『資本論』学習資料室

泉州で開催された「『資本論』を読む会」の4年余りの記録です。『資本論』の学習に役立たせてください。

『資本論』学習資料No.3(通算第53回)

2015-08-21 09:28:21 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.3(通算第53回)

 

◎亀仙人の個人ブログとして継続

 長らくご無沙汰していました。

 実はこの度、このブログを担当してきた亀仙人は、その前身組織も含めると40数年間所属してきたマルクス主義同志会(以下、「同志会」)を離れることになりました(退会する理由についてはここに書いてあります)。

 このブログを立ち上げる切っ掛けになった、泉州で開催された「『資本論』を読む会」は、同志会のメンバーが中心になっていました(だから以前は、このブログは同志会のサイトからリンクされていたのです)。亀仙人もそのメンバーの一人として参加し、学習会の報告をするためのブログの立ち上げと、毎回の更新を担当してきたのです。

 しかし「『資本論』を読む会」は諸般の事情で第50回で中断し、その後、ブログは、それまでの報告を資料として残すことを目的に「『資本論』学習資料室」と名前を変えて継続してきたのでした。だから更新はブログに広告が掲載されてテンプレートが大幅に変更されてしまうのを避けるために、必要最低限なものに限り、ただ定期的にすでにアップしたものを部分的に手直してアップし直すだけに止めてきたのです。

 しかし亀仙人が同志会を退会したのを期に、これを亀仙人の個人のブログとして再出発させることにしました(すでに同志会のサイトとのリンクも切れています)。そして今後は積極的に、『資本論』の学習に役立つような解説と資料を提供をするブログにしたいと考えています。

 今後も、不定期にしかアップできませんが、これまでの形式を踏襲して、とりあえずは、『資本論』第3章の続きを、各パラグラフごとに詳解し、関連する資料を提供するという形でやってゆく予定です。だから今回のものは、『資本論』学習資料No.2に直接続くものになります。

◎第6パラグラフ

【6】〈(イ)したがって、二つの異なった商品、たとえば金と銀とが同時に価値尺度として使われれば、すべての商品は二通りの異なる価格表現、すなわち金価格と銀価格とをもつことになり、金に対する銀の価値比率が不変のままである限り、たとえば一対一五である限り、両者は平穏無事に共存する。(ロ)しかし、この価値比率に変動が生じるたびに、商品の金価格と銀価格との比率が撹乱され、こうして、価値尺度の二重化はその機能と矛盾するということが、事実によって証明される(53)。〉

 (イ) だから二つの異なる商品、例えば金と銀とが同時に価値尺度として使われると、すべての商品は二通りの違った価格表現、すなわち金価格と銀価格というような価格を持つことになります。金と銀との価値の比率が不変であるなら、例えば1対15というように常に同じなら、こうした二重の価格表現は大きな混乱なしに推移します。

 このパラグラフは〈したがって〉と、その前の文章を受けたかたちになっており、前のパラグラフとの続き具合を見る必要があります。前回が中途半端なところで終わったために、こうしたブザマナものになってしまいました。フランス語版では、ここには段落はなく一続きの文章として繋がっています。しかし、とりあえず、その前のパラグラフの最後の部分を見てみることにしましょう。

 〈価値尺度機能のためには、ただ想像されただけの貨幣が役立つけれども、価格はまったく実在的な貨幣材料に依存している。たとえば、一トンの鉄に含まれる価値、すなわち人間労働の一定量が、等しい量の労働を含む貨幣商品の想像された一定量によって表現される。したがって、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って、同じ一トンの鉄の価値はまったく異なる価格表現を受け取るのであり、言いかえれば、金、銀、銅のまったく異なる量によって想像されるのである

 これについての前回の説明もついでに見ておくことにします。

 〈つまり金1グラムの価値(金1グラムを生産するに必要な労働時間)が、銀1グラムの価値の10倍であり、同じように銅1グラムの100倍であるとするなら、1グラムの金=10グラムの銀=100グラムの銅 という等式がなりたちます。今、鉄1トンの価値を、金で表すと1キロの金という形で表象されるとするなら、同じように鉄1トンを銀で表すなら、10キロの銀という形で、あるいは銅で表すなら、100キロの銅という形で表章されるわけです。つまり同じ鉄1トンの価値が、1キロ、10キロ、100キロというまったく異なる量によって表章されるというわけです。〉

 そして今回のパラグラフに続いているのです。つまり鉄1トンを金で尺度するなら、1キロの金、銀で尺度するなら10キロの銀となるわけですが、この例のように、金と銀とに含まれる労働の割合が1対10のままで推移するなら(マルクスは当時の金銀比価として一般的だった1対15を例として上げていますが)、こうした二重による価値の尺度はその限りでは特に問題なく共存することが出来ると述べているわけです。

 (ロ) しかし、この価値比率に変動が生じるなら、その度に、商品の金価格と銀価格との比率が混乱し、こうして、価値尺度の二重化は、その本来の機能と矛盾するということが、事実によって証明されるのです。

 しかし実際には、金銀の比価は歴史的には大きく変化しました。マルクスはその具体的な例を注53で『経済学批判』の一文を紹介するなかで示していますが、そうなると金価格と銀価格の比率も変化し、混乱します。だからこうした混乱を通じて、価値尺度が二つ以上の貨幣商品で測られるということは、その本来の機能と矛盾するということが、事実によって証明され、やがてそれは金という貨幣商品に集約していくわけです。

◎注53

 これまでにも注については、全文を紹介しますが、文節ごとの解読は省略し、一定の考察を加えるだけにとどめています。今回もその前例にならうことにします。まず全文です。

【注53】〈(53) 第2版への注。「金と銀とが法律上貨幣として、すなわち価値尺度として並存する場合には、両者を一つの同じ物質として取りあつかおうとするむだな試みが、つねに行われてきた。同じ労働時間があい変わらず同じ比率の銀と金とに対象化されているに違いないと想定することは、事実上、銀と金とが同じ物質であり、かつ、価値の低いほうの金属である銀の一定量が一定の金量の不変の一部分をなしていると想定することである。エドワード三世の治世からジョージ二世の時代にいたるまで、イギリスの貨幣制度の歴史は、金銀の比価の法律上の固定化と、金銀の現実の価値変動とのあいだの衝突から生じた一連の混乱に終始している。ある時は金が、ある時は銀が、過大評価された。過小評価された金属は、流通から引きあげられ、鋳つぶされ、輸出された。そこで、両金属の比価がふたたび法律上変更されたが、新しい名目価値は、以前のそれと同じく、すぐに現実の比価と衝突することになった。--現代では、インドや中国の銀需要の結果、銀に対する金の価値にごくわずかな一時的な低下が起こり、それがフランスで同じ現象を、すなわち銀の輸出と金による銀の流通からの駆逐とを、きわめて大規模に生じさせた。一八五五年、一八五六年、一八五七年のあいだに、フランスからの金輸出に対するフランスへの金輸入の超過は四一五八万ポンド・スターリングにのぼり、他方、銀輸入に対する銀輸出の超過は三四七〇万四〇〇〇ポンド・スターリング〔*〕にのぼった。実際、〔フランスでのように〕両金属が法定の価値尺度であり、したがって支払いに際して両金属が受け取られなければならないが、しかも各人は任意に銀か金で支払うことができるような諸国では、価値の上昇する金属に打歩(ウチブ)が生じ、他のどの商品とも同じように、過大評価された方の金属で自己の価格をはかることになり、この後者の金属だけが価値尺度として役立つのである。この領域でのすべての歴史的経験は、単純に次のことに帰着する。すなわち、法律上二つの商品に価値尺度機能が与えられている場合には、事実上つねに一つの商品だけが価値尺度の地位を占める、と」(カール・マルクス『経済学批判』、52~53ページ〔『全集』、第13巻、58~59ページ〕。
〔* 第2版から第4版まででは、一四七〇万四〇〇〇ポンドになっている。--ディーツ版編集者〕〉

 この注はすべて『経済学批判』からの引用です。その内容は大きくは三つに分けられ、前半はイギリスの貨幣制度の歴史を振り返ったものです。後半は現代において(つまりマルクスが生きていた当時、19世紀前半から半ばまで)、銀が価値尺度として通用しているインドや中国の銀の需給が両金属が法定の尺度であったフランスにどのような影響を与えているかという問題です。そして最後は、こうした歴史的経験の総括となっています。
 まず〈エドワード三世の治世〉というのは同王の在位は1327年 - 1377年となっており、〈ジョージ二世〉の在位は1727年 - 1760年ですから、14世紀前半から18世紀半ばまでということになります。
 ただこの〈ジョージ二世〉は、「ジョージ三世(在位:1760年 - 1820年)」の間違いではないかという指摘があります。
 同じ『批判』の注のなかで、マルクスは〈金とならんで銀を貨幣尺度として用いることは、なるほど1816年にジョージ三世の治世第56年法律第68号によってはじめて正式に廃止された。法律のうえでは1734年にジョージ二世の治世第14年法律第42号によって実質上廃止されており、慣行のうえではそれよりずっとまえに廃止されていたのである〉(全集13巻56頁)と書いているのですが、この一文に対する全集の編集者の注には次のように書かれているのです。
 〈ジョージ二世の治世第14年は1734年ではなく、1740年にあたる。しかし、ジョージ二世の治世には銀についての措置はおこなわれていないので、ジョージ三世の治世第14年にあたる1774年の銀貨25ポンド以上を法貨と認めるのを禁止した改革の誤記ではないかと思われる。この改革はジョージ三世の治世第14年法律第42号によっておこなわれているから、法律の番号も一致する。そうとすれば、五九(原)ぺージのジョージ二世(これが今回の注として採用されている部分に当たります--引用者)も三世の誤記とみなければならない〉(同)。
 まあいずれにせよ、例え誤記だとしても、マルクスが問題にしているのはほぼ14世紀前半から18世紀半ばと考えて大きな間違いではないでしょう。
 つまりこの時代においては、イギリスでは金と銀が法律上の貨幣として併存していたということです。この当時のイギリスの貨幣制度の詳しい歴史については、興味のある方は別途調べて頂くとして(例えば『ポンド・スターリング--イギリス貨幣史--』一ノ瀬他訳・新評論などがあります)、その歴史は〈金銀の比価の法律上の固定化と、金銀の現実の価値変動とのあいだの衝突から生じた一連の混乱に終始し〉、〈ある時は金が、ある時は銀が、過大評価された。過小評価された金属は、流通から引きあげられ、鋳つぶされ、輸出された。そこで、両金属の比価がふたたび法律上変更されたが、新しい名目価値は、以前のそれと同じく、すぐに現実の比価と衝突することになった〉というわけです。
 ここで〈過小評価された金属は、流通から引きあげられ、鋳つぶされ、輸出された〉という事情について少し考えてみましょう。どうしてそうなるのでしょうか。例えば、銀が過大評価され、その分だけ金が過小評価されているとします。それは1円金貨があるとすると、それと同じ重量の金地金の市場価格の方が高く、例えば1.5円になるということです。だから1円金貨を手にした人は、それで商品を買うより(それなら1円の価値ある商品しか買えません)、それを鋳潰して金地金にした売ったら、1.5円になり、0.5円儲けることになるわけです。だから1円金貨は、たちまち流通から引き上げられるというわけです。

 他方〈現代では〉、つまり19世紀の半ばにおいては、インドや中国でわずかですが、銀の価値が高くなり、そのためにフランスでは銀の輸出と金の輸入が大規模に生じたということです。つまりこの場合、フランス国内では、先の例とは反対に、銀の方が法定の価値比率に比べて過少評価されることになり、そのために銀は流通から引き上げられて、輸出され、その代わりに金が大量に輸入されたというわけです。
 そしてフランスのような両金属が法定の価値尺度になっている場合は、過大評価された方の金属(この場合は金)が実際には価値尺度として役立つことになるということです。
 ここで〈価値の上昇する金属に打歩(ウチブ)が生じ、他のどの商品とも同じように、過大評価された方の金属で自己の価格をはかることになり、この後者の金属だけが価値尺度として役立つ〉とありますが、これはどういうことでしょうか。ここで〈価値の上昇する金属〉というのは当時のフランスでは銀貨のことでしょう。そして〈過大評価された方の金属〉というのは、やはり当時のフランスでは金貨のことと思われます。過小評価された銀貨は流通から引き上げられて輸出されるわけですから、流通には金貨のみが流通することになるわけですから、金貨が価値尺度として役立つというのは分かりますが、〈価値の上昇する金属に打歩(ウチブ)が生じ〉るというのはどういうことでしょうか。しかしこれについてもすでに先の1円金貨の例で説明したとおりです。つまり当時のフランスでは銀貨は過少評価されたために、銀地金の方が市場価格が高くなったために、銀貨は鋳潰されて銀地金にした方が高く売れるということです。その差額がすなわち〈打歩〉というわけです。先の1円金貨の例でいうと0.5円がそれです。

 だからこうした歴史的経験からも言えることは、法律上二つの貨幣商品に価値尺度の機能が与えられている場合には、実際には常に一つの貨幣商品だけが価値尺度の地位を占めるようになるのだということです。そしてそれは歴史的に見ると、最終的には金がその地位につき、今日に至っているというわけです。

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 この注53で、私たちが注目しなければならないのは、マルクスが次のように述べているところです。

 〈この領域でのすべての歴史的経験は、単純に次のことに帰着する。すなわち、法律上二つの商品に価値尺度機能が与えられている場合には、事実上つねに一つの商品だけが価値尺度の地位を占める、と

 なぜ、この一文が重要かというと、今日では法律上は如何なる貨幣商品にも価値尺度機能が与えられているわけではないからです。この現実をどのように理解すべきか? 果たして現在の通貨(不換銀行券である円札やドル札)に価値尺度機能があるのか無いのか?
 この問題は、マルクス経済学者たちの間でも大きな議論になってきたのですが、その問題を考えるヒントがここにはあると思えるからです。
 一昔前には、日本でも1897年の貨幣法施行で純金750ミリグラムを1円とすると決められていました。つまり金に価値尺度の機能を法律上も与えられていたのです。しかしその後、第一次大戦を契機に世界の国々は金本位制を離脱しました。その後、1919年にアメリカが金本位制に復帰したのを皮切りに、再び世界の国々も復帰しました。しかし日本はなかなか復帰できず、ようやく1930年に金解禁をやり、復帰したものの、丁度その時は、世界は1929年の大恐慌に陥った直後であり、日本もそれに巻き込まれて、結局、翌1931年には再禁止に、つまり金本位制の停止に追いこまれたのです。その後、日本は二度と復帰することは出来ませんでした。本位金貨そのものは、その後も通用はしていましたが、1987年に制定された「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」によって、1988年3月31日限りで通用停止になり、日本は「名実ともに管理通貨制度の世の中になった」のだそうです(以上ウィキペディア)。
 こうして今日ではいわゆる「管理通貨制度」と言われている貨幣制度のもとに、法律上は金は貨幣ではなくなり、だから法律上は価値尺度機能も金には与えられていないわけです。
 こうした事実をもって、林紘義氏は(林氏だけではなく多くのマルクス経済学者も同じことですが)、だから現代の貨幣(通貨)には価値尺度機能はないのだと主張するのです。
 しかし上記の注53の一文を注意深く読むと、マルクスは〈法律上〉と〈事実上〉とを対比させて使っています。つまり法律上はどのように決められていようが、実際、どの貨幣商品が価値尺度の機能を果たすかは、商品流通の現実がそれを決めるのだということです。そして歴史上、それは最終的には金がその地位を占めたのです。そしてその事実は今日でも変わっていないのです。法律上は金には価値尺度の機能は与えられていませんが、しかしある特定の商品に価値尺度の機能を与えるのは、決して時の国王や政府ではありません。それは商品世界のなかで、ある特定の商品がその世界からはじき出されて一般的な等価にされることによって、つまり諸商品の共同作業によって成り立つようなものだからです。つまり商品流通の現実こそが金を貨幣にし、金に価値尺度の機能をあたえているのです。だから時の政府が法律によってどのように決めようが、どんな人為的な貨幣制度を打ち立てようが、マルクスが『資本論』の第1章や第2章、あるいはこの第3章で解明している貨幣の抽象的な諸機能や諸法則は、厳然として貫いているのです。それを林氏をはじめ多くのマルクス経済学者たちは忘れているのです。
 では実際問題として、今現在、諸商品の価値はどのように金で尺度されているのでしょうか。私たちはスーパーの店頭に行けば、すべての商品には「○○円」という値札がついている現実を知っています。これらは明らかにそれぞれ商品の価格であり、それぞれ商品の価値が貨幣によって尺度されて表されたものだということが分かります。しかし円札というのは、単なる紙切れであり、それ自体にはほとんど価値のないものです。だから円札が直接、諸商品の価値を尺度できる筈はありません。つまり諸商品の価値を尺度しているのは、やはり貨幣金なのです。しかし貨幣である金は商品流通の現実にはどこにも現われていないのに、どのようにして商品の価値は尺度され、しかも紙幣である円で表示されているのでしょうか。
 しかしそれを知るためには、まず円札がそもそも現実の商品流通のなかで通貨として通用しているのは、それが何らかの金量を代理しているからだということを思い出す必要があります。そしてまさに円札が代理している金こそが諸商品の価値を尺度しているのです。もちろん、そうした現実は私たちには直接には目に見えません。そもそも例え実際に金貨が流通していたとしても、貨幣金が諸商品の価値を尺度する現実を私たちが見ることは不可能なのです。それは客観的な法則として、価値法則として貫いているものだからです。私たちは物体が落下するのを見て重力の法則が働いていることを知りますが、しかし重力の法則そのものを見ることはできません。法則というのは直接的なものの背後で本質的な関係として貫いているものであって、それらはただ直接的な物を通して現象して、初めて目にすることができるような性格のものなのです。だから価値法則についてもそれは言いうるのです。私たちが直接目にして知りうるのは、ただ諸商品が何らかの円の量的表現として表されている現実だけです。しかしそれこそ,客観的に貫いている価値法則が、現実の諸商品の価格として現象したものなのです。だからそのメカニズムを知るためには、まず円札がどれだけの金量を代理しているかを知らねばなりませんが、それについては、私は最近、自身が運営するもう一つのブログ(マルクス研究会通信)で連載している「現代貨幣論研究(4)」のなかで、次のような例を上げて説明しましたので、それを紹介しておきましょう。

 〈実際、金貨が流通していた古い時代においても、鋳造価格(これは国王が決めた)と一緒に金には市場価格がありました。金本位制の時代でも、銀行券の度量基準(これは国家が決めた)とともに金の市場価格があったのです。そして常に金の市場価格こそが実際の金の価格標準を示していたのです。……
 だから今日でも金の円価格、あるいは金のドル価格(それらの逆数)こそが円やドルの度量基準を表しているのです。例えば、今、金1グラムは2500円ほどしています。ということは、1万円札は4グラムの金量を代理しているのです。だから1万円の腕時計の価値は、金4グラムに相当するのです。だからわれわれが『資本論』で学んだ貨幣論は決して“抽象物”でもなんでもなくて、われわれの目の前の現実そのものなのです。〉

 つまり腕時計の価値は、金4グラムとして尺度され、そしてその金を代理する円を介して1万円の価格(値札)として表示されているのです。このように諸商品の価値の尺度は、やはり貨幣金によってなされているのです。しかし、こうした現実は、直接目にすることはできないために、林氏をはじめ、金が商品流通の現実には現われていないという現象に惑わされている多くのマルクス経済学者たちには分かっていません。

 (以下、続く)

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【付属資料】

●第6パラグラフ

《補足と改訂》

 〈1 0)それゆえ、二つの異なった商品、たとえば金と銀とが同時に価値尺度として使われれば、すべての商品は二通りの異なる価格表現、すなわち金価格と銀価格とをもつことになり、金にたいする銀の価値比率が不変のままである限り、たとえば1対15である限り、両者は平穏無事に共存する。しかし、この価値比率に変動が生じるたびに、商品の金価格と銀価格との比率が撹乱され、こうして、価値尺度の二重化はその機能と矛盾するということが、事実によって証明される。(注『批判~ p. 5 2、530 )〉(石黒訳下38頁)

《フランス語版》 フランス語版では、この第6パラグラフは独立しておらず、前のパラグラフとくっつけられてるので、前回の資料提供では、その部分も併せて紹介したが、今回はこの第6パラグラフに該当する部分だけを重複するが紹介しておくことにする。

 〈したがって、もし二つのちがった商品、たとえば金と銀とが価値尺度として同時に用いられるならば、すべての商品はその価格として二つのちがった表現をもつわけである。金にたいする銀の価値比率が相変わらず不変であるかぎり、たとえば一対一五の割合に維持されているかぎり、すべての商品は金価格と銀価格とをもち、両価格はともに相並んで悠々と流通する。この価値比率のどんな変化も、それがために商品の金価格と銀価格との割合を変え、こうして、価値尺度の機能がその二重化と両立しないことを事実でもって証明する(4)。〉(73-4頁)

●注53

《フランス語版》

 〈(4)「銀と金が貨幣として、すなわち価値尺度として、法律上相並んで保たれているところではどこでも、それらを同一の物質として取り扱おうとする無駄な試みが、いつも行なわれてきた。同じ労働量が金と銀との同じ罰合のうちに不変的に具現されていると想定するのは、事実上、銀と金が同じ物質であり、劣った価値をもつ金属である銀の与えられた分量が、金の与えられた分量の不変な部分である、と想定することである。エドワード三世の治世以降ジョージニ世の時代にいたるまで、イギリスの貨幣史は、銀と金との法定価値比率と金銀の現実の価値変動との衝突から生ずる一連の不断の撹乱を提示している。あるときは金が、またあるとぎは銀が、高く評価されすぎた。価値以下に評価された金属は流通から引きあげられ、鋳直されて、輸出された。二つの金属の価値比率が再び法律上変更された。だが、新しい名目価値も、以前と同じように、現実の価値率とやがて衝突した。
 現代でも、インドとシナとの銀需要から生じた、銀に比べての金の微弱で一時的な低落が、フランスでは同じ現象、すなわち銀の輸出と、流通における金による銀の代置とを、この上なく大規模に産んだのである。一八五五年、一八五六年、一八五七年の間に、フランスへの金の輸入はその輸出を四一五八万ポンド・スターリングも超過したのにたいし銀の輸出はその輸入を一四七四万ポンド・スターリングも超過した。二つの金属が法定の価値尺度であって、双方とも強制通用力をもっており、したがって、各人がどちらの金属ででも随意に支払いでぎるというフランスのような国では、実際に、価値の騰貴している金属は、打歩を生じ、他のすべての商品と同じに、過大評価されたほうの金属で自分の価格を測るが、他方、この過大評価された金属だけが価値尺度として用いられるのである。この点にかんして歴史が提供する経験は、ただたんに次のことに帰着する。すなわち、二つの商品が価値尺度の機能を法的に果たしているところでは、事実上一方だけが価値尺度の位置に維持されているのである、と」(カール・マルクス、同前、五二、五三ページ)。〉(74頁)

 

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『資本論』学習資料No.2(通算第52回)その1

2013-04-06 14:22:38 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.2(通算第52回)その1

 

 

◎「次元の違う金融緩和」だって?

 日本銀行は3月4日、黒田東彦新総裁就任後初となる金融政策決定会合で、新たな量的緩和策の導入を決めました。その内容は……

  ●2%の物価目標を2年で実現するために必要な措置をすべて入れた

  ●マネタリーベースを「約2倍」--現在の138兆円から270兆円--に拡大

  ●
長期国債は現在の2倍、月7兆円ペースで買い、長期国債の保有額は12年末の89兆円から、14年末に2倍の190兆円に

  ……等々、というものです。

 これで黒田総裁はデフレを脱却して、2年後には2%のインフレにするというのです。しかし、殘念ながら、これらは「貨幣数量説」という間違った貨幣理論にもとづいたものでしかありません。

 日銀のホームページでは「マネタリーベース」を次のように説明しています。

 〈マネタリーベースとは、「日本銀行が供給する通貨」のことです。具体的には、市中に出回っているお金である流通現金(「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」)と「日銀当座預金」の合計値です。
 
 マネタリーベース=「日本銀行券発行高」+「貨幣流通高」+「日銀当座預金」 

 このように日銀はこれらをひっくるめて「日本銀行が供給する通貨」と説明していますが、何度も述べてきましたように、これは間違っています。

 まず「日本銀行券発行高」というのは、市中銀行等が日銀にある自行の当座預金を現金で、つまり日本銀行券(1000円、2000円、5000円、1万円)で引き出した時の、その高のことです。

 「貨幣流通高」というのは、政府が発行する硬貨類(1円、5円、10円、50円、100円、500円)のことですが、これもやはり市中銀行が日銀の当座預金から引き出すことによって「流通」することになります。


 これら二つは確かに「通貨」ということができます。


 しかし「日銀当座預金」というのは、決して概念的には「通貨」ではないのです。


 そもそも通貨というのは、貨幣の抽象的な機能である流通手段と支払い手段を兼ねたものです(広義の流通手段)。それは商品市場で流通しているものであり、この社会の物質代謝を現実に媒介しているものです。しかし預金というのは、貨幣市場において、つまり貨幣の貸し借りにおいて生じるものなのです。それは再生産過程(つまり社会的物質代謝)の外部における信用に基づくものなのです。だから「日銀当座預金」というのは、確かに市中銀行が自行に還流してきた現金(日本銀行券と硬貨)を当面は運用する予定がないということで日銀に預けて生じる場合もありますが、しかしこのように例えそれが現金で預金されたものだとしても、これは通貨とは言えないのです。それはただ市中銀行が概念的には利子生み資本として日銀に貸し付けたものだからです(実際には利子はつきませんが)。


 そして現実には、今回の緩和策でもありますように、積み増される「日銀当座預金」の多くは、市中銀行などが持っている国債や株式等を日銀が買いつけて生じているものが大半です(それ以外にも何らかの担保をもとに貸し付て生じる場合もあるでしょう)。


 つまり国債を買って、その代金を当座預金として積みますことなのです。しかし市中銀行が持っている国債や株式などは、銀行の準備金(つまり当面運用あてのないカネ)の一形態なのです。だから市中銀行としては準備金の一部の形態をただ国債や株式等から日銀の当座預金に変えたに過ぎないのです。当面使うあてがないという状態は何一つ変わっていません。そもそも日銀が市中銀行から国債や株式を購入するということは、これは「売買」という外観を取っていますが、内容はやはり利子生み資本の運動であり、「貸し借り」なのです。だからこうしたものをいくら増やしても、「通貨」が増発されたということにはならないのです。


 そもそも厳密な意味での「通貨」というのは、商品流通の現実(つまり社会的物質代謝の状態)に規定されて流通するに過ぎないのであって、誰かが恣意的にその流通を増やしたり減らしたりできるようなものではないのです(そもそも自分たちの社会的物質代謝を統制・管理できないからこそ、貨幣というわけのわからないもののやっかいになっているのです)。


 では今回の金融緩和策が将来のインフレに繋がることはないのか、というと必ずしもそうとは言えません。というのは、日銀が市中銀行などが持っている国債を買い上げて、当座預金を積み増すのは、市中銀行がさらに政府から増発される国債を引き受けやすくするための措置であり、政府の信用膨張を容易にすることに繋がるからです。


 そして景気が上向けば、そうした膨張した信用は、すぐにインフレとして現れてくるでしょう。インフレが景気の上昇をもたらすのではなく、景気の上昇がインフレをもたらすということです。この点、日銀はいうまでもなく、多くのブルジョア経済学者たちも原因と結果を取り違えています。そして一旦、インフレが生じたらそれをコントロールできるなどということは一つの淡い幻想でしかないことが暴露されるでしょう。

 さて、それでは前回の続きをやることにしましょう。

◎第4パラグラフ

【4】〈(イ)金による一商品の価値表現--x量の商品A=y量の貨幣商品--は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。(ロ)鉄の価値を社会的に通用する仕方で表すためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような単一の等式で今や十分である。(ハ)この等式は、他の諸商品の価値等式と隊伍を整えて行進する必要はもはやない。(ニ)なぜなら、等価物商品である金がすでに貨幣の性格をおびているからである。(ホ)それゆえ、諸商品の一般的な相対的価値形態は、今やふたたび、その最初の、単純なまたは個別的な相対的価値形態の姿態をとる。(ヘ)他面、展開された相対的価値表現、または相対的価値諸表現の無限の列が、貨幣商品の独特な相対的価値形態になる。(ト)しかし、この列は、今やすでに諸商品価格のうちに社会的に与えられている。(チ)物価表の値段表示を後ろから読めば、貨幣の価値の大きさがありとあらゆる商品で表されていることがわかる。(リ)これに反して、貨幣は何の価格ももたない。(ヌ)他の諸商品のこうした統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣はそれ自身の等価としてのそれ自身に関係させられなければならないであろう。〉

(イ) 貨幣である金によって一つの商品の価値を表現する等式--x量の商品A=y量の貨幣商品--は、その商品の貨幣形態、あるいは価格です。

 このパラグラフは、いわば第1章で展開した価値形態の反省です。ここで述べられていることは、すでに第1章で次のように述べられていました。

 〈すでに貨幣商品として機能している商品での、たとえば金での、一商品たとえばリンネルの単純な相対的価値表現は、価格形態である。それゆえ、リンネルの「価格形態」は
 20エレのリンネル=2オンスの金
または、もし2ポンド・スターリングというのが2オンスの金の鋳貨名であるならば、
 20エレのリンネル=2ポンド・スターリング
である。〉(全集23a95頁)

(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)
 もはや例えば鉄の価値を社会的に通用する仕方で表すためには、1トンの鉄=2オンスの金 というような一つの等式だけで十分です。というのは、等価物の商品である金がすでに貨幣になっているからです。だから諸商品の価値を一般的に表す価値形態は、われわれが第一章で見た一般的価値形態のようなさまざまな商品が隊伍を整えて行進する必要はもはや必要ないからです。だから諸商品の価値形態は、最初の単純なあるいは個別的な相対的価値形態の姿をとるわけです。
 
 第1章の一般的価値形態というのは、次のようなものでした。

   1着の上着     =
   10ポンドの茶    =
   40ポンドのコーヒー=
   1クォーターの小麦 =
   2オンスの金     = 20エレのリンネル
   1/2トンの鉄    =
   x量の商品A     =
   等々の商品     =

 そしてこの等式を説明して、次のように指摘されていました。

 〈一般的価値形態は、ただ商品世界の共同の仕事としてのみ成立する。一つの商品が一般的価値表現を得るのは、同時に他のすべての商品が自分たちの価値を同じ等価物で表現するからにほかならない。そして、新たに現われるどの商品種類もこれにならわなければならない。こうして、諸商品の価値対象性は、それがこれらの物の純粋に「社会的な定在」であるからこそ、ただ諸商品の全面的な社会的関係によってのみ表現されうるのであり、したがって諸商品の価値形態は社会的に認められた形態でなければならないということが、明瞭に現われてくるのである。〉(90頁)

 しかし貨幣形態では、こうした隊伍は不要になるわけです。というのは貨幣商品としての金は、そのだけですでに社会的に認められた価値の具体物として存在しているからです。だから諸商品は、貨幣に等置されるだけで社会的に妥当な自らの価値を表したことになるわけです。初版には次のような説明があります。

 〈諸商品の、貨幣での単純な相対的価値表現--x量の商品A=y量の貨幣商品--が、諸商品の価格である。諸商品の価格にあっては、諸商品は、第一には、価値として、すなわち、質的に等しいもの、同じ労働の具象物または労働の同じ具象物として、現われているし、第二には、量的に規定された価値量として現われている。なぜならば、諸商品は、ある割合で--この割合において、これらの諸商品はあれこれの一定の金量と相等しい--互いに相等しいからであり、言い換えれば、相等しい労働量を表わしているからである。〉(83頁)

 さらに、この部分については、「補足と改訂」も参考になるので、それも紹介しておきましょう。

 〈一商品の金での簡単な相対的価値形態--x商品A=y金商品--はその商品の価格である。もともと一商品は、等価物との等式が、すべての他の諸商品が同じ等価物と結ぶ等式の列のなかの一分肢として現れる限りにおいてのみ、一般的相対的価値形態をもった。この列はいまはなくなっている。商品の金との個々の等式、すなわちその価格は、先行する歴史的過程が金(または銀、またはあるその他の際だった商品)をすでに貨幣商品、つまり、その特殊な自然形態と一般的等価物形態がすでに社会的に癒着している商品にしているがゆえに、その商品の一般的相対的価値形態になるのである。〉(36頁)

 〈金による一商品の価値表現--x量の商品A=y量の貨幣商品--は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。しかし、いま、先行する歴史的過程がある特別な商品・金に、すでに社会的に認められた等価物商品の性格をおしつける、つまりその商品を貨幣にする、と仮定するならば--他の諸商品の等式の列とは無関係に--この単一の等式で十分である。いまや、一般的相対的価値形態は一番最初の簡単な相対的価値形態の姿をもっている。〉(37頁)

(ヘ)(ト)(チ)
 他方で、展開された相対的価値形態、あるいは相対的価値形態の無限の列が、今度は、貨幣商品の独特な相対的価値形態になります。しかし、この列そのものは、すでに内容が違っています。というのは、それはいまでは諸商品の価格として社会的には与えられているからです。だから物価表を逆に読めば、貨幣の価値の大きさがさまざまな商品で表されていることになるわけです。

 
 ここに出てくる〈展開された相対的価値表現〉というのは、第1章で出てきた形態IIであり、次のようなものでした。

 20エレのリンネル=1着の上着
    〃        =10ポンドの茶
    〃        =40ポンドのコーヒー
    〃        =1クォーターの小麦
    〃        =2オンスの金
    〃        =1/2トンの鉄
    〃        =等々

 ここで左項の「20エレのリンネル」の代わりに「2オンスの金」を入れ、右項の「2オンスの金」の代わりに「20エレのリンネル」を入れると次のような等式がなりたちます。

 2オンスの金 =1着の上着
    〃    =10ポンドの茶
    〃    =40ポンドのコーヒー
    〃    =1クォーターの小麦
    〃    =20エレのリンネル
    〃    =1/2トンの鉄
    〃    =等々

 これがすなわち貨幣商品金の価値表現というわけです。しかし、これは物価表、つまり2オンスの金に1万円という鋳貨名をつけると仮定すれば、1着の上着1万円、1ポンドの茶1000円、1ポンドのコーヒー250円等々というような表を逆に読めば、2オンスの金の価値は、1着の上着や10ポンドの茶や40ポンドのコーヒーや1クォーターの小麦等々の諸商品によって(それらの使用価値とそれぞれの量によって)表されているというわけです。
 初版にはより詳しく次のように説明されています。

 〈他方、発展した相対的価値表現、すなわち、相対的価値表現の無限の系列は、貨幣商品の独自な相対的価値形態になる。ところが、この系列は、いまではすでに、諸商品価格のうちに与えられている。物価表の相場を逆に読めば、貨幣の価値量がありとあらゆる商品で表わされていることがわかる。この系列は新たな意味をも得たわけである。金は、貨幣であるために、すでに、それの現物形態のうちに、それのもろもろの相対的価値表現にかかわりなく、一般的な等価形態すなわち一般的な直接的交換可能性という形態をもっている。だから、これらの価値表現の系列は、いまでは同時に、金の価値量のほかに、素材的な富あるいは使用価値の発展した世界を表わしているのであって、金はこれらの使用価値に直接に置き換えられうるのである。〉(江夏訳83頁)

 またこうした指摘そのものは、すでに第1章で次のように説明されていました。

 〈反対に、一般的等価物の役を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがってまた一般的な相対的価値形態からは排除されている。もしもリンネルが、すなわち一般的等価形態にあるなんらかの商品が、同時に一般的相対的価値形態にも参加するとすれば、その商品は自分自身のために等価物として役だたなければならないであろう。その場合には、20エレのリンネル=20エレのリンネル となり、それは価値も価値量も表わしていない同義反復になるであろう。一般的等価物の相対的価値を表現するためには、むしろ形態Ⅲを逆にしなければならないのである。一般的等価物は、他の諸商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で相対的に表現されるのである。こうして、いまでは、展開された相対的価値形態すなわち形態Ⅱが、等価物商品の独自な相対的価値形態として現われるのである。〉(93頁、下線は引用者)

 ここではこの諸文節に関連するもの(下線部分)以外の部分(前半部分)も紹介しましたが、それは引き続く諸文節と関連しているからです。

(リ)(ヌ)
 これに反して、貨幣そのものは何ら価格を持ちません。もし他の諸商品と同じように、統一的な相対的価値形態に参加しようするなら、貨幣は自分自身の等価として自分自身に関係させられねばなりませんが、これは同義反復以外の何ものでもないからです。

 これについては先に引用した第1章の説明が参考になります。2オンスの金=2オンスの金 という等式は、価値も価値量も表していないということです。

(「その2」に続きます。)

 

 

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『資本論』学習資料No.2(通算第52回)その2

2013-04-06 13:50:51 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.2(通算第52回)その2

 

 

◎第5パラグラフ

【5】〈(イ)商品の価格または貨幣形態は、商品の価値形態一般と同じように、手でつかめるその実在的な物体形態から区別された、したがって単に観念的な、または想像されただけの形態である。(ロ)鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに存在する。(ハ)これらの価値は、それらの物の金との同等性によって、それらの物のいわば頭の中にだけ現れる金との関係によって、想像される。(ニ)だから、商品の保護者は、商品の価格を外界に伝えるためには、自分の舌で商品の代弁をするか、または商品に紙札をかかげるかしなければならない(51)。(ホ)金による商品価値の表現は観念的なものであるから、この操作のためには、やはりただ想像されただけの、または観念的な、金が使われる。(ヘ)商品の保護者のだれもが知っているように、彼が自分の商品の価値に価格の形態または想像された金形態を与えても、彼はとうていまだその商品を金に化したわけではなく、また、幾百万の商品価値を金で評価するためにも、現実の金の一片も彼には必要ではない。(ト)だから、価値尺度という機能においては、貨幣は、ただ想像されただけの、または観念的な貨幣として役立つのである。(チ)この事情は、きわめてばかげた諸理論を生み出した(52)。(リ)価値尺度機能のためには、ただ想像されただけの貨幣が役立つけれども、価格はまったく実在的な貨幣材料に依存している。(ヌ)たとえば、一トンの鉄に含まれる価値、すなわち人間労働の一定量が、等しい量の労働を含む貨幣商品の想像された一定量によって表現される。(ル)したがって、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って、同じ一トンの鉄の価値はまったく異なる価格表現を受け取るのであり、言いかえれば、金、銀、銅のまったく異なる量によって想像されるのである。〉

