。そして頭を、アスファルトに敷いた段ボールの上にそっと載せる。きっと空に浮かぶ雲を見上げることもあるのだろう。
彼女の頭蓋骨と、地面の間に、はたして「クニ」なるものが、あるんだろうか。
あるいは、あの空を見上げていれば、そのうち雲のすきまから落ちてくるのかもしれない。

デリカシー

2007-01-16 03:30:55 | Notebook
      
わたしは勘違いをすることが多く、場違いな発言をしてしまって、よくあとで後悔する。ひとの言葉の意味を取り違えることも、よくある。

「あいつは君と感じが似ているね」と言われて、
「ええ、たしかに彼の書く漢字は、ぼくの文字とよく似ているんですよ」
な~んて相づちを打って、その場に深い静寂をもたらしたこともある(実話)。

その場ですぐ気づけばいいのだが、当然周りは、あまりのことに注意すらできず、見なかったふりをすることもしばしば。だから、わたしがまだ気づいていない「勘違い」が、ほかにもいろいろあるのかもしれない。いや、あるのだろう。きっと、あるのでしょうね。コワイですね。

それでも、まあなんとか周りのひとと仲良く共感をもって、相手の話をよく聞いて、時には相手の立場に立って自分を見つめたりして、わりと注意しているから、どんなに勘違いがあっても、愛想を尽かされることはないし(たぶん)、それなりにうまくいっていると思う。それにわりあい、ひとの気持ちをたいせつにするほうだと思う。

それでも、相手を怒らせたり、行き違いが生じることもある。
昨年の春ごろ、おずおずと「さすがに無料では(仕事するのは)ちょっと……」と言っただけなのに、
「なにっ!(怒)」
と怒られたことがある。わたしの言い方も至らなかったとは思うが、あれからいろいろ考えて、さんざん反省して、ずいぶん考察した結果、相手のほうがかなり悪いということに気づいた。だって、無料だしね(笑)。むしろ、わたしのほうが怒ってみせたほうが話は早かったろう。「いいかげんにしてください」と一喝しただけで、それまで偉そうだった相手がいきなりペコペコして、ずいぶん仕事がスムースに流れ始め、そのうえ信頼までされる、というフシギなことがあるものだ。あきれるほど薄っぺらいひとって、現実にいるんですよ。
あるいは、もうすこし仲良く、なんでも話して、ざっくばらんな言い方(「う~ん○○ちゃん、かんべんしてよ~ん」みたいな)をしておれば話はすんなり通っただろうとは思った。男性社会って、こんな感じなんですよ。いやですねえ。
というわけで、この件についての結論は、「ずうずうしくも無料で当然と思う相手がわるい。しかし、わたしのほうもいささかマジメすぎたきらいはある」というものだった。ここまで至るのに半年の月日をかけている(やれやれ)。

こんなふうに、おどおど、おずおず、ひとの気持ちに気をつかって、反省したり、振り返ったりしながら人間関係をつくっていく。こまやかに気をつかったりなんかする。
あいての顔色や、ニュアンスや、気分などをうかがう。その場の空気を感じ取る。相手の気持ちをおもんぱかる。わたしたちは、みな、そんなことをやっているものだ。これはこれでいいと思う。なぜかというと、こうしてひとは人間とディープに出会い、多くのことを学んでいるものだからだ。

ところが、ときどき、こういう神経が行き届いていないひとに会うことがある。
つまり、勘違いしたときのわたしみたいに、「反応がヘン」なひと。その場の空気が読めてないひと。ブログのまじめなトピックに、その内容と関係のないコメントを入れて、雰囲気を台無しにしたりするひと。相手の反応をいっさい見ないで、ただ喋りたいだけ喋っているひと。いきなり交際してもいない独身女性の家の近所まで来て電話をかけてきて、「お土産」を届けようとするような救いようのないオヤジ。相手の気持ちをおかまいなしに、相手のプライベートな話を他人にべらべら喋るやつ。(以上、「お土産」以外の失敗はわたしも経験あり。「お土産」以外は、ね・笑)
つまり、デリカシーが感じられないひと。そういうひとに会うことがある。

