72歳の百姓です。

農業の経験のお話です.

 戦時中の思い出

2006-04-01 21:12:34 | Weblog
国民学校3年生になり、学校にも大東亜戦争がいろんな形で影響しだした。物資の配給はなく、雨が降ろうが、雪が降ろうが、靴や下駄もなく、わら草履で登校、朝霜を踏みしめた足にはあかきれができ、手には下膨れの上にヒビぎれが、雨が降れば頭にでんばち、みので通学した。学校の運動場は開墾して芋畑に、授業が草取りや薯の栽培に教科書もガリ版ずりで教科書もなく、非常時の戦時体制に否応なく参加させられた。弁当も麦飯に梅干だけの日の丸弁当に母たちが交代で給食に味噌汁を作ってくれた。イリコの代用品にイナゴが使われた。イナゴも学生が毎日取ってゆき、学校でゆでて干して貯蔵した。味噌汁は毎日ダイコンに白菜、とイナゴ汁だが、誰も不満やくわずぎらいの人わいなく、競って食べた。