 (イ)(ロ)(ハ)(ニ)
 商品の価格、あるいは貨幣形態というのは、商品の価値形態一般がそうであったように、手でつかめるその実在的な物体とは区別された、観念的な、またはただ表象されただけの形態なのです。というのは鉄やリンネル、小麦などの商品の価値というものは、それ自体としてはまったく目に見えないばかりか思い浮かべることさえできないものです。しかし、それらの価値はそれらの物のなかに確かにあるのです。だからこれらの価値を、それらと同じ物である金と等しいものとすることによって、それらの物としての諸商品の頭の中に、自分の価値を一定量の金として表象させることになるのです。だからこそ、商品の保護者(所持者)は、表象として思い浮かべられた商品の価格を外界に伝えるためには、自分の舌で商品の代弁をする(「さぁー、いらっしゃい、安いですよ。一つ○○円です。さあさあ、いかがですかー。」と呼びかける)か、あるいは商品に紙札(「○○円」という値札)をかかげるかしなければならないのです。

 ここでマルクスは奇妙なことを述べています。というのは〈鉄、リンネル、小麦などの価値は、目には見えないけれども、これらの物そのもののうちに存在する。これらの価値は、それらの物の金との同等性によって、それらの物のいわば頭の中にだけ現れる金との関係によって、想像される〉と述べているからです。〈それらの物のいわば頭の中にだけ現れる金〉とは一体なんでしょうか? 鉄やリンネルや小麦が、金と同じように「物」であることは誰でも知っています。しかしそうした物に「頭」があるということは初めて聞く話です。もちろん、マルクスはここで〈いわば〉と述べており、それが一つの例えであることはわかります。しかし、それにしてもマルクスはこのことで何を言いたいのでしょうか。

 これに関連して、少し遠回りになりますが、『経済学批判要綱』の次のような一文の理解について少し考えてみましょう。

 〈もっとも粗野な物物交換〔Tauschhande〕においては、二つの商品が相互に交換されるとき、各商品はまずその交換価値を表現している一つの章標に等置される、たとえば西アフリカ海岸のある黒人のばあいには、Xバール〔bar〕に等しいとされる。一方の商品は1バールに等しく、他方の商品は2バールに等しい。こうした割合で商品が交換される。商品は、それらが相互に交換されるまえに、まず頭のなかで、そして言葉でバールに転化される。商品は、交換されるまえに評価されるが、商品を評価するためには、相互に一定の数的関係にもたらされなければならない。商品をかような数的関係にもたらし、通約できるようにするためには、商品は同じ呼称(単位〉を受けとらなければならない。(バールは、ただ想像上の存在をもつだけである、というのも、総じて関係というものが一つの特殊な物体化を受けとり、それ自体がふたたび個体化されることができるのは、ただ抽象による以外はありえないからである。)〉草稿集①114-5頁)

 〈私が1エレの亜麻布と交換できるパンの重さを決定するためには、私はまず、1エレの亜麻布はその交換価値に等しく、つまり1/x労働時聞に等しいものとおく。同様に私は、1ポンドのパンはその交換価値に等しく、1/xまたは2/x労働時間などに等しいものとおく。私は、商品のいずれもがある第三者に等しく、すなわち自分自身とは等しくないものとおく。両者とは異なったこの第三者は、ある一つの関係を表現しているから、まず頭のなかに、表象〔Vorstellung〕のうちに存在する。というのは、諸関係というものは、総じて、それらが、たがいに関係しあっている諸主体から区別されて、確定されなければならないとされるばあいには、ただ思考されることができるだけだからである。一生産物〈または活動〉が交換価値になることによって、生産物は一定の量的な関係に、ある関係数に--すなわち、他の諸商品のどれほどの量がそれに等しいかを表わす、つまりそれの等価物を表わす数に、あるいは、どのような割合でそれは他の諸商品の等価物であるかを表わす数に--転化されるばかりではなく、同時に質的にも転化され、ある他の要因に転置されなければならない。そのことによって、両商品は同じ単位をもった名数〔 benannte Grössen〕となり、したがって通約のできるものとなる。〉(同116頁)

  ご覧のように、最初の引用文では〈商品は、それらが相互に交換されるまえに、まず頭のなかで、そして言葉でバールに転化される〉(下線は引用者)とあり、次の引用文でも〈両者とは異なったこの第三者は、ある一つの関係を表現しているから、まず頭のなかに、表象〔Vorstellung〕のうちに存在する〉(同)と述べています。つまりどちらもまず「頭」のなかに表象として思い浮かべられ、転化されなければならないというのです。そしてそれを説明して、最初の引用文では〈というのも、総じて関係というものが一つの特殊な物体化を受けとり、それ自体がふたたび個体化されることができるのは、ただ抽象による以外はありえないからである〉とか、次の引用文では〈というのは、諸関係というものは、総じて、それらが、たがいに関係しあっている諸主体から区別されて、確定されなければならないとされるばあいには、ただ思考されることができるだけだからである〉などと説明されています。こうした説明をどのように理解したらよいのでしょうか。

 これは次のようなことではないかと考えられます。


 まず確認しなければならないのは、一般的に、あるものと他のものとが関係するということは、あるものと他のものに共通の何かがあるからこそ言えることだということです。両者に何の共通性も同一性もないなら、そもそも関係など問題にし得ないのです。だから両者の関係を問うということはそれは両者をそれらに共通の質に還元した上で言いうることなのですが、しかしそうした両者をその共通の質に還元することができるのは、ただ思考による以外にありえないというのがマルクスの言わんとすることではないでしょうか。つまりそうした両者の関係する根拠たる共通の質というものを両者と異なったものとして確定する作業というものは、思考によって初めて可能なのだということです。というのは両者が関係する共通の質というのは、両者に内在的なものであり、直接的なものではない(内に隠れていて、直接には目に見えないもの)ですから、そうした共通の質に還元し、両者の関係を問題にするということは、両者の直接性を捨象してその内在的なものを取り出さなければならないのですが、しかしそうした操作は、ただ思考において可能に過ぎないからということではないかと思います。


 両者に共通の質は内在的なものであり、その限りでは観念的なものなのです。だからそうした共通の質において関係を見るということは、そうした観念の世界に入ることであり、そのためには両者の直接性を揚棄しなければならないわけです。そして実際に諸商品が交換関係のなかで行っていることは、まさにこうしたことなのだ、というのがマルクスがいわんとすることではないかと思います。つまり、それぞれがその直接性を捨象して、両者に共通の質に還元して互いに関係し合うということです。

 だから諸商品が貨幣との同等性の関係において、自身の内在的な価値を、貨幣(金)という具体的な姿で表すということは、自分自身の内在的なものを金の姿の上に映し出すことですから、それは自分自身の直接的な定在である使用価値から離れてしかできませんが、それをマルクスはあたかも諸商品がその頭の中に思い浮かべる、想像することと同じなのだと説明しているのではないかと思います。諸商品は自身の価値を貨幣(金)の一定量として表象して、そしてその表象したものを何らかの仕方で、相手に伝えて、初めてそれらは互いに交換可能になるというわけです。

 マルクスは『学説史』のなかでも、なぜ諸商品はまずは価格として観念的なものとして現れるのかを次のように説明しています(ただし引用は草稿集⑦から。下線はマルクスによる強調箇所)。

 〈商品の交換価値の貨幣での独立化は、それ自身、交換過程の、商品に含まれている使用価値と交換価値との諸矛盾の発展の、また、それに劣らずその商品に含まれている次のような矛盾の発展の、所産である。その矛盾とは、私的個人の一定の特殊な労働が、その反対物、すなわち同等な、必要な、一般的な、そしてこの形態において社会的な労働として表わされなければならない、というのがそれである。商品の貨幣としての表示のなかには、ただ、諸商品の価値量の相違が、排他的な一商品の使用価値での自分たちの価値の表示によって計られる、ということが含まれているだけではない。同時に、諸商品はすべて一つの形態で表わされ、この形態では諸商品は社会的な労働の具体化として存在し、したがってまた他のどの商品とも交換可能であり、任意にどの任意な使用価値にも転換可能である、ということが含まれているのである。それだから、諸商品の貨幣としての--価格での--表示は最初にただ観念的にだけ現われるのであり、この表示は、諸商品の現実の販売によってはじめて実現するのである。〉(草稿集⑦192-3頁)

 〈労働は、私的個人の労働であって、一定の生産物に表わされている。しかしながら、価値としては、生産物は社会的労働の具体化でなくてはならないし、またそのようなものとして、ある使用価値から他のどんな使用価値へも直接に転化が可能でなくてはならない。(その労働が直接に表わされる一定の使用価値は、なんであってもよい。それゆえ、ある形態の使用価値から他の形態のそれへの転換が可能なのである。)だから私的労働は、直接、それの反対物として、社会的な労働として、表わされなくてはならない。このような転化された労働は、その直接の反対物としては、抽象的一般的労働であり、したがってまた、一つの一般的等価物でも表わされる労働である。このような労働の譲渡によってのみ、個人の労働は、現実に、それの反対物として表わされるのである。だが、商品は、それが譲渡されるより前に、このような一般的表現をもたなければならない。個人の労働を一般的労働として表示するこの必然性は、一商品を貨幣として表示する必然性である。この貨幣が、尺度として、また商品の価値の価格での表現として役だつかぎりで、商品はこのような表示を受け取る。商品の貨幣への現実の転化、すなわち販売によって、はじめて商品は、交換価値としてのその商品のこの妥当な表現を獲得する。最初の転化は単に理論的な過程にすぎないが、第二の転化は現実の過程である。〉(同上200頁)

 (ホ)(ヘ)(ト)
 金による商品の価値の表現は観念的なものですから、その操作、つまり諸商品の価値の貨幣による表現という操作に必要な貨幣(金)も、やはりただ想像されただけの、あるいは観念的な、金が使われます。しかし商品の保護者(所持者)なら、誰でも知っていますが、彼が自分の商品の価値に価格の形態、すなわち想像された金形態を与えたとしても、彼はとうていまだその商品を現実の金に転化したわけではないのです。だからまた何百万もの商品の価値を金で評価するとしても、現実の金はまったく一つも必要としないわけです。だから価値尺度という機能においては、貨幣は、ただ想像されただけの、または観念的な貨幣として役立つだけなのです。

 (チ) こうした事情は、きわめてばかげた諸理論を生み出しました。

 この部分には、注52がつけられていますが、それは『経済学批判』「貨幣の度量単位に関する諸理論」の部分を参照するようにというものです。その最初の部分は次のように始まっています。

 〈諸商品は価格としてはただ観念的に金に、したがって金はただ観念的に貨幣に転化されるという事情は、貨幣の観念的度量単位説を生む動機となった。価格規定にあっては、ただ表象された金か銀かが機能するだけであり、金と銀はただ計算貨幣として機能するだけだから、ポンド、シリング、ペンス、ターレル、フラン等々の名称は、金または銀の重量部分、またはなんらかのしかたで対象化された労働を表現するものではなく、むしろ観念的な価値諸原子を表現するものである、と主張された。それで、たとえば1オンスの銀の価値が増加したとすれば、1オンスの銀はより多くのこういう原子をふくむこととなり、したがってより多くのシリングに計算され、鋳造されなければならない、というのである。〉(全集13巻59頁)

 マルクスによれば、こうした学説は17世紀末にその端を発しているらしいのですが、そこから当時の1858年の銀行法委員会報告まで、歴史的に登場したさまざまな学説を批判していますが、とてもここで紹介できるように簡単に要約できるようなものではありません。しかし、ここで論じられている問題は、現代の貨幣(通貨)を考える上でも非常に重要に思えますので、第1節が終わった時点で、一度、詳しくその内容を振り返ってみるのもよいかも知れません。

 (リ)(ヌ)
 確かに価値尺度の機能のためには、ただ想像されただけの貨幣で十分なのですが、しかし、実際に表現された価格がどうなるかということは、現実に存在している実在的な貨幣材料(金)に依存しているのです。

  確かに、諸商品の価値を尺度するためには、ただ頭に表象された金で十分なのですが、しかし、それがどういう価格として表されるかということは、実際に存在している実在的な金(それが持っている価値)に依存しています。

 (ル) だから、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って、同じ1トンの鉄の価値は、まったく違った価格表現を受け取ることになります。言い替えれば、金、銀、銅のまったく異なる量によって表象されことになるわけです。

 つまり金1グラムの価値(金1グラムを生産するに必要な労働時間)が、銀1グラムの価値の10倍であり、同じように銅1グラムの100倍であるとするなら、1グラムの金=10グラムの銀=100グラムの銅 という等式がなりたちます。今、鉄1トンの価値を、金で表すと1キロの金という形で表象されるとするなら、同じように鉄1トンを銀で表すなら、10キロの銀という形で、あるいは銅で表すなら、100キロの銅という形で表象されるわけです。つまり同じ鉄1トンの価値が、1キロ、10キロ、100キロというまったく異なる量によって表象されるというわけです。

◎注51と注52

 注については、これまでと同じように文節ごとに区切った解説は行いませんが、一応、本文の紹介と簡単な考察は行っておきたいと思います。

【注51】〈(51) 未開人や半未開人は別の仕方で舌を使う。たとえば、船長パリは、バフィン湾〔カナダの東側、グリーンランドとの間〕の西海岸について次のようにのべている。「この場合」(生産物の交換に際して)「・・・・彼らはそれ」(彼らに提供されたもの)「を舌で二度なめ、その後では、取り引きが満足のうちに終わったものと彼らが考えているように見えた」〔ウィリアム・エドワード・パリ『大西洋から太平洋への北西航路を発見するための航海日誌』、第二版、ロンドン、一八二一年、二七七~二七八ページ〕。同じく、東部エスキモー人の場合にも、交換者は品物を受け取るたびにそれをなめた。このように、北方では舌が取得の器官とされるのならば、南方では腹が蓄積された財産の器官とされ、カフィール人〔南東アフリカの部族〕が一人の男の富を彼の腹の太さで評価することに何の不思議もない。カフィール人は実にりこうな連中だ。というのは、一八六四年のイギリス政府の衛生報告が労働者階級の一大部分に脂肪形成物質が不足しているのを嘆いているのに、ドクター・ハーヴィーなる人物--もっとも、彼は血液循環を発見したハーヴィーではない--が同じ年にブルジョアジーや貴族の脂肪過多を取りのぞくと約束するいかさま処方によって産をなしたからである。〉

 この注は諸商品の価値を表すためには、商品はまずは貨幣としての金との同等性によって、金の一定量としてその価値を表象するわけだが、だからそのあとその表象を外界に伝えるために、〈自分の舌で商品の代弁をするか、または商品に紙札をかかげるかしなければならない〉という部分につけられたものです。こここで〈自分の舌で商品の代弁をする〉というのは、金の一定量として表象されたものを、「この商品の価格は金○○グラムです。」とその商品を買おうとしている貨幣所持者に伝えることだと説明しましたが、注を見ると、〈未開人や半未開人は別の仕方で舌を使う〉例が紹介されています。しかし、それらは果たして表象されたものを外界に伝える例として適切なのかどうかはやや疑問です。マルクスは〈舌が取得の器官とされる〉と述べていますが、いま一つよく分かりません。〈南方では腹が蓄積された財産の器官とされ〉るというのは、よく分かります。全体に、この注はやや皮肉を込めたもので、さまざまな知識をひけらかした程度で、深い意味はないと思うのですが、果たしてどうなんでしょうか。

【注52】〈(52) カール・マルクス『経済学批判』、「貨幣の度量単位に関する諸理論」、53ページ以下〔『全集』、第13巻、59ページ以下〕。〉

 この注は、すでに述べたように、参照箇所はかなりの頁数であり、また内容的にも決してその理解が容易な物ではありません。だからその解読は別途やるべきだと考えています。その機会があれば、是非、やってみたいと思っています。

 今回は、やや時間が足らず、中途半端なところで終わらなければなりませんが、そもそもこの解読は、未更新を避けてブログをそのまま残したい、という便宜的なものなので、今後も、こうした場合が考えられますので、ご了解とご容赦をねがいたいと思います。

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【付属資料】


●第4パラグラフ

《初版》

 〈諸商品の、貨幣での単純な相対的価値表現--x量の商品A=y量の貨幣商品--が、諸商品の価格である。諸商品の価格にあっては、諸商品は、第一には、価値として、すなわち、質的に等しいもの、同じ労働の具象物または労働の同じ具象物として、現われているし、第二には、量的に規定された価値量として現われている。なぜならば、諸商品は、ある割合で--この割合において、これらの諸商品はあれこれの一定の金量と相等しい--互いに相等しいからであり、言い換えれば、相等しい労働量を表わしているからである。他方、発展した相対的価値表現、すなわち、相対的価値表現の無限の系列は、貨幣商品の独自な相対的価値形態になる。ところが、この系列は、いまではすでに、諸商品価格のうちに与えられている。物価表の相場を逆に読めば、貨幣の価値量がありとあらゆる商品で表わされていることがわかる。この系列は新たな意味をも得たわけである。金は、貨幣であるために、すでに、それの現物形態のうちに、それのもろもろの相対的価値表現にかかわりなく、一般的な等価形態すなわち一般的な直接的交換可能性という形態をもっている。だから、これらの価値表現の系列は、いまでは同時に、金の価値量のほかに、素材的な富あるいは使用価値の発展した世界を表わしているのであって、金はこれらの使用価値に直接に置き換えられうるのである。これに反して、貨幣はなんら価格をもっていない。他の諸商品のこういった統一的な相対的価値形態に参加するためには、貨幣は、それ自身の等価物としてのそれ自身に、関係させられなければならないであろう。〉(83頁)

《補足と改訂》

 〈p.55、56)一商品の金での簡単な相対的価値形態--x商品A=y金商品--はその商品の価格である。もともと一商品は、等価物との等式が、すべての他の諸商品が同じ等価物と結ぶ等式の列のなかの一分肢として現れる限りにおいてのみ、一般的相対的価値形態をもった。この列はいまはなくなっている。商品の金との個々の等式、すなわちその価格は、先行する歴史的過程が金(または銀、またはあるその他の際だった商品)をすでに貨幣商品、つまり、その特殊な自然形態と一般的等価物形態がすでに社会的に癒着している商品にしているがゆえに、その商品の一般的相対的価値形態になるのである。

p. 5 6) 6) L 貨幣商品それ自身は価格をもたない。云々について...

[3 7] p. 5 6) 6) それにたいして、展開された相対的価値表現または個々の相対的価値表現の無限の列は、貨幣商品の特殊的相対的価値形態になる。この列は、いまや、つねにおおよそ物価のなかで与えられている。云々

7) 削除する。〉(36頁)

 〈p.5 5、56) 4)金による一商品の価値表現--x量の商品A=y量の貨幣商品--は、その商品の貨幣形態またはその商品の価格である。しかし、いま、先行する歴史的過程がある特別な商品・金に、すでに社会的に認められた等価物商品の性格をおしつける、つまりその商品を貨幣にする、と仮定するならば--他の諸商品の等式の列とは無関係に--この単一の等式で十分である。いまや、一般的相対的価値形態は一番最初の簡単な相対的価値形態の姿をもっている。

p. 5 5) 5)貨幣商品は、それ自身としては、価格をもたない。

6 )この列は貨幣商品にとっては、つねに、社会的に、すなわち商品価格のなかに存在する。

7)削除。〉(37頁)

《フランス語版》 フランス語版は二つのパラグラフに分けられている。

 〈ある商品の金による価値表現、すなわち、x量の商品A=y量の貨幣商品 は、この商品の貨幣形態すなわち価格である。1トンの鉄=2オンスの金 という単独の等式はいまでは、鉄の価値を社会的に有効であるように表示するのに充分である。この種の等式はもはや、他のすべての商品の等式系列における環として現われる必要がない。というのは、等価物商品である金がすでに貨幣の性格をもっているからである。したがって、商品の一般的な相対的価値形態はいまは、その最初の姿、その単純な形態をとり戻しているわけである。
 貨幣商品のほうはなんら価格をもっていない。貨幣商品が、他のすべての商品に共通である相対的価値形態に参加できるためには、それば自分自身にたいし等価物として役立つことができなければならないであろう。逆に、一商品の価値が果てしない等式系列のうちに表現された形態は、貨幣にとっては自己の相対的価値の専有的形態になる。ところが、この系列はいまでは、商品の価格のうちにすでに与えられている。ありうべきいっさいの商品のうちに貨幣の価値量を見出すためには、価格表をあべこべに読めば充分である。〉(72頁)

●第5パラグラフ

《初版》 初版には、現行版の第5パラグラフの前に、「諸商品の価格変動」の考察が挿入されている。それも含めて、二つのパラグラフを紹介しておく。

 〈価格がきまっている商品は実在的な形態および想像的または観念的な形態という二重の形態をもっている。その商品の実在する姿は、使用対象の姿、具体的な有用な労働の生産物の姿、たとえば鉄である。その商品の価値姿態、一定量の同質の人間労働の具象物としての・その商品の現象形態は、その商品の価格、ある量のである。ところが、金は、鉄とはちがう物であって、鉄は、その価格においては、自分とは別な物であるとはいえ自分と価値の等しい物としての金に、自分自身を関係させている。商品の価格すなわち貨幣形態は、こういった等置する関係のなかでのみ、つまり、いわばその商品の頭のなかにのみ、存在するのであって、その商品の所持者は、その商品の価格を外界に向けて示すためには、自分の舌でその商品の代弁をするか、その商品に貼り紙をぶらさげるかしなければならない(46)。だから、その商品の価値の形態は、その商品の使用価値の・手でっかみうる実在的な体躯形態、とはちがうところの、想像された観念的な貨幣形態なのである。諸商品は、このように、自分たちの価値を、貨幣のなかで観念的にのみ表現しているのであるから、諸商品は、自分たちの価値をも、想像的なあるいは観念的な貨幣のなかでのみ表現しているわけである。だから、価値の尺度は、想像された観念的な貨幣としてのみ、貨幣なのである。どの商品所持者も、諸商品を金で評価するときには、すなわち、商品価値に商品価格という形態を与えるときには、自分が、実在する金をなんら使用していない、ということを知っている。貨幣が価値尺度として観念的にのみ機能するとはいえ、しかもなお価格は、実在の貨幣素材に全く依存している。なぜならば、ある商品たとえば一トンの鉄は、そ一定量の労働の具象物として、同じ量の労働の具象物としての一定量の貨幣素材に関係させられているが、同じ量の労働は、全くそれぞれにちがった量の金や銀や銅のうちに具象化されているからである。だから、一トンの鉄の価値は、金や銀または銅が価値尺度として機能する事情に応じて、全くそれぞれにちがった価格表現を受け取っているのである。〉(84-5頁)

《補足と改訂》

 〈p. 5 6、57) 8)価格の決定された商品は二重の形態をもっ、すなわち実際の形態と観念的な形態とである。その現実の姿態は、商品体とは感覚的に異なった使用価値、鉄、リンネル、穀物等である。それらの共同の価値姿態はそれらの価格、つまり、一定量の金、である。しかし、金は他の商品体、鉄、リンネル、穀物等とは異なったものであり、そして、その価格自身が諸商品体を、その他の物であるが、その価値に等しいものとしての金と関連させる。価格は云々……〉(36頁)

 〈8)一商品の価値はそれ自身の肉体のなかにのみ存在する。鉄、リンネル、穀物等は、それらの生産において人間的労働力が支出されているがゆえに、価値である。しかし、その価値は現実には、つまりそれらの肉体においては、現われてはこない。それゆえ、価値が感覚的に見えるようになる相対的価値形態は、観念的な表象された形態でしかない。というのは、それはそれらの価値の現実の存在とは異なる形態だからである。相対的価値形態一般についていえることは、価格についてもいえる。鉄、リンネル、穀物等がそれらの価格において価値姿態をもつのは、それらの諸商品が金量を表象するかぎりにおいてである。金はそれら諸商品と感覚的に異なった物である、そして、それら諸荷品の価格自身において、他の、しかし価値と等しいものとしての金と関係する。それゆえ、それら諸商品は、金と等しいものとして表現されることによって、価値として表現される。〉(37-8頁)

 〈p. 5 7)、58) 9)商品の保護者のだれもが知っているように、彼が自分の商品の価値に価格の形態または表象された金形態を与えても、彼はとうていまだその商品を金に化したわけではなく、また、幾百万の商品価格を金で評価するためにも、現実の金の一片も彼には必要ではない。だから、価値尺度という機能においては、貨幣は、ただ表象されただけの、または観念的な貨幣として役立つのである。この事情は、きわめてばかげた諸理論を生み出した。(注目『経済学批判~ p.53以下。I貨幣の度量単位についての諸理論」参照。)しかし、貨幣または単に表象された金が価値尺度の機能のために役立つとしても、価格はまったく実在的な貨幣材料に依存している。たとえば、一トンの鉄に含まれる価値、すなわち人間的労働の一定分量が、等しい量の労働を要する貨幣商品の表象された一定分量によって表現される。したがって、金、銀、銅のどれが価値尺度として使われるかに従って閉じ一トンの鉄の価値はまったく異なる価格表現を受け取るのであり、言い換えれば、金、銀、鍋のまったくことなる量によって表象されるのである。〉(38-9頁)

《フランス語版》 フランス語版では、このパラグラフは三つのパラグラフに分けられており、しかも、テキストの第6パラグラフは分けれずに繋がっている。だから、ここでは第6パラグラフの部分も併せて紹介することにする。

  〈商品の価格すなわち貨幣形態は、商品の体躯すなわち自然形態から区別された価値形態一艇のように・観念的なあるものである。鉄やリソネルや小麦等の価値は、眼に見えないとはいえ、これらの物自体のうちに宿っている。この価値は、これらの物の金との同等性によって、いわば商品の頭のなかにあるにすぎない金との関係によって、表現される。したがって、交換者は、商品の代弁をするか商品に紙札をはりつけるかして、商品価格を外界に知らせなければならない(2)。
 金による商品価値の表現はただたんに観念的にすぎないから、この作用のためには、観念的な金、すなわち想像のなかにのみ存在する金しか必要ではない。
 どんな食糧品商人でも、たとえ彼が自分の商品の価値に価格形態すなわち想像的な金形態を与えたにしても、自分の商品でもって金を作ったどころか、幾百万の商品価値を金で評価するために実在の金を少しも必要とはしない、ということを非常によく弁えている。貨幣は価値尺度という機能では、観念的な貨幣としてのみ用いられる。こういう事情がこの上なく馬鹿げた理論を産んだ(3)。だが、貨幣は価値尺度としては観念的にだけ機能し、したがって、この目的に用いられる金は想像された金でしかないとはいえ、商品の価格はやはり貨幣材料に全く依存しているのである。価値、すなわち、たとえば一トンの鉄のうちに含まれている人間労働の分量は、ちょうど同量の労働を要する貨幣商品の分量によって想像的に表現される。金、銀、または銅が価値尺度としてえらぽれるのに応じて、一トンの鉄の価値は、相互に全くちがった価格で表現される、すなわち、銅、銀、または金の異なる量によって表わされる。[/]したがって、もし二つのちがった商品、たとえば金と銀とが価値尺度として同時に用いられるならば、すべての商品はその価格として二つのちがった表現をもつわけである。金にたいする銀の価値比率が相変わらず不変であるかぎり、たとえば一対一五の割合に維持されているかぎり、すべての商品は金価格と銀価格とをもち、両価格はともに相並んで悠々と流通する。この価値比率のどんな変化も、それがために商品の金価格と銀価格との割合を変え、こうして、価値尺度の機能がその二重化と両立しないことを事実でもって証明する(4)。
 (3) カール・マルクス『経済学批判』の「貨幣の尺度単位にかんする諸理論」と題する部分を見よ。〉(73-4頁)([/]は引用者が挿入。この部分以下が、第2版では第6パラグラフに該当する。なお注(4)は、第2版の注53の資料提供として紹介予定)

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『資本論』学習資料No.1(通算第51回)その1

2013-02-05 22:29:25 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.1(通算第51回)その1

 

 

◎はじめに

 

 すでにお断りしましたように、「『資本論』を読む会」は、殘念ながら第50回で終わり、『資本論』の学習も「第2章 交換過程」で中断した状態です。しかし、続く「第3章 貨幣または商品流通」も、現代の資本主義を理解する上で欠かせない理論的基礎を与えてくれるものです。だから引き続いて、『資本論』を学習しようと意欲ある人には、第2章で中断してしまうことは心残りであったと思います。

 そこで、現状のブログを維持するために更新を義務づけられることがわかったこともあり、「『資本論』を読む会」の「報告」という形では出来ませんが、続く第3章についても、各人が学習していくために必要な資料を提供してゆくことにしました。

 これまでの学習会の報告の形式を引き継いで、各パラグラフごとに、文節に記号を付し、それを平易に書き下ろし、解説を加え、関連する資料を提供していくことにします。

 「未更新」にならない最低限の条件である二カ月に一回程度のペースで、毎回数パラグラフごとの提供を考えています。今後も、各人の『資本論』の学習を、是非、資料を手引きに続けていただきたいと思います。

 

◎第3章の課題

 

 第1章「商品」では、「商品とは何か」、つまり「商品の概念」が明らかにされ、第2章「交換過程」では、第1章で概念的に明らかにされ、現存在として捉え返された商品の現実の運動、すなわちその交換の過程が対象になりました。そしてその交換過程が、如何にして貨幣を生み出すのか、すなわち商品が貨幣に如何に転化するのかが明らかにされたと紹介してきました。

 とするなら、それらを踏まえた第3章では、今度は「貨幣の何たるか」、すなわち「貨幣の概念」が解明されるのでしょうか。実は、そうではないのです。なぜなら、「貨幣とは何か」については、まさにこれまでの第1章と第2章の展開のなかで、解明されてきたことなのだからです。第1章と第2章とを統一した第3章は、それらの過程の総括でもあり、第1章と第2章とは貨幣を概念的に展開してきた過程として総括されるのです。つまり自立した現存在として捉え返された第3章の貨幣の地点から振り返るならば、まさに第1章も第2章も、貨幣の概念的把握の過程であり、その展開の過程であったとも言えるわけです。

 だから第3章では、自立的な現存在として捉え返された貨幣が、今度は主体となり、その運動諸形態(形態諸規定性、すなわち諸機能)とその諸法則が解明されることになるわけです。かくして第3章の表題は「貨幣または商品流通」というわけです。というのは、貨幣の運動というのは、商品流通があってこそであり、その運動諸形態は、商品流通のなかで貨幣が受け取る形態諸規定のことだからです。だから貨幣の運動諸形態とその法則を解明するということは、すなわち商品流通の諸法則を解明することでもあるわけです。

 

◎第1節 価値の尺度

 

 ここでは第1章と第2章とで展開された貨幣が統一的に総括されます。しかしここでは、それ自体として把握された貨幣が主体であり、第1章や第2章で明らかにされた商品から直接生まれた貨幣を前提して、現存在として捉え返された貨幣を問題にします。だから「価値の尺度」も、その限りでは自立した貨幣の一機能としてあるのであって、第1章で捉えられた商品の価値を表現する一形態(最終形態)としての貨幣形態とは必ずしも同じではないのです。それまでの主体は商品でしたが、今度からは主体は貨幣になっているのです。私たちは、ここでは改めて、目の前にそれ自体として存在する貨幣を前提して、まずその観察から開始し、その特徴と内的関連を分析していくことになるわけです。

 

◎第1パラグラフ

 

【1】〈(イ)私は、本書のどこでも、ことを簡単にするために、金を貨幣商品として前提する。〉

 

(イ)私は、問題を簡単にするために、本書のどこでも、金を貨幣商品として考えることにします。

 

 この最初のパラグラフは特に解説を必要としないかも知れません。マルクスは金を貨幣商品とする理由として、〈簡単にするため〉と述べています。というのは、第1章や第2章でも明らかになったように、貨幣の歴史的な発生過程では、貨幣形態はさまざまな商品に付着したからです。第2章では、次のようにありました。

 

 〈商品所持者たちが彼ら自身の物品をいろいろな他の物品と交換し比較する交易は、いろいろな商品がいろいろな商品所持者たちによってそれらの交易のなかで一つの同じ第三の商品種類と交換され価値として比較されるということなしには、けっして行なわれないのである。このような第三の商品は、他のいろいろな商品の等価物となることによって、狭い限界のなかでではあるが、直接に、一般的な、または社会的な等価形態を受け取る。この一般的等価形態は、それを生みだした一時的な社会的接触といっしょに発生し消滅する。かわるがわる、そして一時的に、一般的等価形態はあれこれの商品に付着する。しかし、商品交換の発展につれて、それは排他的に特別な商品種類だけに固着する。言いかえれば、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類にひきつづき付着しているかは、はじめは偶然である。しかし、だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。貨幣形態は、域内生産物の交換価値の実際上の自然発生的な現象形態である外来の最も重要な交換物品に付着するか、または域内の譲渡可能な財産の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものに付着する。遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が可動的な、したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって彼らに生産物交換を促すからである。……

 商品交換がその局地的な限界を打ち破り、したがって商品価値が人間労働一般の物質化に発展してゆくにつれて、貨幣形態は、生来一般的等価物の社会的機能に適している諸商品に、貴金属に、移ってゆく。〉(全集23a118-119頁)

 

 マルクスが生きていた当時においても、金だけではなく、アムステルダムなどでは、銀が本位貨幣として流通していたのです。だからマルクスは〈ことを簡単にするために、金を貨幣商品として前提する〉と断っていると考えられます。

 さらに、こうした前提には、次のような考えもあることを指摘しておきましょう。マルクスは『経済学批判』では、次のように述べています。

 

 〈貨幣の分析におけるおもな困難は、貨幣が商品そのものから発生するということが理解されれば、たちまち克服される。この前提のもとでなおまだ問題となるのは、貨幣の固有な形態規定性を純粋に把握することだけであるが、これは、すべてのブルジョア的諸関係が金めっさされたり銀めっきされて貨幣関係として現われ、したがって貨幣形態が、それ自身とは疎遠な、無限に多様な内容をもっているように見えるので、かなり困難にされるのである。

 以下の研究でかたく守っておかなければならないことは、商品の交換から直接に発生する貨幣の諸形態だけを問題にし、生産過程のもっと高い段階に属する貨幣の諸形態、たとえば信用貨幣のようなものは問題にしない、ということである。ことを簡単にするために、どんな場合でも金が貨幣商品であるとしておく。〉(全集13巻47-8頁)

 

 だからマルクスのこうした前提は、さらに発展した高い段階にある貨幣の諸形態を想定して、敢えて、こうした断りを入れているということでもあるわけです。但し、マルクスは〈本書のどこでも〉と述べており、だからこの断りは、『資本論』の全体をカバーしたものでもあるということは銘記されなければならないと思います。

 

◎第2パラグラフ

 

【2】〈(イ)金の第一の機能は、商品世界にその価値表現の材料を提供すること、すなわち、諸商品価値を、質的に等しく量的に比較可能な同名の大きさとして表すことにある。(ロ)こうして金は、価値の一般的尺度として機能し、そしてもっぱらこの機能によってはじめて、独特な等価物商品である金が何よりもまず貨幣となる。〉

 

 この第2パラグラフは、第1節の表題である〈価値の尺度〉とは何かを、説明しています。

 

(イ) 金の第一の機能は、商品世界にその価値を表現する材料を提供することです。つまり諸商品の価値を、質的に等しく量的に比較可能なものとして表すことにあります

 

 まずマルクスは、貨幣としての金を、そのありのままに、それが果たしている役割をみようとしています。するとそれは商品世界に、諸商品の価値を表現する材料として役立っていることがわかるわけです。マルクスは、『経済学批判要綱』の貨幣分析の端緒を次のような一文から開始しています。

 

 〈商品a=1シリング(すなわち、=1/x銀)、商品b=2シリング(つまり、2/x銀)。それゆえ商品bは商品aの二倍の価値に等しい。aとbのあいだの価値関係〔Werthverhältung〕は、両者が価値関係とではなく、第三の一商品の分量と、つまり銀と交換されるその比率〔Proportion〕によって表現されている。〉(草稿集①112頁)

 

 つまりこれが貨幣としての金(『要綱』では銀)の果たしている機能の直接的な表象なのです。さらに『経済学批判』ではもっと詳しく次のように述べています。

 

 〈流通の最初の過程は、現実の流通のための、いわば理論的な準備過程である。使用価値として実在する諸商品は、まず第一に、それらが互いに観念的に交換価値として、対象化された一般的労働時間の一定量として現われる形態を自分で創造する。この過程の最初の必要な行為は、われわれがすでに見たように、諸商品が独特な一商品、たとえばを、一般的労働時間が直接的に物質化したもの、すなわち一般的等価物として排除することである。われわれはしばらくのあいだ、諸商品が金を貨幣に転化させる形態にもどってみよう。
    1トンの鉄             =2オンスの金
    1クォーターの小麦       =1オンスの金
    1ツェントナーのモカ・コーヒー =1/4オンスの金
    1ツェントナーの炭酸カリ    =1/2オンスの金
    1トンのブラジル産木材     =1 1/2オンスの金
    Y商品               =Xオンスの金

 

 この等式の系列では、鉄、小麦、コーヒー、炭酸カリ等々は、互いに一様な労働の、つまり金に物質化された労働の、物質化したものとして現われ、そこでは、それらのいろいろな使用価値であらわされている現実的労働のすべての特殊性は、まったく消え去っている。価値としては、それらは同一であり、同一の労働の物質化したもの、または労働の同一の物質化したもの、つまり金である。同一の労働の一様な物質化したものとしては、それらは、ただひとつの区別、すなわち量的な区別だけを示している。すなわち、それらの使用価値には等しくない労働時間がふくまれているから、異なった価値の大きさとして現われている。このような個々の商品としては、これらは排除された一商品、金としての一般的労働時間そのものと関係することによって、同時に、一般的労働時間の対象化として互いに関係しあう。それらが互いに交換価値としてあらわされるその同じ過程的関係は、金にふくまれている労働時間を一般的労働時間としてあらわし、そしてこの一般的労働時間の一定量は、いろいろな量の鉄、小麦、コーヒー等々で、つまりすべての商品の使用価値で表現され、すなわち商品等価物の無限の系列で直接に展開される。諸商品がそれらの交換価値を全面的に金で表現することによって、金はその交換価値を直接にすべての商品で表現する。諸商品は互いに自分自身に交換価値の形態をあたえることによって、金に一般的等価物の形態、つまり貨幣の形態をあたえるのである。〉(全集13巻48-9頁)

 

(ロ) こうして金は、価値の一般的な尺度として機能します。そしてこの機能によって初めて、独特な等価商品である金は何よりもまず貨幣になるのです。

 

 そしてこうした直接的に捉えられた貨幣としての金の機能を、マルクスは〈価値の一般的尺度として機能〉するものであるとしているわけです。そしてこうした機能こそ、等価物商品である金が貨幣たる所以でもあると反省しています。

 こうした説明は一見すると堂々巡りのように思えます。しかし、これは直接的な表象からその表象として捉えられる根拠に遡って捉え返す反省関係であって、決して堂々巡りではないのです。

 例えば、“先生である太郎の役割は、子供たちに教育をほどこすことである。太郎はまさにこの子供たちに教育をほどこすという役割を果たすことによって、彼は先生になっているのである”という説明と同じなのです。つまり太郎が先生であるということは直接の前提なのですが、しかし、私たちは先生である太郎の果たしている役割をみて、彼がどうして先生と呼ばれているのかを、その理由を理解することができるというわけです。