こうした「デリカシーのなさ」が、どこから来るのかをよく考察してみると、相手のことがいろいろ分かる。

たまたま勘違いしているだけなのか。場の空気を読み違えただけなのか。あるいは疲れているのか。心に余裕がないだけなのか。なにか悩み事をかかえているだけなのか。たんなる酔っぱらいなのか。

こういった理由ならいいけど、勘違いが頻発するとか(わたしのように)、いつもいつもデリカシーが足りない、となってくると、人格の病いを疑わなくてはいけない。

もし誰かと会ったとき、その相手にデリカシーが足りないと感じることがあるとする。そこには必ず、なにか問題が起きている。たんなる「場違い」や「タイミングの悪さ」でさえ、偶然ではなく、その人物の(あるいは、わたしの)人格の問題であることが意外に多いものだ。
ちょっとしたことでも、なんだか失礼だなと思うような言い方をする相手がいて、どうしてそうなのかをずっと見ていたら、どうやら「わたしのことを買いかぶっていて、緊張しているだけだった」ということもあった。しかしそこには、そのひとの仕事の仕方の問題も顕われていたわけだ(わたしごとき相手に緊張しているのだから、その深層を掘り下げていけば、ずいぶんいろいろ見えてくる)。

デリカシーのなさ。これはけっこう重要なキーワードだ。それを感じたときは、それをよく見つめてみる値打ちがある。ずいぶんいろいろなことを知ることができるものだ。カチンときたら、チャンスだ。そこに見るべきものがある。カチンと来て、すぐカッとなるひとは論外だ。いや実際に、すぐカッとなるひとはまったく話にならないことが多い。デリカシーも欠けていて、ひとも見えていなくて、仕事もハンパなことが多い。今回はなんだか自己啓発セミナーみたいだな。マーフィー・シンとでも名乗ろうか(笑)。

曼荼羅貧乏

2007-01-13 02:55:36 | Notebook
     
むかしむかし、あるひとから「なにをやっても寿命は10年」と聞いたことがある。なにをやるのもいいけれど、よい時期の寿命は長くて10年。ふつうは数年。2、3年というのもザラ。あとは右往左往、てんやわんやで過ぎていく。そんなものなんだそうだ。

才能があって、運もあって、なんとかなったとしても、気力も体力も能力のピークも数年しかもたない。それが現実かもしれない。だからたいていは、2、3年たったあたりで、「これではいけない」と思い直し、仕切り直す。いろいろ変更して、なんどかスタートラインに戻って、なんとかやっと行けるかどうか、というのが、ほとんどのひとの実感かもしれない。行っては戻り、戻ってはまた行くことの繰り返し。

いきなりすごい話の展開でもうしわけないが(いつもそう?)真言宗では曼荼羅(まんだら)という、仏教の教えや世界観を表現した画像が信仰されていて、有名なところでは胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅の2種がある。この曼荼羅の前で瞑想することで悟りを得られるという。

この両界曼荼羅を見ると、小さな仏さまから大きな仏さま、たくさんの仏さまが描かれていて、それがさまざまな境界にわたって変化しながら配置されている。うっかりするとこの「境界」がピラミッド状になっているように捉えがちだ。つまり信仰のレベルや生きている世界のレベルによって仏さまの姿も変化していくという考え方だ。上へいくほどレベルは高く、下へいくほどレベルが下がるというピラミッド状の世界観。ヒエラルキー。しかし、これは間違っている。

もうすこしよく見ていくと、この曼荼羅に描かれた世界はつねに「循環」していることに気づく。気づく、と言っても、これはわたしがいまさら言っているだけのことで、すでにいろいろな方から指摘されている。上の世界からまた下へ、下からまた上へ、つねに循環している。

