きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

よくよく考えてみると

2010-11-29 22:02:28 | 徒然に2010-2013
いつもいつも怒りを抱えながら走っているわけではない。あたりまえだが。
ただ、怒っている(というより腹立たしいという方が近いか)時の走りは速い。しかも疲れない。
怒りはいろんなことに対して感じるので何に対してとかどんな感じでとか一概にはいえない。無力な自分のことを思うと余計に悔しさが増すこともある。そういうときは、何か妙なホルモンでも分泌されるんだろうか。ちなみに普段は怒りより情けなさを感じる方が多いように感じる。
走ることではストレスは解消されないんじゃないかと思う。ぐたぐたに疲れるまでやるなら別かもしれないが。儂が切り替えられるのは、電車に揺られ活字を追うときだと思う。読むのは昔からノンフィクション。でも案外ノンフィクションとフィクションの境界なんてないと最近感じる。人から見たら何てことないことで何でそんなこと考えるのかなと思うだろう。そういうふうに人から見ている儂の像と儂自身が見ている自分の像も案外乖離していない。多分。
それでも腹立つときだってあるわな。

何か収集つかなくなってきたので、甘いもんでお茶を濁す。お茶ではなくコーヒーなんだがこれは全くの別物だろう。マックスコーヒー、3年ぐらい飲んでないなあ。


少なくとも最後まで歩かなかった ~ 初めてのフルマラソンのこと

2010-11-28 21:36:29 | 大会回顧録
 冬を目前にした紅葉がきれいなこの時期、小豆島では、寒霞渓という有名な見どころスポットがあります。そしてこの時期小豆島では、タートルマラソンという儂の周辺では結構有名なマラソン大会があります。儂はこのマラソンが初マラソンでした(初マラソンがフルでした)。6年前のことになります。この大会に参加することを告げたときのヨメさんの「え?」っていう顔は今でも思い出せます(応援に行くぐらいに思っていたようです)。それまで本当に走ることとは無縁の人間でしたから。
 これまでいろいろな大会を走ってきましたが、この小豆島のマラソンはものすごく雰囲気がよく、あんなに応援が多くて(私設のエイドも多い)景色がよくてという大会は他にはあまりないと思います。コース的には細かなアップダウンが結構あって手ごわいかもしれませんが、いろいろなことに勇気づけられながら走ることができる恵まれた大会だといえます。今日は、そのマラソンが行われた日でした。今年は何人の方がフル初完走の感動に浸ることができたのでしょうか。