 つまり最初にも述べたように、この第3章では貨幣としての金は、すでに前提されものとしてあります。だからその直接的な表象として捉えられた貨幣の諸機能として、今度は、問題が捉え返され、その第一の機能として〈価値の一般的尺度〉が説明されているわけです。

 なお、マルクスは、第二版の準備過程として作成した《補足と改訂》では、次のようにも述べています。

 

 〈すべての商品価値の金での表現をとおして、金は一般的価値尺度になる。あるいは、金は同名の大きさとして--質的に等しく量的に異なるものとして--商品価値の表現に役立つ。その限りにおいて、価値尺度は一般的等価物の別名でしかない。しかし、等価物商品はさまざまな機能を行ない、それらの機能がそれにちょうどそれだけの異なった形態を押し付ける。等価物商品の第一の、われわれにとってただ一つ知られている機能において、それは商品世界の価値表現のために唯一の材料を提供するだけであり、そして、そのことゆえにのみ価値尺度という性格をもつのである。それゆえ、特殊な等価物商品たとえば金は、価値の一般的尺度としてのその機能によってのみ、さしあたり、貨幣となる。〉(小黒正夫訳『マルクス・エンゲルス・マルクス主義研究』第7号、35-6頁)

 

 ここでは私たちがこれまで見てきた第1章や第2章で知っている等価物商品の第一の機能は、諸商品の価値を表現することだと指摘され、だからその限りでは〈価値尺度は一般的等価物の別名でしかない〉と述べられています。これを見ても、この〈価値の尺度〉と題された〈第1節〉は、第1章と第2章の総括であることがわかるのです。

 

 またここでは〈何よりもまず貨幣となる〉とか〈さしあたり、貨幣となる〉(『補足と改訂』)という表現がとられています。これは金が貨幣となる根拠は、諸商品の価値に、それらが比較可能になるような一般的な尺度を与えるという機能だけに限らないからだと思います。しかし、そうした問題は後に展開するわけですから、とりあえずは、さしあたりは、その一般的尺度としての機能によって、金は貨幣になるのだ、ということではないかと思います。

 

◎第3パラグラフ

 

【3】〈(イ)諸商品は、貨幣によって比較可能となるのではない。(ロ)逆である。(ハ)すべての商品が価値としては対象化された人間労働であり、したがってそれら自体が比較可能であるからこそ、それらの価値を同一の独特な一商品で共同で計り、そうすることによって、この一商品を諸商品の共同の価値尺度すなわち貨幣に転化することができるのである。(ニ)価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的価値尺度である労働時間の必然的現象形態である(50)。〉

 

(イ)(ロ)(ハ)
 諸商品は、貨幣によって比較可能になるのではありません。むしろ逆であって、すべての商品が、価値としては対象化された人間労働であり、質的に同じで量的に比較可能なものであるからこそ、それらの価値を同じ一つの独特な商品で共同で表し、そうすることによって、その独特な一商品を共同の価値尺度、すなわち貨幣にしているのです

 

 『経済学批判』では、〈あたかも貨幣が諸商品を通約可能なものとするように見えるのは、流通過程のたんなる外見にすぎない。むしろ対象化された労働時間としての諸商品の通約性こそが、金を貨幣とするのである〉(全集13巻50頁)と述べています。

 こうした外見としては逆転して見える関係というのは、これまでも何度も私たちは見てきました。例えば、第1章第3節の「一般的価値形態」のところでは、次のような一文がありました。

 

 〈相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。しかし、これは注意を要することであるが、等価形態の発展はただ相対的価値形態の発展の表現と結果でしかないのである。〉(91頁)

 

 また第2章の「交換過程」にも次のような一文がありました。

 

 〈一商品は、他の諸商品がその価値をこの一商品によって全面的に表示するので、はじめて貨幣になるのだ、とは見えないで、むしろ逆に、この一商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの一商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える。〉(124頁)

 

 また第51回の報告では、関連する『批判』の頁数と『資本論』からの引用も紹介しましたが、今回は、『批判』の当該箇所と『資本論』からの引用ももう一度紹介しておくことにします。

 

 〈商品の形態転換が貨幣のたんなる位置転換として現われ、流通運動の連続性がまったく貨幣の側に帰するのは、商品はいつも貨幣と反対の方向に一歩だけ進むが、貨幣はたえず商品に代わって第二歩を進めて、商品がAと言った場所でBと言うことのためであるが、そうなると、販売のさいに商品が貨幣をその位置から引き寄せ、したがって貨幣を流通させることは、購買のさいに商品が貨幣によって流通させられるのと同様であるにもかかわらず、全運動が貨幣から出発するように見える。〉(全集13巻81頁)

 

 〈貨幣の流通は、同じ過程の不断の単調な繰り返しを示している。商品はいつでも売り手の側に立ち、貨幣はいつでも購買手段として買い手の側に立っている。貨幣は商品の価格を実現することによって、購買手段として機能する。貨幣は、商品の価格を実現しながら、商品を売り手から買い手に移し、同時に自分は買い手から売り手へと遠難ざかって、また別の商品と同じ過程を繰り返す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは、おおい隠されている。商品流通そのものの性質が反対の外観を生みだすのである。商品の第一の変態は、ただ貨幣の運動としてだけではなく、商品自身の運動としても目に見えるが、その第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えないのである。商品はその流通の前半で貨幣と場所を取り替える。それと同時に、商品の使用姿態は流通から脱落して消費にはいる。その場所を商品の価値姿態または貨幣仮面が占める。流通の後半を、商品はもはやそれ自身の自然の皮をつけてではなく金の皮をつけて通り抜ける。それとともに、運動の連続性はまったく貨幣の側にかかってくる。そして、商品にとっては二つの反対の過程を含む同じ運動が、貨幣の固有の運動としては、つねに同じ過程を、貨幣とそのつど別な商品との場所変換を、含んでいるのである。それゆえ、商品流通の結果、すなわち別の商品による商品の取り替えは、商品自身の形態変換によってではなく、流通手段としての貨幣の機能によって媒介されるように見え、この貨幣が、それ自体としては運動しない商品を流通させ、商品を、それが非使用価値であるところの手から、それが使用価値であるところの手へと、つねに貨幣自身の進行とは反対の方向に移して行くというように見えるのである。貨幣は、絶えず商品に代わって流通場所を占め、それにつれて自分自身の出発点から遠ざかって行きながら、商品を絶えず流通部面から遠ざけて行く。それゆえ、貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに、逆に商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみ現われるのである。〉(全集23a151-2頁)

 
 これらはさらに発展した形態で現れる逆転現象なのですが、こうした見かけの現象に惑わされている人たちが、現在でもどれほど多いかは、第50回の報告の中でも指摘し、紹介しましたので、ここではそれを参照して頂くようにお願いするだけにしておきます。

 

(ニ) 価値尺度としての貨幣は、諸商品の価値の内在的な尺度である労働時間の必然的な現象形態なのです。

 

 労働時間が商品の価値の内在的尺度であるというのは、商品の価値の規定から出てきます。〈価値としてはすべての商品は一定の大きさの凝固した労働時間でしかない〉(『批判』全集13巻16頁)。しかしその「内在的尺度」である諸商品に対象化され凝固した労働時間というものは、直接には目にすることは出来ません。一つの商品を見ただけでは、それがどれだけの価値を持っているのかはわかりません。〈価値尺度としての労働時間は、ただ観念的に存在するだけなのだから、価格の比較のための材料としては役に立つことができない〉(草稿集①110-111頁)のです。だから商品をその内在的尺度にもとづいて交換するためには、それが目に見えるように表さなければならないわけです。それがすなわち貨幣であり、だからそれは外的尺度なのです。貨幣とは〈一般的労働時間の物質化したもの〉(『批判』33頁)です。すなわち商品の価値が金という姿をとって現れてきたものです。貨幣は、諸商品に内在する価値が金の姿の一定量という形で目に見えるように現象したものなのです。

(注50については、その2に続きます。)

 

 

 

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『資本論』学習資料No.1(通算第51回)その2

2013-02-05 18:37:41 | 『資本論』

『資本論』学習資料No.1(通算第51回)その2

 

◎注50

【注50】〈(50) たとえば一枚の紙券がx労働時間を表示するというように、なぜ貨幣は労働時間そのものを直接に表現しないのかという問題は、きわめて単純に、なぜ商品生産の基礎上では労働生産物は自己を商品として表さなければならないのかという問題に帰着する。と言うのは、自己を商品として表すということは、商品と貨幣商品とへの商品の二重化を含んでいるからである。あるいは、なぜ私的労働は、直接に社会的な労働として、私的労働の反対物として、取りあつかわれえないのかという問題に帰着する。商品生産の基礎上での「労働貨幣」という浅薄なユートピア主義については私は別のところでくわしく論じた(カール・マルクス『経済学批判』、61ページ以下〔『全集』、第13巻、66ページ以下〕)。ここでなお次のことを言っておこう。たとえばオーエンの「労働貨幣」が「貨幣」でないのは、ちょうど劇場の切符などが「貨幣」でないのと同じである。オーエンは、直接に社会化された労働を、すなわち商品生産と真っ向から対立する生産形態を前提している。労働証券は、ただ、共同労働に対する生産者の個人的分担と、共同生産物のうち消費に向けられる部分に対する彼の個人的請求権とを確認するだけである。もっとも、商品生産を前提しておいて、しかもなおその必然的諸条件を貨幣の小細工で回避しようなどということは、オーエンの思いもつかないことである。〉

 これまでも、「注」の場合は、文節ごとの解説は省略してきましたので、今回もそれは省略します。この注は大きくは、二つに分けることが出来ます。(1)〈なぜ貨幣は労働時間そのものを直接に表現しないのかという問題〉、(2)〈オーエンの「労働貨幣」が「貨幣」でない〉という問題です。この二つの問題に分けて考えてみましょう。

 (1)まず〈たとえば一枚の紙券がx労働時間を表示するというように、なぜ貨幣は労働時間そのものを直接に表現しないのかという問題〉について考えてみましょう。

 これはどういうことでしょうか。貴方が一日8時間労働をしたとします。そうすると1時間労働と券面に書かれている紙券が8枚、貴方に支払われたとします。貴方はその8時間労働券を持って、その日の生活のために買い物をします。そのためには貴方が買う商品の値札には、例えばコメ1キロは1時間というように直接労働時間が表示されていなければなりません。つまりそれはコメ1キロを生産するために必要な労働時間が直接表示されているということです。こうしたことがどうして出来ないのか、という問題ということではないでしょうか。

 それは〈きわめて単純に、なぜ商品生産の基礎上では労働生産物は自己を商品として表さなければならないのかという問題に帰着する〉とマルクスは言います。〈と言うのは、自己を商品として表すということは、商品と貨幣商品とへの商品の二重化を含んでいるから〉とも。つまり労働生産物が商品になるということは、それは労働生産物が価値という物象的属性を持つということですが、ということはその価値を表すための貨幣が必要になり、〈商品と貨幣商品とへの商品の二重化〉が必然的に生じるということです。だから商品だけを前提にして、貨幣に何か工夫を加えれば、商品生産に固有の問題が解決できるかに考えるのは浅はかな考えだということでもあります。さらにマルクスは、次のように説明しています。

 〈あるいは、なぜ私的労働は、直接に社会的な労働として、私的労働の反対物として、取りあつかわれえないのかという問題に帰着する〉と。

 労働生産物が商品になるということはそれを生産する労働が直接には私的な労働だからです。しかし、それは私的な独立した何の社会的な関連も無しに支出された労働でありながら、しかし他方で社会的な分業の環をなしていなければならないという社会的な性格を本質的には持っているような労働なのです。だからこそそれらは商品として互いに交換されてその社会的な分業の環をなしているということを実証しなければならないわけです。こうした私的労働の独特な社会的な性格がその労働生産物を商品にし、社会的な属性である価値を持つものにするわけです。

 だからマルクスが言っているのは、労働生産物が商品にならず、だからまた価値を持たず、よってまた貨幣も必要なくなり、貨幣の代わりに直接労働時間を表示する紙券で十分になるためには、労働が直接に社会的な労働にならなければならないのだということではないでしょうか。

 なおマルクスがここで述べている〈商品生産の基礎上での「労働貨幣」という浅薄なユートピア主義について……くわしく論じ〉た『経済学批判』の当該箇所については、【付属資料】でその主要な部分を紹介しておりますので、参照してください。

 (2)上記のように問題を理解すると、次のオーエンの場合も同じ問題を論じていることがすぐに分かります。オーエンの場合は〈労働貨幣〉という形で「貨幣」という用語が使われていますが、しかしその内容を考えると、それはもはや「貨幣」でない〉ということです。というのはオーエンの場合は〈直接に社会化された労働を、すなわち商品生産と真っ向から対立する生産形態を前提している〉からだというのです。つまり労働生産物が商品にならず、よって貨幣も問題にならないためには、労働が直接社会化されていなければならないのだと、ここでもマルクスは主張しているわけです。だからこの場合、マルクスは〈労働貨幣〉を〈労働証券〉と言い替えて、その内容を〈ただ、共同労働に対する生産者の個人的分担と、共同生産物のうち消費に向けられる部分に対する彼の個人的請求権とを確認するだけ〉のものだと述べているわけです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ * * * ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ところで、以前、将来の社会主義において「価値規定にもとづく分配」は如何にして可能かということが議論になりました。それを説明するために、マルクスの再生産表式を参考にして、いろいろな図案を使って説明したりしたものもありました。

 しかし今回のマルクスのこの注50の主張と関連さぜて考えてみると、将来の社会で個人的消費手段の分配が「価値規定(労働時間)」にもとづいて可能かどうかという以前の問題として、そもそも将来の社会ではすべての労働を直接社会化することが、果たして可能なのどうかがまず問われなければならないのではないかという疑問が生じます。

 もしそれが可能なら、労働生産物はもはや商品にはならないし、貨幣も不要になり、〈労働証券は、ただ、共同労働に対する生産者の個人的分担と、共同生産物のうち消費に向けられる部分に対する彼の個人的請求権とを確認するだけ〉になるでしょう。つまり個人的消費手段の分配は直接労働時間を基準に行われるということになるはずではないでしょうか。

 ところが以前の議論では、こうした視点はほとんど無かったように思えます。そればかりか、今日のような高度に分業が発展し、国民的あるいは国際的に広範な社会的規模で、生産が高度で複雑な社会的な関係にあるような社会では、もはや労働者(生産者)は、それぞれの労働時間を交換することは不可能であるとか、物々交換によって、社会全体の生産や分配の問題が解決するなどということはありえないという主張がなされたのでした。

 確かにマルクスも将来の社会では労働者は生産物を交換することはないと述べています。しかし、その理由は「高度な分業の社会」だからとか、「生産が高度で複雑な社会的関係のもとで行われている社会」だからということではありません。マルクスは次のように述べているのです。

 〈生産手段の共有を土台とする協同組合的社会の内部では、生産者はその生産物を交換しない。同様にここでは、生産物に支出された労働がこの生産物の価値として、すなわちその生産物にそなわった物的特性として現われることもない。なぜなら、いまでは資本主義社会とは違って、個々の労働は、もはや間接にではなく直接に総労働の構成部分として存在しているからである。〉(『ゴータ綱領批判』全集19巻19頁)

 つまりマルクスの場合、将来の社会で〈生産者がその生産物を交換しない〉としているのは、生産者の労働が直接社会化されているからだということです。労働が直接社会的なものとして最初から支出されるから、だからそれらの生産物の交換によって労働の社会的な関係を事後的に実証・確認する必要がないのです。だからやはりもっとも問われなければならないのは、労働を直接社会化し、個々の労働を直接に総労働の構成部分として位置づけることが果たして可能かどうかということではないかと思います。

 また労働者が互いの労働を交換するということについても、マルクスは次のように述べています。

 〈ここでは明らかに、商品交換が等価物の交換であるかぎりでこの交換を規制するのと同じ原則が支配している。内容も形式も変化している。なぜなら、変化した事情のもとではだれも自分の労働のほかにはなにもあたえることができないし、また他方、個人的消費手段のほかにはなにも個人の所有に移りえないからである。しかし、個人的消費手段が個々の生産者のあいだに分配されるさいには、商品等価物の交換の場合と同じ原則が支配し一つのかたちの労働が別のかたちの等しい量の労働と交換されるのである。〉(『ゴータ綱領批判』同上20頁)

 だから社会主義における個人的消費手段の分配では、等価物交換の場合と同じ原則が支配し、一つの形の労働が別の形の等しい量の労働と交換されるというのです。

 いずれにせよ、もし「高度な分業の社会」だからとか、「生産が高度で複雑な社会的関係のもとで行われている社会において」だから、などという理由を持ち出すなら、それは将来の社会主義の社会では、労働者(生産者)は互いの労働を直接社会的に計画的に配分し、関連させて支出することは不可能だと述べていることに、よって社会主義など不可能だということになりかねません。

 以前の議論では、「社会主義の概念の根底」とは何かが問われ、「社会主義における『分配』の問題」を解決することこそ、「"科学的社会主義"の概念の重要な契機」であり、「その神髄」だと強調されたのでした。

 確かにマルクスも『ゴータ綱領批判』では、資本主義から生まれた直後の共産主義の最初の段階、つまり社会主義における個人的消費手段の分配問題を論じています。しかし、実は、マルクスの場合は、それが社会主義の概念の重要な契機をなすと考えるからそうしているのではないのです。そればかりかマルクスは社会主義を個人的消費手段の分配問題から論じることそのものを批判するために、『ゴータ綱領批判』で敢えてその問題を論じているのです。多くの論者はそうしたマルクスの意図を読み違えています。というのは、マルクスは多くの論者がよく引用する部分を論じた後で、次のように補足的に断っているからです。

 〈私が、一方では「労働の全収益」に、他方では「平等な権利」と「公正な分配」とにやや詳しく立ちいったのは、一方では、ある時期には多少の意味をもっていたがいまではもう時代おくれの駄弁になっている観念を、わが党にふたたび教条として押しつけようとすることが、また他方では、非常な努力でわが党にうえつけられ、いまでは党内に根をおろしている現実主義的見解を、民主主義者やフランス社会主義者のお得意の、権利やなにやらにかんする観念的なおしゃべりでふたたび歪曲することが、どんなにひどい罪悪をおかすことであるかを示すためである。

 以上に述べたことは別としても、いわゆる分配のことで大さわぎをしてそれに主要な力点をおいたのは、全体として誤りであった。

 いつの時代にも消費手段の分配は、生産諸条件そのものの分配の結果にすぎないしかし、生産諸条件の分配は、生産様式そのものの一特徴である。たとえば資本主義的生産様式は、物的生産諸条件が資本所有と土地所有というかたちで働かない者のあいだに分配されていて、これにたいして大衆はたんに人的生産条件すなわち労働力の所有者にすぎないということを土台にしている。生産の諸要素がこのように分配されておれば、今日のような消費手段の分配がおのずから生じる。物的生産諸条件が労働者自身の協同的所有であるなら、同じように、今日とは違った消費手段の分配が生じる。俗流社会主義はブルジョア経済学者から(そして民主主義者の一部がついで俗流社会主義から)、分配を生産様式から独立したものとして考察し、また扱い、したがって社会主義を主として分配を中心とするものであるように説明するやり方を、受けついでいる。真実の関係がとっくの昔に明らかにされているのに、なぜ逆もどりするのか?〉(同上21-2頁、下線は引用者)

 ここではマルクスは、もっとも原則的な観点を私たちに教えてくれています。すなわち〈いつの時代にも消費手段の分配は、生産諸条件そのものの分配の結果にすぎない。しかし、生産諸条件の分配は、生産様式そのものの一特徴である〉と。だから将来の社会主義の社会についても、その分配を論じる前に、まずその生産の様式そのものを論じるべきであり、それこそが社会主義の概念をわれわれに与えてくれるものだということです。

 今回の注50でのマルクスの主張を参考に、「社会主義の概念の根底」なるものを考えてみると、それは次のように考えるべきではないかと思います。

 社会主義の概念の根底を問うなら、やはり社会的生産における人間の社会的な関係が直接的なものになるということではないでしょうか。生産における人間の互いの関係が、各人の自覚と自主的・意識的な参加によるものになるということです。それはすなわち社会的な物質代謝を人間が意識的に管理・統制する、出来るということでもあります。これがまた労働が直接社会化されるということの内容でもあるのです。だからこそ、人間は自分たちの社会的関係を自分たち自身から疎外された形態で持つことはなくなり、だからまた人間による人間の支配や隷属の関係もなくなり、人間は自分たちの社会的行為そのものを、何か外的な第三者や物的関係によって代表させ、それによって逆に支配され統制されるようなこともまた無くなるということでもあるのです(だから社会は彼ら自身のもの、彼らが自覚的に取り結ぶものになるわけですから、彼らの社会的関係は、私的なものと公的なものにも分裂せず、物象的関係としての生産諸関係と政治的諸関係としても分裂せず、だからまた当然、国家も無くなります)。こうして人間は初めて彼らが生産において手にする社会の共有物である生産諸手段を、同時に社会的人間である各人自身に属するものとして、すなわち個人的な所有物としても対処し、だからまたそれらを単なる諸道具としてそれらの主人公になり、生産諸手段に隷属させられるということもなくなるのです。そして労働は依然として必然の領域にあるとはいえ、それ自体が人間の本質力を発現するものとなり、それによって人間は自身の個性を豊かにし全面的な発達を促すものとなり、自己実現の過程になるのです。かくして人間は、その前史を終え、自分たちの歴史を意識的に歩む、その本史を開始するようになるのです。社会主義とはその偉大な歴史の端初をなすものではないでしょうか。

 そもそも社会的な生産や分配が、直接労働時間をもとに組織され得るということは、このように、人間の労働が直接社会化されたものとして支出されるからに他ならないのです。人間は前もって自分たちの労働を社会の総労働の一部分として自覚的且つ意識的に支出し、社会の総労働の一部分を担うのであり、だからこそ、彼らの労働はその支出される前にすでに彼ら自身の一定の計画のもとに直接社会的に結びつけられており、彼がどの時間になにをするかということは前もってハッキリしているのです。まさに社会的な生産がこうしたものになるからこそ、社会的な分配も意識的に労働時間にもとづいて行うことが出来るようになるのです。こうしたことを確認することこそもっとも重要なことではないでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【付属資料】(但し、本文で紹介したものは省略します。)

 

●第1パラグラフ

 

《経済学批判要綱》

 〈さらに、貨幣のいろいろの文明化された形態--金属貨幣、紙幣、信用貨幣、労働貨幣(これは社会主義的形態のものとしての)--は、貨幣という範疇で表現されている生産関係そのものを止揚することなしには、これらさまざまの形態から期待されるものを達成することができるかどうか、またそのばあい他方では、ある関係の形式的な転形によってこの関係の本質的諸条件をのりこえようとすることは、やはりまた自分自身を台無しにしてしまう要請ではないかどうかということが、さらに研究されるべきである、というよりもむしろ、そのことが、一般的な問題となる。これらのいろいろな貨幣の形態はそれぞれ社会的生産の異なる諸段階によりよく照応し、そのある形態は、他の形態では手に負えなくなった弊害を除去できるかもしれない。しかし、どのような諸形態であっても、それらがあくまで貨幣の諸形態であるかぎり、そして貨幣があくまで本質的な生産関係であるかぎり、それらは、貨幣の関係に内在する諸矛盾を止揚できるわけではなく、ただそれらの諸矛盾をあれやこれやの形態で表出することができるだけである。どのような形態の賃労働も、そのある形態は、他の形態の弊害を克服できるかもしれないが、賃労働そのものの弊害を克服することはできない。ある挺子は、他の梃子よりもよく静止物体の抵抗にうちかつことができるかもしれない。だがどんな挺子も、抵抗がなくならないという事情のうえに成り立っている。他の生産諸関係にたいする流通の関係についてのこの一般的な問題は、もちろん最後になって初めて提出できるものである。プルドンとその仲間たちが、この問題を一度もその純粋なかたちでだすことをしないで、ただときおりそれについて大げさな叫ぴ声をあげている点には、初めから疑惑がなくならない。この問題に触れた場所では、そのつどよく気をつけておかなければならないであろう。〉(草稿集①81-2頁)

《経済学批判》

 〈貨幣の分析におけるおもな困難は、貨幣が商品そのものから発生するということが理解されれば、たちまち克服される。この前提のもとでなおまだ問題となるのは、貨幣の固有な形態規定性を純粋に把握することだけであるが、これは、すべてのブルジョア的諸関係が金めっさされたり銀めっきされて貨幣関係として現われ、したがって貨幣形態が、それ自身とは疎遠な、無限に多様な内容をもっているように見えるので、かなり困難にされるのである。
 以下の研究でかたく守っておかなければならないことは、商品の交換から直接に発生する貨幣の諸形態だけを問題にし、生産過程のもっと高い段階に属する貨幣の諸形態、たとえば信用貨幣のようなものは問題にしない、ということである。ことを簡単にするために、どんな場合でも金が貨幣商品であるとしておく。〉(全集13巻47-8頁)

《初版》

 〈簡単にするために、本書ではどこでも、金を貨幣商品として前提することにする。〉(江夏訳82頁)

《補足と改訂》

 〈               [3 8 ]第3章
               貨幣または商品流通
1)価値の尺度。(価格。価格の度量基準。価格の一般的上昇と下落。貨幣の計算名と計算貨幣。価値の大きさと価格のあいだの量的不一致。それらの質的不一致。商品の単なる観念的な価値形態としての価格。)〉(大黒訳34頁)


《フランス語版》

 〈簡単にするために、金が貨幣の機能を果たす商品であると前提しよう。〉(江夏他訳71頁)

 

●第2パラグラフ

 

《初版》 初版では第2と第3が一つのパラグラフとなっているので、次のパラグラフで紹介する。

《補足と改訂》

 〈[A]
[ 3 6 ]第3章貨幣または商品流通
A. 価値の尺度


p. 5 5) 1)すべての商品価値の金での表現をとうして、金は一般的価値尺度になる。あるいは、金は同名の大きさとして--質的に等しく量的に異なるものとして--商品価値の表現に役立つ。その限りにおいて、価値尺度は一般的等価物の別名でしかない。しかし、等価物商品はさまざまな機能を行ない、それらの機能がそれにちょうどそれだけの異なった形態を押し付ける。等価物商品の第一の、われわれにとってただ一つ知られている機能において、それは商品世界の価値表現のために唯一の材料を提供するだけであり、そして、そのことゆえにのみ価値尺度という性格をもつのである。それゆえ、特殊な等価物商品たとえば金は、価値の一般的尺度としてのその機能によってのみ、さしあたり、貨幣となる。
 p. 5 5) 2) 諸商品はみんな一緒にその価値を同じ第三の商品で測ることが出来る。
(46) 3)他方、価値形態の発展は、商品の内的な価値尺度、人間的労働が必然的に一つの外的価値尺度、つまり貨幣のこの姿態を取らざるを得ない、ということを証明している。(注45)〉(35-6頁)


 〈[B]
[3 9 ]第三章
貨幣または商品流通
1 )価値の尺度


p. 5 5) 1)金の第ーの機能は、商品世界にその価値表現の材料を提供すること、すなわ(47)ち、諸商品の価値を、質的に等しく量的に比較可能な同名の大きさとして表わすことにある。こうして金は、価値の一般的尺度として機能する。金、この独自な等価物はこの機能によってはじめて、なによりもまず貨幣となる。

2) ++すべての商品はその価値を同じ独自なー商品で共同ではかり、...〉(36-7頁)

《フランス語版》

 〈金の第一の機能は、諸商品全体にたいして次のような材料を提供することにある。すなわち、その材料は、諸商晶の価値が同じ名称の大きさとして、同等な質の大きさとして、しかも量という関係のもとで比較可能な大きさとして、表現されるような材料である。したがって、金は価値の普遍的尺度として機能する。等価物商品である金は、この機能によって貨幣になる。〉(71頁)

 

●第3パラグラフ

 

《経済学批判》

 〈労働時間が金と商品とのあいだの尺度であり、そして金はすべての商品が金で測られるかぎりでだけ価値の尺度となるのであるから、あたかも貨幣が諸商品を通約可能なものとするように見えるのは、流通過程のたんなる外見にすぎない。むしろ対象化された労働時間としての諸商品の通約性こそが、金を貨幣とするのである。〉(全集13巻50頁)

《初版》

 〈諸商品が自分たちの一般的な相対的価値表現を金で受け取ることによって、金は、諸商品に対立して価値の尺度として機能する。諸商品は、貨幣に依拠して通約可能になるわけではない。逆である。すべての商品は、価値としては対象化された人間労働であり、したがってそれら自体として通約可能であるから、それらはどれも、なんらかの第三の一商品で自分たちを測ることができるし、そうすることによって、この第三の一商品を、自分たちの共同の価値尺度すなわち貨幣に転化させることができるわけである。価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的な価値尺度の、労働時間の必然的な現象形態なのである(45)。〉(82頁)


《フランス語版》

 〈諸商品は、貨幣によって通約可能になるのではない。その逆である。諸商品は、価値としては具現化された労働であり、したがって相互に通約可能であるから、それらの価値をいっさい一まとめに特殊な一商品で測って、この特殊な一商品を、貨幣に転化することができる、すなわち、それらの共通な価値尺度にすることができるのである。だが、貨幣をもってする価値尺度は、諸商品の内在的な尺度である労働時間を必然的に帯びていなければならない形態なのである(1)。〉(71頁)

 

●注50

 

《経済学批判》

 〈労働時間が価値の内在的尺度であるのに、なぜそれとならんでもうひとつの外在的尺度があるのか? なぜ交換価値は価格に発展するのか? なぜすべての商品は排他的な一商品でその価値を評価し、こうしてこの商品が交換価値の十全な定在に、貨幣に転化されるのか? これこそグレーの解決しなければならなかった問題であった。これを解決するかわりに、彼は商品は社会的労働の生産物として直接互いに関係しあうことができる、と想像する。だが諸商品は、ただそれらがあるがままのものとしてだけ互いに関係しあえるにすぎない。諸商品は、直接には個別化された独立の私的労働の生産物であって、これらの私的労働は、私的交換の過程でのその外化によって、一般的社会的労働であるという実を示さなければならない。すなわち、商品生産を基礎とする労働は、個人的労働の全面的な外化によってはじめて社会的労働となるのである。ところがグレーは、商品にふくまれている労働時間を直接に社会的なものと想定するのだから、彼はそれを共同体的な労働時間、つまり直接に結合された諸個人の労働時間だと想定することになる。そうだとすると、実際上、金や銀のような独特な一商品が、一般的労働の化身として他の諸商品に対立することはできないし、交換価値は価格とはならないであろう。だが使用価値も交換価値にならず、生産物は商品とならず、こうしてブルジョア的生産の基礎が揚棄されてしまうであろう。しかし、グレーの意見は、けっしてこうではない。生産物は商品として生産されなければならないが商品として交換されてはならない、というのである。グレーは、この敬虔な願望の達成を国民銀行にまかせる。社会は一方では、銀行のかたちで個人を私的交換の諸条件から独立させ、他方では、同じ個人に私的交換の基礎のうえで生産をつづけさせる。しかしグレーは、ただ商品交換から発生する貨幣を「改良」しようとしただけなのに、内面的に首尾一貫させようとして、彼はブルジョア的生産諸条件をつぎからつぎへと否定することになった。こうして彼は、資本を国民資本に、土地所有を国民的所有に転化させる。そして彼の銀行をこまかく観察すると、それは一方の手で商品を受け取り、他方の手で提供された労働にたいする証明書を発行するだけでなく、生産そのものも統制していることがわかる。グレーはその最後の著作『貨幣にかんする講義』で、小心翼々として彼の労働貨幣が純粋にブルジョア的な改良だ、と述べようとしているが、もっとひどい矛盾におちいっている。
 どの商品もみな直接に貨幣である。これこそグレーの不完全な、したがってまちがった商品の分析からみちびきだされた理論であった。「労働貨幣」と「国民銀行」と「商品倉庫」〔Warendock〕との「有機的」組立ては、この独断を世界を支配する法則だとまことしやかにふれこむ夢想にすぎない。商品が直接に貨幣であるとか、あるいは商品にふくまれている私的個人の特殊的労働が直接に社会的労働であるという独断は、もちろん、ある銀行がこれを信じ、それにしたがって営業するからといって、真実となるものではない。こういう場合には、むしろ破産が実践的な批判の役割を引き受けるであろう。グレーにあってはかげに隠れており、ことに彼自身気づかずにいたこと、すなわち労働貨幣とは、貨幣を、貨幣とともに交換価値を、交換価値とともに商品を、商品とともに生産のブルジョア的形態をまぬかれようという敬虔な願望を、経済学的にひびく空語であらわしたものであることは、グレーに前後して筆をとった二、三のイギリスの社会主義者たちによって率直に言明されている。ところが、貨幣の聖職剥奪と商品の昇天こそが社会主義の核心であると大まじめに説教し、これによって社会主義を商品と貨幣との必然的関連についての根本的な誤解に解消してしまうということが、プルードン氏と彼の学派にとっておかれた役目であった。〉(全集67-69頁)

《初版》

 〈(45)なぜ貨幣が労働時間そのものを直接に代表しないのか、したがって、たとえば一枚の証紙がx労働時聞を表わすことにならないのか、という問いは、全く簡単に、なぜ商品生産の基礎上では労働生産物が商品として現われなければならないか、という問いに帰着する。なぜならば、商品の表示は、商品と貨幣商品とへの商品の二重化を含んでいるからである。あるいは、なぜ私的労働は、直接的に社会的な労働として、自分の反対物として、取り扱われることができないのか、という間いに帰着する。商品生産の基礎上での「労働貨幣」という浅薄なユートピア主義について、私は別のところで、もっと詳しく論じておいた。(カール・マルクス、前掲書〔『経済学批判』〕、61ページ以下。)なおここで注意しておくが、たとえばオーウェンの「労働貨幣」が「貨幣」でないことは、たとえば劇場の切符がそうでないのと同じである。オーウェンは、直接的に社会化された労働を、商品生産とは正反対の生産形態を、前提にしている。労働証明書は、共同労働における生産者の個人的な分担分と、共同生産物中の消費充当分にたいする生産者の個人的な請求権とを、確認しているにすぎない。ところが、一方では商品生産を前提にしておきながら、他方ではそれの必然的な諸条件を貨幣の小細工によって回避しようなどとは、オーウェンには思いもつかぬことである。〉(82-3頁)

《フランス語版》

 〈(1) なぜ貨幣が、たとえば一枚の証紙がx時間の労働を代表するように労働時間そのものを直接に代表しないか、という問題を提出することは、ただたんに次のことに帰着する。すなわち、商品生産が与えられれば、なぜ労働生産物が商品形態をとらなければならないか? あるいはまた次のことにも帰着する。すなわち、なぜ私的労働は直接に社会的労働として、すなわち自己の反対物として取り扱うことができないか? 私は別の箇所で、現在の生産環境のなかでの「労働貨幣または労働手形」という空想を、いっそう詳細に説明しておいた(『経済学批判』、61ぺージ以下)。なおここで注意しておくが、たとえばオーウェンの労働手形は、劇場の切符と同じく貨幣ではない。オーウェンはまず社会化された労働を、商品生産とは正反対の生産形態であるものを、前提としている。彼にあっては労働証券は、共同労働にたいする生産者の個別的参加分と、共同生産物中消費に充てられる部分にたいする生産者の個別的請求権とを、確認しているにすぎない。一方で商品生産を前提し、他方でその不可避的な諸条件を貨幣の不細工な継ぎ当てによって回避しようとすることなど、オーウェンの思いもつかぬところである。〉(71-2頁)

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お知らせ

2012-12-14 10:57:52 | 『資本論』

お知らせ

 

 

 既報のように、「『資本論』を読む会」は第50回を持って終わり(『資本論』も第2章を終えたところでストップ)、ブログの更新は、それ以降、まったくやっておらず、またやる予定も無かったのですが、最近、ブログの編集画面に次のようなメッセージが届くようになりました。

 

 【お客様のブログは未更新のため、あと ○○日でテンプレートが切り替わります。】

 

 どうやらブログが勝手に変更されて、広告が画面に一杯出るようなものに変えられてしまうらしいのです。60日間未更新の場合は、このようにサイトを運営する会社が勝手にブログを変更するルールがあるらしいことが分かりました。

 

 さあ、これは困ったことになりました。というのは、このサイトは、更新はしていないものの、毎日の訪問者や閲覧数は少なくないからです。例えば12月8日(土)の訪問者は一日で59人(これはランキングでは「28578 位  /  1797151ブログ 」というものらしいです)、閲覧数は206を数えました。つまりこのブログを利用して頂いている方は結構いらっしゃるということです。

 

 だから出来れば、ブログは今のままで維持したいと考え、仲間と相談した結果、例え少しずつでも、更新を続けることにしました。つまり『資本論』の第3章の内容について、「学習会の報告」という形式はとれませんが、ワンパラグラフごとの解説と資料の提示ぐらいは出来るだろうと考えたわけです。ブログ担当の亀仙人の責任で二カ月に一回ぐらいのペースで数パラグラフごとにやってゆきたいと思います。

 

 というわけで、「『資本論』学習資料」の第1回(通算第51回)は、来年早々から開始することを、取り急ぎお知らせして、とりあえず、今回は、「テンプレート切り換え」を避けるための便宜的な「更新」としたいと思います。

 

 乞ご期待!