いまうっかり循環と書いたけれども、これはインチキ温泉のお風呂のように閉じた世界でぐるぐる回っているだけのものとは違う。けっして閉じた世界で回っているわけではなく、その世界がつねに開いている。元へ戻ってはまた出て行く、という運動をくりかえしながら、すこしずつ新しい境界へと飛び出していく。これを「らせん構造」と言ったひともいる。

らせん構造というと、回りながら上昇していくイメージがあるので、ちょっと違うかもしれない。そう思いこみ、上昇しつづけているつもりになっているひとは意外なほど多いものだが、そんな単純な頭では悟りはほど遠いだろう。しかしいまのところ、「らせん構造」というのはいちばん上手い表現だとは思う。

くるくる回りながら、元へ戻りながら、しかし、けっして元の場所ではない。すこしずつ境界は違っている。わたしは20代のころも貧乏だったけど、おなじ一文無しでも、いまの貧乏とは質が違う。つまり、元のところへ戻りながらも、境界が違うということになる。ではいまの貧乏のほうが洗練されているのか、境界が上がっているのかというと、まあ、そうなんだけど、いまのほうが深刻でもある。むしろ20代の一文無しのほうがずっと気楽で、おだやかな仏さまに近いような気もする。つまり行ったり来たりしながら、上昇しているのだか下降しているのだか分からない。わたしの貧乏は曼荼羅構造だったというわけだ。そういう話だったのですか? はいそうです(笑)。

曼荼羅のらせん構造は神秘からではなく、人間から生まれたのだ。わたしの貧乏哲学の教理からみると、そういうことになる。あの前に坐って、なにを瞑想するか。この人間の実感を離れては瞑想すらままならない。いわんや人生をや。美しい観念や、ありがたい教えが実感から離れて独り歩きしたとき、それは人生の息の根を止める。

しかしこのことは、貧乏を生きているわたしたちが、らせん構造の人生のなかで、いつもやっていることだ。生きることが瞑想であり、生きることがすなわち仏性を宿しているという教えは、なにも高級なものでもなんでもなく、切れば血が出るような話なのだと思う。人間が滅びたら、仏さまも消えてなくなるだろう。あんまり有難くないけど、うちの貧乏菩薩さまがそう言っている。まんだら、いや、まんざら間違いでもないと思う。貧乏の話になると、わたしのコラムも水際立ってきますな。

戦争の夢と祈りと懺悔

2007-01-12 09:08:46 | Notebook
     
これはわたし個人の場合にかぎったことだ。だから他のひとには、あてはまらない。自分で発見してほしいと思う。

わたしは戦争の夢を見たことはほとんど、ない。
しかし、大勢の暴徒にかこまれて、殺されそうになったり、争ったりする夢をみることはある。
とくに昨年、よくこの夢をみた。

その場合、まずわたしが思うのは、その「大勢の暴徒」は自分だということだ。大勢のひとの姿になって、自分自身が、わたしにむかって復讐しようとしている。なぜか? 復讐されるだけの理由が、わたしの意識の側にあるからだ。

置き去りにしてしまった思い?
まだよく見えていない気持ち?
どこかへ捨ててきてしまった、むかしの自分?
あるいは、親との関係のなかの、なにか?
いずれにせよ、それは自分自身だ。
しかし、それが何かは、なかなか分からない。いまも分からない。

ただし、できることはある。
古くさいと思うかもしれないが、「懺悔すること」だ。

わたしのなかの何かが、怒っている。そして復讐しようとしている。その何かにたいして、こちらの罪を認め、謝罪することだ。
「もうしわけないが、わたしの何がいけないのか、まだ分からない、しかし、それを真剣に見つめ続けようと思う、なんとか赦してほしい、そして、導いてほしい」
「なるほど、わたしは自分自身に対して多くの罪を犯した。それを洗いざらい、気がつくはじからノートにとって、それを一つひとつ、懺悔しよう、そうすれば何かが見えてくるかもしれない」
しかし、これはとても難しい。ひとは、最も大きい罪と、最も重要な罪を忘れるか、それから目を逸らし続けるからだ。かといって、それに正面からむきあってしまうと心が壊れてしまう場合だってある。

