カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

伝えたいこと伝わること

2017-06-04 09:37:10 | 日常あれこれ
 「伝えたいこと」と「伝わること」は擦れ違うことが多い。

 昨今政治家の失言(つい本音?)が多いが、問題視された後でのコメントは例外なく「発言の主旨が伝わっていない」。

 文脈全般を読めば発言の主旨は分かる筈で、特定の部分だけを抽出して強調させている、と言いたいのだろう。

 失言か本音かとか、発言の場所は概ね身内や友好諸団体の講演でとか、脇が甘いとかいう話はややこしくなるので取り敢えず省略。

 
 (熊本城入り口の標柱)

 昨日は6月の句会に参加するため熊本城の横を通ったが、観光客が盛んにカメラを向けている一角があった。

 石垣の一本足で支えられた「飯井丸櫓」はテレビの映像で全国に知られたが、この入口付近にある建物も僅かな石垣の残りで支えられている。

 カメラを向けながら、皆がふと気がつくのがその左側に立っている大きな石の標柱である。

 台座とその上部の石、さらにはその上部の石が45度くらいずつズレながらも絶妙なバランスで態勢を保持している。

 カメラで写しながら観光客の会話が弾んでいて、ちょっと笑えてしかも地震の様子が伝わるらしい。

 強烈なアピールよりヤンワリと実態を見せられた方が伝わるという好例だろう。

 

 最近図書館から歌集を借りてくることが多くなった。

 「震災歌集」は東日本大震災に際して俳人が詠んだ歌集であるが、作者は荒々しいリズムで短歌が次々と湧き上がって来たという。
 何故俳人の自分が俳句ではなく短歌なのだろうと自問し理由はまだよく判らない「やむにやまれぬ思い」というしかない、と言っている。

 確かに一緒に借りてきた「鼓動の歌」は愛と命の名歌集とあって、命の問題も激しくはあっても柔らかな表現で胸に迫る。

 私の胸に迫ってきたのはどちらかと問われれば後者の方である。

 余りに思い入れの強い強烈な言葉は、本人の伝えたいことが全面に出過ぎてかえって伝わらないのではあるまいかと思い至る。

 私も熊本地震の震源地に居て、4日目までは何を如何に食うかが大変で、それ以降に読んだ川柳も相当に強烈なものが多かった。

 幾つか投稿したものもあったが殆ど没句として日の目は見ないで終わっている。

 段々落ち着いてきて、自分の心をも客観視出来る余裕が生まれた頃から伝わる句が出来るようになった。

 ただし、その時の心境を表しているものとして、ノートにはそのままの表現で残しておくことにした。

 「伝えたいこと」と「伝わること」の違いを教えられることの多い昨今である。

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