 

 

 

 

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第50回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-10-12 17:25:06 | 『資本論』

第50回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

 

◎第50回で閉会します

 殘念ながら、「『資本論』を読む会」は第50回をもって終えることにしました。

 2008年2月から開始してほぼ4年半、ようやく第2章を終えるところまでこぎ着けました。しかし、この間、新しい参加者は僅か1人、しかもその人も体調のこともあって足が遠ざかり、最初の参加メンバーからも脱落者があったりして、最近は寂しい状態が続いていました。

 そして何よりも、この学習会を立ち上げた中心メンバーであるピースさんが自らに降りかかった解雇攻撃との闘いに忙殺されるという状態になり、学習会を維持していくことが困難になってしまったのです。何を隠そう、第45回案内で紹介した、不当な思想弾圧を受けた教育労働者こそピースさんその人なのです。

 そこで第2章を終えたこともあり、50回という一つの区切りのよい機会でもあるので、これをもって学習会を閉じることに決定した次第です。

 まことに勝手ではありますが、この学習会に参加はされなくても、ブログ等を通じてご注目頂いてきた皆様には、ご勘弁頂くようお願い申し上げます。

 第50回の案内が出ないことを訝しく思われた方もあったかと思いますが、そういうこともあって、すでに閉鎖を決めたものに、「『資本論』を読んでみませんか」と参加を呼びかけるのも憚れたので、案内は作成せず、最後の学習会は9月30日、出発メンバーの一部だけで開催することにした次第です。しかし、間の悪いことに、当日は17号の台風の接近で大阪府に暴風警報が発令され、図書館が休館になってしまい、やむなく中止しました。よって第50回は日程を変更して、10月2日、案内も出さない学習会であるという事情を考えて、改めて会館を借りずに、メンバーの個人宅で行いました。

 そういうわけで、とにかく第2章の締めくくりの第50回の「『資本論』を読む会」は変則的ながら、開催しましたので、その最後の報告を行いたいと思います。

◎第15パラグラフ

 今回は第2章の最後に残された第15・16の二つのパラグラフを学習しました。報告はこれまでと同じように、まず本文を掲げ(青太字)、文節ごとに記号を付けて、それぞれの平易な書き下し文を記し(太字)、それに関連した解説を加え、その中で議論の内容も紹介するという手順で行います。まず本文です。

【15】〈(イ)先に指摘したように、一商品の等価形態はその商品の価値の大きさの量的規定を含んではいない。(ロ)金が貨幣であり、したがって他のすべての商品と直接的に交換されうるものであることを知っても、それだからといって、たとえば一〇ポンドの金の価値がどれだけであるかはわからない。(ハ)どの商品もそうであるように、貨幣〔*〕はそれ自身の価値の大きさを、ただ相対的に、他の諸商品によってのみ、表現することができる。(ニ)貨幣〔*〕自身の価値は、その生産のために必要とされる労働時間によって規定され、等量の労働時間が凝固した、他の各商品の量で表現される(48)。(ホ)貨幣〔*〕の相対的価値の大きさのこうした確定はその産源地での直接的交換取引の中で行われる。(ヘ)それが貨幣として流通に入る時には、その価値はすでに与えられている。(ト)すでに一七世紀の最後の数十年間には、貨幣分析のずっと踏み越えた端緒がなされていて、貨幣が商品であるということが知られていたけれども、それはやはり端緒にすぎなかった。(チ)困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある(49)。〉
〔* カウツキー版、ロシア語版では「金」となっている〕

 (イ) 先に指摘しましたように、一商品の等価形態は、その商品の価値の大きさの量的規定を含んでいません。

 ここで〈先に指摘したように〉とあるのは、第1章第3節Aの「三 等価形態」の次の一文を指すと考えられます。

 〈ある一つの商品種類、たとえば上着が、別の一商品種類、たとえばリンネルのために、等価物として役だち、したがってリンネルと直接に交換されうる形態にあるという独特な属性を受け取るとしても、それによっては、上着とリンネルとが交換されうる割合はけっして与えられてはいない。この割合は、リンネルの価値量が与えられているのだから、上着の価値量によって定まる。上着が等価物として表現され、リンネルが相対的価値として表現されていようと、または逆にリンネルが等価物として表現され、上着が相対的価値として表現されていようと、上着の価値量は、相変わらず、その生産に必要な労働時間によって、したがって上着の価値形態にはかかわりなく、規定されている。しかし、商品種類上着が価値表現において等価物の位置を占めるならば、この商品種類の価値量は価値量としての表現を与えられてはいない。この商品種類は価値等式のなかではむしろただ或る物の一定量として現われるだけである。〉(全集23a75-6頁)

 (ロ) 金が貨幣であり、よって他のすべての商品と直接に交換されうるものであることを知っても、それだからといって、例えば10ポンドの金の価値がどれだけかは分かりません。

 10ポンドという金の物的な量は、金でその価値を表す(だから価格として表示される)商品、例えばリンネルの価値の大きさを10ポンドという金の重量で表しているわけです。だからそれは金そのものの価値の量的表現ではないわけです。

 (ハ) どの商品もそうですが、貨幣(金)はそれ自身の価値の大きさを、ただ相対的に、よって他の諸商品の助けを借りて、表現しうるのみです。

 第1章第3節Cの「2 相対的価値形態と等価形態との発展関係」には次のようにあります。

 〈反対に、一般的等価物の役を演ずる商品は、商品世界の統一的な、したがってまた一般的な相対的価値形態からは排除されている。もしもリンネルが、すなわち一般的等価形態にあるなんらかの商品が、同時に一般的相対的価値形態にも参加するとすれば、その商品は自分自身のために等価物として役だたなければならないであろう。その場合には、20エレのリンネル=20エレのリンネル となり、それは価値も価値量も表わしていない同義反復になるであろう。一般的等価物の相対的価値を表現するためには、むしろ形態IIIを逆にしなければならないのである。一般的等価物は、他の諸商品と共通な相対的価値形態をもたないのであって、その価値は、他のすべての商品体の無限の列で相対的に表現されるのである。こうして、いまでは、展開された相対的価値形態すなわち形態IIが、等価物商品の独自な相対的価値形態として現われるのである。〉(同前93頁)

 すべての商品の価値は、商品に内在的なものですから、直接には目にすることは出来ません。商品の直接的な定在はその使用価値だからです。だからすべての商品は、その内在的な価値を目に見えるように表すためには、他の諸商品の直接的な定在であるそれらの使用価値を使って(助けを借りて)表す以外にありません。つまり「相対的に」表すしかないのです。目に見えるということは、直接的なものになるということです。「価値形態」というのは、本来内在的なものである「価値」を「形態」あるものに、つまり「形ある状態」にする、あるいはなったものということです。商品の価値は、それ自体としてはまったく姿形も分からない抽象的で本質的なものです。だからそれが具体的な姿をとって現象するようにしたのが、価値形態、すなわち価値の現象形態(交換価値)なのです。

 (ニ) 貨幣(金)自身の価値は、他の諸商品と同じように、その生産のために必要とされる社会的に必要な労働時間によって規定されます。だからそれと同じ大きさの労働時間が凝固した、他の諸商品の使用価値の量によって、金の価値も量的には表されなければならないのです。

 (ホ)(ヘ) 貨幣(金)の相対的価値の大きさかがこのような形で確定されるのは、金が生産される場所における直接的な交換取引(物々交換)の中でです。そしてそれが貨幣として流通に入る時には、すでにその価値は与えられたものとして存在しているのです。だから、それは決して流通のなかで与えられるのではありません。

 この点について、『経済学批判』には、次のようにあります。

 〈金は、他のすべての商品と同様に、その原産地では商品である。金の相対的価値と鉄やその他すべての商品の相対的価値とは、そこでは、それらが互いに交換される量であらわされる。しかし流通過程では、この操作は前提されており、商品価格のうちに金自身の価値はすでにあたえられている。だから、流通過程の内部で金と商品とは直接的交換取引の関係にはいり、したがってそれらの相対的価値は、単純な商品としてのそれらの交換によって確かめられる、という考えほどまちがったものはない。流通過程で金がたんなる商品として諸商品と交換されるように見えるとしても、この外観はたんに、価格で一定量の商品がすでに一定量の金と等置されているということ、すなわち一定量の商品がすでに貨幣としての、一般的等価物としての金に関係しており、それだからこそ直接に金と交換できるということから生じるのである。一商品の価格が金で実現されるかぎりでは、その商品は、商品としての金、労働時間の特殊な物質化したものとしての金と交換される。だが、金が、金で実現される商品の価格であるかぎりでは、その商品は、商品としての金ではなく、貨幣としての金、すなわち労働時間の一般的な物質化したものとしての金と交換される。しかし、二つの関係のどちらでも、流通過程の内部で商品と交換される金の量が交換によって規定されるのではなく、交換が商品の価格、すなわち金で評価されたその交換価値によって規定されるのである。〉(全集13巻73頁、下線はマルクスによる強調)

 また少し先走りしますが、『資本論』からも紹介しておきましょう。

 〈金銀の流れの運動は二重のものである。一方では、金銀の流れはその源から世界市場の全面に行き渡り、そこでこの流れはそれぞれの国の流通部面によっていろいろな大きさでとらえられて、その国内流通水路にはいって行ったり、摩滅した金銀鋳貨を補填したり、奢修品の材料を供給したり、蓄蔵貨幣に凝固したりする。この第一の運動は、諸商品に実現されている各国の労働と金銀生産国の貴金属に実現されている労働との直接的交換によって媒介されている。他方では、金銀は各国の流通部面のあいだを絶えず行ったり来たりしている。それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である。〉(前掲189頁、下線は引用者)

 (ト)(チ) すでに17世紀の最後の数十年間には、貨幣分析のずっと踏み込んだ端緒がなされていて、貨幣が商品であることは知られていました。しかし、それはやはり端緒に過ぎなかったのです。困難は、貨幣が商品であるということを理解する点にあるのではなく、どのうよにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にあるのです。

 貨幣が商品であるという理解に達していた諸説の例は、第14パラグラフにつけられた原注45で紹介されていました。それらの引用文とその著者のそれぞれの人名索引の解説をつけて、もう一度、書き出して見ましょう。

 ・〈「われわれが貴金属という一般的名称で呼ぶことのできる銀や金そのものは・・・・価値が・・・・上がったり下がったりする・・・・商品である。・・・・そこで、そのより小さい重量でもってその国の生産物または製造品のより大きい量が買われるのならば、貴金属の価値は高くなったものとみなされる」〔S・クレマント〕『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念に関する一考察。一商人著』、ロンドン、一六九五年……

 (クレメント,サイモンClement,Simonイギリスの商人。)

 ・「銀や金は、鋳造されていてもいなくても、他のすべての物の尺度として用いられるけれども、ワイン、油、タバコ、布や織物と同じく一つの商品である」〔J・チャイルド〕『商業、ことに東インド貿易に関する考察』、ロンドン、一六八九年……

 (チャイルド,サー・ジョサイアChild,SirJosiah(1630-1699)イギリスの商人,経済学者,重商主義者.高利貸資本に反対する「商業および産業資本の先駆者」,「近代的銀行業者の父」(マルクス)。)

 ・「厳密に言えば、王国の資産と富を貨幣に限定するのは適切でないし、金や銀を商品ではないとすべきではない」〔Th・パピロン〕『東インド貿易は最も有利な貿易である』、ロンドン、一六七七年……〉

 (パピロン,トマスPapillon,Thomas(1623-1702)イギリスの商人,政治家,国会議員,東イソド会社の支配人のひとり。)

 原注では、この順序に引用文が紹介されていましたが、これを見ると、マルクスは17世紀の最後の数十年間のなかでも、もっとも最近のものから歴史を遡って紹介していたことが分かります。これらが貨幣分析の端緒だったというわけです。

 そしてその次に書かれている一文(困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある)が久留間鮫造氏によって、『資本論』の第1章第3節(どのようにして)、第4節(なぜ)、第2章(何によって)のあいだの関連を説明するものとして、問題提起されたことによって、極めて有名になったものです(『価値形態論と交換過程論』)。果たして久留間氏のようにこの一文に着目して、こうした『資本論』の一連の展開を説明することが、あるいはそれで説明可能だとすることが、妥当なのでしょうか。この問題については、すでに何度も論じてきたので(例えば第1回、第32回、第36回等々を参照)、ここで改めて取り上げる必要はないかも知れませんが、やはりこの問題は、これまで多くの人たちによって取り上げられ、論争にもなってきた問題なので、もう一度、論じておきましょう。

 ただ、私たちは、その久留間説を評価するためにも、そもそもこの第15パラグラフでは、全体としてマルクスは何を論じているのか、このパラグラフの本来の課題は何か、という問題から考えてみることにしましょう。というのは、久留間氏の問題提起が、あまりにも強い影響力があるために、あたかもこのパラグラフの課題は最後の文節で言われていることにあるかに思い込んでいる人がいないとも限らないからです。

 果たしてマルクスがこのパラグラフで言いたかったことは、〈困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある〉ということなのでしょうか。私にはどうしてもそのように思えないのです。というのは、もし、そうしたことがこのパラグラフでマルクスが言いたいことなら、どうしてマルクスは、等価形態にある商品の価値の大きさの量的規定という問題から話を始めているのでしょうか。その説明がなかなかつかないのです。

 そうではなく、マルクスがこのパラグラフで中心に述べていることは、文節記号でいうと(ホ)で述べていることではないかと考えます。つまり貨幣としての金の価値の大きさは、産源地での他の諸商品との直接的な交換取引の中で確定されるのだということです。だから貨幣として、現実に流通にある金の価値は、すでに与えられたものとして前提されているのであって、流通過程の内部でも金と商品とが直接的な交換取引の関係に入って、それによってそれらの相対的価値がそれらの相互の交換によって確かめられるなどと考えるのは間違いなのだ、ということです。これは先に紹介した『経済学批判』の一文を良く吟味すれば分かります。

 だから17世紀の最後の十数年間における貨幣分析のなかで、当時の商人や経済学者たちが貨幣が商品であるとの理解に達していたとしても、彼らがそうした正しい認識に達していたというのではないのだということです。マルクスが〈それはやはり端緒にすぎなかった〉と述べているのはそういう意味ではないかと思います。つまり彼らはすでに金が貨幣として流通している現実を前提したうえで、そこで貨幣としての金と他の諸商品とが交換される現実を見て、それをあたかも直接的な交換取引と見立ててそうした主張をしているに過ぎないのですが、しかし、そうした理解そのものは決して正しいものではないのだ、というのがマルクスが言わんとすることではないでしょうか。

 つまり貨幣としての金が、他の諸商品と同じ一つの商品として登場するのは、あくまでも金の産源地においてのみであるということです。そうしたことを理解した上で、17世紀の最後の十数年間の商人や経済学者たちが貨幣は商品であると理解していたわけでは無かったということです。そうしたことを理解するためには、〈どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのか(商品が貨幣になるのか)〉、つまり「商品の貨幣への転化」を論じたこの第2章でマルクスが展開してきたように論証する必要があるのだ、ということではないかと思います。

 だから、久留間氏が注目した最後の二つの文節((ト)(チ))で述べていることは、このパラグラフ全体でマルクスが中心に言いたいことから見れば、ある意味では、副次的な、あるいはそれを補強するようなものでしかないといえるのではないでしょうか。

 なぜ、マルクスがこうした貨幣としての金の価値の量的確定という問題を、ここで論じているのでしょうか。それは貨幣としての金が、他のすべての商品と同じように、一つの商品として現れ、他の諸商品と互いに交換される量によって、その価値の量的規定が確定されるのは産源地という特殊な交換過程の問題だからです。こうした産源地における金の他の諸商品との直接的交換取引というものは、全体の商品交換の過程からみるなら、極めて特殊なものですが、しかし、それもやはり交換過程の問題であることは確かでしょう。だからこそマルクスは、交換過程の最後あたりで、その特殊な交換過程の果たす役割として貨幣としての金の価値量の確定という問題を取り上げているのではないでしょうか。

 さて、その上で、それでは久留間氏の問題提起に戻りましょう。これまでの考察を前提して、最後の文節((チ))の内容をもう一度吟味してみましょう。まず〈貨幣が商品であることを理解する〉というのは、厳密にいえば正しいとはいえなくても、比較的容易なことであって、〈すでに一七世紀の最後の数十年間〉に〈貨幣分析〉の〈端緒がなされ〉るなかでも指摘されてきたことです。しかし本当に困難なのは、そうしたことではなく、〈どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある〉とマルクスは言います。まずここで、〈商品が貨幣である〉とは、一体、どういうことなのでしょうか。フランス語版では,この部分は〈困難は、貨幣が商品であることを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか、を知ることである〉となっており、〈商品が貨幣になる〉と書かれています。また〈どのようにして、なぜ〉としか問われていません。フランス語版の場合は、ドイツ語版の初版や第二版に較べて、平易化する配慮がなされていることを考慮したとしても、ここでマルクスが述べていることは、貨幣が商品あるということより、商品が貨幣になるのはどうしてかを理解するこの方が困難であり、またそれこそが貨幣の何であるかを知ることになるのだ、ということではないでしょうか。

 だから〈商品が貨幣である〉というのは、フランス語版のように、文字通り商品がどのようにして貨幣になるのかを知ることだということだと思います。以前、第2章の位置づけや課題について、次のように論じたことがありました。

 〈「第1篇 商品と貨幣」は「第1章 商品」と「第2章 交換過程」、「第3章 貨幣または商品流通」からなっています。この構成をみれば、第1章では商品とは何かが解明され、第3章では貨幣の諸機能と商品流通における諸法則が解明されることが明らかになり、第2章は、第1章と第3章を媒介する章であることが分かるのです。……
 
 そして第2章が第1章と第3章を媒介する章であるとの位置づけが分かれば、それが短いのに一つの章として第1章と第3章と対等の位置に置かれているという理由も分かると思います。それは例えば第2篇には、一つの章しかなく、しかも分量としては短いものであるのに、第1篇や第3篇と対等の位置にどうして位置づけられているのかという理由と同じ理由なのです。第2篇の表題は「貨幣の資本への転化」ですが、これはまさに第1篇と第3篇を媒介する篇であることをその表題そのものが示しているといえるでしょう。だから同じような位置づけで考えるなら、「第2章 交換過程」は、内容からいえば、いわば「商品の貨幣への転化」とでも言えるような位置にあると考えられるわけです。……〉(第33回報告)

 〈だからこの第3節は確かに貨幣に言及し、貨幣形態の発生を立証しているわけですが、しかし、それはあくまでも商品とは何か(それが第1章の課題です)を明らかにする一環としてそうしているのだということ、商品とは何かを明らかにするために、商品にはどうして値札が付いているのかを説明するためのものだという理解が重要なのです。同じように貨幣の発生を説明しているように見える「第2章 交換過程」が、第1章の商品論を前提にして、商品がその現実の交換過程において、如何にして貨幣へと転化するのかを解明するものであり、それによって第1章と第3章とを媒介するものであるという、その役割や位置づけにおける相違も分かってくるのです。〉(第44回報告)

 〈(1)まず第1章では商品は、二重の観点で観察され、ある時は使用価値の観点のもとに、他の時は、交換価値の観点のもとに、分析されたのですが、しかし第2章では、商品はひつの全体として、すなわち使用価値と交換価値との直接的な統一物として考察されるということです。つまり第1章では、その限りでは商品は抽象的に取り上げられたのですが、第2章では、商品はより具体的なものとして取り上げられることが分かります。だから諸商品の相互の現実の関係、つまり諸商品の交換過程が考察の対象になるというわけです。
 
 (2)そしてそうすると、商品はそうした使用価値と交換価値との直接的な統一物としては、直接的な矛盾だとも指摘されています。第1章では商品の二要因である使用価値と交換価値(価値)とは、互いに対立するものとして考察されました。これに対して、第2章では、そうした対立物の直接的な統一として商品は考察されるために、諸商品は直接的な矛盾だというのです。矛盾ということは、諸商品が、使用価値として存在する場合、あるいは交換価値として存在する場合、それらは互いに前提し合いながらも、同時に排斥し合う関係にもあるということです。第2章では、現実の諸商品の相互の関係が、こうした直接的な矛盾として分析されることが指摘されています。そしてその矛盾が現実に解決されていく過程こそが、すなわち貨幣の発生過程でもあるというわけです。だから第2章は現実の諸商品の交換過程において、如何にして商品は貨幣へと転化するのかを解明するものでもあるといえるでしょう。
 
 (3)そしてまた商品の現実の関係である交換過程においては、互いに独立した諸個人、すなわち商品所有者が入り込む社会的過程でもあると指摘されています。つまり商品は第1章に比べてより具体的に考察されるわけですが、それは使用価値と交換価値との直接的な統一物として考察されるだけではなく、第1章では捨象されていた、それらの諸商品の所有者が新たに考察の対象に入ってくるということです。〉(第45回報告)

 〈しかし、これらの三つの矛盾の相互の関係を論じるまえに、そもそもどうして交換過程では、こうした矛盾が論じられているのでしょうか。まずそれから考えましょう。
 
 それを考えるためには、もう一度、第1章「商品」との関連で、第2章「交換過程」の課題を明確に掴む必要があります。
 
 これについては、一度詳しく論じたことがあります(第44回報告)。そこでは次のように説明しました。第1章「商品」は、商品とは何かを明らかにすることでした。確かに第1章ではリンネルや上着やコーヒーや鉄や金など、さまざまな商品が登場してそれらの関係が考察されたのですが、しかしこれらはあくまでも商品とは何かを明らかにすることが目的なのです。もちろん、商品とは何かを明らかにするということは、その商品がリンネルであろうが、上着であろうが何でも良かったのですが、しかし問題は、あくまでも商品とはそもそも何かを明らかにすることでした。そしてその商品の何たるかを解明するためには、商品は自らの価値を具体的に表す存在でなければならないこと、それを商品は貨幣形態、つまり価格という形で表していることをマルクスは明らかにしたのです。だからリンネルと上着との価値関係やリンネルと他の諸商品との展開された価値形態など、さまざまな諸商品との関係が考察されたのも、そもそも商品にはどうして価格が、すなわち値札が付けられているのか、そうしたことを明らかにするために商品の価値の表現形態としての貨幣の発生を論証したのでした。
 
 しかし重要なことは、そうした一連の諸商品の価値関係や価値形態の考察も、あくまでも、そもそも商品とは何かを解明するためであったということです。だから第1章では、商品はそれ自体として存在するもの、つまりその姿においてだれもが商品として分かる物的存在として、すなわち一つの現存在として把握されたのでした。あとはこの商品が一つの自立的存在として、今度はそれ自身の運動をわれわれは分析するのです……
 
 だから第2章は、第1章で明らかにされた商品をもとに、今度は自立した商品の運動が、すなわちその交換の過程が分析の対象になるのです。……

 つまり私たちが第1章で跡づけた価値形態の発展(単純な価値形態→展開された価値形態→一般的価値形態)は、いわば現実の商品交換の発展を前提して、そのうえで、そのそれぞれの発展段階の交換過程から、諸商品の交換を前提した上で、交換される諸商品そのものに注目して、それ以外の現実の商品交換に付随する商品所有者やその欲望等を捨象して、純粋に諸商品の交換関係だけを取り出し、商品の価値関係そのものに潜む、価値の表現形態の発展段階を分析してきたといえるのです。だからこそ、そうした商品の価値形態の発展の前提としてあった交換過程そのものが、今度は、第2章の分析の対象なのですから、諸商品の交換過程の発展が、こうした交換過程の三つの矛盾に対応していると言いうるのではないかと考えられるわけです(だからまた、当然、交換過程の三つの矛盾は、価値形態の三つの発展段階にも対応しているとも言えます)。〉(第46回報告)

 だから〈どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか〉(フランス語版)というマルクスの問いは、自立した現存在として捉え返された諸商品の運動、すなわちそれらの交換過程のなかで、あるいはその歴史的な発展の過程において、〈どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか〉ということであって、それは決して久留間氏が考えたような、第1章の課題ではないのです。

 第1章第3節が貨幣の発生を論証しているのは、あくまでも商品形態--つまりその目に見える姿や形だけで、直接、われわれが商品であると認識できるような状態--を説明するために、その貨幣形態(価格形態、すなわち値札、われわれは値札が付いていて、初めてそれが商品であることを知り得るのです)を説明するがためなのです。それは自立した諸商品の運動が、すなわちそれらの交換過程のなかで、如何にして貨幣になるのか、つまり貨幣を生み出すのか、要するに「商品の貨幣への転化」を直接説明するものではありません。それはあくまでも商品の価値の表現形態の発展過程を跡づけることが課題であり、その最終的な完成形態としての貨幣形態を--商品にはどうして値札がついているのかを--説明し論証するがためのものなのです。

  第1章第3節は、第2章の交換過程が、その歴史的な発展において、どのように貨幣を生み出していくのかというその道程を、ただ諸商品の価値の表現形態という一面だけから、いわばその一面だけを切り取って、抽象的に見ることで、その発展を跡付けたものだといえるものなのです。

 だから久留間氏のように、〈どのようにして〉が何処で論じられ、〈なぜ〉は何処で、〈何によって〉は何処だというような詮索の是非はともかく(そんな詮索そのものは本当は何も説明したことにはなっていないと思うのですが)、われわれは、これまでの第2章の展開のなかでそれらは追求され、明らかにされてきたのだと理解されるべきではないかと思います。

 いずれにせよ、以前にも指摘したように、この問題での久留間氏の問題意識そのものが最初から正しいものでは無かったといわざるを得ません。むしろ久留間氏の問題提起は、その影響力が極めて大きかったこともあり、マルクスが本来このパラグラフで言いたかったことを正しく理解することを反対に妨げてきたといえるのではなないかとさえ私には思われます。

◎二つの原注

 この第15パラグラフには、マルクスによって二つの注が付けられています。それらも本文を紹介して、簡単な考察を加えておきましょう。

【注48】〈(48) 「もしある人が一ブッシェルの穀物の生産に要するのと同じ時間で、一オンスの銀をペルーの地中からロンドンまで持ってくることができるのならば、一方は他方の自然価格である。今、もし彼が、新しい、より豊かな鉱山のおかげで、かつて一オンスを獲得したのと同じ容易さで二オンスの銀を獲得することができるのならば、穀物は、一ブッシェルあたり一〇シリングの価格であっても--“他の事情が同じであれば”--以前に五シリングの価格であった場合と同じ安さであろう」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、一六六七年、三一ページ〔大内・松川訳、岩波文庫、八九~九〇ページ〕)。〉

 ペティは、この文節((ニ))でマルクスが述べていることをほぼそのまま論じているように思えます。つまりそれだけ後の学者である注49のロッシャーに較べても、問題を正しく理解していたといえそうです。

 学習会では、まず〈自然価格〉という言葉が使われているが、これはどのように理解したらよいのか、という質問が出され、これは実際の穀物価格は需給によって変動するが、そうした上下に変動する価格を平均したものとして、あるいは、そうした上下に変動する価格を規定するものという意味で〈自然価格〉と言われているのではないかとの説明があり、一応、了解されました。

 またこのペティが最後の部分で述べていることの解釈についても、少し議論になりました。すなわち〈今、もし彼が、新しい、より豊かな鉱山のおかげで、かつて一オンスを獲得したのと同じ容易さで二オンスの銀を獲得することができるのならば、穀物は、一ブッシェルあたり一〇シリングの価格であっても--“他の事情が同じであれば”--以前に五シリングの価格であった場合と同じ安さであろう〉とありますが、〈穀物は、一ブッシェルあたり一〇シリングの価格であっても--“他の事情が同じであれば”--以前に五シリングの価格であった場合と同じ安さであろう〉というのがいま一つよく分からないと疑問が出されたのです。それに対しては、報告者であるJJ富村さんから、適切な解説が加えられました。

 すなわち1ブッシェルあたりの穀物が、以前は5シリングだったが、それが金の価値の低下によって10シリングになったとしても、しかし、価値としては5シリングだった時と同じだと主張しているのではないか、というのです。これでみんなの疑問も氷解しました。

【注49】〈(49) 教授ロッシャー氏は、われわれに教えて、「貨幣の誤った定義は二つの群に大別できる。すなわち、貨幣を商品以上のものとみなす定義と、商品以下のものとみなす定義とである」と言い、ついで貨幣なるものに関する著作の種々雑多な目録をあげるが、そこには貨幣理論の現実的歴史についての洞察の片鱗さえも見られない。ついで次の教訓だ。「大部分の近ごろの国民経済学者が、貨幣を他の商品から区別する特異性」(では、商品以上なのか、以下なのか?)「を十分に眼中においていないということは、とにかく否定できない。--その限りでは、ガニルなどのなかば重商主義的な反動もまったく無根拠ではない」(ヴィルヘルム・ロッシャー『国民経済学原理』、第三版、一八五八年、二〇七~二一〇ページ)。以上--以下--十分に……いない--その限りでは--まったく……ではない! 何という概念規定だ! そして、このような折衷的な大学教授的むだ話を、ロッシャー氏は、控え目に、経済学の「解剖学的生理学的方法」〔同前、四二ページ〕と命名するのだ! もっとも、一つの発見は彼に負うところである。すなわち、貨幣は「人を引きつける商品」〔同前、二〇六ページ〕である、と。〉

 このロッシャーというのは、すでに19世紀の半ばの学者です。つまり17世紀の最後の数十年間で、経済学者は貨幣は商品てあることは理解していたのですが、そして先に見たように問題を的確に理解していたペティはその最初の頃の人なのですが、しかし、19世紀の半ばになっても、相変わらず貨幣についての正しい理解にほど遠かったということです。それだけ貨幣のなんたるかを理解することは困難なことだったということでしょうか。それはマルクスによって初めて解明されたといえるでしょう。

(以下は、「その2」に続きます。)

 

 

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第50回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-10-12 16:59:43 | 『資本論』

第50回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

 

◎第16パラグラフ

【16】〈(イ)われわれが見たように、すでに最も単純な価値表現、x量の商品A=y量の商品B においても、他の一つの物の価値の大きさがそれによって表される物は、その等価形態を、この関係から独立に社会的な自然属性として持っているかのようにみえる。(ロ)われわれはこの虚偽の外観の確立を追求した。(ハ)一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の現物形態に癒着した時、あるいは貨幣形態に結晶した時、この外観は完成する。(ニ)一商品は、他の諸商品がその価値をこの一商品によって全面的に表示するので、はじめて貨幣になるのだ、とは見えないで、むしろ逆に、この一商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの一商品で一般的にそれらの価値を表示するかのように見える。(ホ)媒介する運動は、運動それ自身の結果では消失して、何の痕跡も残してはいない。(ヘ)諸商品は、みずから関与することなく、自分たち自身の価値姿態が、自分たちの外に自分たちとならんで存在する一商品体として完成されているのを見いだす。(ト)金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的化身なのである。(チ)ここから、貨幣の魔術が生じる。(リ)人間の社会的生産過程における人間の単なる原子的なふるまいは、したがってまた人間の管理や人間の意識的な個人的行為から独立した彼ら自身の生産諸関係の物的姿態は、さしあたり、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるという点に現れる。(ヌ)だから、貨幣物神の謎は、目に見えるようになった、人目をくらますようになった商品物神の謎にほかならない。〉

 (イ) 私たちがすでに見たように、最も単純な価値表現、x量の商品A=y量の商品B においても、他の商品の価値の大きさがそれによって表される商品の使用価値は、その等価形態を、この関係から独立に社会的な自然属性として持っているかのようにみえます。

 〈われわれが見たように〉とあるのは、第1章第3節Aの「3 等価形態」で次のように述べていたことを指しているのだと思われます。

 〈ある一つの商品、たとえばリンネルの相対的価値形態は、リンネルの価値存在を、リンネルの身体やその諸属性とはまったく違ったものとして、たとえば上着に等しいものとして表現するのだから、この表現そのものは、それが或る社会的関係を包蔵していることを暗示している。等価形態については逆である。等価形態は、ある商品体、たとえば上着が、このあるがままの姿の物が、価値を表現しており、したがって生まれながらに価値形態をもっているということ、まさにこのことによって成り立っている。いかにも、このことは、ただリンネル商品が等価物としての上着商品に関係している価値関係のなかで認められているだけである。しかし、ある物の諸属性は、その物の他の諸物にたいする関係から生ずるのではなく、むしろこのような関係のなかではただ実証されるだけなのだから、上着もまた、その等価形態を、直接的交換可能性というその属性を、重さがあるとか保温に役だつとかいう属性と同様に、生まれながらにもっているように見える。それだからこそ、等価形態の不可解さが感ぜられるのであるが、この不可解さは、この形態が完成されて貨幣となって経済学者の前に現われるとき、はじめて彼のブルジョア的に粗雑な目を驚かせるのである。そのとき、彼はなんとかして金銀の神秘的な性格を説明しようとして、金銀の代わりにもっとまぶしくないいろいろな商品を持ち出し、かつて商品等価物の役割を演じたことのあるいっさいの商品賎民の目録を繰り返しこみあげてくる満足をもって読みあげるのである。彼は、20エレのリンネル=1着の上着 というような最も単純な価値表現がすでに等価形態の謎を解かせるものだということには、気がつかないのである。〉(全集23a77-8頁)

 またこの文節には〈社会的な自然属性〉という言葉が出てきますが、これも次のように説明されていました。

 〈それでは、労働生産物が商品形態をとるとき、その謎のような性格はどこから生ずるのか? 明らかにこの形態そのものからである。いろいろな人間労働の同等性はいろいろな労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り、その継続時間による人間労働力の支出の尺度は労働生産物の価値量という形態を受け取り、最後に、生産者たちの労働の前述の社会的規定がそのなかで実証されるところの彼らの諸関係は、いろいろな労働生産物の社会的関係という形態を受け取るのである。
 だから、商品形態の秘密はただ単に次のことのうちにあるわけである。すなわち、商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させるということである。このような置き替えによって、労働生産物は商品になり、感覚的であると同時に超感覚的である物、または社会的な物になるのである。同様に、物が視神経に与える光の印象は、視神経そのものの主観的な刺激としてではなく、目の外にある物の対象的な形態として現われる。しかし、視覚の場合には、現実に光が一つの物から、すなわち外的な対象から、別の一つの物に、すなわち目に、投ぜ備られるのである。それは、物理的な物と物とのあいだの一つの物理的な関係である。これに反して、商品形態やこの形態が現われるところの諸労働生産物の価値関係は、労働生産物の物理的な性質やそこから生ずる物的な関係とは絶対になんの関係もないのである。ここで人間にとって諸物の関係という幻影的な形態をとるものは、ただ人間自身の特定の社会的関係でしかないのである。それゆえ、その類例を見いだすためには、われわれは宗教的世界の夢幻境に逃げこまなければならない。ここでは、人間の頭の産物が、それ自身の生命を与えられてそれら自身のあいだでも人間とのあいだでも関係を結ぶ独立した姿に見える。同様に、商品世界では人間の手の生産物がそう見える。これを私は呪物崇拝と呼ぶのであるが、それは、労働生産物が商品として生産されるやいなやこれに付着するものであり、したがって商品生産と不可分なものである。〉(前掲97-8頁、下線は引用者)

 (ロ)(ハ) 私たちはこの虚偽の外観の確定を追求しました。一般的等価形態が、ある特殊な種類の商品の現物形態に癒着した時、あるいは貨幣形態に結晶した時、この外観は完成しました。

 ここでは〈われわれはこの虚偽の外観の確立を追求した〉とありますが、これは第1章第4節の次の部分を指していると考えられます。

 〈人間生活の諸形態の考察、したがってまたその科学的分析は、一般に、現実の発展とは反対の道をたどるものである。それは、あとから始まるのであり、したがって発展過程の既成の諸結果から始まるのである。労働生産物に商品という極印を押す、したがって商品流通に前提されている諸形態は、人間たちが、自分たちにはむしろすでに不変なものと考えられるこの諸形態の歴史的な性格についてではなくこの諸形態の内実について解明を与えようとする前に、すでに社会的生活の自然形態の固定性をもっているのである。このようにして、価値量の規定に導いたものは商品価格の分析にほかならなかったのであり、商品の価値性格の確定に導いたもの諸商品の共通な貨幣表現にほかならなかったのである。ところが、まさに商品世界のこの完成形態--貨幣形態--こそは、私的諸労働の社会的性格、したがってまた私的諸労働者の社会的関係をあらわに示さないで、かえってそれを物的におおい隠すのである。もし私が、上着や長靴などが抽象的人間労働の一般的な具体化としてのリンネルに関係するのだ、と言うならぽ、この表現の奇異なことはすぐに感ぜられる。ところが、上着や長靴などの生産者たちがこれらの商品を一般的等価物としてのリンネルに--または金銀に、としても事柄に変おりはない--関係させるならば、彼らにとっては自分たちの私的労働の社会的総労働にたいする関係がまさにこの奇異な形態で現われるのである。
 このような諸形態こそはまさにブルジョア経済学の諸範疇をなしているのである。それらの形態こそは、この歴史的に規定された社会的生産様式の、商品生産の、生産関係についての社会的に認められた、つまり客観的な思想形態なのである。〉(前掲101-2頁)

 (ニ) 一商品は、他の諸商品がその価値をこの一商品によって全面的に表示するから、初めて貨幣になるのだ、というようには見えないで、むしろ逆に、この一商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品はこの一商品によって一般的にそれらの価値を表示できるかのように見えるのです。

 こうした逆転して見える理由については、直前に紹介した第4節の一文が良く説明してくれていると思います。

 学習会では、こうした逆転して見える現象に囚われているのは、何も昔の人の話ではなく、今日においても同じだということになりました。というのは、今日でも、例えば日銀の追加金融緩和策と称して、「カネの垂れ流し」をしていると批判してる人もありますが、そもそも「カネを垂れ流せ」ば、景気が良くなるというのは、まさにマルクスがここで述べている逆転現象に囚われた間違った理解なのです。だからまた、それを「カネの垂れ流し」だと批判している人も、実は同じような現象に囚われている点では、同じだ、ということでもあるのです。

 これは第3章の一文ですが、同じような逆転現象について、マルクスが論じている部分を紹介しておきましょう(また『経済学批判』にも同様の指摘があります。全集13巻81-2頁参照)。

 〈貨幣の流通は、同じ過程の不断の単調な繰り返しを示している。商品はいつでも売り手の側に立ち、貨幣はいつでも購買手段として買い手の側に立っている。貨幣は商品の価格を実現することによって、購買手段として機能する。貨幣は、商品の価格を実現しながら、商品を売り手から買い手に移し、同時に自分は買い手から売り手へと遠難ざかって、また別の商品と同じ過程を繰り返す。このような貨幣運動の一面的な形態が商品の二面的な形態運動から生ずるということは、おおい隠されている。商品流通そのものの性質が反対の外観を生みだすのである。商品の第一の変態は、ただ貨幣の運動としてだけではなく、商品自身の運動としても目に見えるが、その第二の変態はただ貨幣の運動としてしか見えないのである。商品はその流通の前半で貨幣と場所を取り替える。それと同時に、商品の使用姿態は流通から脱落して消費にはいる。その場所を商品の価値姿態または貨幣仮面が占める。流通の後半を、商品はもはやそれ自身の自然の皮をつけてではなく金の皮をつけて通り抜ける。それとともに、運動の連続性はまったく貨幣の側にかかってくる。そして、商品にとっては二つの反対の過程を含む同じ運動が、貨幣の固有の運動としては、つねに同じ過程を、貨幣とそのつど別な商品との場所変換を、含んでいるのである。それゆえ、商品流通の結果、すなわち別の商品による商品の取り替えは、商品自身の形態変換によってではなく、流通手段としての貨幣の機能によって媒介されるように見え、この貨幣が、それ自体としては運動しない商品を流通させ、商品を、それが非使用価値であるところの手から、それが使用価値であるところの手へと、つねに貨幣自身の進行とは反対の方向に移して行くというように見えるのである。貨幣は、絶えず商品に代わって流通場所を占め、それにつれて自分自身の出発点から遠ざかって行きながら、商品を絶えず流通部面から遠ざけて行く。それゆえ、貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに、逆に商品流通がただ貨幣運動の結果としてのみ現われるのである。〉(全集23a151-2頁)

 ここでマルクスが述べているように、貨幣の運動が商品の流通を引き起こしているように見えるから、だから貨幣をどんどん流通に投げ込めば(彼らはそれが可能だと考えている!)、商品がもっと流通して、すなわち商品がどんどん売れて、景気もよくなるように見えるわけです。貨幣が不足しているから、「流動性」が不足しているから、商品が売れず、景気が悪いのだと彼らには見えるわけです。