だからひとは、なにか神のようなものを信じる必要がある。しかし間違っても、すでにある信仰のグループには入らないこと。宗教とは、自分のなかから生みだすものだ。だから群れずに、ただ独りであり続けること。
それから、自分の力では懺悔などできないということを悟る必要もある。「『神』の恩寵」なしには、ひとは何一つ、できないのだ。夢にむきあいはじめると、すぐにそれを悟るだろう。
だから、ひとは、「祈らなければいけない」。

それから、意識をひろくもつことと、意識の変化を見守ること。醜く淫らな自分自身を置き去りにしないこと。男のひとに抱かれたいと思ったら、その思いをちゃんと味わうこと(行動するのではなく)。それが終わったら、今度は外に出て、すがすがしい空気と清浄さを味わうこと。どちらも祝福されているのだと知ること。世界と自分を、味わうこと。

そして、けっして、真面目になりすぎないこと(笑)。真面目すぎるということは、とても不自然なことだ。いいかげんで、楽しく、豊かで、自分らしくある工夫をすべきだということ。毎日たのしく過ごす努力をしなくてはいけない(笑)。

こうして夢に話しかけると、夢はすぐに変化し、応えてくれる。なにか次のカギを示すだろう。
夢に変化があらわれなかったら、あなたの認識が、まったく見当はずれだということを示している。



わたしの夢のなかの「怖ろしい暴徒」は、それを見つめ続けて考察を続けるうちに、「あまり恐くない暴徒」に変化した。その後、「女性ばかりの暴徒」に変わった。それから夢のなかに出てくるのが「古い街」と「古い家」「家族」だった。そこからわたしは、わたしの古い家族関係、そして女性性と関係があると思った。

その夢のなかで、わたしは古い家のなかへ襲ってくる暴徒から逃げ出すために、父と二人で家を飛び出した。二階に母と妹が寝ているのに、それを見捨てて逃げ出す夢だった。
そこからわたしは、自分と母親の関係、それから、自分のなかの女性に対する態度に、なにか問題があると思った。事実、そのころのわたしの意識は父親との関係にかたよっていた。
その後、わたしはこの夢をきっかけに、母親との関係を見なおす作業を始めた。やがて分かったのは、わたしにとって重要なのは母親との関係に起きている問題だということだった。

それから、わたしの長年の意識のありようが、さまざまな「思い」をかかえすぎているということ。それらの思いが、怨念のようになって残りつづけているということ。わたしはそれらを清める作業を始めた。そのほか、そのほか、気づいたことがいろいろある。実際に故郷を訪れてみたこともある。

やがて暴徒の夢は見なくなった。かわりに、母親が襲われる夢をみた。それでわたしは、実家に戻って母親に接するようにした。いまは、実家に帰り母親のそばで生活することを検討している。

しかしこのときに気づいたことは膨大すぎて、まだわたしはその認識の入口に立っている。それに、ほかの意味が多すぎる。真実はつねに、多くの意味をもっている。認識には、これで終わりということがない。

もしわたしの「暴徒」の夢が、「戦争」の夢に変わったとしたら、まずわたしだったら、「世界」に対する自分の意識の態度を問題にするだろう。そこから始めるだろう。

しかし、くれぐれも間違わないでほしいのは、以上にあげたのは、わたし個人の場合にのみ当て嵌まるのであって、ほかのひとには合わない。
ほんとうの秘密、もっとも重要な知恵というものは、自分の力で自分のなかから探しだすものだ。借り物を尊重しすぎると、ろくなことにならない。これは宗教教義もおなじことだ。

