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旅行記、世相独言

ロシア正教教会の玉葱坊主

2009年05月02日 13時08分59秒 | コーヒーブレイク
 ロシア正教・教会の特徴であるあの玉葱ドームが、いつ頃、どういう意味・目的で出現したのであろうか?

 教会建築の変遷を見ながら考察してみたい。

 そもそも大型ドームは、537年に完成を見たアヤ・ソフィア大聖堂がその起源である。ペンデンティブドームという建築手法が直径30mという大ドームを可能ならしめたわけだが、ビザンチン形式の建築史における最大の貢献と言われている。しかし、ビザンチンの材料は煉瓦とモルタルが基本であり、ドームの工期短縮メリットもあったが、修復の繰り返しのため、ベネツィアのサン・マルコ寺院(11世紀)の例もあるが、中期以降のビザンチン建築は小型化していく。

 6世紀末から帝国の崩壊、8~9世紀のイコノクラスム、暗黒時代を経て、中期ビザンチンでは、バシリカにドームを架けた平面からギリシャ十字のプランへの移行が見られる。教会建築はバシリカ方式と集中式に大別されるが、ギリシャ十字は長軸の方向性の強いバシリカ方式に比べ集中式の空間に通じる性格があり、アトス山では内接十字型聖堂が多く、中央ドームから十字の腕に広がる空間構成となっている。集中式は各要素が中心へと集中していく構造を持ち、平面は円形・多角形、天井は石造ならドーム、木造なら円錐形が多い。

 12世紀以降のビザンチンを後期ビザンチンと呼ぶが、建築技術上の発展はあまり見られない。中央ドーム塔の周辺に高いドラムを持つ4~8個の小ドームを配置するようになり垂直性を強めた複雑な外観に重点が置かれた。ロシアでは教会堂の中央に高い採光ドラムを立て玉葱形ドームを載せることが好まれ、またより小さいドームを四隅やその周囲に加えたりした。

 一方、イスラム建築は煉瓦造りを基本とする地域に相応しくアーチとヴォールト天井を主要な構成要素とし、ビザンチン建築の技術を取り入れていった。11世紀頃からイワーン(吹き放ち空間)の奥の正方形の室にドームを架けるイラン型モスクが発展、エジプトやインドにも普及した。また、ドームの外観を強調するためインド起源と言われる玉葱形ドームが各地で採用されるようになった。

 さて、それではロシアの歴史的、代表的教会建築物を建築年を追ってその姿を見聞しながら玉葱坊主を考察してみよう。

 ロシアの初期の教会はほとんど木造教会であり、現在そのオリジナルの姿を見れる教会はない。
 1037年創建されたキエフ・ソフィア大聖堂。17世紀後半に再建され、創建時の模型では丸屋根がのった姿である。これを模して1045年に完成したノボゴロドのソフィア大聖堂。現ロシア最古の建築だが2次大戦でドームが破壊され修復後の姿である。
 14世紀までロシア大聖堂の最高位にあった1158年建造のウラジーミル・ウスペンスキー大聖堂。創建時は1つの丸屋根であったが現姿は5つの黄金の丸屋根。セルギエフ・ポサードのトロイツキー聖堂。1423年の創建でセルギーが修道院を創立する際に理想とした神との一体化と高貴なる愛を具現化した教会も黄金の丸屋根。
 1479年のモスクワ・ウスペンスキー大聖堂。ウラジーミルを模したと言われ、黄金の5つの丸屋根を有することから逆にウラジーミルもこの時期には5つの丸屋根になっていたようだ。
 1489年のブラゴヴェシチェンスキー寺院。最初は3つの丸屋根が1566年現姿の9つの丸屋根(葱坊主?)に。1560年創建の葱坊主の代名詞とされる聖ワシリー寺院。しかし創建時は煉瓦造りでノロをかけただけの白い建物。17世紀にドームを玉葱形とし多彩なタイル張りに改装。
 1714年「丸屋根の幻想」と言われるキジ島の木造のプレオブラジェーンスカヤ教会。

 こうして見てくると、イスラム建築でも17世紀頃にドラム径よりドーム最大径が膨らむ例が出現(タージマハル等)すること、ロシア正教教会でもその象徴たる聖ワシリー寺院が17世紀に現姿に大改造していること等から、16~17世紀にかけてドーム径>ドラム径の技術交流がインドとロシアという両者を結ぶ線上にあったのではなかろうか。

 ロシア正教では葱坊主は火焔を意味し、教会内での聖霊の活躍を象徴すると言われているが、外観的な美意識も大いに関係していると考える。ロシア建築の魅力はそのプロポーションと調和にある。類似の要素を異なるサイズで反復させることで絶妙な効果を得る古くから用いられてきたロシア建築の手法が、後世になってドームの数を更に増やしたり、ドーム形状を変えることでロシア正教建物の主張が感じられる。

 特に17世紀以降、イスラムの世界でも、またロシア正教の世界でも、葱坊主が膨らみ続け、全体としての美的要素を大いに盛り上げている。
 また第3のローマ思想で世界の中心となった教会に恥じぬよう、多数のヨーロッパの設計家、建築家がロシアに招かれ、イタリア・ルネサンス様式等との融合も各所に見られる。

参考文献:
1)イスラーム建築の見かた(聖なる意匠の歴史) 深見奈緒子著 東京堂出版
2)ロシア建築案内 リシャット・ムラギルディン著 TOTO出版
3)西洋建築史(建築学の基礎3) 桐敷真次郎著 共立出版
4)図説 西洋建築史 陣内秀信他グルッポ7著 彰国社       以上

ロシアの主要教会 ドーム写真集      

P01 アヤ・ソフィア大聖堂537(コンスタンティヌポリス) 

P02 ソフィア大聖堂1037創建時模型(キエフ) 

P03 ソフィア大聖堂1045(ノブゴロド) 

P04 ウスペンスキー大聖堂1158(ウラジーミル)創建図 

P05 トロイツェ・セルギエフ修道院1337(セルギエフ・ポサード) 

P06 ウスペンスキー大聖堂1479(1327白堊の教会)(モスクワ)

P07 ブラゴヴェシチェンスキー寺院1489(現姿1566)(モスクワ)

P08 聖ワシリー寺院1560(現姿17C)(モスクワ) 

P09 ヴォズネセニエ教会1532(コローメンスコエ) 

P10 プレオブラジェーンスカヤ教会(左)1714(キジ島)

P11 イサク聖堂1710(ピーテル) 

P12 ペトロパブロフスク聖堂18C初(ピーテル)

P13 カザン聖堂1811(ピーテル) 

P14 血の上の教会1907(ピーテル) 

P15 救世主キリスト聖堂2000(モスクワ)右上爆破 

P00タージ・マハール1654(インド) 


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