 他方、「日銀は通貨の番人たれ」と、「カネを垂れ流す」日銀に対して説教を垂れて、日銀はその本来の任務を自覚すべきだなどと論じている人もありますが、こうした主張もまったく逆転現象に囚われたまま、日銀を批判している(批判したつもりになっている)に過ぎないのです。なぜなら、日銀が実際に、通貨を管理している(出来ている)などと考えること自体が、何も理解していないことを意味するのであって、貨幣の流通は、商品の流通の結果であって、その逆ではないという本質的な関係が何も分かっていないことを物語っているからです。

 これと類似した問題は、第1章第3節の一般的価値形態のところでも論じましたので、ついでにそれも紹介しておきましょう。まず本文は次のようなものでした。

 〈相対的価値形態の発展の程度には等価形態の発展の程度が対応する。しかし、これは注意を要することであるが、等価形態の発展はただ相対的価値形態の発展の表現と結果でしかないのである〉(91頁)

 そしてこの部分の解説のなかで、次のように書いたのです(今回、紹介するにあたり一部補足しました)。

 【今回は、この転倒した観念に、現実には、どれほど多くの人たちが惑わされているかということが話題になり、次のような例が紹介されました。
 
 例えば戦後の世界資本主義は「管理通貨体制」と言われています。あるいは「管理通貨制度の下にある」とも。つまり「通貨」が国家によって「管理」されていると捉えられているのです。もちろん、ここには「通貨」概念の混乱が背景にあります。

 「通貨」というのは厳密には貨幣の流通手段と支払手段との機能を合わせたものを意味します。そしてこうした意味での「通貨」を「管理」できるなどと考えるのは、貨幣についてのまさに転倒した観念の産物なのです。ところが、ブルジョア経済学者だけではなく、ほとんどのマルクス経済学者も、今日のいわゆる「不換制」の下では、「通貨」は国家によって「管理」されているのだという認識を持っています。しかし、「通貨」を概念的に捉えれば、それを「管理」するなどいうことができないことは明らかなのです。なぜなら、このパラグラフでマルクスが強調しているように、諸商品の交換という現実があって(そしてそのために諸商品がその価値を相対的な価値形態として表すという現実があって)、貨幣形態(一般的等価形態)があるのだからです。イニシアチブをとっているのは商品交換という現実です。だからもし「通貨」を「管理」しようと思うなら、商品の交換そのものを「管理」しなければならないことになるのです。そしてそれは実質上、われわれの社会的な物質代謝を「管理」するということに他なりません。しかしこんなことは現代の資本主義社会をひっくり返さない限り不可能事でしょう。ところがマルクス経済学者を自認する人たちまで、資本主義を前提したままで、「通貨」の「管理」は可能だと考え、現代の資本主義はそうした体制なのだと説明して、何の疑いも持たず、いわばそれが常識と化しているありさまなのです。

 こうした現代資本主義においては「通貨」は「管理」されていると捉えている人たちの誤りには二つの理由が考えられます。一つは先に指摘した「通貨」概念の混乱にもとづくものです。つまり「通貨」と「利子生み資本という意味での貨幣資本(moneyed Capital)」との区別が分からずにごっちゃに論じていることから来るものです(これについては第30回の「案内」でも少し述べました)。本当は「利子生み資本としての貨幣資本(moneyed Capital)」の運動なのに、それを「通貨」の運動と捉えてしまっているのです。(補足:いわゆる「預金通貨」という概念は一般的に認められています。これは何もブルジョア経済学者だけではなく、多くのマルクス経済学者にも肯定的に取り扱われています。なかには預金通貨こそ本来の信用貨幣なのだと主張する人さえいます〔例えば山本孝則氏〕。この学習会でもしばしば取り上げてきた日本のマルクス経済学の権威と目されている大谷禎之介氏もその一人なのです。しかし、「預金」を「通貨」と捉えるというのは、まさに「通貨」概念の混乱の最たるものなのです。というのは、預金が諸支払に利用されるということは、通貨の節約になりこそすれ、それ自体が通貨であるなどということは決して無いからです。そもそも預金は貨幣信用の範疇なのです。)しかし「通貨」は社会的な物質代謝に直接関連します(媒介します)が、「貨幣資本(moneyed Capital)」は社会的な再生産の外部にある信用(貨幣信用)の下で運動する貨幣なのです。だからこうした人為的な制度のもとでは、それは信用(特に公信用)を背景にいくらでも膨張したり縮小したり、ある程度までは恣意的に左右できるわけです。だからそれを「通貨」と捉えると、「通貨」は国家によって恣意的に「管理」されていると捉えることになってしまうわけです。(追加:現在の日銀の追加金融緩和策は、日銀が市中銀行の持っている国債などを買い取り〔買いオペ〕、日銀における市中銀行の当座預金を積み増す操作のことですが、このこと自体は、ただ市中銀行の準備金の形態を変換しているだけに過ぎないのに、こうした「預金」を「通貨」と捉えるからこそ、そうした日銀の操作を「通貨の供給」と捉えたり--日銀自身もそう考えているのですが--、それを批判する側も、「通貨の垂れ流し」だ、などと批判することに〔批判したつもりに〕なってしまうわけです。)

 もう一つは貨幣名を変更することを持って、「通貨」を「管理」していると錯覚していることです。これについて詳しく説明すると、あとで学習する予定の〈第3章 貨幣または商品流通〉の内容にあまりにも踏み込みすぎますので、それは割愛しますが、いずれにせよ、貨幣名は確かに時の権力者によって恣意的に決めることが可能です。しかし、それは商品の価値量を表現する等価物の使用価値量が、例えば上着を「1着」「2着」と数えたり、ラクダを「1頭」「2頭」と数えるのも、ただ社会的な慣習にもとづいているように、一般に社会的な慣習によるものだからであり、だからまた貨幣としての金の量をどのように数えるのかも(それが貨幣名を決めるということです)、その限りでは恣意的に決めることが可能だというにすぎないのです。だからこれも決して「通貨」を「管理」しているわけではないのです。現代の不換制の下においても基本的にはこの延長上にあると考えるべきなのです。

 このように『資本論』を読んでいる限りでは分かったつもりになっていても、いざ、現実の過程を説明しようとなると、結局は『資本論』が何度も強調し注意している間違った転倒した観念にとらわれている例が実に多いのだという説明でした。】(第30回報告)

 自分では『資本論』の重要なところは理解したつもりになっている人が、実は何も理解していないということが明らかになるわけです。日頃の研鑽を怠っては、理論的迷妄に迷い込むというよい例ではないでしょうか。

 (ホ) 媒介する運動は、その運動によってもたらされた結果においては消失して、何の痕跡も残していません。

 これはある意味では、すべての現象に言いうることです。例えば、地球が火の玉から徐々に冷却して今日の姿になったということは、今日の地球を見ている限りでは分かりません。というのは、そうした歴史的な媒介された運動は、その結果である今日の地球では、すでに過去のものとして、見ることが出来ないからです。

 「第5章 労働過程と価値増殖過程」には、次の一文があります。

 〈要するに、労働過程では人間の活動が労働手段を使って一つの前もって企図された労働対象の変化をひき起こすのである。この過程は生産物では消えている。〉(前掲237頁)

 また『経済学批判要綱』には、次のような一文もあります。

 〈資本の生成成立の諸条件および諸前提が想定するのは、まさに、資本がまだ存在せず、ようやく生成しつつある、ということである。だからそれら諸条件・諸前提は、現実的資本の出現とともに、すなわち自己の現実性から出発して、自己の実現の諸条件を自ら措定する資本の出現とともに消失するのである。……それゆえ、剰余資本Ⅰの創造に先行した諸条件、言い換えれば資本の生成を表現する諸条件は、資本が前提となっている生産様式の圏域に属するのではなくて、資本生成の歴史的先行段階として資本の背後にある。それはちょう、地球が、どろどろの火と蒸気の海からその今日の形態へと移行してきたときに通過した諸過程が、完成した地球としての地球の生活の彼方にある、というのと同然である。〉(草稿集②99-100頁)

 (ヘ) 諸商品は、自らは関与せずに、自分たちの自身の価値の姿が、自分たちの外に自分たちとならんて存在する一商品体(金銀)として完成されているのを見いだすだけです。

 本来は諸商品が自ら関与して、自分たちがそれによって価値を表そうとするから、金銀は、その物的姿そのものにおいて諸商品の価値を表すものとして存在しているのに、そうした媒介過程は消え失せているために、あたかも金銀はそれ自体として、諸商品とならんで価値そのものとして存在しているかに見えるのであり、諸商品はそうした完成された貨幣としての金銀をただ眼前に見いだすだけに過ぎないわけです。

 (ト) 金や銀というこれらの物は、地中から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的化身なのです。

 だから金銀は、地中から出てきたままで、すでに一切の人間労働の直接的化身として、あらゆるものと直接的な交換可能性を持っており、一つの社会的な力を持ったものとして登場するわけです。

 (チ) ここから貨幣の魔術が生まれます。

 貨幣の魔術については、第3章でも色々と出てきます。その一つを紹介しておきましょう。

 〈「金はすばらしいものだ! それをもっている人は、自分が望むすべてのものの主人である。そのうえ、金によって魂を天国に行かせることさえできる。」(コロンブス『ジャマイヵからの手紙』、一五〇三年。)
 貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。すべてのものが売れるものとなり、買えるものとなる。流通は、大きな社会的な坩堝(るつぼ)となり、いっさいのものがそこに投げこまれてはまた貨幣結晶となって出てくる。この錬金術には聖骨でさえ抵抗できないのだから、もっとこわれやすい、人々の取引外にある聖物にいたっては、なおさらである。貨幣では商品のいっさいの質的相違が消え去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派としていっさいの相違を消し去るのである(91)。しかし、貨幣はそれ自身商品であり、だれの私有物にでもなれる外的な物である。こうして、社会的な力が個人の個人的な力になるのである。それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的および道徳的秩序の破壊者として非難するのである。すでにその幼年期にプルトンの髪をつかんで地中から引きずりだした近代社会は、黄金の聖杯をその固有の生活原理の光り輝く化身としてたたえるのである。〉(全集23a1726頁)

 またこの引用文のなかに付けられた原注91では、次のようなシェークスピアの一節が紹介されています。

 〈(91)「黄金? 黄色い、ギラギラする、貴重な黄金じゃないか? こいつがこれっくらいありゃ、黒も白に、醜も美に、邪も正に、賎も貴に、老も若に、怯も勇に変えることができる。……神たち! なんとどうです? これがこれっくらいありゃ、神官どもだろうが、おそば仕えの御家来だろうが、みんなよそへ引っばってゆかれてしまいますぞ。まだ大丈夫という病人の頭の下から枕をひっこぬいてゆきますぞ。この黄色い奴めは、信仰を編みあげもすりゃ、ひきちぎりもする。いまわしい奴をありがたい男にもする。白癩病みをも拝ませる。盗賊にも地位や爵や膝や名誉を元老なみに与える。古後家を再縁させるのもこいつだ。……やい、うぬ、罰あたりの土くれめ、……淫売め。」(シェークスピア『アゼンスのタイモン』。〔中央公論社、坪内訳、130-132頁。〕)〉(前掲173頁)

 確かに、ただの土くれと同じ一つの鉱物でしかないのに、それに多くの人たちが、引き回され、跪き、身も心も引き裂かれ、それを得るために、何と多くの労苦を強いられていることでしょうか。本当に忌々しい土くれです。こんな単なる物質に、われわれは支配され、従属させられているわけで、原始の人たちが、自然を恐れ、自然の圧倒的な力に神を見出して、敬っているのを、決して笑うことはできないのです。最近も、最先端の高度の医療技術を研究し、それでノーベル賞までもらった学者が、さらに研究を続けるためと称して、金の必要を訴えてマラソンまでやっている現実があるではないですか。金、金、金、何をやるにも、まずこの「先立つもの」が必要だ、この現実は、何も変わっていないのです。

 (リ) 人間の社会的生産過程における人間の単なる原子的なふるまいは、だからまた人間自身の管理や彼らの意識的な個人的行為からは独立した彼ら自身の生産諸関係の物的姿態は、さしあたり、彼らの労働生産物が一般的に商品形態をとるという点に現れます。

 第1章第4節には、次のような一文がありました。

 〈だから、商品形態の秘密はただ単に次のことのうちにあるわけである。すなわち、商品形態は人間にたいして人間自身の労働の社会的性格を労働生産物そのものの対象的性格として反映させ、これらの物の社会的な自然属性として反映させ、したがってまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係をも諸対象の彼らの外に存在する社会的関係として反映させるということである。このような置き替えによって、労働生産物は商品になり、感覚的であると同時に超感覚的である物、または社会的な物になるのである。〉(全集23a97-8頁)

 〈交換者たち自身の社会的運動が彼らにとっては諸物の運動の形態をもつのであって、彼らはこの運動を制御するのではなく、これによって制御されるのである。互いに独立に営まれながらしかも社会的分業の自然発生的な諸環として全面的に互いに依存しあう私的諸労働が、絶えずそれらの社会的に均衡のとれた限度に還元されるのは、私的諸労働の生産物の偶然的な絶えず変動する交換割合をつうじて、それらの生産物の生産に社会的に必要な労働時間が、たとえばだれかの頭上に家が倒れてくるときの重力の法則のように、規制的な自然法則として強力的に貫かれるからである、〉(同101頁)

 (ヌ) だから、貨幣物神の謎は、目に見えるようになった、人目をくらますようになった、商品物神の謎、その発展したものに他ならないのです。

 さて、この最後の第16パラグラフは、「商品の貨幣への転化」を論じた第2章の締めくくりとして、商品の貨幣への転化とともに、商品の物神性は、貨幣の物神性へと発展したのだと論じたものになっています。これは、「商品とは何か」を論じた第1章の締めくくりとして第4節で「商品の物神的性格とその秘密」を論じたのに対応しているともいえるでしょう。

◎最後に--「『資本論』学習資料室」として

 以上で、殘念ながら、「『資本論』を読む会」の最後の報告を終わります。実際の学習会への参加者数は低調のままに終わったのですが、このブログへのアクセス数は比較的多く、この4年半ほどの間に、訪問者数は45226人、閲覧数は88516を数えました(2012年10月11日現在)。その意味では、この学習会もまんざら無駄ではなかったと自身を慰めている次第です。

 アクセス数の多さを考えた場合、学習会の閉鎖と同時にブログもすぐに閉鎖するのではなく、『資本論』の最も難解といわれる冒頭の部分を、一人でも多くの働く人たちが学び理解するために、何らかの参考になるかも知れないと考えて、当面は、ブログの名称を「『資本論』学習資料室」として、これまでの学習の成果をそのまま残しておくことにしたいと思います。今後とも、大いに利用して頂くようお願いします。

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【付属資料】

●第15パラグラフ

《初版本文》

 〈前に指摘しておいたように、一商品の等価形態は、その商品の価値量の量的な規定を含んでいない。金が貨幣であり、したがって、それがすべての他商品と直接的に交換可能である、ということは知っていても、だからといって、たとえば10ポンドの金がどれほどに値するかは、知られていない。どの商品でもそうであるように、貨幣は、自分自身の価値量を、他の諾商品で相対的にのみ表現することができる。貨幣自身の価値は、貨幣自身の生産に必要とされる労働時聞によって規定されており、この労働時間と同じだけの労働時間が凝固されているところの、他のそれぞれの商品の量のうちに、表現されている(43)。貨幣の相対的価値量のこういった確定は、貨幣の原産地において、直接の物々交換のなかで生ずる。貨幣が貨幣として交換過程にはいり込んでいるとき、この貨幣の価値はすでに与えられている。すでに17世紀の最後の数十年間には、貨幣分析の端緒がかなり進んでいるために、貨幣が商品であるということは知られていたにしても、ほんの端緒でしかなかった。困難は、貨幣が商品であるということを理解することではなく、いかにして、なぜ、なにによって、商品が貨幣であるか、ということを理解することである(44)。〉(80頁)

《フランス語版》

 〈すでに述べたように、商品の等価形態は、この商品の価値量についてなにも明らかにしていない。金が貨幣であること、すなわち、金がすべての商品と交換可能であることを知っても、そのためにたとえば10ポンドの金がどれだけに値するかは、全然わからない。貨幣もあらゆる商品と同様に、それ自身の価値量を他の商品のうちに相対的にしか表現することができない。貨幣の固有の価値は、その生産に必要な労働時間によってきめられ、同時間の労働を必要とした他のすぺての商品の分量のうちに表現される(12)。貨幣の相対的価値量をこのようにきめることは、それの生産源自体で、それの最初の交換において行なわれる。それが貨幣として流通に入りこむやいなや、その価値は与えられるのである。すでに17世紀の最後の数年には、貨幣が商品であることは充分に認められていたが、これについての分析はまだやっと緒についたばかりであった。困難は、貨幣が商品であることを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか、を知ることである(13)。〉(69頁)

●注48

《初版本文》

 〈(43) 「もしある人が、1ブッシェルの穀物を生産することができるのと同じ時間で、1オンスの銀をペルーの地中からロンドンに運んでくることができるならば、後者は前者の自然価格である。さて、もしある人が、もっと採掘のたやすい新鉱山のおかげで、以前1オンスの銀を手に入れたのと同じたやすさで2オンスの銀を手に入れることができれば、穀物は、その他の事情が等しければ、1ブッシェル当たり10シリングであっても、以前に5シリングであったのと同じ安さであろう。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論。ロンドン、1667年』、31ページ。)〉(80頁)

《フランス語版》

 〈(12) 「もしある人が、1ブッシェルの穀物を生産するために要したのと同じ時間で、ペルーの鉱山で採掘された1オンスの銀をロンドンまで届けることができれば、そのばあい、一方は他方の自然価格である。さて、もしある人が、いっそう新しくていっそう富んだ鉱山の採掘によって、以前に1オンスの銀を獲得したのと同じ容易さで、2オンスの銀を獲得でぎるならば、他の事情が等しいかぎり、穀物は1ブッシェルあたり10シリングでも、以前に5シリングであったのと同じ安さであろう。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、1667年、31ぺージ)。〉(69-70頁)

●注49

《初版本文》

 〈(44) ロッシャー教授はわれわれにこう教えている。「貨幣の誤った定義は、二つの主要なグループに分けることができる。それは、貨幣を商品以上と考えるものと、これ以下と考えるものとである。」 こう述べたあとで、彼は、貨幣制度にかんする諸著作の雑然とした目録を示しているが、それを見ても、貨幣理論についての現実の歴史のどんな微光さえも見いだされない。そのあとで、次の教訓が登場してくる。「なお、たいていの最近の経済学者たちが、貨幣を他の諸商品から区別する諸特性(それでは、貨幣は商品以上のものかまたは以下のもの、ということになりはしないか?)を充分には限中に置いていなかったことは、否定すべくもない。……そのかぎりでは、ガニル等々の半ば重商主義的な反動は、全く無根拠なものではない。」(ヴィルヘルム・ロッシァー『国民経済学原理、第三版、1858年』、207-210ページ。)以上--以下--充分ではない--そのかぎりでは--全く、ではない! なんという概念規定だ! しかも、このような折衷的な大学教授風のたわごとを、ロッシァー氏は控え目に、「経済学の解剖学的・生理学的方法」と命名している! といっても、貨幣は「好ましい商品」であるという一つの発見は、彼のおかげなのである。〉(80-1頁)

《フランス語版》

 〈(13) 教授ロッシャー氏は、まずわれわれにこう教える。「貨幣の誤った定義は、二つの主要群に区分することができる。すなわち、貨幣が商品以上であるとする定義と、商品以下であるとする定義とがある、次いで、彼はわれわれに、貨幣の性質にかんするきわめて雑然とした著書目録を提供するが、そういうことは、貨幣理論の真の歴史についてどんな光もあてるものではない。最後に、お説教がやってくる。彼はこう言う。「大多数の最近の経済学者が、貨幣を他の商品から区別する特殊性(いったいそれは、商品以上のものか以下のものか?) にはほとんど注意しなかったことは、否定すべくもない。……この意味では、ガニルの半重商主義的反動は、……全く無根拠なものではない」(ヴィルヘルム・ロッシャー『国民経済学の基礎』、第三版、1858年、207ページ以下)。以上--以下--余りにわずか--この意味では--全くそうでない--、言葉の概念上、なんと明晰でなんと正確なことよ! そして、ロッシャー氏が控え目に「経済学の解剖学的・生理学的方法」と命名するものは、このような雑駁な大学教授的折衷主義なのだ! それにもかかわらず、一つの発見、すなわち、貨幣が「快適な商品」であるということは、彼のおかげによるものである〉(70頁)

●第16パラグラ

《初版本文》

 〈われわれが見たように、すでに x量の商品A=y量の商品B という交換価値の最も単純な表現にあっても、他方の物の価値量がそれのうちに表わされているところの物は、自分の等価形態を、この関係にかかわりなく、社会的な自然属性として、もっているかのように見える。われわれは、この虚偽の仮象の固定化を追跡した。この虚偽の仮象は、一般的な等価形態が、ある特殊な商品種類の現物形態に癒着するやいなや、すなわち、貨幣形態に結晶するやいなや、完成されることになる。ある商品は、他の諸商品が自分たちの価値を全面的にこのある商品で表わすがゆえに初めて貨幣になる、とは見えないのであって、逆に、このある商品が貨幣であるがゆえに他の諸商品が自分たちの価値を一般的にこのある商品で表わしている、というように見える。媒介する運動は、運動自身の結果のなかに消滅して、なんの痕跡も残さない。諸商品は、なにもすることなしに、自分たち自身の価値姿態が、自分たちのそとに自分たちと並んで存在している一商品体として、完成されているのを、見いだすのである。これらの物すなわち金銀は、地の底から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的な化身になる。ここから貨幣の魔術が生ずる。社会的な生産過程における人々のたんに原子論的なふるまいは、したがって、彼らの制御や彼らの意識的な個人的行為にはかかわりのない、彼ら自身の生産諸関係の物的な姿は、彼らの労働諸生産物が一般的に商品形態をとるということのうちに、まず現われている。だから、貨幣物神の謎は、商品物神の謎そのものが目に見えるようになり、人目を肢惑させるにいたったもの、にほかならない。〉(81頁)

《フランス語版》

 〈すでに見たように、最も単純な価値表現である x量の商品A=y量の商品B においては、ほかの物体の価値量を表わす物体は、自己の等価形態を、この関係とはかかわりなく、自己が自然から引き出すところの社会的属性としてもっているかのように見える。われわれはこの虚偽の外観を、それが固定される瞬間まで追究した。この固定化は、一般的等価形態がもっぱら特殊な一商品に付着する、すなわち貨幣形態に結晶するやいなや、完了した。一商品は、他の諸商品が自分たちの価値をこの一商品のうちに相関的に表現するがゆえに、貨幣になるとは見えない。全く逆に、一商品が貨幣であるがゆえに、他の諸商品は自分たちの価値をこの一商品のうちに表現するように見えるのである。媒介の役を果たした運動は、それ自身が産んだ結果のうちに消え失せて、なんの痕跡も残さない。諸商品は、なんらこの運動に関与したようには現われずに、自分たち自身の価値が、自分たちとならんで自分たちの外にある一商品体のうちに表わされ、固定されているのを、見出すわけである。これらの単純な物、すなわち、地球の胎内から出てきたままでの銀と金は、ただちに、すぺての人間労働の直接の化身として姿を現わす。ここから貨幣の魔術が生まれる。〉(70頁)


 

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第49回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-09-19 12:24:56 | 『資本論』

第49回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

 

◎領土問題の背景

 竹島や尖閣諸島の領有をめぐる争いは、俄かに波立ってきましたが、ジャーナリストの山田厚史氏(元朝日新聞編集委員)は、〈反日に走らす「韓流経済」の深き“影”〉と題して、興味深い問題を指摘しています(8.30ダイヤモンド・オンライン)。

 今回、李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が竹島(韓国名・独島〔ドクト〕)を訪問したり、天皇に謝罪を求めたりしたのは、大統領選挙を控え、身内にまつわる汚職・腐敗に対する批判を逸らし、「外に敵を作って」求心力を高めようという安易 な手法に走ったためだと指摘されていますが、それだけではなくて、韓国で燃え上がる愛国主義の背後には「躍進する経済等の光に潜む深き“影”がある」というのです。

 それによるとソウル聯合ニュースが4月23日、「所得格差拡大でポピュリズム台頭の恐れ」という記事を掲載したのだそうです。〈国策シンクタンク・韓国開発研究所(KDI)の分析を紹介し、「1990年代前半まで改善に向かっていた所得格差がアジア通貨危機の前後から再び悪化している」「一握りの人々だけが豊かな暮らしをしているという考えが広がり、ポピュリズムや保護貿易論が台頭する可能性がある」と警告した〉と。

 所得格差が拡大しているのは、何も韓国だけの話ではないでしょう。経済的躍進を遂げた中国においては「赤い貴族」など遥かに極端な格差が指摘されていますし、長く経済的停滞の中にある日本も例外ではありません。

 日本では、「ハシズム」と揶揄される橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の躍進に見られるように、「ポピュリズム台頭の恐れ」は、すでに現実の問題ですが、現在の激しくなるばかりの排外主義や愛国主義の背景には、こうした資本主義的生産の矛盾の深まりと、その結果としての深刻な格差の拡大が背景にあるのかも知れません。

 さて、残暑厳しいなかで開かれた第49回「『資本論』を読む会」でしたが、相変わらず参加者は“お寒いかぎり”でした。「読む会」が行われた南図書館の3階も閑散としており、われわれが使っている1号室以外は誰も使っていない有り様でした。この暑い中、わざわざ出かけるのは余程のヒマ人か物好きなのかも知れません。しかし、まあ、愚痴を言っていても始まりません。報告に移りましょう。

◎第12パラグラフ

 今回は第12~14パラグラフを進みました。それぞれについて、まず本文を紹介し(青字)、そして各文節ごとに記号を打って、平易な読みくだしを行い(太字)、そしてその解説のなかで議論の紹介もして行くことにします。まず本文です。

【12】〈(イ)貨幣商品の使用価値は二重化する。(ロ)貨幣商品は、たとえば金が虫歯の充填(ジュウテン)、奢侈品(シャシヒン)の原材料などに役立つというような、商品としてのその特殊な使用価値のほかに、その独特な社会的機能から生じる一つの形式的な使用価値を受け取る。〉

 (イ)(ロ)
 こうして貨幣になる商品である貴金属の使用価値は二重化します。というのは、貴金属は、例えば金が虫歯の充填に役立ったり、奢侈品の原材料に役立つというような、商品としてのその本来の特殊な使用価値の他に、貨幣としての独特な社会的機能からくる一つの形態的な使用価値を受け取るからです。

 学習会では、JJ富村さんがレポートを担当し、簡単なレジュメを用意してくれました。そのレジュメではこの12パラグラフは、次の13パラグラフと一緒になって一まとめに報告するという形になっていました。それに対して亀仙人は疑問を呈し、そもそもこの第12パラグラフはどういう位置に(あるいは課題が)あるのかが問題になりました。というのは、この12パラはその前の11パラを直接受けたもののように思えるからです。

 先の第10パラグラフまでで、商品の交換過程の発展を跡づけて、それが貨幣を生み出すことが論証されました。そして最終的に貨幣が貴金属に固着するわけですが、どうして貨幣が貴金属に最終的に固着するのかについては、貴金属の自然属性が貨幣としての社会的機能を果たす上でもっとも適しているからだ、ということも第11パラで指摘されたのでした。

 今回のパラグラフ(第12)は、そうした貴金属が貨幣の社会的機能を果たす上でもっとも適した材質を持っているという先のパラグラフの指摘を受けて、だから貨幣になる商品の使用価値は二重化すると受けているわけです。マルクスは使用価値について、次のように述べていました。

 〈鉄、紙などいっさいの有用物は、……どれも、多くの属性からなる一つの全体であり、したがって、さまざまな面で有用でありえる。……ある物の有用性は、そのものを使用価値にする。〉(全集23a48頁)

 諸物のさまざまな諸属性が人間にとって有用である場合、その諸物は使用価値なわけです。貴金属は、古代から装飾に使われてきましたが、必ずしも生産手段としての役立ちはありませんでした。せいぜいその耐久性を利用して虫歯の充填に利用されたり、食器類等に使われたに過ぎません。しかし、貴金属は同時にその諸属性が貨幣としての社会的機能を果たす上で、最も適したものでもあったわけです。

 前回紹介した『経済学批判』では、その属性は次のようなものでした。①質的に均一で純粋に量的区別を表す。②任意の諸部分に細分でき、また合成できる。③比重が大きく、小さな容量のうちに大きな価値をもち、運搬・移転が容易である。④耐久性があり、容易に酸等に溶解しない。⑤希少であり、生産用具としての役立ちが少ない。⑥装飾的な美しさがある、等々。

 こうした諸属性が社会的機能を果たすのに適し、貨幣としての社会的に必要な有用な効果をもたらすわけですから、これも貴金属の別の意味での使用価値であると言えます。マルクスはこうしたものを、社会的機能から生じる使用価値であるということから、これを形態的使用価値と規定しているわけです。こうした意味で貨幣商品(貴金属)の使用価値は通常の貴金属の属性が有用効果をもたらす使用価値(虫歯の充填等)とその属性が社会的機能(貨幣としての機能)を果たす上でもっとも適切であるという使用価値に、二重化するというわけです。

◎第13パラグラフ

 次は第13パラグラフです。

【13】〈(イ)他のすべての商品は貨幣の特別な等価にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的等価であるから、これらの商品は、一般的商品としての貨幣(44)に対して特別な商品としてふるまう。〉

 (イ) 貨幣は他の諸商品の価値を表す一般的等価物です。それに対して、貨幣自身の価値は、それによって表される諸商品の列によって表されます。そしてこれらの諸商品は、だから貨幣に対して特殊な等価物となるわけです。こうしたことから、一般的商品である貨幣に対して、他の諸商品は特殊な商品として位置づけられることになります。

 貨幣が〈一般的商品〉であるということはどういうことでしょうか。商品が商品であるということは、それが価値を持つということです。だから一般的商品とは、価値の絶対的な存在だということです。

 第3章では〈支払手段は流通にはいってくるが、しかし、それは商品がすでに流通から出て行ってからのことである。貨幣はもはや過程を媒介しない。貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、過程を独立に閉じる〉(23a178頁)という一文が出てきますが、〈交換価値の絶対的定在〉を言いかえて〈一般的商品〉という言葉が使われています。

 それに対して、それ以外の諸商品は特殊な商品として振る舞うわけです。それらは直接にはそれぞれの使用価値(特殊な使用価値)として存在しており、そのままでは〈交換価値の絶対的定在〉たりえません。だからそうなるためには、まずは交換によって貨幣にならなければならない存在なわけです。だから貨幣が一般的商品になることによって、他の諸商品は特殊な諸商品として位置づけられるというわけです。

 ところで、このパラグラフは貨幣=一般的商品、それ以外の諸商品=特殊な商品という関係を論じたものですが、果たして、これが如何なる意味があるのか、それまでの展開とどのように関連しているのかがいま一つよく分かりません。学習会でもそれが問題になりましたが、結局、ハッキリした結論は出ず、宿題になりました。

 しかし、よく考えてみると、このパラグラフも先のパラグラフを直接受けたものと考えることが出来るように思えます(その意味では、JJ富村さんのレジュメがこの二つのパラグラフを一まとめに論じていたことそのものが問題であったとは言えないかも知れません)。というのは、貨幣が一般的商品であるというのは、貨幣の形態的使用価値から直接出てくるものだからです。他の諸商品が特殊的商品というのは、他の諸商品の直接的定在は、それらの特殊な使用価値であり、それぞれの物的定在だからです。貨幣商品も、もちろんその直接的定在は一つの特殊な使用価値ですが、しかし貨幣商品の使用価値は二重化し、他の諸商品と同じように特殊的な物的定在でありながら、同時にその形態的使用価値によって、その直接的定在そのものが価値の絶対的定在でもあるという社会的機能を果たす存在でもあるわけです。だから貨幣商品の使用価値はまさに価値そのものを表す存在として一般的商品たりうるわけです。だからこのパラグラフはやはりその前のパラグラフを直接受けたものとして捉えるべきでしょう。

 因みに、〈一般的商品〉という用語がどのように使われているのか、少し他の文献から紹介しておきましょう(下線はマルクスよる強調、太字は引用者)。

 〈貨幣の諸性質、(1)商品交換の尺度としての、(2)交換手段としての、(3)諸商品の代表物としての(したがって契約の対象としての)、(4)特殊な諸商品とならぶ一般的商品としての。--これらはすべて、諸商品それ自身から切りはなされた、対象化された交換価値という貨幣の規定から単純に出てくる。(すべての他の商品にたいする一般的商品としての貨幣の性質、商品の交換価値の化身としての貨幣の性質は、同時に、貨幣を資本の実現された形態であるとともに、いつでも実現できる形態にする。つまり、いつでも通用する資本の現象形態にする。 『経済学批判要綱』草稿集①120頁)

 〈第四。すなわち、交換価値は、すべての特殊的商品とならんで、一般的商品として貨幣のかたちで現われるが、それと同様に、そのことによって同時に交換価値は、すべての他の商品とならんで特殊的商品として貨幣のかたちで(というのは、貨幣は一つの特殊的存在をもつから)現われる。〉(同126頁)

 〈交換過程では、すぺての商品は、商品一般としての、商品そのものとしての、特殊な一使用価値における一般的労働時間の定在としての排他的商品に関係する。だから諸商品は、特殊な諸商品として、一般的商品としての特殊な一商品に対立して関係する。〉(『経済学批判』全集13巻33頁)

〈ただここで注意しておきたいのは、W―G―Wでは両極のWは、Gにたいして同一の形態関係に立っていない、ということである。第一のWは、特殊的商品として一般的商品としての貨幣に関係するのに、一般的商品としての貨幣は、個別的商品としての第二のWに関係する。〉(同76頁)

 〈鋳貨のたえまない流通の条件は、鋳貨の大なり小なりの部分がたえず停滞して、鋳貨準備金――流通内部でいたるところに発生するとともに、この流通を制約するところの――となることであって、この準備金の形成、配分、解消、再形成はつねに交替し、その定在はたえず消滅し、その消滅はたえず定在する。アダム・スミスは、鋳貨の貨幣への、貨幣の鋳貨へのこの間断ない転化を次のように表現している。すなわち、どの商品所有者も、彼の売る特殊な商品とならんで、彼が買うための手段である一定額の一般的商品をつねに貯えておかなければならない、と。〉(同105頁)

 〈一般的支払手段としては、貨幣は契約の一般的商品となる。〉(同122頁)
 〈*〕 べーリ、前掲書、三ページ。「貨幣は契約の一般的商品である。すなわち、将来履行されるべき大多数の財産契約を結ぶのに用いられるものである。」〉(同)

 〈金と銀は貨幣としては、その概念上一般的商品であるが、それらは世界貨幣で普遍的商品というそれに適応した存在形態を得る。〉(同129頁)

 〈流通の目的としての貨幣は、生産を規定する目的および推進する動機としての交換価値または抽象的富であって、富のなんらかの素材的要素ではない。ブルジョア的生産の前段階にふさわしく、あの真価を認められない予言者たちは、交換価値の純粋な、手でつかむことのできる、光り輝く形態を、すべての特殊な商品に対立する一般的商品としての交換価値の形態を、しっかりとらえたのである。〉(同135頁)

◎注44

 第13パラグラフには注がついていますが、一応、それも紹介だけしておきます。

【注】〈(44) 「貨幣は一般的商品である」(ヴェッリ『経済学に関する諸考察』、〔前出叢書〕一六ページ)。〉

 マルクスはこのヴェッリ著『経済学に関する諸考察』から『資本論』の幾つかの注で引用していますが、全集版の人名索引にはヴェリについて次のような説明があります。

 〈ヴェリ,ピエトロ Verri,Pietro(1728-1797)イタリアの経済学者,重農学派の学説を批判した最初のひとり。57,58,104,147,349〉

◎第14パラグラフ

【14】〈(イ)すでに見たように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係の反射が、一つの商品に固着したものにほかならない。(ロ)したがって、貨幣は商品である(45)ということは、貨幣の完成した姿態から出発して後から分析する者にとっての一つの発見であるにすぎない。(ハ)交換過程は、それが貨幣に転化させる商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのである。(ニ)この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考えを生み出した(46)。(ホ)貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生じた。(ヘ)他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。(ト)この意味では、どの商品も一つの章標であろう。(チ)なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)。(リ)しかし、一定の生産様式の基礎上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するならば、そのことによって同時に、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明することになる。(ヌ)これこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿態から少なくともさしあたり奇異の外観をはぎ取ろうとして、一八世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であった。〉

 (イ) すでに見ましたように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係が反射して、一つの商品に固着したものにほかなりません。

 〈すでに見たように〉とありますが、第7パラグラフには、次のようにありました。

 〈貨幣結晶は、種類の違う労働生産物が実際に互いに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の、必然的な産物である。交換の歴史的な広がりと深まりとは、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を展開する。この対立を交易のために外的に表わそうという欲求は、商品価値の独立形態に向かって進み、商品と貨幣とへの商品の二重化によって最終的にこの形態に到達するまでは、少しも休もうとしない。それゆえ、労働生産物の商品への転化が実現されるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が実現されるのである。〉

 しかし〈すでに見たように〉というのは、〈これまで展開されてきたように〉という含意であり、この第7パラグラフだけを指すのではないかも知れません。

 (ロ) だから、貨幣が商品であるということは、貨幣の完成した姿から出発して後から分析する者にとっては、一つの発見ですが、しかしそれだけに過ぎません。

 ここでは〈一つの発見であるにすぎない〉とありますが、〈すぎない〉というのは、貨幣が商品であることを発見しても、貨幣の何たるかを解明するには決定的に不十分であり、貨幣が商品であることを発見した古典派経済学も、しかし、依然として貨幣の物神崇拝に囚われていたのだという含みがあると思います。そしてそれがそれ以下の文節に繋がっているわけです。

 (ハ) 交換過程は、貨幣に転化させた商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのです。

 現象に囚われている経済学者は、貨幣の価値は流通から与えられると考えるわけです。これは別に古典派経済学者たちだけではなく、現在の経済学者のなかにもこうした考えがどんなに多いことでしょうか。古典派経済学は価値形態の重要性を見なかったのですが、それには深いわけがあるのだと、マルクスは第1章の原注32で次のように述べていました。

 〈古典派経済学の根本的欠陥の一つは、それが、商品の分析、ことに商品価値の分析から、価値をまさに交換価値にする価値の形態を見つけだすことに成功しなかったことである。A・スミスやリカードのようなその最良の代表者においてさえ、古典派経済学は、価値形態を、まったくどうでもよいものとして、あるいは商品そのものの性質にとって外的なものとして、取りあつかっている。その原因は、価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていたというだけではない。それはもっと深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式の最も抽象的な、しかしまた最も一般的な形態であり、ブルジョア的生産様式はこの形態によって一つの特別な種類の社会的生産として、したがってまた同時に歴史的なものとして、性格づけられている。だから、人がこの生産様式を社会的生産の永遠の自然的形態と見誤るならば、人は必然的に、価値形態の特殊性を、したがって商品形態の、すすんでは貨幣形態、資本形態等々の特殊性を見落とすことになるのである。だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。〉(全集23a108頁)