しかし真剣に祈り、心の底から悔いて懺悔するかぎり、なにか道は拓けるはずだ。
祈りと懺悔、それが正しい道へ連れて行ってくれるだろう。
あなたはきっと、自分だけの宝石を見つけるだろう。

夢と意識

2007-01-11 02:42:27 | Notebook
    
夢は、そのひとの意識の足りないところを補う働きをする。

たとえば夢のなかに結婚の場面が出てきたとする。しあわせな結婚。周囲も祝福してくれる。
こういう夢をみたときは、まず「なぜ、『祝福されたしあわせな結婚』が、そのひとの意識にのぼる必要があったのか、なにを補っているのか」というふうに捉えていく。しあわせな結婚の夢を、なぜ見る必要があったのか、なぜ見たかったのか、という視点。それが、なにを「埋め合わせようとしているのか」を見ていく。
「花婿は花嫁の夢を見ない」という諺のとおり、ひとは補う必要のないものは夢に見ない。花嫁との関係に問題が起きたとき、はじめて花婿は花嫁の夢を見る。

もちろん夢の解釈には無数のヴァリエーションがあって、ひとつの視点から見ていくことじたいが間違っている。夢の内容を法則づけることもできないし、構文のように捉えることも間違っている。だから『夢辞典』などというものがそもそも成立し得ないし、そういう辞典に頼ったような解釈は必ず間違う。これはユングのタイプ論もおなじことで、タイプ論を、ひとをタイプにあてはめる方法だと捉えるひとは、たいてい間違う。あれは見るための出発点なのである。

夢にたいしては、「わたしはこの夢について、まったく無知で何も分からない」というところから始めるのが、最も正しい。まったく謙虚に、白紙の状態から始めるべきである。そして夢にたいして敬意を払うこと。ちっぽけな意識のちからでそれを理解しようとすること自体が、夢という自然にたいする冒涜なのだというくらい、謙虚であること。これはとても大切なことである。なにしろ相手は、ひとの意識のなかのいちばん「痛い」部分なのだから。そしてこの謙虚な態度は、意外なほど純粋に、科学的な態度でもある。

そして、こうしたことをふまえたうえで、あえてひとつの出発点として、夢は「なにか足りないものを補っている」というところから始めていく。つまり、そこに夢があるからには、なにか理由があってそこにあるのだろうと仮定しているわけだ。すでに花嫁を手に入れた花婿が、花嫁の夢をみる必要などないだろう。

ひとの意識というものは、つねに偏りを修正したり、行き過ぎを正したり、つねに「健全であろうとする」働きをもっている。もうすこし正確に言うと「自然に戻ろうとしている」。ノイローゼや引きこもりでさえ、「それが何かを補うために起きている」と捉えたほうがいい。しかも、こうしたことは本人の意識の世界だけで閉じているわけでもない。わたしたちの意識はつねに開いていて、他者や世界とかかわりあっている。世界の意識が偏っていると、それを個人の夢が警告することだってある。わたしは地下鉄サリン事件の前月に、地下鉄でひとが大勢死ぬという夢をみている。こうしたことは、夢を注意深く調べていくと、ありふれたことなのだと分かってくる(だからといって、夢で未来を予知しようなどとは思わないほうがいい)。

こんなふうに、ながいあいだ夢とつきあっていると、ある日そのひとは悟るだろう。これはまったく、夢の世界の話にかぎったことではないのだということ。

ひとの意識は、あたえりまえだけど目覚めているときも働いている。白昼の世界だって、ひとの意識でできあがっている。もちろん、おなじ原理で動いている。
黒をおぎなうために、ひとは白の話をする。白をおぎなうために、ひとは黒の話をする。

唐突に「結婚なんて興味ないわ、みんなどうして結婚の話なんかするのかしら」と言うひとが、じつは結婚にたいして大きな関心をもっていることがある。あるいは結婚に失望しているのかもしれない。冒頭にあげた夢をみたのは、こういうひとかもしれない。