 (ニ) この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考え方を生み出しました。

 〈この二つの規定〉というのは、いうまでもなく〈価値〉と〈価値形態〉ということでしょう。『経済学批判』では、次のように書かれています。

 〈金銀がそれ自身の価値をもつとすれば、流通の他のすべての法則を度外視しても、ただ一定量の金銀だけが諸商品のあたえられた価値総額にたいする等価物として流通できるということは、明らかである。だからどれだけであろうと、たまたま一国内に存在する金銀の量が、商品価値の総額にかかわりなく、流通手段として商品交換にはいりこまなければならないとすれば、金銀はなんら内在的価値をもたず、したがって実際には現実的な商品ではない。これがヒュームの第三の「必然的帰結」である。彼は、価格をもたない商品と価値をもたない金銀とを流通過程にはいりこませる。だから彼はまた、商品の価値と金の価値とについては全然論じないで、ただそれらの相関的な量についてだけ論じるのである。すでにロックが、金銀はただ想像上のまたは慣習上の価値をもつにすぎないと言ったが、これは、金銀だけが真の価値をもつという重金主義の主張にたいする反対論の最初の粗野な形態である。金銀の貨幣定在は、ただ社会的交換過程におけるそれらの機能からだけ発生するということが、金銀はそれ自身の価値、したがってそれらの価値の大きさを社会的な機能のおかげでもっている、というように解釈されるのである。だから金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る。金銀は、この過程によって貨幣に転化されるのではなくて、価値に転化される。金銀のこの価値は、それ自身の量と商品量とのあいだの比率によって規定される。なぜならば、両者の量は互いに一致しなければならないからである。だからヒュームは、金銀を非商品として商品の世界にはいりこませておきながら、それらが鋳貨という形態規定性で現われると、逆にそれらを単純な交換取引〔物々交換〕によって他の商品と交換されるただの商品に転化させてしまうのである。〉(全集13巻139-140頁)

 ここで〈金銀の貨幣定在は、ただ社会的交換過程におけるそれらの機能からだけ発生するということが、金銀はそれ自身の価値、したがってそれらの価値の大きさを社会的な機能のおかげでもっている、というように解釈される〉というのが、その前の文節(ハ)で述べていることと同じだと思います。だから〈交換過程は、それが貨幣に転化させる商品に、……その独特な価値形態を与える〉という場合の〈その独特な価値形態〉とは、〈金銀の貨幣定在〉のことです。金銀が貨幣になるのは、社会的な交換過程においてそうした機能を果たすことから生じるのに、それが金銀自身の価値を、そうした社会的な機能のおかげで持っているのだというように解釈されるわけです。金銀の価値というのは、金銀が貨幣だから、貨幣としての機能を果たすことから生まれている、貨幣としての機能によって与えられている、と理解することでしょうか。

 そしてそこから〈金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る〉という解釈が生まれ、金銀の価値というのは想像的なものだとみなす考え方が出てきたというわけです。それは上記の『批判』によれば、ロックやヒュームによって主張されたと指摘されています。

 (ホ) 貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標に置き換えられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生まれました。

 ここに出てくる貨幣の〈一定の諸機能〉というのは、いうまでもなく第3章に出てくる、「流通手段としての機能」あるいは「鋳貨としての機能」だと思います。少し先回りしますが、どうして流通手段としての貨幣の機能が章標への置き換えを可能にするのかを論じている部分を紹介しておきましょう。

 〈最後に問題になるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって代理されることができるのか? ということである。しかし、すでに見たように、金がそのように代理されることができるのは、それがただ鋳貨または流通手段としてのみ機能するものとして孤立化または独立化されるかぎりでのことである。ところで、この機能の独立化は、摩滅した金貨がひきつづき流通するということのうちに現われるとはいえ、たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について行なわれるのではない。金貨が単なる鋳貨または流通手段であるのは、ただ、それが現実に流通しているあいだだけのことである。しかし、一つ一つの金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって代理されることができる最小量の金にはあてはまるのである。この最小量の金は、つねに流通部面に住んでいて、ひきつづき流通手段として機能し、したがってただこの機能の担い手としてのみ存在する。だから、その運動は、ただ商品変態W―G―Wの相対する諸過程の継続的な相互変換を表わしているだけであり、これらの過程では商品にたいしてその価値姿態が相対したかと思えばそれはまたすぐに消えてしまうのである。商品の交換価値の独立的表示は、ここではただ瞬間的な契機でしかない。それは、またすぐに他の商品にとって代わられる。それだから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざけて行く過程では、貨幣の単に象徴的な存在でも十分なのである。いわば、貨幣の機能的定在が貨幣の物質的定在を吸収するのである。商品価格の瞬間的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた章標によって代理されることができるのである。〉(全集23a168頁)

 ところで、ここでは(では)マルクスは貨幣の価値を想像的なものと考える誤りと、貨幣を単なる章標であるとする誤りを区別して、それらが貨幣の違った社会的機能から生じてくることを論じています。最初の誤りは交換過程が金銀の価値ではなく、価値形態(=貨幣形態)を与えるのだということを理解せず、貨幣の価値は流通そのものから生じる想像的なものとする誤りであり、もう一つの誤りは貨幣の一つの機能である流通手段としての機能から生じるもので、貨幣は単なる章標だという理解です。

 この貨幣についての二つの間違った理解は、しかし決して過去の古い考えというようなものではなく、今日においても、まさに一般的に生じていることなのです。

 いわゆる「金廃貨論」というのがありますが、金はすでに貨幣ではない、という主張です。ということは、現在、貨幣、あるいは通貨として通用しているものは、単に流通から与えられた機能を果たしているだけのものだ、ということになるわけです。つまり現在の通貨は、〈価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る〉(前掲『批判』)ので、そのことによって貨幣としての機能を果たしているのだ、という理解です。

 金はすでに貨幣ではない。金との繋がりは何もない円やドル、ユーロ等の銀行券は、すなわち内在的価値をまったく持たない、単なる紙切れに過ぎないのであり、ただ流通からその貨幣としての機能を与えられて、通貨として通用しているのだというのです。最近もある新聞で、〈現代資本主義は「通貨」も……確かな根拠を持たず――というのは、貨幣は内在価値を有せず、近似紙幣に堕し、いくらでも減価する〉云々という一文を読みました。これはつまりマルクスが指摘している二番目の誤った理解に立っているわけです。すなわち〈貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるという……誤り〉です。現在の通貨は金との関連がないので、もはや金(貨幣)を代理しているとはいえない、だから現在においては、貨幣そのものが単なる章標になってしまったのだ、という考えが、こうした理解の根底にあるように思えます。

 確かに現代の「通貨」、すなわち「日本銀行券」は金との繋がりがまったくないように見えます。しかしそれは本当でしょうか。確かに現在の日銀券は不換券です。それを日本銀行に持って行っても金と交換してくれるわけではありません。だから1万円札がどれだけの金を代理しているのか分からないというかも知れません。しかし、もし現在の1万円札がどれだけの金を代理しているのかを知りたいなら、その1万円札で金を購入すればたちどころに分かります。金何グラム買えるかが分かれば、それが1万円札が代理している金の大きさであり、その目に見える形で表された価値とその大きさそのものなのです。

 金の購入は、一見すると他の商品の購入と何一つ変わらないように見えます。しかし、そうではないのです。貴方がリンゴを買う場合、それはリンゴを食うためです。つまり消費するためです。しかし金を買っても、金を消費するわけではなく、せいぜい、眺めて一人ほくそ笑むか、金庫に保管しておくだけでしょう。つまり貴方が金を購入するのは、決して、リンゴを買うのと同じではないのです(後者は社会的な物質代謝の一環ですが、前者はそうではない)。金を購入するということは、流通貨幣を蓄蔵貨幣に転化しているのです。代理物をその代理している当のものに戻しているのです。つまり価値の絶対的定在である金に置き換えているのです。

 世界中の国々はその中央銀行の金庫に金塊を保管しています。何のためにでしょうか。世界の先進国が石油やレアメタルを備蓄しているように、金も同じように備蓄しているだけなのでしょうか。決してそうではありません。石油やレアメタルは将来の消費に備えて、在庫として備蓄しているのです。しかし金は決してそうした意味での将来の消費が目的ではありません。それは価値の絶対的定在として、国家の信用の最後の軸点として保管されているのです。だから金が貨幣でないとか“廃貨”されたなどというのは、まったく現実を見誤った主張に過ぎません。

 現在の通貨が直接には、あるいは制度的に、金との繋がりがないということは現在の通貨が金を代理していない、あるいは代理することをやめたことにはならないし、そもそも金を代理せずして、貨幣として、あるいは通貨として通用するというようなことは決してないのです。これは貨幣のなんたるかを知れば、明らかなことです。にも拘らず『資本論』を専門的に研究している学者のなかにも、多くの金廃貨論者が存在している現実は、一体どうしたことでしょうか。如何に彼らが『資本論』をただ表面的にしか理解しておらず、金が現実に貨幣として流通していないという、目の前の現象に囚われてしまっているかが分かるのです。しかし流通していないから貨幣ではない、などという理解は、同じような現象に囚われて蓄蔵貨幣を理解できなかった古典派経済学のレベルに後戻りすることです。実際には、多くの金が蓄蔵貨幣としてさまざまなところで保管されているのです。こうした現実を彼らは見ることができないのです。

 (ヘ) 他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態は、その物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態に過ぎないという予感があったのです。

 ここでは〈この誤りのうちには〉となっており、その直前の貨幣は単なる章標だとする誤りだけを指すように捉えられます。しかし文脈からするなら、やはりマルクスが指摘している二つの誤りを指すと考えるべきではないでしょうか。

 金銀の光り輝く物的姿が価値そのものとして、大きな社会的な力を持つのは、人間の社会的な諸関係が金銀の物的姿をとって現れているからにほかなりません。だからこうした誤った貨幣論にもそうした予感があったのだとマルクスは指摘しているわけです。しかし、マルクスの『資本論』によって、貨幣の謎も解明されたのに、尚且つ、そうした誤った貨幣論に立っている人たちに対しては、こうした指摘は当てはまらないのではないでしょうか。

 (ト)(チ) この意味では、どの商品も一つの章標でしょう。というのは、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮に過ぎないからです。

 貨幣形態がその背後に隠されている人間諸関係の現象形態に過ぎないとするなら、当然、どの商品も価値としては、同じことがいえるわけです。

 (リ) しかし、一定の生産様式の基礎の上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するのでしたら、それは結局、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明するのと同じです。

 ここで〈一定の生産様式の基礎上で〉とあるのは、当然、資本主義的生産様式の基礎上でという意味だろうと思いますが、学習会ではどうして、ここでは〈一定の生産様式〉というように一般的な形で述べているのだろうか、という疑問が出されました。しかし、必ずしも十分な説明もなく、また質問者もあまり拘らなかったので、それ以上、議論は発展しませんでした。
 
 ここでは物象的な属性は、確かに労働の社会的諸性格が物の社会的属性として現れているものですが、しかし、それを単なる章標(シンボル)として説明するとするなら、結局は、そうした物の属性をただ人間が恣意的に造り上げたものと説明することに通じてしまうということだと思います。

 フランス語版では、このパラグラフそのものは二つに分けられて、だから〈(ヘ)他面、この誤りのうちには、〉以下の部分は別のパラグラフになっています。そしてその間に(すなわち、その前のパラグラフの後に)、注(1)(注45と同じ)が挿入されています。今問題になっている(リ)に該当する部分は次のようになっています。

 〈ところが、特殊な生産様式の基礎の上で物が帯びる社会的性格、あるいは労働の社会的規定が帯びる物的性格のうちに、単なる表章しか見なくなるやいなや、この性格は、いわゆる人間の普遍的な合意によって承認された慣習的な擬制という意味を与えられる。〉(江夏他訳68頁)

 (ヌ) そしてこれこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿から、少なくともさしあたりのその奇異な外観を取り除こうとして、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であったわけです。

 しかし物象的関係を、ただ人間の作為的な産物であるかに説明して事足れり、とする手法は、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義者のやり方だというわけです。

 この部分もフランス語版を紹介しておきましょう。

 〈これこそが一八世紀に流行した説明のやり方であった。人は、社会的関係で装われた謎めいた形態の起源も発展もまだ解読できないので、この謎めいた形態は人間の考え出したものであり、天から降ったものではない、と宣言することによって、この謎めいた形態を厄介払いしたわけである。〉(同上)

 さて、このパラグラフからは貨幣物神に囚われた経済学者たちの主張が批判的に取り上げられており、それまでの展開とは明らかに対象が違っています。そしてこのパラグラフは〈すでに見たように、〉という一文から始まっていますが、次の第15パラグラフも〈先に指摘したように、〉という一文から始まっており、最後の第16パラグラフも〈われわれが見たように、〉という文言から始まっています。つまりこれらの三つのパラグラフは、共通して、これまで述べてきたことを踏まえた展開になっているわけです。こうしたことから、恐らく、このパラグラフから以下最後までは、この第2章そのものを締めくくる位置にあるのではないかと考えられます。

(以下は、「その2」に続きます。)

 

 

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第49回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-09-19 11:36:49 | 『資本論』

第49回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

 

◎三つの注

 この第14パラグラフには、三つの比較的長い注がついています。それぞれについても、本文を紹介して、簡単に検討しておきましょう。

【注45】〈(45) 「われわれが貴金属という一般的名称で呼ぶことのできる銀や金そのものは・・・・価値が・・・・上がったり下がったりする・・・・商品である。・・・・そこで、そのより小さい重量でもってその国の生産物または製造品のより大きい量が買われるのならば、貴金属の価値は高くなったものとみなされる」(〔S・クレマント〕『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念に関する一考察。一商人著』、ロンドン、一六九五年、七ページ)。「銀や金は、鋳造されていてもいなくても、他のすべての物の尺度として用いられるけれども、ワイン、油、タバコ、布や織物と同じく一つの商品である」(〔J・チャイルド〕『商業、ことに東インド貿易に関する考察』、ロンドン、一六八九年、二ページ)。「厳密に言えば、王国の資産と富を貨幣に限定するのは適切でないし、金や銀を商品ではないとすべきではない」(〔Th・パピロン〕『東インド貿易は最も有利な貿易である』、ロンドン、一六七七年、四ページ)。〉

 この注は〈貨幣は商品である(45)ことを発見した幾つかの主張を紹介したものですが、最初の〈S・クレマント〉からの引用だと貨幣商品の価値やその大きさは、他の諸商品によって表されることもすでに指摘されていたことが分かります。


【注46】〈(46) 「金銀は、それが貨幣である前に、金属として価値をもっている」(ガリアーニ、前出〔七二ページ〕)。ロックは言う。「人々の一般的合意は、銀を貨幣として適切にさせたその性質のゆえに、銀に想像的な価値を与えた」〔ジョン・ロック『利子引き下げおよび・・・・その結果の若干の考察』、一六九一年、所収、『著作集』、一七七七年版、第二巻、一五ページ。田中・竹本訳『利子・貨幣論』、東京大学出版会、三一ページ〕。これに対してローは言う。「どのようにしてさまざまな国民は何らかの物に想像的な価値を与えることができようか?・・・・あるいは、どのようにしてこの想像的な価値は維持されうるだろうか?」と。もっとも、彼自身いかにわずかしか問題を理解していなかったかは、次の通りである。「銀は、それがもっていた使用価値に従って、それゆえその現実的価値に従って交換された。銀は、貨幣としてのその規定を通して追加価値(une valeur additionelle)を受け取った」(ジョン・ロー『貨幣と交易に関する考察』〔エディンバラ、一七〇五年〕、所収、E・デール編『一八世紀の財政経済学者たち』〔パリ、一八四三年〕、四六九、四七〇ページ〔吉田啓一訳『貨幣と商業』、所収『ジョン・ローの研究』、泉文堂、二〇九、二一〇ページ〕)。〉

 この注は〈この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考えを生み出した(46)に付けられたものであり、当然、〈二つの規定(価値と価値形態--引用者)の混同〉によって〈金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考え〉に陥っている一例が紹介されているものと考えられます。しかし、この注そのものは、それほど単純なものではないように思えます。

 まず最初の〈ガリアーニ〉からの引用文を見ると、〈「金銀は、それが貨幣である前に、金属として価値をもっている」〉となっており、むしろ反対に金銀の価値を想像的なものと見なすような主張とは正反対のもののように思えます。これはどうしたことでしょうか、学習会では、そもそもこのガリアーニの引用文は、何のためになされているのかが問題になりました。

 そのあとのロックの主張は、明らかに金銀の価値を想像的なものと見なす主張として紹介されていることは明らかでしょう。

 ではそのあとに紹介されているローの主張はどうでしょうか。ローの主張は、ロックの主張を批判しているものの、ローも、しかし如何にわずかしか問題を理解していなかったかということの一例として紹介されているように思えます。とすると、最初のガリアーニの主張は、むしろ問題を正確に理解している一例として紹介していると考えた方がよいように思えます。

 そこでこの三人を全集版の人名索引で調べてみると、次のようになっています。

 〈ガリアーニ,フェルディナンド Galiani,Ferdinando(1728-1787)イタリアの経済学者,重農学派の敵,商品の価値は商品の効用によって規定されるという見解を主張したが,同時に商品や貨幣の本質について二,三の適切な推測を述べた.〉

 〈ロツク,ジョン Locke,John(1632-1704)イギリスの哲学者,感覚論者,経済学者.「彼は,あらゆる形態の新興ブルジョアジーを代表していた.労働者階級と貧民とにたいしては産業家を,時代おくれの高利貸にたいしては商業家を,国家の債務者にたいしては金融貴族を,そして独自の一著においてはブルジョア的悟性が人間の正常的な悟性であることさえ証明した」(マルクス).〉

 〈ロー,ジョン・オヴ・ローリストン Law,John of Lauriston(1671-1729)イギリスの経済学者,財政家,フランスの財務総監(1719-1720年).彼が有名なのは,紙幣発行による投機が,1720年に破綻をきたし,フランスの経済全体が被害をうけたことによってであった.〉

 これを見ると、年代的にはガリアーニがもっとも後世の人であり、ロックがもっとも最初の古い学者であり、その次がローという順序になっています。だから金銀の価値を想像的なものと見なしたのはロックであるが、しかし、それを批判したローも、問題をほとんど理解していなかったこと、しかし、その後のガリアーニになって、ようやく問題が正確に捉えられたというような形になったというのでしょうか。果たして、そうしたことを説明する意図がこの注にはあるのかどうか、ハッキリしたことは分かりません。

【注47】〈(47) 「貨幣は、それらの」(諸商品の)「章標である」(V・ド・フォルボネ『商業に関する基本原理』、新版、ライデン、一七六六年、第二巻、一四三ページ)。「章標としてそれは諸商品に引きつけられる」(同前、一五五ページ)。「貨幣は物の章標であり、それを代表する」(モンテスキュー『法の精神』、著作集、第二巻、ロンドン、一七六七年、三ページ〔根岸国孝訳、『世界の大思想』16、河出書房新社、三二一ページ〕)。「貨幣は単なる章標ではない。なぜなら、それ自身が富だからである。それは価値を代理するのではない。それは価値の等価物なのである」(ル・トローヌ『社会的利益について』、九一〇ページ)。「価値の概念が考察される時には、物そのものは章標としてのみ見られ、それ自身としてではなく、それが値するところのものとして通用する」(ヘーゲル『法の哲学』、一〇〇ページ〔藤野・赤沢訳『世界の名著』35、中央公論社、二六二ページ〕)。経済学者たちよりずっとまえに、法学者たちは、王様に媚びへつらって、貨幣は単なる章標であり、貴金属の価値はひとえに想像的なものだという考え方を振りかざし、王の鋳貨変造権を、中世全体を通して、ローマ帝国の伝統とパンデクテン〔ローマ法典〕の貨幣概念に基づいて支持した。彼らののみ込みのよい弟子であるヴァロワのフィリップ〔ヴァロワ朝を創設したフランスのフィリップ六世〕は、一三四六年の勅令の中で次のように言っている。「貨幣鋳造の業務、すなわち製造、形状、発行高、および鋳貨をわが意のままに、意のままの価格で流通させるための鋳貨にかかわるすべての法令が・・・・ひとりわれおよびわが王位のみに属するということは、だれも疑いえず、また疑うべからざることである」。皇帝が貨幣価値を法令で定めるということは、ローマの法的教義であった。貨幣を商品として取りあつかうことは明文で禁止されていた。「しかし、貨幣を買うことは、だれにも許されるべきことではない。なぜなら、貨幣は、一般的使用のためにつくられたのであって、商品であってはならないからである」。この点についてよく説明しているのは、G・F・パンニーニ『諸物の公正な価格に関する試論』、一七五一年、所収、クストーディ編、近代篇、第二巻である。ことに、この著述の第二篇において、パンニーニは法学者諸君に論争をしかけている。〉

 この注は〈(チ)なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)〉という文節に付けられたものですが、しかし注の内容を見ると、(ホ)から(チ)までの四つの文節全体につけられた注であるように思えます。しかし、その内容を考える前に、まずここで紹介されている人物を人名索引で調べてみることにしましょう。

 〈フォルボネ,フランソア・ヴェロン・デュヴェルジェ・ド Forbonnais,Frangois・Veron・Duverger de(1722-1800)フランスの経済学者,貨幣数量説の支持者.〉

 〈モンテスキユー,シャルル・ド・スゴンダ,バロン・ド・ラ・ブレド・エ・ド Montesquieu,Charles de Secondat,baron de La Bredeetde(1689-1755)フランスの社会学者,経済学者,著作家,18世紀のブルジョア的啓蒙主義の代表者.立憲君主制および三権分立の理論家.貨幣数量説を主張.〉

 〈ル・トローヌ,ギヨームーフラソソア Le Trosne,Guillaume・Frangois(1728-1780)フランスの経済学者,重農主義者.〉

 〈へ一ゲル,ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ Hege1,Georg Wi1helm Friedrich(1770-1831)ドイツ古典哲学(客観的観念論)の最も著名な代表者.ドイツ古典哲学は,ヘーゲル体系において頂点に達し,「この体系においてはじめて--そしてこれがその偉大な功績なのだ--全自然的,歴史的および精神的世界が一つの過程として,すなわち絶えざる運動,変化,変革および発展として把握されて叙述され,そしてこの運動と肇展とにおける内的関連を明らかにしようという試みがなされたのである」(エンゲルス).〉

 〈フィリップ6世,ヴァロア家の Philippe VI.de Valois(1293-1350)フランス国王(在位1328-1350年).〉

 〈パニーニ,ジョヴァンニ・フランチェスコ Pagnini,Giovanni Francesco(1715-1789)イタリアの経済学者,貨幣に関する著作の筆者.〉

 まず気づくのは、フォルボネとモンテスキユーの主張は、明らかに〈貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤り〉に該当します。しかしル・トローヌの主張していることは、必ずしも同じではありません。そればかりか彼は〈貨幣は単なる章標ではない〉とさえ述べているわけですから。〈それ自身が富だ〉という主張や〈それは価値の等価物〉(初版やフランス語版では〈それは価値と等価である〉となっています)といった主張を見ると、むしろ貨幣について正しい主張のように思えます。それに対して、ヘーゲルの主張は〈(ヘ)他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。(ト)この意味では、どの商品も一つの章標であろう。(チ)なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)。〉という一文を正確に言い当てているように思えます。ところが不思議なことに、フランス語版では、このヘーゲルの『法哲学』からの引用文は削除されているのです。この意図もいま一つ不明です。

 そしてその後に続く一文は、中世ではローマ帝国の伝統にもとづいて、貨幣が単なる標章であり、貨幣の価値を決めるのは王の特権の一つてあるかに主張されてきたことが紹介されています。しかし、この中世やローマ法の教義の説明部分は、果たして本文のどの部分に対する注と考えられるのかがいま一つよく分かりません。

 この部分はその前に紹介した経済学者たちの「貨幣は表章だ」という主張は、実はもっと古くから国王に媚びへつらう中世の法学者たちによって唱えられてきたものの蒸し返しに過ぎないのだと言いたいのかも知れません。

 最後のパニーニについては、その著書からの引用がないので分かりませんが(ただし、その前にある〈「しかし、貨幣を買うことは、だれにも許されるべきことではない。なぜなら、貨幣は、一般的使用のためにつくられたのであって、商品であってはならないからである」〉という引用文は、どこから引用されたものかはハッキリしません。〈ローマの教義〉の一文の紹介のようにも思えますが、あるいはパニーニの著書からの引用なのかも知れません)、こうした中世の法学者の主張を批判したもののようです。マルクスが、〈よく説明している〉とか〈名論〉(初版)、〈すぐれた注釈〉(フランス語版)などと紹介しているところを見ると、パニーニの主張はその限りでは正しいものだったのかも知れません。

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【付属資料】


●第12パラグラフ

《初版本文》

 〈貨幣商品の使用価値二重になる。貨幣商品は、商品としてのそれの特殊な使用価値--たとえば金が虫歯の充填やぜいたく品の原料等々に役立つというごとく--のほかに、それの独自な社会的諸機能から生ずる形式的な使用価値を得ているのである。〉(77頁)

《フランス語版》

 〈貨幣商品の使用価値は二重になる。貨幣商品は、商品としての特殊な使用価値--たとえば、金は奢修品や入れ歯等のための原料として役立つ--のほかに、その独自な社会的機能から生ずる一つの形態的な使用価値を獲得する。〉(67頁)

●第13パラグラフ

《初版本文》

 〈すべての他商品は貨幣の特殊的な等価物でしかないし、貨幣はそれらの一般的な等価物であるから、それらは、一般的な商品としての貨幣(38)には、特殊な諸商品として関係している。〉(77頁)

《フランス語版》

 〈すべての商品は貨幣の特殊な等価物にほかならず、後者は前者の一般的等価物であるから、貨幣はすべての商品にたいし一般的な商品(8)としての役割を演じるのであり、すぺての商品は貨幣にたいし特殊の商品しか代表しない。〉(67頁)

●注44

《初版本文》

 〈(39) 「貨幣は一般的な商品である。」〈ヴェリ、前掲書、16ページ。)〉(77頁)

《フランス語版》

 〈(8) 「貨幣は一般的な商品である」(ヴェリ、前掲書、16ページ)。〉(67頁)

●第14パラグラフ

《初版本文》

 〈すでに見たように、貨幣形態は、すべての他の諸商品の諸関係の反射が一商品に固着したものでしかない。したがって、貨幣が商品であるということ(40)は、貨幣の完成した姿態から出発してあとからこれを分析する者にとってのみ、一つの発見なのである。交換過程は、それが貨幣に転化させる商品にたいして、この商品の価値を与えるわけではなくて、この商品の独自な価値形態を与える。この二つの規定を混同することは、金銀の価値を想像的なものと考える誤りに導いた(41)。貨幣は、特定の諸機能においては、それ自身の単なる象徴(シンボル)によって代理されうるから、貨幣は単なる象徴であるというもう一つの誤りが生じた。他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態は、その物自身にとっては外的なものであって、その物の背後に隠されている人間関係の単なる現象形態である、という予感があった。この意味では、どの商品も一つの象徴であろう。というのは、それは、価値としては、それに支出された人間労働の物的な外皮でしかないからである(43)。しかしながら、ある特定の生産様式の基礎の上で諸物が受け取る社会的な諸性格を、または、この基礎の上で労働の社会的な諸規定が受け取る物的な諸性格を、単なる象徴であると公言すれば、そのことは、同時に、これらの性格を人間の気ままな反省の産物であると公言することになる。これこそは、一八世紀において、人間関係の謎めいた姿態--この姿態の生成過程は当時まだ解明することができなかった--から、さしあたって少なくとも奇異の外観をはぎ取るために、好んで用いられた説明方法であった。〉(77-8頁)

《フランス語版》--フランス語版では、このパラグラフは二つのパラグラフに分かれており、その間に注が二つ入っているが、ここでは続けて紹介しておく。

 〈貨幣形態は、あらゆる種類の商品が唯一の商品種類においてもつところの価値関係の反映にほかならない、ということがわかった。したがって、貨幣のすっかり完成した形態から出発してあとから貨幣の分析に到達する人にとってだけ、貨幣そのものが商品であるということが、一つの発見になりうるのである(9)。交換運動は、この運動によって貨幣に転化される商品に、その価値を与えるのではなく、その独自な価値形態を与えるものである。人は、このようにちぐはぐな二つの事柄を混同して、銀と金を純粋に想像的な価値と見なすようになった(10)。貨幣がその数々の機能ではそれ自身の単なる表章によって代替されうるという事実は、貨幣が単なる表章にほかならないというもう一つの誤謬を産んだ。〉(67-8頁)

 〈他方、この誤謬は確かに、貨幣が外的な物体という外観のもとで社会的関係を実際には隠している、ということを予感させた。この意味ではどの商品も表章であろう。というのは、どの商品も、その生産に支出された人間労働の物的外被としてのみ、価値であるからである(11)。ところが、特殊な生産様式の基礎の上で物が帯びる社会的性格、あるいは労働の社会的規定が帯びる物的性格のうちに、単なる表章しか見なくなるやいなや、この性格は、いわゆる人間の普遍的な合意によって承認された慣習的な擬制という意味を与えられる。これこそが一八世紀に流行した説明のやり方であった。人は、社会的関係で装われた謎めいた形態の起源も発展もまだ解読できないので、この謎めいた形態は人間の考え出したものであり、天から降ったものではない、と宣言することによって、この謎めいた形態を厄介払いしたわけである。〉(68頁)

●注45

《初版本文》

 〈(40) 「われわれが地金という一般的な名称で呼ぶことのできる銀と金そのものは……商品であり……その価値は……上がったり下がったりする。……そうであれば、地金は、より小さな重量でその国のより多量の産物または製造品が買えるようなところでは、より高い価値をもっと見なされてもかまわない、云々。」(『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念にかんする一論、一商人著、ロンドン、1695年』、7ページJ 「銀と金は、鋳造されていようといまいと、他のすべての物の尺度として用いられているとはいえ、葡萄酒、油、煙草、ラシャ、または布地と同じように、一つの商品である。」(『商業、特に東インドの商業にかんする一論、ロンドン、1689年』、2ページ。)「王国の貯えや富を貨幣に限定することは適切でありえないし、また、金銀は商品から除外されるべきではない。」(『東インド貿易は最も有利な貿易。ロンドン、1677年』、4ページ)。〉(78頁)

《フランス語版》

 〈(9)「われわれが地金という一般的な名称を与えることのできる銀と金そのものも、価値の騰落する商品である。より小さい重量でその国のより大量な商品が買われるところでは、地金はより大きな価値をもっている」(『相互関係にある貨幣、商業および為替の一般的観念にかんする一論、一商人著』、ロンドン、1695年、7ページ)。「銀と金は、鋳造されていようといまいと、すべての物にたいし尺度として役立つが、葡萄酒、油、煙草、ラシャ、布地と全く同じように、商品である」(『商業、特に東インドの商業にかんする一論』、ロンドン、1689年、2ページ)。「金銀は、数多くの商品から除外されるべきではない」(『東インド貿易は最も有利な貿易』、ロンドン、1677年、4ページ)。〉(68頁)

●注46

《初版本文》

 〈(四一)「金銀は、貨幣であるより以前に、金属として価値をもっている。」(ガリアーニ、前掲書)。ロックはこう言う。「人々の一般的な合意は、銀が貨幣に適した諸性質をもっているがゆえに、銀に想像的な価値を与えた。」これに反対してローはこう言う。「どうして、いろいろな国民は、なにかあるものに、想像的な価値を与えることができようか?……あるいは、どうして、この想像的な価値は、維持することができようか?」と。だが、彼自身、事柄をどんなにちょっぴりしか理解していなかったかは、次のとおりである。--「銀は、それがもっていた使用価値に応じて、つまり、それのほんとうの価値に応じて、交換された。貨幣であると規定されることによって、それは一つの追加的な価値(une valeur additionnelle)を受け取った。」(ジョン・ロー『通貨および商業にかんする考察』、所収、E・デール編『一八世紀の財政学者』、470ページ。)〉(78-9頁)

《フランス語版》

 〈(10)「金銀は、それが貨幣になる以前に、金属として価値をもっている」(ガリアーニ、前掲書)。ロックは言う。「銀は、その性質が貨幣の役割を果たすのに適切なものであるために、人々の普遍的な合意により想像的な価値を受け取った」。これに反して、ローは言う。「どうしてさまざまな国民が、なんらかある物に想像的な価値を与えることができたのであろうか? ……あるいは、どうしてこの想像的な価値を保持することができたのであろうか?」だが、彼自身この問題についてなんら心得がなかった。彼はほかの場所で次のように自分の考えを述べているからである。「銀は、それがもっていた使用価値にしたがって、すなわち、その真実の価値にしたがって、交換された。銀は、貨幣として採用されることによって、 一つの追加価値を与えられた」(ジョン・ロー『通貨および商業にかんする考察』、デール編『一八世紀の財政学者』、469ー470ページ)。〉(68頁)

●注47

《初版本文》

 〈(42) 「貨幣はそれら(諸商品〉の象徴である。」(Ⅴ・ド・フォルボネ『商業原理。新版、ライデン、1766年』、第二巻、143ページ。)「象徴として、貨幣は諸商品によって引きつけられる。」(同上、155ページ。)「貨幣は物の象徴であって物を代表している。」(モンテスキュー『法の精神』。著作集、ロンドン、1767年、第二巻、2ページ)。「貨幣は単なる象徴ではない。というのは、それ自身が富であるから。それは価値を代表していない。それは価値と等価である。」(ル・トローヌ、前掲書、910ページ。)「価値の概念を観察するならば、物そのものは象徴としか見なされないのであって、その物は、そのもの自身として認められているのではなく、その物が値するところのものとして認められている。」(へーゲル、前掲書〔『法哲学』〕、100ページ。)経済学者たちよりもはるか以前に、法学者たちは、貨幣は単なる象徴であり、貴金属の価値はたんに想像的なものである、という観念を大いに流行させたが、それは王権にへつらってのことであって、この王権の鋳貨贋造機を、彼らは全中世を通じ、ローマ帝国の伝統とパンデクテン〔東ローマ皇帝エスティニアヌス一世の命で編集されたローマ民法〕の貨幣概念とにもとづいて、支持したのであった。彼らの呑み込みのはやい弟子であるフィリップ・ド・ヴァロアは、1346年の勅命のなかで、こう言っている。「鋳造業務、すなわち製造、品位、貯蔵が、および、鋳貨をわれわれの意のままの価格でわれわれの意のままに流通させるための鋳貨にかんするいっさいの命令が、……われわれとわれわれの陛下に専属していることは、なんびとも疑うことができず、また疑つでもならない。」皇帝が貨幣価値を布告することは、ローマ法の教義であった。貨幣を商品として扱うことは、明文をもって禁止されていた。「とはいえ、貨幣を買うことは、なんびとにも許されてはならない。というのは、貨幣は、一般的な使用のために作られたものであって、商品であってはならないからである。」この点にかんする名論としては、G・F・パニーニ『諸物の正当な価値にかんする研究。1751年』、クストディ編、近世稿、第二巻、がある。特にこの著作の第二巻では、パニーニは法学者諸氏に反論している。〉(79頁)

《フランス語版》

 〈(1) 「貨幣はその(商品の)表章である」(V ・ド・フォルポネ『商業原理』、新版、ライデン、1766年、第2巻、143ページ)。「表章として、貨幣は商品によって引きつけられる」(同上、155ページ)。「貨幣は物の表章であって、物を代表する」(モンテスキュー『法の精神』)。「貨幣は単なる表章ではない。それ自身が富であるからである。それは価値を代表しない。それは価値と等価である」(ル・トローヌ、前掲書、910ページ)。経済学者よりずっと以前に、法学者は、貨幣が単なる表章でしかなく貴金属が想像的な価値しかもたない、という考え方を流行させた。王権の下僕であり追従者であった彼らは、中世全般にわたり、ローマ帝国の伝統にもとづき、また、パンデクテン〔ローマ民法の主要部分〕のうちに見出されるような貨幣の役割の概念にもとついて、王の鋳貨贋造権を支持した。彼らの有能な弟子フィリップ・ド・ヴァロアは、1346年年の勅令のなかでこう言っている。「鋳貨業務、すなわち製造、品位、貯蔵、および、鋳貨をわれわれの意のままの価格でわれわれの意のままに流通させるための鋳貨にかんするいっさいの命令が、……われわれとわれらの陛下に専属していることは、なんびとも疑うことができず、疑ってもならない」。皇帝が貨幣価値を制定することは、ローマ法の教義であった。貨幣を商品として扱うことは、明文で禁止されていた。「とはいえ、貨幣を買うことは、なんぴとにも許されるべきでない。なぜならば、それは、一般的使用のために作られたものであって、商品であってはならないからである。」この点については、すぐれた註釈がG・F・バニーニ『物の正当価格にかんする研究』、1751年、クストディ編、近世の部、第二巻、のなかに掲載されている。とりわけ彼の著作の第二部で、パニーニは法学者たちに反論している。〉(68-9頁)

 

 

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第49回「『資本論』を読む会」の案内

2012-08-18 12:21:47 | 『資本論』

『 資 本 論 』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か 

                                    

                                      
 EUの信用不安は一向に収まる気配はないが、ここにきて新たな問題が出てきた。LIBOR(ライボーと読むらしい)の不正疑惑である。LIBORというのは「ロンドン銀行間取引金利のこと」で「指定された複数の有力銀行から報告された11:00時点のレートを英国銀行協会(BBA)が集計し毎営業日発表している」ものらしい。まあ銀行が営業や互いの貸し借りで貸し出す場合の予定金利を毎日BBAに報告して、それにもとづいて一定の手続きの上で、その時点での平均金利として発表されているもので、さまざまな金融取引における利率の目安になっているようなものらしい。

 その「有力銀行」の一つ英大手銀行バークレイズが2005~09年にたびたび不正操作していたことが発覚したという。しかも不正操作をしていたのはバークレイズに限らずHSBC(世界最大級の金融グループ)や仏ソシエテ・ジェネラル、クレディ・アグリコルがバークレイズと共謀していたともいう。EUの金融機関全体が(各国の中央銀行も含めて)不信の目で見られるような状態なのである。

 

 しかし銀行が貸し出す金利の「不正操作」と言っても、金利そのものに何か絶対的な基準というものがあるわけではない。今回のBBAへの報告の対象になっているものも、ただ銀行がこれだけの金利なら貸し出してもよいという程度のものでしかなく、実際に貸し出した実勢の金利ではない。つまり金利には常に一定の恣意性と人為性がつきまとうものなのである。だからそこには常に「不正操作」が、つまり詐欺や瞞着が付きまとうのであり、むしろそれが金融の世界の常態と言ってよいほどのものでさえある。

 利子率というのは、銀行が貨幣商品を売り出す(貨幣を貸し出す)ときの「価格」であるが、一般の商品の価格とは大きく異なる。一般の商品の価格やそれを最終的に規定する価値というものは、社会の物質代謝を維持するに必要な諸商品の生産に、その時の生産力において、どの分野にどれだけの労働力を配分すべきかを示す指標であり、この社会を物的に維持するために、さまざまな偶然や攪乱を通して貫いている客観的な法則である。それに対して、利子率というのは、一方に貸付可能な貨幣資本があり、他方にそれを借り出す需要があったときに、その供給と需要によって決まってくるものでしかなく、客観的な基準というものは何もないのである(もちろん、利子も資本が労働者から搾取した剰余価値〔利潤〕から分割したものだから、社会全体の剰余価値〔利潤〕以上にはなりようはないという限度はあるのだが)。

 マルクスは信用には二つのものが概念的に区別されるべきと指摘している。一つは一般の商品が流通する過程で生まれる信用(商業信用)であり、もう一つは銀行などが貨幣を貸し出す場合の信用(貨幣信用、一般には「銀行信用」とも言われている)である。前者は再生産過程の内部の信用であり、後者は再生産過程の外部の信用である。もちろんこの二つの信用は現実には複雑に絡まり合って現れてくるのであるが、再生産過程の内部の信用には、物質的な再生産を構成するという客観的な基準はあるが、外部の信用である貨幣信用には、だからそうした客観的な基準というものはなく、よってこの場合の信用には、常に恣意性と人為性が付きまとうというのである。ただこの世界で問題になるのは、労働者から搾り取った剰余価値の分け前を巡る資本家同士の醜い争いであり,労働者には直接には無関係の、おどろおどろしい世界の話でしかないのだ。

 マルクスは次のように述べている。

 〈信用は、個々の資本家に、または資本家とみなされる人々に、他人の資本や他人の所有にたいする、したがってまた他人の労働にたいする、ある範囲内では絶対的な支配力を与える。……成功も失敗も、ここではその結果は同時に諸資本の集中になり、したがってまた最大の規模での収奪になる。収奪はここでは直接生産者から小中の資本家そのものにまで及ぶ。……そして、信用はこれらの少数者にますます純粋な山師の性格を与える。所有はここでは株式の形で存在するのだから、その運動や移転はまったくただ取引所投機の結果になるのであって、そこでは小魚は鮫(さめ)に呑みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまうのである。〉(全集25巻a559-560頁)

 金融諸現象はなかなか理解しずらい分野の一つであるが、しかし、『資本論』はそうした複雑な諸現象を基礎的な視点から解明する指針を与えてくれる。貴方も共に『資本論』を読んでみませんか?

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第49回「『資本論』を読む会」・案内


 

■日   時    8月26日(日) 午後2時~

■会  場   堺市立南図書館
      (泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

■テキスト  『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

主  催  『資本論』を読む会(参加を希望される方はご連絡くださいsihonron@mail.goo.ne.jp)

 

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第48回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-07-26 04:04:05 | 『資本論』

第48回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

 

 

◎政府事故調の最終報告

 23日、福島第一原発の政府の事故調査・検証委員会の最終報告が発表されました。

 これでこの種の事故調査報告は出揃ったことになるそうです。今回の報告書では、福島第一原発における東電の対処は第二原発におけるそれと較べても、「適切さが欠けていた」と指摘、先に出された国会事故調査委員会の報告と較べると、事故の背景にまで切り込むというより、ただ淡々と事実を述べたというような印象が強いように思えます。

 ところで、こうした一連の事故調査報告書に先駆けて、昨年10月、いち早く「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」という報告書を発表した大前研一氏は、先に発表された国会事故調査委員会の最終報告を、クソミソに批判しています(日経BPnet)。国会事故調の報告書は「しょせんは風聞を集めた三面記事のようなレベル」のものでしかなく、「幼稚な報告書を公表することで世界に対して恥をさらした」云々。

 すでに述べたように、国会事故調の報告書は、今回の事故を「人災」と断定し、根本的な原因は東電と規制官庁とが馴れ合って必要な対策を怠ってきたからだとしていました。大前氏はそれに対して、「究極の事故原因は外部電源がすべて崩壊したことだ」と自己の主張を対置しています。しかしその大前氏も、ではどうして外部電源がすべて崩壊したのかというと、それは「原子力安全委員会の『外部電源の長期喪失は考えなくてもいい』という指針があったから」だともいうのです。つまり「規制当局と東電の関係が『逆転関係』になり、原子力安全の監視・監督機能の崩壊が起きていた」という国会事故調の指摘に行き着くわけです。結局、大前氏の批判は言葉は辛辣ですが、その内容は“目くそ鼻くそ”の類に過ぎません。

 いずれにしても、すべての報告書が見ることができない本質的な原因は、原子力にしても、すべての科学や技術が資本主義的生産においては資本の生産力として存在しているという事実です。だからこそそれらは人間に対して疎遠で、そればかりか人間に敵対的な形でしか存在し得ないのです。

 一見すると、工場では労働者は直接機械に向き合い、それを操作し生産物を作っているかに見えます。しかし、労働者が機械などの生産力と結合して生産活動ができるのは、彼らが「賃労働」という社会的衣装をまとい、資本としての機械に対峙するからなのです。つまり労働者は決して直接機械に向き合いそれを操作しているのではなく、一定の社会的な関係、すなわち資本-賃労働という生産関係のもとでしかそれが出来ないのです。そしてそれは科学や技術においても同じことが言えるのです。科学者や研究者は、純粋に真理を追究し、技術を発達させようとしているかに自分では思っているかも知れません。しかし彼らが科学を研究し、技術の発展を追求できるのも、一定の社会的関係においてに過ぎないのです。だから現在の社会の物質的な生産力は直接労働者を豊かにするものとして存在しているのではなく、直接には資本が剰余労働を搾取し、利潤を上げるために存在しているのです。科学や技術も同じように資本の生産力として、その自己増殖欲に奉仕させられているのです。

 原子力発電のような膨大な自然力をコントロールしなければならない巨大な技術は、それだけ資本主義的生産様式の下では危険といわなければなりません。原発事故のもっとも本質的な原因はここに起因しているのです。

 やや前置きが長くなりすぎましたが、本題の学習会の報告に移りましょう。前回(第48回)は第2章の第9~11パラグラフを学習しました。さっそくその報告を行いましょう。

◎第9パラグラフ

 報告は、これまでと同じように、まず本文を紹介し、文節ごとに記号を打ち、それぞれについて平易に解説しながら、そのなかで学習会での議論も紹介していくことにします。なお、今回から見やすいように、本文は青字(太字)、平易な書き下しは太字(黒)とします。

【9】〈(イ)直接的な生産物交換においては、どの商品もその所有者にとっては直接的に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物である--もっとも、その商品がその非所有者にとって使用価値である限りでのことであるが。(ロ)したがって、交換品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態をまだ受け取ってはいない。(ハ)この形態の必然性は、交換過程に入りこむ商品の数と多様性との増大と共に発展する。(ニ)課題はその解決の手段と同時に生じる。(ホ)商品所有者が彼ら自身の物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者のさまざまな商品がその交易の内部で同一の第三の種類の商品と交換され、価値として比較されることなしには、決して生じない。(ヘ)このような第三の商品は、他のさまざまな商品にとっての等価となることによって、直接的に--たとえ狭い限界内においてにせよ--一般的または社会的な等価形態を受け取る。(ト)この一般的等価形態は、それを生み出す一時的な社会的接触と共に発生し、それと共に消滅する。(チ)この形態は、あれこれの商品に、かわるがわる、かつ一時的に帰属する。(リ)しかし、それは、商品交換の発展につれて、排他的に特殊な種類の商品に固着する。(ヌ)すなわち、貨幣形態に結晶する。(ル)それがどのような種類の商品に固着するかは、さしあたり偶然的である。(ヲ)しかし、一般的には、二つの事情が決定的である。(ワ)貨幣形態が固着するのは、外部から入ってくる最も重要な交易品--これは、事実上、内部の諸生産物がもつ交換価値の自然発生的な現象形態である--か、さもなければ、内部の譲渡されうる所有物の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものである。(カ)遊牧諸民族が最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が動かしうる、したがって直接的に譲渡されうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式が彼らをたえず他の諸共同体と接触させ、したがって、生産物交換へと誘いこむからである。(ヨ)人間はしばしば人間そのものを奴隷の姿態で原初的な貨幣材料としてきたが、土地〔Grund und Boden〕をそうしたことはかつてなかった。(タ)このような観念は、すでに発展をとげたブルジョア社会においてのみ出現しえた。(レ)その始まりは一七世紀の最後の三分の一期のことであり、その実施が国民的規模でこころみられるのは、それからやっと一世紀後、フランスのブルジョア革命の中においてであった。〉

 (イ)直接的な生産物の交換においては、どの商品の所有者にとっても、自分の商品は自分にとって必要な生産物を入手するための交換手段です。そして自分の持っていない(つまり相手が持っている)商品は、それが彼にとって自分の欲望を満たすもの(彼にとって使用価値であるもの)であなるならば、自分の商品の等価物となります。

 ここでもやはり〈直接的な生産物交換〉が問題になっています。これは当然です。というのは我々はこれから商品交換の歴史的発展を辿って如何にしてそれが貨幣を産み出すに至るかを見ていくわけですから、まだ貨幣は登場していないからです。しかし注意が必要なのは、先のパラグラフでは、交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)でしかなかったのですが、ここではすでに交換されるものは「商品」であることが前提されています。つまり交換されるものが商品であることが前提されながら、尚且つ、その交換が直接的な生産物交換であるような発展段階が問題になっていることが分かるのです。そしてこれは先のパラグラフから考えるなら、労働生産物の交換がある一定の広がりと深まりを獲得して、交換当事者が交換を目当てに、労働生産物を生産し始める段階だということが分かります。価値形態では形態II(全面的な展開された価値形態)の段階です。この段階では自身の価値をさまざまな商品で次々と表す商品は、すでに最初から交換を目当てに生産され、よってその価値性格が徐々に現れてくるものと言えるわけです。しかし、その商品と交換されるさまざまな物は、いまだ個別的・偶然的である可能性もあり、いまだ価値形態としては形態Ⅰの段階を抜けていないかも知れないのです。

 (ロ)だから交換される物は、いまだそれ自身の使用価値や交換する当事者の個人的欲望から独立した価値形態をまだ受け取っていません。

 自身の価値を次々とさまざまな商品で表現する形態IIの段階でも、それが想定する交換の歴史的な発展段階としては、当事者は、例えば遊牧民のように季節によって移動して、その移動の過程で接触するさまざまな定着農耕民と交換していく様な段階であり、こうした段階では、いまだ交換当事者自身の必要に応じて、それらは交換されると言えるでしょう。しかし、これがどんどん発展してゆけば、やがては遊牧民は、次の共同体との交易のことを考えて、その前に接触した共同体との交換では、特に自分には必要のない物品でも交換するようになってくるようになります。彼はそれをただ交換を目当てに交換するわけです。これはすでに商業民族としての登場ですが、こうした段階は早期に訪れたと考えられます。

 アフガニスタンとパキスタンに跨がって広く生活していたパシュトゥーン族は、冬季はパキスタン西部の低地にあり、春から夏にかけて、アフガンの高原まで羊を遊牧しながら、移動して生活していたのですが、彼らはその過程でアフガンの定着農耕民と農産物と羊を交換しながら遊牧していました。しかし、やがて彼らはアフガンの定着農耕民が必要とするさまざまな物品をパキスタンで仕入れて、それをも行き先々の農耕民と交易しながら、遊牧するようになったと昔読んだ本にはありました。カルタゴやフェニキアなど古代の商業民族も、最初は海洋民族として、さまざまな海に出かけてゆくなかで、その行く先々で海産物を交換するだけでなく、やがては、さまざまな物品を仕入れて、交換をするようにもっぱらなり、やがては商業民族として歴史の早くから登場したのではないでしょうか。

 またここでは〈それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態〉という言葉で出てきますが、これは後にも出てきます〈一般的等価形態〉を指しているのだと思います。

 (ハ)この形態(=「それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態」=「一般的等価形態」)の必然性は、交換過程に入り込む商品の数と種類の増大とともに発展します。

 (ニ)一般に課題はその解決の手段と同時に生まれます。

 この〈課題はその解決の手段と同時に生じる〉という言葉は、『経済学批判』序言にも、次のような形で出てきます。

 〈一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない。それだから、人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ。〉(全集13巻7頁、下線は引用者)

 (ホ)商品所有者が彼らの物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者のさまさまな商品がその交易の内部で、同じ第三の種類の商品と交換され、それによって価値として比較されることなしには、決して生じないのです。

 これはすでにある特定の商品が次々とさまさまな商品によって自らの価値を表すような展開された段階(形態II)とは異なります。この段階では、次々と自ららの価値を表す商品は、その価値性格を表してきますが、しかしその商品と交換されるさまざまな商品は、いまだまだ単純な段階、偶然的・一時的段階(形態Ⅰ)と考えられるからです。

 しかし、ここで想定している交換過程の発展段階は、こうしたものではなく、ある特定の商品が次々とさまざまな商品と交換され、その価値を表すだけではなく、その交換されるさまざまな商品そのものが互いに交換し合うような交換過程の発展段階を想定しているわけです。こうしたさまざまな商品の交換が行われるためには、しかし、第三の商品、例えば、展開された段階で次々にさまざまな商品と交換して、自分の価値を表した商品を尺度にして、そうした全面的に交換し合おうとする諸商品が、互いに価値を比較し合わないとそうした全面的な商品交換は不可能なのです。だからこれはすでに価値形態では形態IIが逆転された段階(形態III)、すなわち一般的価値形態の段階にあるものです。

 (ヘ)このような、その交易において、さまざまな商品がその価値を比較し合うための基準になるような商品は、他のさまざまな商品にとっての共通の等価物になることによって、最初はまだその交易の狭い範囲や限界のなかにおいてに過ぎませんが、一般的または社会的な等価形態を受け取ることになります。

 だからこうした第三の商品は一般的価値形態における一般的等価物になるのですが、しかし、マルクスは、こうした一般的等価形態そのものは、最初は、まだある交易の狭い範囲内の、限定された、限界のあるものに過ぎないことも指摘しています。

 (ト)(チ)
 この一般的等価形態になる商品は、最初はそれを生み出す交易と同様に、一時的または社会的な接触と共に発生し、それと共に消滅します。だからこの形態は、最初は、あれこれの商品に、かわるがわる、且つ一時的に帰属することになります。

 さまざまな商品が交換し合うような交易は、最初から恒常的にあったわけではなく、それ自体が一時的であったと考えられます。例えばある祭祀が行われる時期だけに開かれる市であるとか、ある時期に限って開かれる市というようにです。だから最初の一般的等価形態も、そうした交易が行われる時にだけ、その時点、時点である特定の商品に帰属し、別のある交易では、また別の商品がそうした形態を受け取るというようなものだったと考えられるわけです。

 (リ)(ヌ)
 しかし商品交換がさらに発展すると、徐々に、ある特殊な商品が恒常的にそうした役割を担うようになります。そしてそうなってくると、もはや他の商品がそうした役割を担うことが出来なくなるのです。そうなると、その交易は貨幣形態を獲得したことになるでしょう。

 商品交換の発展は、さまざまな商品が互いに交換される交易そのものが、一時的ではなくなり、恒常的になるとともに、交換されあう商品そのものもその数も増え、種類も多様になってきます。そうなるとそれらの価値を互いに比較し合う商品がその度に異なるのでは都合が悪くなってきます。だからますますある特定の商品が排他的にそうした役割を担うようになるわけです。つまり貨幣形態に結晶するわけです。そして一度、ある商品がそうした形態を受け取ると、他の商品はもはやそうした形態を受け取ることは出来なくなるわけです。

 (ル)(ヲ)(ワ)
 貨幣形態を受け取るのがどういう種類の商品であるのかは、さしあたりはまだ偶然が作用します。しかし、一般的には次の二つの事情がそれを決めます。

 一つは外部から入ってくる最も重要な交易品です。これは事実上、内部の諸生産物がその価値を表す自然なものだったと考えられます。

 もう一つの事情は、内部で譲渡されうる所有物のなかでもっとも主要な要素をなすよう使用対象です。例えば家畜のようなものです。

 貨幣形態そのものも、最初から、貴金属に結晶するとは限らないこと、最初はまだどの商品が貨幣になるかは、偶然的だとマルクスは指摘しています。しかし、二つの事情が決定的だと。

 一つは、外部からもたらされる物品のうち重要なものです。これはある意味では自然です。というのは、すでに指摘されてきたように、商品交換が発生するのは、共同体の内部からではなく、共同体が他の共同体と、あるいは他の共同体の成員と接触するところから生まれるからです。共同体の外部からその共同体にはない物品が交換によってもたらされるわけです。そうして始まった交換は、やがては共同体の内部に反射して、共同体の内部でも交換が盛んになり、共同体の成員同士でも互いに交換し合うことが想定されているわけです(しかしそのためにはすでに共同体の内部に私的所有が生まれ、共同体そのものが半ば崩壊しつつあることも前提されています)。だからこの場合、彼らにとって共通な尺度は、共同体の外部からもたらされた商品、そのうちの誰もが必要とする重要な商品がなるのは自然の成り行きなのです。

 共同体の内部でも商品交換が頻繁になると、やがて貨幣形態は、彼らにとって主要な使用対象をなすような商品に移っていきます。例えば、家畜のようなものです。私的所有の発生は、最初は、共同体において共有されているような土地などではなく、それぞれの家族が個人が占有している動産から生まれるとマルクスは指摘しています(そして家屋やその回りの菜園などから土地の私有も発生する)。しかし動産と言っても道具のようなものは、一般的ではないために、家畜などがそうした役割を担うことになったと考えられわけです。

 (カ)遊牧民族が最初に貨幣形態を発展させるのですが、それは彼らの全財産が動かしうるから、よって直接に譲渡可能なものからなっているからです。また彼らの生活様式が、つまり放牧によって一定の地域を移動する生活が、絶えず別の共同体と接触させ、だからそれぞれの接触する共同体と生産物の交換を促すことになるからです。

 イスラム教はムハンマド(マホメット)によって興されたとされていますが、ムハンマドが属したクライシュ族も、もとをただせばラクダを放牧して生活していた砂漠の民、ベドウィンの一部族でした。ところが、7世紀にビザンチン帝国とササン朝ペルシャの争いによって、ヨーロッパとアジアの通商路(いわゆる「絹の道」)が閉ざされたために、それに代わるものとして、紅海やアラビア半島の西南端を経由する通商路が開発され、その中継貿易を独占して栄えたのが、クライシュ族であり、イスラム教が興った歴史的背景でもあったと言われています。遊牧民族が商業民族へと発展するなかで、イスラム教も興ったわけです。いわゆる経典の民といわれるユダヤ教やキリスト教、イスラム教も、すべて神との契約をその教義としているように、商業民族から興ってきたと考えられています。

 (ヨ)(タ)(レ)
 人間はしばしば人間自身を奴隷として原初的な貨幣材料としてきましたが、不動産である土地をそうしたものにしたことはかつてありませんでした。土地を貨幣材料にするような観念が生まれるためには、土地を売買が発展するブルジョア社会においてのみ出現し得たからです。その始まりは17世紀の最後の3分の1期のことで、それが国家的規模で最初に実施されたのは、それからやっと一世紀後のフランスのブルジョア革命の時でした。

 ここでは奴隷が貨幣材料になったという指摘がありますが、『経済学批判』でも次のような指摘があります。

 〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値であることをやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度を越えることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の限界内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。〉(全集13巻34頁、下線は引用者)

 また『経済学批判要綱』には、次のような叙述があります。

 〈本源的に、貨幣として役立つであろう商品は、すなわち、欲求と消費の対象としてではなく、ふたたびそれを他の諸商品と交換で引きわたすために、交換で受けとられるであろう商品は--もっとも多く欲求の対象として交換され、通用し、したがってふたたび他の特殊的な諸商品と交換されうることがもっとも確実であり、したがってあたえられた社会的組織においてなにより第一に富を代表し、もっとも一般的な需要と供給との対象であり、特殊的な使用価値をもっている、そういった商品である。塩、毛皮、家畜、奴隷がそれであった。そのような商品は、実際上、商品としてのそれの特殊的な姿態において、他の諸商品よりもより多く交換価値としての自分自身に(残念だが、ドイツ語では、消費物と商い物の区別をうまく翻訳できない) 照応している。商品の特殊的な効用--特殊的な消費対象(毛皮)としてであれ、直接的な生産用具(奴隷) としてであれ--が、このばあいにはその商品に貨幣の烙印をおしている。ところが発展が進むにしたがって、ちょうどこの反対のことが起こってくるであろう。すなわち消費の直接的対象とか、または生産の用具とかであることのもっとも少ない商品が、まさしく、交換そのものの必要に役立つという側面をもっともよく代表するようになるであろう。第一のばあいには、商品はその特殊的な使用価値のゆえに貨幣になる。第二のばあいには、商品は、それが貨幣として役立つということから、その特殊的な使用価値を受けとる。永続性、不変性、分割可能性、再合成の可能性、大きな交換価値を小さな容積のなかに含んでいるので相対的に容易な運搬可能性、これらすべてのことがあるために、後の方の段階においては貴金属が特別に貨幣に適したものとされるのである。それと同時に、貴金属は、貨幣の最初の形態からの自然的移行をなしてもいる。生産と交換とがある程度高度になっている段階では、生産用具は諸生産物よりも優位を占める。しかも金属(最初は石) は最初の、しかも不可欠の生産道具である。古代人の貨幣においてとくに大きな役割を演ずる銅のぼあいには、生産用具としての特殊的な使用価値と、商品の使用価値から生じたのでなくて、交換価値としての商品の規定に照応するその他の諸性質(交換手段〔としての規定〕もそのなかに含まれている) との両方が、まだいっしょになっている。さらにつづいて、貴金属は、酸化しないことなどや、その均質性などによって、他の金属から区別され、そしてその次には、消費や生産のためのその直接的な効用はおとるが、その稀少性のゆえからしてすでに純粋に交換にもとつく価値を他の金属よりも多く表示していることによって、より高度な段階にいっそうよく適合している。貴金属は初めから剰余を、つまり富が最初に現象するところの形態を表わしている。金属でさえ、他の諸商品よりは好んで金属と交換される〉(草稿集①150-1頁、下線はマルクスによる強調、太字は引用者)

 またマルクスの抜粋ノートには、『ドイツ人の歴史』からの次のような引用があるのだそうです。

 〈「ホメロスやヘシオドスにあっては、金と銀ではなくて、羊と牡牛とが、価値尺度として、貨幣であった。トロイアの戦場では物物交換が行なわれた。」(ジェイコブ。)(同様に中世では奴隷がそうであった。同上。)〉(同上197頁)

 また学習会では、土地を貨幣材料とする観念が、〈17世紀の最後の三分の一期〉に出現したとありますが、それは具体的にはどのようなものかという質問がありましたが、調べてみましたが、ハッキリしたことは分かりませんでした。ただ〈その実施が国民的規模でこころみられ〉たとする「アシニャ紙幣」については、マルクスは色々なところで言及しています。それを紹介しておきましょう。

 〈ステュアートの意味での観念的貨幣に近いものとしては、フランスのアシニャ紙幣、すなわち「国民財産100フランのアシニャ」をあげることができよう。たしかにこの場合、アシニャがあらわすはずの使用価値、すなわち没収された土地は明示されていたが、度量単位の量的規定は忘れられていて、したがって「フラン」は無意味なことばであった。すなわち、1アシニャ・フランがどれだけの土地をあらわすかは、公けの競売の結果いかんにかかっていた。とはいえ、実際には、アシニャ・フランは、銀貨幣にたいする価値章標として流通し、したがってその減価は、この銀の度量標準で測られたのである。〉(『経済学批判』全集13巻64頁)

 〈一九世紀にはいって貨幣制度についての研究に直接の刺激をあたえたものは、金属流通の諸現象ではなくて、むしろ銀行券流通の諸現象であった。前者は、後者の諸法則を発見するために、さかのぼって研究されたにすぎない。一七九七年以来のイングランド銀行の兌換停止、それにつづいて起こった多数の商品の価格騰貴、金の鋳造価格のその市場価格以下への下落、とくに一八〇九年以来の銀行券の減価、これらは、議会内での党派闘争と議会外での理論上の試合とに直接の実際的な動機をあたえたのであって、いずれも等しく熱情的にたたかわれた。討論の歴史的背景となったものは、一八世紀の紙幣の歴史であった。すなわち、ローの銀行の破綻〔33〕、一八世紀のはじめからなかごろにかけて北アメリカのイギリス諸植民地で価値章標の量の増加にともなってすすんだ地方銀行券の減価、ついで、独立戦争中にアメリカ中央政府によって法律で強制された紙幣(大陸紙幣〔Continental bills〕)、最後に、なおいっそう大規模におこなわれたフランスのアシニャ紙幣の実験がこれである。当時のイギリスのたいていの著述家は、まったく別の法則によって規定される銀行券の流通を、価値章標または強制通用力をもつ国家紙幣の流通と混同しており、そして、この強制流通の諸現象を金属流通の法則で説明すると称しながら、じつは逆に、後者の法則を前者の諸現象から引き出している。われわれは、一八〇〇年から一八〇九年までの時期の多数の著述家たちをすべてとびこして、ただちにリカードに向かうことにする。それは、リカードが彼の先行者たちの説を総括しており、彼らの見解をいっそうするどく定式化しているからでもあり、また彼が貨幣理論にあたえた形態が現在までイギリスの銀行立法を支配しているからでもある。リカードは、彼の先行者たちと同様に、銀行券または信用貨幣の流通をただの価値章標の流通と混同している。彼の頭を支配していた事実は、紙幣の減価と、それと時を同じくする諸商品価格の騰貴とである。ヒュームの場合のアメリカの諸鉱山にあたるものは、リカードの場合にはスレッドニードル街〔34〕の紙幣印刷機であって、リカード自身もある個所で、この二つの要因をはっきりと同一視している。彼の初期の著作はもっぱら貨幣問題だけを扱ったものであるが、それらは、閣僚と主戦党とを味方としたイングランド銀行と、議会の反対党であるウィッグ党および平和党を周囲に結集したその反対者とのあいだで、きわめて激烈な論争がおこなわれていた時代に書かれた。これらの著作は、一八一〇年の地金委員会の有名な報告書の直接の先駆となったのであって、この報告書にはリカードの意見が採用されている〔*〕。貨幣をただの価値章標だと説明するリカードとその追随者たちとがBullionists(地金主義者)とよばれているのは奇妙なことであるが、これはたんにこの委員会の名称に由来するはかりでなく、彼の学説の内容自体にも由来している。リカードは、波の経済学にかんする著書で同じ見解をくりかえし述べ、さらに発展させているが、しかし彼が交換価値、利潤、地代等々についておこなったような研究は、貨幣制度そのものについては、どこでもおこなっていないのである。〉(同全集13巻145頁)

 なお草稿集③では同じ『批判』本文に対する注解として次のような説明があります。

 〈(3)〔注解〕 「アシニャ紙幣」--1790年4月1日、国民議会によって国債償還のために布告されたフランスの紙幣。はじめそれは没収された教会禄の価値の指図証であったが、のちには王室財産および亡命者の財産の指図証ともなった。その後アシニャ紙幣の発行が実際の流通必要量をはるかに凌駕するようになるにしたがって、経済ははなはだしい混乱に陥った。アシニャ紙幣のフランス語の銘文は、「国[有財産。何々リーヴル割当てと書かれている。〉(403頁)

 またマルクスはシーニアの著書からアッシニア紙幣に関連する部分を抜き書きしています。

 〈{アッシニア紙幣。「国民財産100フランのアッシニア紙幣。」法貨。それは、なにか特定のものを代表すると表明することさえしていない点で、他のすべての紙幣とは区別された。「国民財産」という言葉が意味していたのは、この紙幣をもって、〔革命のさいに〕没収された地所を、それの常設的競売の場で買うことによって、この紙幣の価値が維持されうる、ということであった。しかし、なぜこの価値が100フランと名づけられるのか、ということには根拠がなかった。この価値は、そのようにして購買できる土地の相対的な量とアッシニア紙幣の発行数とにかかっていた。(ナソー・W ・シーニア『貨幣調達費……に関する三つの講演』、ロンドン、1830年、78、79〔ぺージ〕。)〉(草稿集②665頁)

 (以下は、「その2」に続きます。)

 

 

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第48回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

2012-07-26 03:37:28 | 『資本論』

第48回「『資本論』を読む会」の報告(その2)

 

 

◎第10パラグラフ

【10】〈(イ)商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、したがって商品価値が人間労働一般の物質化にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。〉

 (イ)商品交換がますます盛んになり、局的な束縛を打ち破って拡大していくにつれて、商品の価値はますます人間労働一般が物質化したものとしての性格を強めていきます。そしてそれと同じ割合で、貨幣形態も、ますます一般的等価という社会的機能に適した商品に、すなわち貴金属に移っていきます。

 『経済学批判』には、〈一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ〉(全集13巻34頁)ると指摘されています。そして商品の価値がますます人間労働一般の物質化にまで拡大すると同時に、貨幣もまた貴金属に移っていくと指摘されています。貴金属が一般的等価という社会的機能に〈生まれながらにして適している〉という事情は、次のパラグラフで説明されています。

◎第11パラグラフ

【11】〈(イ)ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示している(43)。(ロ)しかし、われわれは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知らない。(ハ)すなわち、商品価値の現象形態として、または商品の価値の大きさが社会的に表現される材料として、役立つという機能だけである。(ニ)価値の適切な現象形態、または抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるのは、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質だけである。(ホ)他面、価値の大きさの区別は純粋に量的なものであるから、貨幣商品は純粋に量的な区別ができるもの、したがって任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できるものでなければならない。(ヘ)ところが、金銀は生まれながらにしてこの属性をそなえている。〉

 (イ)ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示しています。

 ここで学習会では、〈「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」〉ということが〈金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示している〉と言われているのですが、いま一つよく分からないという意見が出されました。どうして最初の文言が後の理由になるのかがいま一つ納得が行かないというのです。そこでこの一文が出てくる『経済学批判』をみてみることにしましょう。マルクスは、「4 貴金属」において、〈なぜほかの諸商品ではなく金銀が貨幣の材料として役だつかという問題〉(全集13巻130頁)について論じています。その内容を箇条書き的に紹介してみましょう。

 ①まず〈一般的労働時間そのものはただ量的な区別を許すだけであるから、その独特な化身として通用すべき対象物は、純粋に量的な区別をあらわすことができるものでなければならず、したがって質の同一性、一様性が前提とされる〉が〈金銀は、単一体としていつでもそれ自体同等であり、したがってそれらの等しい量は等しい大きさの価値をあらわす〉。(同)

 ②〈一般的等価物として役だつべき商品にとっての、純粋に量的な区別をあらわすという機能から直接に生じるいまひとつの条件は、それが任意の諸部分に細分することができ、また諸部分をふたたび合成することができるということであり、したがって計算貨幣が感覚のうえでもあらわされるということである。金銀はこれらの属性を非常によくそなえている。〉(同上131頁)

 ③〈流通手段としては、金銀は他の諸商品にくらべて次のような長所をもっている。すなわち、その比重が大きく、相対的に大きな重量を小さな容積であらわすことができるし、それにおうじてその経済的比重も大きく、相対的に大きな労働時間、すなわち大きな交換価値を小さな容量のうちにふくむことができる、ということである。これによって、運搬の容易さ、一人の手から他の人の手への、一国から他国への移転の容易さ、急速に出没する能力――要するに、流通過程の永久機関〔perpetuum mobile〕として役だつべき商品の必須条件〔sine qua non〕である物質的可動性が保証されている。〉(同)

 ④〈貴金属の高い価値比重、耐久性、相対的に破壊しにくいこと、空気に触れて酸化しないこと、金の場合にはとくに王水以外の酸に溶解しない性質、これらすべての自然的属性が貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料にする。〉(同)

 ⑤〈金属一般が直接的生産過程の内部でもつ大きな意義は、生産用具としての金属の機能と関連している。ところが金銀は、それらが稀少であることを度外視しても、鉄はもちろんのこと、銅(古代人の用いた合金状態の)とくらべてさえきわめて軟らかいので、生産用具として利用することができず、したがって金属一般の使用価値の基礎をなす諸属性を大幅に奪われている。金銀は直接的生産過程の内部ではこのように役にたたないのであるが、これと同様に、生活手段として、消費の対象として現われる場合にも、なければなくてもすむものである。だから金銀は、直接的な生産と消費との過程をそこなわずに、どんなに任意の量ででも社会的流通過程にはいることができるのである。〉(同上131-2頁)

 ⑥〈他方で金銀は、消極的な意味で余分な、すなわちなくてもすむ対象物であるばかりでなく、金銀の美的な諸属性は、それを華美、着飾り、盛装、日曜日にふさわしい諸欲望の天然の材料に、つまり贅沢と富の積極的形態にするのである。それらは、いわば地下界から掘り出されたまじり気のない光として現われる。というのは、銀はすべての光線をそれらの光線の本来の配合のままに反射し、金は最も強い色彩である赤だけを反射するからである。だが色彩感覚は美的感覚一般のうちで最もとっつきやすい形態である。〉(同上132頁)
 ⑦〈最後に、金銀が鋳貨の形態から地金形態へ、地金形態から奢侈品の形態へ、そしてまた逆の方向へ転化されうるということ、いちどあたえられた一定の使用形態に縛られないという他の諸商品にまさった長所、これらが金銀を、たえず一つの形態規定性から他の形態規定性に転化しなければならない貨幣の自然的材料にするのである。〉(同)

 このようにマルクスは金銀が貨幣としての社会的機能を果たす上で、優れている属性を上げたあと、次のように述べています。

 〈自然は銀行家や為替相場を生みださないのと同じように、貨幣を生みださない。しかしブルジョア的生産は、富を一個の物の形態をとった物神として結晶させざるをえないから、金銀は富のそれ相応な化身である。金銀は生まれながらに貨幣ではないが、貨幣は生まれながらに金銀である。一方では、銀または金の貨幣結晶は流通過程の産物であるばかりではなく、実際上その唯一の停留する産物である。他方では、金銀はできあがった自然生産物であって、それらは第二のものであるとともに、そのまま第一のものであり、なんらの形態的相違によっても区別されない。社会的過程の一般的生産物、または生産物としての社会的過程そのものが、一つの特殊な自然生産物であり、大地の奥ふかいところに隠れていて、そこから掘り出すことのできる金属なのである。〉(全集13巻132頁、下線は引用者)

 このマルクスの説明を見ると、〈金銀は生まれながらに貨幣ではない〉というのは、〈自然は銀行家や為替相場を生みださないのと同じように、貨幣を生みださない〉という意味だと分かります。そして同じように〈貨幣は生まれながらに金銀である〉というのは、貨幣というのは、人間の社会的関係が物の形態をとったものであり、ブルジョア的生産では、こうした物象的関係は不可避に生まれくること、だから物象的関係である貨幣は、生まれながらにして金銀という物的なものに癒着して登場するのだというわけです。そして金銀が貨幣という社会的機能を果たす上で物性的に優れていることは、すでに縷々述べてきたということだと思います。

 (ロ)(ハ)
 しかし私たちは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知りません。つまり、商品の価値の現象形態として、あるいは商品の価値の大きさを社会的に表す材料として、役立つという機能だけです。

 〈金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適している〉と言っても、私たちがまだ貨幣の機能として知っているのは、価値の現象形態であり、価値の大きさをその物的素材によって表すという機能だけだとマルクスは指摘しています。これは後に第3章「貨幣または商品流通」に出てくる説明にもとづけば、「価値尺度の機能」と言えます。その意味では、(イ)の解説のなかで紹介した『経済学批判』の一連の説明は貨幣のそれ以外の諸機能(流通手段としての機能等)も含んだものだったと言えます。

 (ニ)価値の適切な現象形態、すなわち抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるためには、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質でなければなりません。

 この属性は、先に紹介した『批判』で指摘されていたものとしては、①に該当しますが、『批判』では、必ずしも質と量とが明確に区別されて論じられていないことが分かります。

 (ホ)また価値の大きさの区別は純粋に量的なものでしかありませんから、貨幣商品は、純粋に量的に区別ができるもの、だから任意に分割できて、その分割された諸部分から再び合成できるものでなければなりません。

 これは『批判』の説明では①と②に該当します。

 (ヘ)ところが、金銀は生まれながらにして、こうした諸属性をそなえています。

 全集版や新日本新書版では〈この属性をそなえている〉となっていますが、これでは〈この属性〉が指しているのは、直前の〈任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できる〉というものだけと誤解されかねません。やはりここは(ニ)(ホ)で述べられている二つの属性を指しているわけですから、やはり「こうした諸属性」と訳すべきでしょう。因みに長谷部訳では「こうした諸属性」となっています。

◎注42と43

 第11パラグラフには二つの注がついていますが、それらも本文を紹介し、簡単な解説を加えておきます。

【注42】〈(42) カール・マルクス『経済学批判』、135ページ〔『全集』、第13巻、132ページ〕。「これらの金属は・・・・生まれながらにして、貨幣である」(ガリアーニ『貨幣について』、所収、クストーディ編、前出叢書、近代篇、第三巻、一三七ページ)。〉

 この注によれば、先に見た『経済学批判』に出てくる〈金銀は生まれながらに貨幣ではないが、貨幣は生まれながらに金銀である〉という一文は、ガリアーニの『貨幣について』の中の主張に対置されたものだということが分かります。ただ『批判』では、ガリアーニの『貨幣について』からの引用は幾つかありますが、上記の一文の引用はありませんでした。マルクスはガリアーニついて、〈多かれ少なかれ適切な着想で商品の正しい分析にふれている一連のイタリアの経済学者たち〉(全集13巻42頁)の一人とみていたようです。