毎日ユダヤ人を殺していたナチスの要人が、自宅では愛情にあふれ、花を育てる趣味に没頭していたという話がある。こういうことは、夢の世界ではむしろ正常なことなのだ。仕事で殺人をしているひとが、家庭でも生き物を虐待していたら、かえって異常である。ひとの意識というものは、そういうふうにできている。

子どもへの愛をやたらと語りたがるひとこそが、子どもとの関係になにか大きな問題をかかえていることがある。やたらと「信じる」という言葉をつかうひとこそが、ひとを信じるというセンスをまったく持っていない場合もある。偉そうで態度の大きいひとほど、中味がちっぽけな場合がある。やたらと謙虚なひとこそが、傲慢な場合だってある。ひとの意識はつねに、なにかを補っている。

「豊かな趣味」

2007-01-09 19:45:17 | Notebook
    
わたしの中学時代の担任は美術の先生で、師匠というあだ名だった。とはいえ、それは本人がみずから周囲に強要した呼び名で、ふつうに先生と呼んでも返事すらしない。師匠と言い直すと機嫌良く返事をする。そんなふうだから、わたしたち生徒も、同僚の先生たちも仕方なく、みなそのひとを師匠と呼んでいた。

気難しそうで、ひょろりとした弱々しい体型で、挙動はじじむさく、髭を生やしている。いつも美術室にこもって粘土をこねて、ろくろを回し、焼き物を作っていた。ふざけたもので、その中学校には焼き物の授業などなかったから、ろくろは本人の自前だったのだろう。子どもだったわたしたちにはずいぶん年輩に見えたものだが、いま思い返すとまだ三十代後半から四十代前半くらいの年齢だったかもしれない。なにをしに学校へ来ているのか、よく分からないような、不思議な人物だった。

朝からポケットに焼酎の小瓶をしのばせていることもあった。しかし、いつも清潔ですっきりとした顔をしていたから、いまのわたしの目で振り返れば、生活が荒れているようには見えないし、それほどの酒豪にも見えない。それに酒にうるさいタイプでもない。子どもたちの前でだけ、おどけて酒が手放せないようなふりをしていたのかもしれない。

しかし子どもに媚びるようなことをしないから、子どもたちから信頼されていた。どんな不良生徒も、その先生が一喝すると言うことをきいた。ほかのクラスの友人から、おもしろい担任でいいなあと言われたこともある。じっさいユーモアのある、おもしろい先生だった。

高校を卒業して、しかし大学へも行けず進路に悩んでいたころ、数年ぶりにその先生に会ったことがある。先生の家へ遊びに行く機会があって訪問したのだが、とりとめのない話をした。当時のわたしはとにかく一刻も早く、自分の天分を見きわめて、自分の道を歩みたいという思いでいっぱいだった。しかしそんなことを相談されても、先生のほうだって困ったろう。会話はとりとめのないまま進み、やがて日が暮れてきた。

するとその次の新年に、師匠から年賀状が送られてきた。
そこには毛筆で端正な文字がひと言書かれていて、それは、
「豊かな趣味」
というものだった。ほかには何も書いてない。意味が分からなかった。また次の新年にも年賀状が届いて、まったくおなじ文句が書き付けられていた。豊かな趣味。ただそれっきり。

ふつうに考えれば、ふつうに意味が通りそうなメッセージではある。豊かな趣味をもち、豊かな人間になりなさい。ふつうに読めばそう読める。
あるいは、あれこれ趣味をもち、あれこれ遊んでいるうちに、自分の道が見つかるかもしれないよ、という意味でもあったかもしれない。しかし、どうも、それだけではないような気がした。