【注43】〈(43) これについての詳細は、前出の私の著作の中の「貴金属」の節を見よ。〉

 この注で触れている〈「貴金属」の節〉の内容については、すでに本文の(イ)の解説のなかで詳しく紹介した通りです。

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【付属資料】

●第9パラグラフ

《初版本文》

 〈直接的な生産物交換にあっては、どの商品も、その所持者にとっては直接的な交換手段であり、その非所持者にとっては等価物である。といっても、それが非所持者にとって使用価値であるというかぎりにおいてのことでしかないが。だから、この交換品は、それ自身の使用価値または交換者の個人的必要から独立した価値形態を、まだなんら獲得していない。こういった形態の必然性は、交換過程にはいってくる諸商品が数を増し多様になるにつれて、発展する。課題は、その解決手段と同時に生まれる。商品所持者たちに彼ら自身の物品を他のいろいろの物品と交換させ、したがって比較させる交易は、いろいろな商品所持者たちのいろいろな商品が、これらの商品の交易の内部で、一つの同じ第三の商品種類と交換されたり価値として比較されたりしなければ、けっして行なわれない。このような第三の商品は、それがいろいろな他商品にたいする等価物になることによって、たとい狭い限界内であろうとも、一般的なあるいは社会的な等価形態を直接に獲得する。この一般的な等価形態は、それを産み出した一時的な社会的接触とともに、生成し消滅する。かわるがわるしかも一時的に、それはあれこれの商品に帰属する。ところが、商品交換の発展につれて、それは排他的に、特殊な商品種類に固着する、すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類に付着したままになるかは、最初は偶然的である。とはいえ、一般には二つの事情がことを決定する。貨幣形態は、事実上域内諸生産物の交換価値の自然発生的な現象形態である最も重要な外来の交換品に、付着するか、または、域内の譲渡可能な財産の主要な要素を成している使用対象に、たとえば家畜のようなものに、付着する。遊牧民族が最初に貨幣形態を表示するが、そうなるのは、彼らの全財産が可動的な形態、したがって直接的に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が、彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって、彼らに生産物交換を促すからなのである。人聞はしばしば、人間そのものを奴隷の形で原始的な貨幣素材にしたが、土地については、そうしたことはけっしてなかった。土地を貨幣素材にするような考えは、すでにできあがった市民社会においてのみ生ずることができた。このような考えは一七世紀の最後の三分の一期に始まり、このような考えの一国的な規模での実施は、一世紀後に、フランス人たちのブルジョア革命において、初めて試みられたのである。〉(75-6頁)

《フランス語版》

 〈直接的な生産物交換では、各々の商品は、それを所有する人にとっては直接的な交換手段であるが、それを所有しない人にとっては、それが彼にとって使用価値であるばあいにかぎって等価物になる。したがって、交換物品はまだ、それ自身の使用価値あるいは交換者たちの個別的必要から独立した価値形態を、全然獲得していない。この形態の必然性は、しだいに交換のうちに入りこむ商品の数と多様性とが増すのにつれて発展するのであって、課題はその解決手段と同時に生まれる。さまざまな商品が価値として、そのさまざまな持ち主によって同一の第三の商品種類と交換され、比較されなければ、これら商品の所有者たちはけっして自分の物品を他のさまざまな物品と交換し、比較することがない。このような第三の商品は、他のさまざまな商品にたいして等価物になることによって、狭い限界内ではあるが、一般的あるいは社会的な等価形態を直接に獲得する。この一般的等価形態は、これを産んだ一時的な社会的接触とともに発生し消滅するのであって、迅速にしかもかわるがわる、あるときはある商品に、あるときは別の商品に付着する。交換がある程度の発達に到達してしまうやいなや、この一般的等価形態はもっぱら特殊な商品種類に付着する、すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類に固定されたままになるかは、最初は偶然によってきまる。しかし、一般には二つの決定的な事情による、と言ってよい。貨幣形態は、域内生産物の交換価値を実際上最初に示すような最も重要な輸入物品に付着するか、あるいは、たとえば家畜のごとき、その域内の譲渡可能な富の主要素をなすような物体あるいはむしろ有用物に、付着する。遊牧民が最初に貨幣形態を発展させる。というのは、彼らの財貨と財産のどれもが、動産形態、したがって、直接に譲渡可能な形態にあるからである。さらに、彼らの生活様式は、彼らを外部の社会と絶えず接触させ、まさにそのために、彼らを生産物交換に駆り立てる。人間はしばしば、人間自身を奴隷の形で自分の原始的な貨幣材料にした。土地については、こうしたことは一度もなかった。そのような思いつきは、すでに発達したブルジョア社会ではじめて生まれることができた。そのような思いつきは一七世紀の最後の三分の一期に始まっており、その実現はそれからやっと一世紀後、フランスの一七八九年革命において、全国的に大規模に試みられたのである。〉(65-6頁)

●第10パラグラフ

《初版本文》

 〈商品交換がそれの単なる地方的な枠を突破し、したがって、商品価値が人間労働一般の具象物にまで広がってゆくのと同じ割合で、貨幣形態が、一般的な等価物という社会的機能に生来適している諸商品の上に、貴金属の上に、移ってゆくのである。〉(76頁)

《フランス語版》

 〈交換が純粋に地方的な絆を断ち、その結果、商品の価値がますます人間労働一般を代表するようになるにつれて、貨幣形態は、一般的等価物の社会的機能を果たすに適した性質をもつ商品、すなわち貴金属に、移行する。〉(66頁)

●第11パラグラフ

《初版本文》

 〈ところで、「金銀は生来貨幣でなくとも、貨幣は生来金銀である(37)」ということは、金銀の自然的な諸属性が貨幣の諸機能に適合していることを、示している(38)。ところが、われわれはこれまで、貨幣の一つの機能しか知らない。その機能は、商品価値の現象形態として、あるいは、諸商品の価値量がそのなかで社会的に表現されるところの素材として、役立っているという機能である。価値の適当な現象形態、あるいは、抽象的でありしたがって同等である人間労働の具象物は、ある物質--この物質のすべての見本が同じ一様な質をもっている--でしかありえない。他方、価値量の差異は、純粋に量的であって、凝固した労働時間のいろいろな量を表現しているから、貨幣商品は、純粋に量的な区別が可能なもの、つまり、随意に分割可能でありまたそれの諸部分から再び合成可能なもの、でなければならない。ところが、金銀は生来これらの属性をもっている。〉(76-7頁)

《フランス語版》

 〈さて、「銀と金は生来貨幣ではないが、そういっても貨幣は生来銀と金である」ということは、これら金属の自然属性と貨幣の機能とのあいだに存在する一致と類似とを、示している(7)。だが、われわれがこれまでに知っている貨幣の機能は、一つの機能--商品価値の表示形態として役立つ、すなわち、商品の価値量を社会的に表現するための材料として役立つ、という一つの機能--だけである。ところで、価値を表示するのに適切な形態でありうる、すなわち、抽象的な、したがってまた同等な人間労働の具体的な形象として役立ちうる材料は、たった一つしかない。それは、どの一片も同じ画一的な質を有する材料である。他方、価値は量だけが異なるのであるから、貨幣商品は、純粋に量的な差を示しうるものでなければならない。貨幣商品は、任意に分割可能なものであり、その諸部分の総和で再構成されうるものでなければならない。金と銀が生来これらの属性のすべてをもっていることは、誰でも知っている。〉(66-7頁)

●注42と43

《初版本文》

 〈(37)カール・マルクス、前掲書〔『経済学批判』〕、135ページ。「貴金属は……生来貨幣である。(ガリアーニ『貨幣について』、所収、クストディの叢書、近世篇、第三巻、72ページ。)〉(77頁)

 〈(38) これについてさらに詳しいことは、私の前記著書の「貴金属」という節を参照せよ。〉(77頁)

《フランス語版》

 〈(6) カール・マルクス『経済学批判』、135ぺージ。「貴金属は生来貨幣である」(ガリアーニ『貨幣について』、クストディの叢書に所収、近世の部、第三巻、137べージ)。〉(67頁)

 〈(7) この問題についてさらに詳細なことは、すでに引用した私の著書の「貴金属」の章を見よ。〉(67頁)


 

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第48回「『資本論』を読む会」の案内

2012-07-14 10:11:48 | 『資本論』

『 資 本 論 』  を  読  ん  で  み  ま  せ  ん  か 

                                    

                                      

 

  福島第一原発の国会事故調査委員会の最終報告書が出された。

 

 今回の報告書は、「この事故が『人災』であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった」とするなど、これまで出された政府や民間等の幾つかの調査報告書より、より踏み込んだ内容になっている。

 例えば「事故の根源的な原因」は、3.11以前にあるとし、福島第一原発はそもそも地震にも津波にも耐えうる保証の無い脆弱な状態であったこと、にも関わらず、事業者である東電や規制当局である原子力安全委や安全・保安委、経産省が馴れ合って、「それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった」からだとしている。

 具体的には、2006年、耐震基準が改訂され、保安院が、耐震安全評価の実施を求めたが、東電は、報告を先送りし、耐震補強工事の必要を認識しながら、まったく実施していなかった。保安院もそれを黙認していた。また同年には、原発の敷地を超える津波が来た場合に全電源喪失に至ることは、保安院と東電の間で認識は共有されていたにも関わらず、東電は対応を先延ばしし、保安院も明確な指示を怠った、等々と指摘し、「このように、今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった」としている。

 「東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。
 このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。
 事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた」等々。

 このように今回の報告書では、これまで指摘されてこなかった新しい知見もあるが、なぜ、東電や規制当局は、こうした「人々の命と社会を守るという責任感」を「欠如」させたのか、という点については、当然のことながら、何も明らかにすることは出来ていない。

 日本が高度成長で有頂天になり、「自信」が次第に「おごり」変わったからとか、国民の命を守るより、「組織の利益を守る」ことが優先されたからだとか、色々と現象的なことが書きつらねられているだけである。

 しかし、根源的にはすでに何度も指摘してきたが、原子力発電が「資本の生産力」として存在し、国家が「資本の国家」であるからである。

 〈科学や自然力や大量の労働生産物のこのような社会的労働に基づく充用は、すべてそれ自身ただ労働の搾取手段としてのみ、剰余労働を取得する手段としてのみ、それゆえ、労働に対立し資本に所属する諸力としてのみ現われる……このようにして労働の社会的生産力の発展もこの発展の諸条件も、資本の行為として現われるのであって、これにたいして個々の労働者は受動的な態度をとるだけでなく、むしろ労働者に対立してこれが進行する。〉(『学説史』26巻 I 498頁)

 そして〈われ亡きあとに洪水は来れ! これが資本家、すべての資本家国家の標語なのである。〉(『資本論』23a353頁)。

 原子力発電など膨大な自然力をコントロールし、それだけに一層危険と隣り合わせの巨大な技術は、歴史的には、もはや資本主義的生産様式のなかでは制御不能なものとして存在しているということを我々は知らなければならない。

 そのために貴方も、共に『資本論』を読んでみませんか!

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第48回「『資本論』を読む会」・案内


■日   時    7月15日(日) 午後2時~

■会  場   堺市立南図書館
      (泉北高速・泉ヶ丘駅南西300m、駐車場はありません。)

■テキスト  『資本論』第一巻第一分冊(どの版でも結構です)

■主  催  『資本論』を読む会(参加を希望される方はご連絡くださいsihonron@mail.goo.ne.jp)

 

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第47回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

2012-07-07 18:39:16 | 『資本論』

第47回「『資本論』を読む会」の報告(その1)

 

 

◎原発再稼働反対デモに20万人!

 毎週金曜日に首相官邸前で行われてきた原発の再稼働に反対する集会は、6月22日は主催者発表で4万5千人とされていましたが、7月1日の大飯再稼働を前にして、29日には、爆発的と言ってもよいほど増えて、同20万人という規模に膨れ上がりました。

 これは政党や労働組合等による組織的な動員などはまったくなく、ごく普通の市民が、ツィッターなどインターネットで得た情報をもとに集まったものだと言います。だから動員規模が大きくても、統制がとれず、ただ集まり、思い思いに抗議の意志を示したというものに過ぎないのかも知れません。しかし、これがさらに膨れ上がって、「アラブの春」のように何百万人もの規模になれば、そして自然発生的にせよ、何らかの組織的な統制がとれてくれば、時の政権といえども無視することは出来なくなるでしょう。

 その意味では、インターネットという新しい情報機器とネットワークの形成は、政治的闘いの形態そのものを変化させ、旧態然たる古い組織にしがみついているような運動体はもはや現実の運動から見放され、新しい階級闘争の形態から弾き飛ばされてしまうのかも知れません。

 しかし現実の運動形態がどのように変わろうとも、その運動がめざす将来の社会が、自覚した個人によって自主的に営まれるものであるならば、それは彼らが、彼らをとりまく客観的な歴史的・社会的な現実を科学的に認識して、彼ら自身の社会的物質代謝を意識的に統制することでもあります。つまり、現実を科学的に認識することは不可欠の契機なのです。だからこそ、現実の資本主義的生産様式とそれが不可避に向かうであろう未来の新しい生産様式の萌芽を理論的に解明している『資本論』から真剣に学ぶことも、また不可欠のことだろうと思っています。

 というわけで、“我田引水”の誹りを受けそうですが、私たちの「『資本論』を読む会」は、一見迂遠のようでいて、その意義は大きいものと確信します。

 まあ、その意義を確認したところで、前回の報告を行うことにします。前回は第7と第8の二つのパラグラフを進みました。これまでと同じように、まず本文を紹介し、各文節ごとに記号を付して、それぞれについて平易な解読を行いながら、そのなかで議論の紹介も行っていくことにします。

◎第7パラグラフ

【7】〈(イ)貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際にたがいに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。(ロ)交換の歴史的な拡大と深化は、商品の性質のうちに眠っている使用価値と価値との対立を発展させる。(ハ)交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立した形態が最終的に達成されるまでとどまるところを知らない。(ニ)したがって、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合で、商品の貨幣への転化が生じるのである(40)。〉

 (イ)貨幣というのは、種類の違う労働生産物が実際にたがいに等置されて、商品に転化される交換過程の必然的な産物なのです。

 先のパラグラフでは、それまで分析されてきた交換過程の矛盾が、結局は、現実の交換過程における当事者である商品所持者たちの社会的行為によって、そうした矛盾は解決されること、だから諸商品のなかでどの商品が貨幣になるかは歴史的・社会的に決まってくることが指摘されたのでした。
 だからこのパラグラフでは、そうした指摘を受けて、だから貨幣結晶というのは、交換過程の必然的産物であり、それは商品に内在する対立が、交換の歴史的発展のなかで、外的な対立として表示されたものだという指摘がされています。
 同じような説明は、『経済学批判』でも次のようになされています。

 〈それ(貨幣--引用者)は、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。〉(全集13巻33頁)〈貨幣は反省や申合せの産物ではなく、交換過程のなかで本能的に形成されるのであるから、きわめて多様な、多かれ少なかれ不適当な諸商品が、かわるがわる貨幣の機能を果たしてきた。交換過程の発展のある段階で、交換価値と使用価値との規定が諸商品のあいだに両極的に配分され、たとえば一つの商品は交換手段として機能するのに、他の商品は使用価値として譲渡されるようになる必然性にともなって、いたるところで最も一般的な使用価値をもっている一つまたはいくつかの商品が、さしあたり偶然に貨幣の役割を演じるようになる。これらの商品が当面の欲望の対象ではないにしても、素材の点で富の最も重要な構成分であるというその定在が、それらに他の使用価値よりもいっそう一般的な性格を保証する。〉(同34頁)

 (ロ)(ハ)交換の歴史的な広がりと深まりは、商品のなかに眠っている使用価値と価値との対立を発展させます。そして交易の必要のために、この対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によって、この自立した形態が最終的に達成されるまでとどまることを知らないのです。

 (ニ)だから、労働生産物の商品への転化が行われるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化も生じてくるのです。

 さて、学習会では、このパラグラフの位置づけについて若干の議論になりました。報告者のJJ富村さんは、このパラグラフは、次のパラグラフへの橋渡しの位置にあるのではないかとの意見でしたが、亀仙人は、そうした位置づけもあるが、むしろそれまでの交換過程の矛盾の分析を踏まえて中間的に総括する位置づけもあるのではないかと主張しました。つまり第6パラグラフで、交換過程の矛盾は、結局は、社会的行為によって解決されること、それは理論の問題ではなくて、現実の交換過程の歴史的・社会的行為そのものが解決する問題だという指摘を受けて、貨幣は交換過程の必然的結晶であることが指摘され、交換過程の歴史的発展こそが貨幣を産み出したということがこのパラグラフでは指摘されていると思います。そして次のパラグラフから、実際の諸商品の交換の歴史的考察が始まると考えられるわけです。

 ところで、このパラグラフは、他のパラグラフに較べて、初版本文が比較的大きく書き換えられたところでもあります。初版本文では次のようになっていました。

 〈貨幣結晶は、諸商品の交換過程の必然的な産物である。使用価値と交換価値との直接的な統一としての商品の、有用な諸労働の一つの自然発生的な総体系すなわち分業の個々別々にされた一肢体であるにすぎない有用な私的労働の生産物としての商品の、そしてまた、抽象的な、人間的な、労働の直接的に社会的な具象物としての商品の、内在的な矛盾--この矛盾は、それが商品と貨幣とへの商品の二重化の形をとるまでは、とまりもしなければ休みもしない。だから、労働生産物の商品への転化が行なわれるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が行なわれるのである(35)。〉(73-4頁)

 この初版本文と較べると第二版では歴史的な考察が前面に出ているような気がします。マルクスは、実際、次のパラグラフから交換の歴史を辿り、そこから如何にして貴金属が貨幣として商品世界から排除されていくかを明らかにするのですが、このパラグラフは、そのための導入であるとともに、それまでの交換過程の分析を締めくくるものでもあると言えるのではないでしょうか。

◎注40

【注40】〈(40) これによって、小ブルジョア社会主義の小ずるさを判断されたい。それは、商品生産を永遠化し、しかも同時に「貨幣と商品との対立」を、したがって、貨幣そのものを--というのは、貨幣はこの対立においてのみ存在するのだから--廃止しようとするのである。それができるなら、教皇を廃止して、しかもなおカトリック教会を存続させることもできるであろう。これについての詳細は、私の著作『経済学批判』の61ページ以下〔『全集』、第13巻、66ページ以下〕。〉

 この注は貨幣は商品交換の歴史的発展の必然的産物であり、だから商品生産を認めながら、貨幣を無くそうという小ブルジョア社会主義者たちの主張の無意味さを指摘していると思いますが、ここに出てくる〈小ブルジョア社会主義〉については、すでにこれまで出てきた原注24と38でも次のように紹介されていました。

 〈(24) じっさい、一般的直接的交換可能性の形態を見ても、それが一つの対立的な商品形態であって、ちょうど一磁極の陽性が他の磁極の陰性と不可分であるように非直接的交換可能性の形態と不可分であるということは、けっしてわからないのである。それだからこそ、すべての商品に同時に直接的交換可能性の極印を押すことができるかのように妄想することもできるのであって、それは、ちょうど、すべてのカトリック教徒を教皇にすることができると妄想することもできるようなものである。商品生産に人間の自由と個人の独立との頂点を見る小市民にとっては、この形態につきもののいろいろな不都合、ことにまた諸商品の非直接的交換可能性から免れるということは、もちろんまったく望ましいことであろう。この俗物的ユートピアを描きあげたものがプルドンの社会主義なのであるが、それは、私がほかのところで示したように、けっして独創という功績などのあるものではなく、むしろ彼よりもずっと前にグレーやブレーやその他の人々によってもっとずっとよく展開されたのである。こういうことは、このような知恵が今日でもある種の仲間のあいだでは「科学」という名のもとに流行しているということを妨げないのである。プルドンの学派ほど「科学」という言葉を乱用した学派はかってなかった。じっさい、
   「まさに概念の欠けているところに、
   言葉がうまくまにあうようにやってくるものなんだ。」〉

 〈(38) プルドンは、まず第一に、正義、永遠の正義という彼の理想を、商品生産に対応する法的関係から汲み取る。ついでに言えば、これによって、商品生産という形態も正義と同様に永遠だというすべての俗物にとって大いに慰めになる証明も与えられるのである。次に彼は、逆に、現実の商品生産やそれに対応する現実の法をこの理想に従って改造しようとする。もしも、物質代謝の現実の諸法則を研究して、これを基礎として、一定の課題を解決しようとはしないで、そのかわりに「自然状態」や「親和性」という「永遠の理念」によって物質代謝を改造しようとする化学者があるとしたら、ひとはこんな化学者をどう思うだろうか? ひとが、高利は「永遠の正義」や「永遠の公正」や「永遠の相互扶助」やその他の「永遠の真理」と矛盾すると言うとき、ひとが「高利」について知るところは、教父たちが、高利は「永遠の恩寵」や「永遠の信仰」や「神の永遠の意志」と矛盾すると言ったとき、彼らが高利について知っていたところよりも、はたしてより多いであろうか?〉

 またこの注では、『経済学批判』が参考文献に上げられていますが、『批判』の当該部分ではジョン・グレーの〈労働時間を貨幣の直接の度量単位だとする学説〉が批判されています。グレーは商品に含まれている労働を直接尺度にして銀行を介して、社会的に生産物の交換が可能としたのですが、それに対して、マルクスは次のように批判しています。

 〈労働時間が価値の内在的尺度であるのに、なぜそれとならんでもうひとつの外在的尺度があるのか? なぜ交換価値は価格に発展するのか? なぜすべての商品は排他的な一商品でその価値を評価し、こうしてこの商品が交換価値の十全な定在に、貨幣に転化されるのか? これこそグレーの解決しなければならなかった問題であった。これを解決するかわりに、彼は商品は社会的労働の生産物として直接互いに関係しあうことができる、と想像する。だが諸商品は、ただそれらがあるがままのものとして互いに関係しあえるにすぎない。諸商品は、直接には個別化された独立の私的労働の生産物であって、これらの私的労働は、私的交換の過程でその外化によって、一般的社会的労働であるという実を示さなければならない。すなわち、商品生産を基礎とする労働は、個人的労働の全面的な外化によってはじめて社会的労働となるのである。ところがグレーは、商品にふくまれている労働時間を直接に社会的なものと想定するのだから、彼はそれを共同体的な労働時間、つまり直接に結合された諸個人の労働時間だと想定することになる。そうだとすると、実際上、金や銀のような独特な一商品が、一般的労働の化身として他の諸商品に対立することはできないし、交換価値は価格とはならないであろう。それで使用価値も交換価値にならず、生産物は商品とならず、こうしてブルジョア的生産の基礎が揚棄されてしまうであろう。しかし、グレーの意見は、けっしてこうではない。生産物は商品として生産されなければならないが、商品として交換されてはならない 、というのである。グレーは、この敬虔な願望の達成を国民銀行にまかせる。社会は一方では、銀行のかたちで個人を私的交換の諸条件から独立させ、他方では、同じ個人に私的交換の基礎のうえで生産をつづけさせる。しかしグレーは、ただ商品交換から発生する貨幣を「改良」しようとしただけなのに、内面的に首尾一貫させようとして、彼はブルジョア的生産諸条件をつぎからつぎへと否定することになった。こうして彼は、資本を国民資本に、土地所有を国民的所有に転化させる。そして彼の銀行をこまかく観察すると、それは一方の手で商品を受け取り、他方の手で提供された労働にたいする証明書を発行するだけでなく、生産そのものをも統制していることがわかる。グレーはその最後の著作『貨幣にかんする講義』で、小心翼々として、彼の労働貨幣が純粋にブルジョア的な改良だ、と述べようとしているが、もっとひどい矛盾におちいっている。〉(全集13巻67-68頁)

◎第8パラグラフ

【8】〈(イ)直接的な生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。(ロ)あの形態は、x量の商品A=y量の商品B であった。(ハ)直接的な生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B である(41)。(ニ)AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品となる。(ホ)ある使用対象が可能性からみて交換価値である最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える量の使用価値としての、その定在である。(ヘ)諸物はそれ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって譲渡されうるものである。(ト)この譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、黙って、その譲渡されうる諸物の私的所有者として、またまさにそうすることによって相互に独立の人格として、相対しさえすればよい。(チ)しかし、このようにたがいに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては--その共同体が、家父長制的家族の形態をとっていようと、古インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと--存在しない。(リ)商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸成員と接触する点で、始まる。(ヌ)しかし、諸物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になる。(ル)諸物の量的交換比率は、さし当りはまったく偶然的である。(ヲ)それらの物が交換されうるものであるのは、それらをたがいに譲渡し合おうとする所有者たちの意志行為によってである。(ワ)しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってくる。(カ)交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的過程にする。(ヨ)したがって、時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換めあてに生産されざるをえなくなる。(タ)この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性とのあいだの分離が確定する。(レ)諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離する。(ソ)他面では、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになる。(ツ)慣習はそれらの物を価値の大きさとして固定させる。〉

 (イ) 直接的な生産物の交換、つまり物々交換では、一面では単純な価値表現の形態を持っていますが、他面ではまだそれを持っていません。

 ここから商品の交換過程の歴史的な発展の考察が始まるのですが、マルクスは、商品の交換の原生的形態として、労働生産物(使用価値)が商品になる条件の考察から始めています。『経済学批判』では、次のように述べています。

 〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。〉(全集13巻34頁)

 つまり、まず労働生産物が商品になるのは歴史的にはどういう場合かという形で問題を始めているのです。労働生産物が商品になるのは、労働生産物の交換が一定の広がりと深さを獲得してからであることは、すでに第1章第4節のなかで、次のように述べていました。

 〈労働生産物は、それらの交換の内部で、はじめてそれらのたがいに感性的に異なる使用対象性から分離された、社会的に同等な、価値対象性を受け取る。有用物と価値物とへの労働生産物のこの分裂がはじめて実際に発現するのは、有用物が交換を目あてに生産されるまでに、したがって、諸物の価値性格がすでにそれらの生産そのものにおいて考慮されるまでに、交換が十分な広がりと重要性とを獲得した時である。99頁)

 第36回の報告では、この部分を、ここに出てくる「価値物」の理解と関連させて、次のように解説しました。

 【ここでは交換されるのは「労働生産物」です。そして交換関係に潜む価値の表現形態ではなく、実際の交換そのもの(その歴史的な発展段階)が問題になっています。労働生産物の価値性格がハッキリ現れてくるのは、労働生産物の交換の一定の発展段階においてだということが指摘されているのです。その意味では、労働生産物の価値性格が明確に現れてきて、初めて労働生産物は「商品」になるとも言えるわけです。そうした問題を論じるなかで、「価値物」というタームが出てくるということがまず確認されなければなりません。
 そしてパラグラフの本文にそって問題を考えてみますと、そこでは労働生産物が価値を持つのは、労働生産物の交換の内部においてであること、しかも、その労働生産物の交換がある程度発展して初めて、そうした労働生産物の価値性格がハッキリ現れてくるのだと述べているわけです。
 われわれが商品の価値の形態を問題にした時には、交換されるのは商品であることは当然のことながら、前提されていました。しかし、このパラグラフでは、労働生産物が交換され、その交換される労働生産物が価値を持つようになるのは、どういう交換の発展段階かが問題になっているのです。労働生産物は一つの有用物です。つまりそれは本来は、直接に生産者の欲望を満たすものなのです。生産者は自らの欲望を満たすために、物を作るわけです。しかし、それが価値という性格を持つのは、もはやそれが彼の、つまりその労働生産物を生産した者の欲望を直接満たすものとしてではないのです。それは生産者にとっては、それ以前に持っていた有用物としての性格とは違ったものとして、すでに彼には現れているのだ、というわけです。だからマルクスはそうした性格は、有用物とは〈分裂して〉現れてくると述べているのだと思います。つまり労働生産物の交換が発展して、生産者がその生産物の価値性格を意識するような段階、つまり交換を目的に生産を行うような段階、そのような段階においては、労働生産物はもはや生産者の直接欲望を満たす有用物ではなく、ただ彼のさまさまな欲望を満たすために必要なさまざまな他の労働生産物を彼が入手するための「手段」でしかなくなるわけです。だからここには、それが本来は持っていた有用物という属性とは分裂した、ある一つの属性が労働生産物に付け加わっているとマルクスは指摘しているわけです。それはすなわち他の労働生産物との交換のための手段という属性です。そしてその限りではそれは他の労働生産物と社会的に同等な性格を持ったものとして存在している、それをマルクスは「価値物」と述べているのだと思います。だから価値形態に出てくる「価値物」は、相対的価値形態にある商品の価値が一つの他の等価形態にある商品の物的姿をとって現れてきた物でしたが、このパラグラフにおける「価値物」とは、そうしたものではなく、労働生産物そのものが「価値物」として現てくるということを述べているのだと思います。 
 マルクスは、有用物と価値物とに労働生産物が分裂する段階を、労働生産物が、すでに交換を目的に生産される段階、だから生産においてすでにその価値性格を意識する段階と述べています。これは価値形態の発展段階としては、どの段階を意味するでしょうか。それは労働生産物のうちの主に剰余物だけが、たまたま偶然に、個別的に、交換されるような段階ではないことは明らかです。だから価値形態の発展段階としては、形態 I(「簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態」) の段階ではなく、形態II(全体的な、または展開された価値形態」)か、あるいは形態III(一般的価値形態)の段階だと考えられます。形態IIというのは、ある特定の労働生産物が次々と他のさまざまな労働生産物と交換されていく段階です。これは具体例を上げて説明しますと、遊牧民族がその遊牧の過程で、接触したさまざまな定着農耕民族と自分たちの生産物である羊を小麦やジャガイモなどと交換してゆくような段階と考えることができるでしょう。羊はすでにさまざまな労働生産物を自らの価値の表現形態にしますが、しかし羊と交換される小麦やジャガイモなどは、それらを生産する定着農耕民族にとっては剰余生産物であり、彼らからみれば、この交換は依然として個別的・偶然的なものにすぎないわけです。つまり彼らから見れば、価値形態としては形態 I の段階です。しかし交換がさらに発展し、商品交換がそうした定着農耕民族までをも捉えるようになると、彼らも交換を目当てに生産するようになり、互いの労働生産物をも交換し始めるようになりますが、そうした段階では彼らが自分たちの労働生産物の価値性格を羊という彼らにとって共通の物差しで秤量し、そうして互いの労働生産物を交換するようになった発展段階が、すなわち形態IIIだったわけです。】

 だから直接的な生産物の交換の段階では、まだ労働生産物の価値性格は、ハッキリとは出てこない段階です。だからこそ、マルクスは〈直接的な生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない〉と述べているのだと思います。〈一面では単純な価値表現の形態をもっている〉というのは、単純な価値形態というのは、すでに労働生産物が商品になり、互いに交換されている現実を前提して、それらの交換関係を純粋に考察したものです。その限りでは、それは抽象的な思考の産物なのですが、しかし、そうした抽象性においては、それらは同時に、歴史的にはもっとも最初に現れるものにも妥当すると言えるからです。しかし〈他面ではまだそれをもっていない〉というのは、実際に歴史の最初に現れるものは、いまだ交換されるものは商品とは言えないからです。それらは労働生産物(使用価値)の交換とは言えても、商品の交換ではないからです。マルクスは、それを次に具体的に価値形態の等式を使って説明します。

 (ロ)(ハ)(ニ)
 この形態はx量の商品A=y量の商品B というものでした。しかし直接的な生産物の交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B なのです。つまり交換される生産物は、必ずしも商品になっているとはいえない場合もあるということです。AとBという生産物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品になります。

 最初の単純な価値形態(形態Ⅰ)は、x量の商品A=y量の商品B でしたが、実際の直接的な生産物の交換は、いまだ商品の交換とはいえず、x量の使用対象A=y量の使用対象B、つまり労働生産物(使用対象物)の交換に過ぎないのです。だからこそ、それらはいまだ単純な価値表現の形態をまだ持っていないのです。マルクスは〈AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品となる〉と言っていますが、もちろん、〈交換を通して〉ということを、交換されれば、すぐに商品になるというふうに理解してはいけません。というのは、すでに説明したように、交換の一定の広がりと深まりを待って、初めてそれらは商品になると言えるのだからです。

 (ホ)ある使用対象が可能性からみて交換価値である最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える量の使用価値としての、その定在です。

 単なる生産物が交換の対象になり、よって商品になりうるのは、それが生産者自身の欲求を満たす以上に生産された余剰物としてあるということです。しかしここでも注意しなければならないのは、マルクスは〈可能性からみて交換価値である最初の様式〉と厳密に述べていることです。というのは余剰物であるということだけでは、まだそれらは商品になるとは言えないからです。個別の余剰物が、一時的・偶然的に交換される段階では、いまだ労働生産物は価値対象性を獲得したとはいえず、よっていまだ商品とは言えないからです。それらは〈可能性からみて交換価値である〉に過ぎないのです。

 (ヘ)(ト)
 諸物はそれ自体としては人間にとっては外的なものですから、だから譲渡されうるものです。だからこの譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、諸物の私的所有者として、そしてそうしたものとして互いに独立した人格として、相対すればよいわけです。

 この文節は商品交換が前提する商品所有者相互の関係をもう一度、根底から問うものになっています。つまり「第2章 交換過程」の冒頭のパラグラフを彷彿とさせる内容になっているわけです。もう一度、その部分を紹介しておきましょう。

 〈商品は物であり、したがって人間に対して無抵抗である。……これらの物を商品としてたがいに関係させるためには、商品の保護者たちは、自分たちの意志をこれらの物に宿す諸人格としてたがいに関係しあわなければならない。それゆえ、一方は他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらも両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を譲渡することによって他人の商品を自分のものにする。だから、彼らはたがいに相手を私的所有者として認めあわなければならない。……諸人格は、ここではただ、たがいに商品の代表者としてのみ、したがってまた商品所有者としてのみ、存在する。

 (チ)しかし、このような互いに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては、存在しません。その共同体が家父長制的な家族の形態をとっていようと、あるいは古代インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと、私的な個人はいまだ存在していないからです。

 こうした商品交換が前提する人間相互の関係そのものが、ここでは問題になっています。つまりそうした人間相互の関係(互いに私的所有者として認め合い相対する関係)というのは、決して歴史の端緒に存在するものではなく、一定の歴史的な発展段階において初めて生まれてくるものだとマルクスは言いたいわけです。原始共同体の社会では、個人は共同体に埋没していていると、マルクスは次のように述べています。

 〈人類の文化の発端で、狩猟民族のあいだで、またおそらくインドの共同体の農業で、支配的に行なわれているのが見られるような、労働過程での協業は、一面では生産条件の共有にもとついており、他面では個々の蜜蜂が巣から離れていないように個々の個人が種族や共同体の臍帯(サイタイ)からまだ離れていないことにもとついている。〉(23a438頁)

 またここに出てくる家父長制的家族や古代インド的共同体、インカ国家等については、マルクスが第1章第4節で〈共同的な、すなわち直接的に社会化された労働を考察するためには、われわれは、すべての文化民族の歴史の入口で出会う労働の自然発生的形態にまでさかのぼる必要はない〉と述べていたものに該当するように思います。その時は、〈自家用のために、穀物、家畜、糸、リンネル、衣類などを生産する農民家族の素朴な家父長的な勤労が、もっと手近な一例をなす〉とここに出てくる〈家父長制的家族の形態〉が例として上げられ、具体的に論じられていました。

 それ以外の〈古インド的共同体の形態〉や〈インカ国家などの形態〉についても、マルクスはさまざまなところで言及しています。今、その主なものを紹介しておきましょう。

 〈古インド的共同体の形態〉について

 〈たとえば、部分的には今日なお存続しているインドの太古的な小共同体は、土地の共有と、農業と手工業との直接的結合と、固定した分業とを基礎としており、この分業は、新たな共同体の建設にさいしては与えられた計画および設計図として役だっている。このような共同体は自給自足的な生産的全体をなしていて、その生産領域は百エーカーから数千エーカーに至るまでさまざまである。生産物の大部分は共同体の直接的自己需要のために生産され、商品として生産されるのではなく、したがって、生産そのものは、商品交換によって媒介されるインド社会の全体としての分業からは独立している。ただ生産物の余剰だけが商品に転化するのであり、しかも一部分は、いつともない昔から一定量の生産物が現物地代として流入してくる国家の手のなかではじめて商品に転化するのである。インドでも地方によって共同体の形態は違っている。最も簡単な形態では、共同体は土地を共同で耕作して土地の生産物を成員のあいだに分配し、他方、各家族は、紡いだり織ったりすることを家庭的副業として営んでいる。これらの一様な仕事をしている民衆のほかに、次のようなものが見いだされる。裁判官と警察官と徴税官とを一身に兼ねている「人民の長」。農耕について計算し、それに関係のあるいっさいのことを記録する記帳人。犯罪者を追及し、外来の旅行者を保護して一村から他村に案内する第三の役人。近隣の共同体の境界を見張る境界管理人。農耕のために共同貯水池から水を分配する水の監視人。宗教的行事の諸機能を行なうバラモン〔婆羅門〕。共同体の子供に砂で読み書きを教える教師。占星者として播種収穫の時期や、すべての特別な農耕作業の時期の適否を告げる暦術バラモン。あらゆる農具を製造し修理する鍛冶師と工匠。村に必要なすべての容器をつくる陶器師。理髪師。衣類を清潔にするための洗濯人。銀細工師。ところによっては詩人。これはある共同体では銀細工師の代わりをし、また他の共同体では教師の代わりをする。この一ダースほどの人々は共同体全体の費用で養われる。人口が増加すれば、新しい共同体が元のものを模範として未耕地に設けられる。この共同体機構は計画的分業を示してはいるが、しかしマニュファクチュア的分業は不可能である。というのは、鍛冶師や工匠などにとっての市場は変わることがなく、せいぜい、村の大きさの違いにしたがって一人の鍛冶師や陶器師が二人か三人になるくらいなものだからである(60)。共同体労働の分割を規制する法則は、ここでは自然法則の不可侵的権威をもって作用するのであるが、他方、鍛冶師などのようなそれぞれの特殊な手工業者は、伝統的な仕方に従って、しかし独立的に、自分の作業場ではどんな権威も認めることなしに、自分の専門に属するあらゆる作業を行なうのである。このような、絶えず同じ形態で再生産され、たまたま破壊されてもまた同じ場所に同じ名称で再建される自給自足的な共同体の簡単な生産体制(61)は、アジア諸国家の不断の興亡や王朝の無休の交替とは著しい対照をなしているアジア的諸社会の不変性の秘密を解く鍵を与えるものである。社会の経済的基本要素の構造が、政治的雲上界の嵐に揺るがされることなく保たれているのである。
 (60) 陸軍中佐マーク・ウィルクス『インド南部の歴史的概観』、ロンドン、一八一〇―一八一七年、第一巻、一一八―一二〇ページ。インド共同体のいろいろな形態の適切な比較対照は、ジョージ・キャンブル『現代インド』、ロンドン、一八五二年、のなかに見いだされる。
 (61) 「この簡単な形態のもとで……この国の住民たちはいつともない大昔から暮らしてきた。村々の境界は、まれにしか変えられなかった。そして、村そのものはときには戦争や飢饉や疫病に見舞われ、また荒らされさえもしたが、同じ名称、同じ境界、同じ利害関係、そして同じ家族さえもが久しく続いてきた。住民は王国の滅亡や分割には少しも心を煩わされない。村が完全に残っているかぎり、それがどんな権力に引き渡されようと、どんな君主にゆだねられようと、彼らは少しも気にかけない。村の内部の経済は相変わらず元のままである。」(元ジャワ副総督トマス・スタンフォード・ラフルズ『ジャワ史』、ロンドン、一八一七年、第一巻、二八五ページ。)〉(23a468-470頁)

 (文章の途中ですが、以下は、文字制限の関係で、「その2」に続きます。)

 

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