どうしてこのタイミングで、ほかでもない、わたしに、この言葉なのだろう。わたしは一刻も早く、自分の道を見つけたかった。天分を知りたかった。そういう意味では、趣味などにうつつをぬかしている場合ではないとも言える。なぜ、そんな時期のわたしにむけて、この言葉なのか。

わたしはその言葉の意味をずっとかんがえていた。ときどき思い返しては、どういう意味なんだろうとかんがえる。忘れていたこともあるが、数年たってまた思い出す。間違っても本人に「どういう意味なんですか」と訊ねるような野暮な真似はしなかった。それに、たとえ訊いても答えてはくれなかったろうし、答えようがないようなことを言っているのだということぐらいは、子ども心に分かっていた。

それから時はすぎ、いまから二、三年前のことだ。実家にいたときに、自分の青年のころの写真を見返す機会があった。すでに分かっていたことではあるが、当時のわたしは貧しい顔をしていた。痩せていて、去勢された青年みたいで、貧弱な女の子の幽霊みたいに気持ちがわるい。わたしはその時期の自分の顔が好きではなかった。ノイローゼだった時期でもあり、それが写真にそのまま写っていて、手に取るように分かる。神経質そうで、色が白く寒々としている。

こんな顔をしていたら、自分の道など見つけられなかったのも無理はない。見つけられるはずがない。たとえ見つかっても、すぐに行き詰まっただろう。そこには、ひとがまっすぐ生きていくために必要な何かが、そっくり欠けているのである。しかしそれが何か、分からなかった。分かったのはつい最近のことである。

欠けているものは何か。それは、言うなれば「精神の栄養」みたいなものだ。たとえば、文学をとおして書き手の精神に触れる、音楽をとおして古人の精神にふれる。たとえば、貧乏に耐え、代々受け継いできた商売を守りながら、なにかの信念に目覚める。そうやって、すこしずつ精神を養い、豊かにしていくという「いとなみ」のようなものが、そっくり欠けているのが、青年のころのわたしだったのである。もっと言えば、そういうものは一代で決まるものではない。ようするにわたしの精神は、親の代から貧しかったということだ。親のせいにするみたいで気が引けるが、事実なんだからしょうがない。精神の貧弱な親と、精神の貧弱な子ども。それがそのまま写真にはっきり写っているのである。なかなか無惨なものだ。

当時のわたしが描いた絵も、その貧しさを顕わしていた。器用で上手いけれども、痩せている。正直でまっすぐだから、小賢しくも浅はかでもないが、狭い。そういえばその先生は当時、わたしの描く絵には厳しかった。いつも点数が辛い。理由はうすうす分かっていた。わたしがコンクールなどで賞をとると、師匠はわたしをまっすぐ睨んで、「シンが選ばれるなんて、おかしなことがあるものだな」と言ったものだ。わたし自身も、そう思った。自分の生徒が選ばれて苦情を言うのだから、つくづくおもしろい先生だった。

なぜあの先生が、なぜあのときのわたしにむかって、あの言葉を贈る気持ちになったのかが、ようやく分かったような気がした。豊かな精神を養え。そう言われていたのかもしれない。

そして、これはとても大切なことだ。親の代から精神が貧しいばかりに、ただそれだけのことで、人生そのものがうまくいかないひとは大勢いる。わたしがそうだから、よく分かる。わたしはまだいまでも貧しく、貧弱な印象をひとに与えることがある。仕事がうまくいかないのも、あたりまえのことなのである。

しかしこれを自分で覚るひとは、なかなかいない。まず不可能だろう。わたしの両親が、わたしをさんざん愛してくれて、支持してくれたから、長年のあいだ、たくさんの精神に触れて、自分をすこしは養うことができて、ようやく分かることができたのだ。これはまったく特異な例であって、救いがたく貧弱だったわたしを、二十年以上かけてやっと、ここまで造り上げたのが、数々の「精神」なのである。わたしは両親の愛情と、精神たちによって、すこしは救われたのだと思っている。