 6年前の瀬戸内海タートル・フルマラソン。前日の夕方、師匠の車で高松市内のホテルに向かいます。到着後、師匠の知り合いの方々とホテル前の居酒屋で「前夜祭」をしました。緊張なくいつものようにビールをいただきました。でも緊張してないと思っていながらなんとなく3杯で止めたのを覚えています。フル参加、ハーフ参加、10キロ参加といろいろですが、毎年この大会だけ参加されるという方もいました。
 次の日の朝、早起きして小豆島行きのフェリー乗り場に向かいます。早朝というのに、人がわんさかいます。フェリーに乗り込み、師匠と床に座りうどんを食します。やがて小豆島に着き、会場に到着し車を停め着替えて準備します。なのにスタートまでまだ2時間以上あります。アップのつもりでやたらめったらその辺を歩きます(歩くだけではアップにはならんなと気付くのは随分あとになってからのことです)。何となくどきどきしています。
 時間になりスタート。集団の動きはゆっくりしています。しばらくは前後左右とぶつかりそうになりながら、空いている隙間を見つけてぴょんぴょんはねるように移動しながら走ります。景色をみながら走る余裕がありました。秋の山を満喫しながら走りました。結構快調です。街中から少しばかり山道に入り、そこを抜け海の近くののどかな県道を走ります。前にも後にもランナーがうようよいました。再び山に入り小さな集落を過ぎ、少し大きめの街に折り返しがありました。折り返し地点は2時間10分ぐらいで通過しました。子どもたちとハイタッチ。快調でした。
 で、突然でした。気分が良すぎて全く無警戒でした。折り返しを過ぎて3キロぐらい走ったとき、急に足が「止まった」ように感じました。少し疲れたなあと感じた矢先、スピードが出なくなり前に進まなくなりました。この日に向けた練習は、実質夏明けからの3ヶ月しかしていませんでしたが、週2回ペースで月70~80キロ、30キロ走も一度経験していました。十分ではないにしても、何とかなるのではという感じはしていました。が甘かったです。そこからの約17キロはどうしようもない痛さとしんどさと、時間に追われる焦りとで追い詰められました。今考えても本当に長い長い2時間半でした。何故かわからんのですが前に進まない。後で思い当たったのは「ガス欠」になったのかなということです。ものをほとんど食べずに、粉のアミノバイタルをエイドで水と一緒に飲むだけだったので、2時間半ぐらいになるとグリコーゲンがなくなってしまったのでしょう。でもこのときはものを食べながら走るなどということは考えもつかなかったわけです。それから右脚が痛く脚を下ろす度に激痛がはしります。これも後で思い当たったのが「靴」。サイズの合わないしかも靴底の薄い運動靴レベルのもので走っていました。当日この靴で走ろうと思ったのは軽いからです。実はまだマラソン用のシューズを購入したことがありませんでした。20キロぐらいまでなら何とかなったかもしれませんがフルはそういうわけにはいきません。走り込み不足もあったかもしれません。
 それでもまだ何とか「歩かずに」走っていました。どんなに遅くなっても、歩くのだけはイヤだと思っていました。でもいつ終わるんだろうと考えていました。いつか必ずゴールできるという確信はありませんでした。ただただ前に見える道はずっとずっと遠くに続いていました。気持ちに余裕はありませんでした。誤解を恐れずに言うならばこのとき儂は怒っていたのだと思います。隣には後から追いついた師匠が儂を追い抜かずに併走していました。師匠と一緒に走っていた同じ職場のMさんは「ぎりぎりになりそうだから先行くね」と追い越していきました。でも師匠は追い越して行ってくれませんでした。それが悔しかった。32キロぐらいか、まだ10キロぐらいあった時に時計を見たら驚くほどに時間が経っていて、このままだと時間内は無理だろうと思いました(後で師匠がいうには、この時辺りがペースとしては最悪で1時間に6キロも進んでなかったらしいです)。師匠に「もう自分はかまん(いい)ですから、行ってください」といいたかったのですが、そんなの言えるようなえらそうな走りではありません。そのことも自分自身のイライラに拍車をかけました。この時師匠は「どういう展開になっても、誘った手前最後まで付き合うことにしていた」らしいです。後で淡々とあたりまえのように話をしていただき救われました。「あなたのために」とか「ぜひ完走させたかった」とかいわれると逆にへこみます。そんなに思ってもらえる価値のある人間ではないから申し訳なくて。自分で勝手に走りたかったから走ったというだけです。で師匠は勝手に併走したかったから併走したんだなと。だから救われました。ただそれは後になって思ったことです。
 大の大人が、見守られながら走るという情けなさ。情けないのでほうっておいて欲しかったがそれをいうほどの走りではなく、結局いいたいことがいえず、悔しくてただ前に進むしかありませんでした。察してくれればいいのにと、勝手に師匠に腹を立てていました。併走する人は満足でも、併走される人は情けない気持ちしかわかないということが何で分からないんだろうかと。でも結果的に師匠の併走がなければ、ワシは時間内に完走できていなかったでしょう。そして、その後こうしてマラソンを続けることもなかったかもしれません。
 35キロ過ぎ。しんどい状況に体が慣れたのか、少しだけペースが上がっているようでした。道端に立っている白状をついたおばあさんが声をかけてくれました。師匠と二人「ありがとうございます」と頭を下げました。まだしっかりと声は出ていました。脚が痛いだけになってきていると感じました。40キロを過ぎ残り2キロ。ペースを上げました。脚を引きずりながら急ぎました。間に合うかもしれないと思いました。
 初マラソンの記録は4時間56分56秒。もう走らなくていいと思ったら泣けてきました。ほっとして泣けてきました。フルをなめていた自分に悔しくて泣けてきました。意味のないイライラに支配された自分に情けなくて泣けてきました。たかがフル走っただけなのに泣けてきました。恥ずかしかったです。とても。
 でも完走できました。それも時間内に。このことが案外その後も走ることについてのモチベーションの維持につながっているのかもしれないと感じることはあります。時間オーバーしていたり、棄権していたりしたらたぶんここまで続いてないんじゃないかと、自分の性格を考えるとこれもなんとなくそう思います。で、時間内に完走できたのは師匠の併走があったから。これに尽きます。あの併走がなかったら時間内にはゴールできませんでした。師匠と併走したのは本番でも練習でもこれ一度だけです。元短距離の選手だった師匠の「ゆっくりでかまんのよ」という誘いがきっかけで(あと「フルの後のビールは甘いんよ」というのも殺し文句でした・・・)走り始め、そういうのがなければ今儂は走る人ではなかったので、そんなにしょっちゅう会ったり教えを請うたりしている訳ではないんですが、やはり師匠は師匠と呼ぶにふさわしい存在だったりします。
 そしてあとはやはり見栄かなと。今はランニングブームでそうは珍しいことではないのかもしれませんが、6年前はフルを走る人なんてそんなにいませんでした。だから我が子に「父ちゃんはフルマラソンを走った」ということそして「最後まで歩かなかった」ということを示したかったわけです。それだけだと思います。

 今回の愛媛マラソンでは職場の方々が何名か初マラソンに挑戦します。こうして初マラソンの時のことを綴ってみると、儂が初フルの方と併走しサポートできる勇気があるかというのは難しい問いになります。他者に合わせ力を発揮できるようにするための併走という技術的な走りが必要であることはいうまでもなく、最終的には自分のために走るということでも、他者のことを考えながら走るということそして併走される人がどう考えているのかということも儂としては気になります。儂は基本的にはどんな状況になっても一人で走る人間だと思っていますしこれからも一人で走りたい。でも併走してもらったことで走るきっかけをつぶさずにすんだということも実際に経験しました。他の人のサポートを考えるというのは難しいと思います。どういう形でサポートすれば結果を伴いつつそのプロセスにおいてその人自身の充実感が得られるのかということを考えたりしています。たかが走るだけでここまで根詰めて考える必要はないんですけどね。性分ですから仕方がありません。

 初マラソンだったので補給の仕方やペース配分、靴の選択など今考えるとめちゃくちゃなことをしていました。フルをなめていました。でも、失敗したけれど棄権したり脚を傷めたりするみたいな致命的な失敗ではなかったから次につながったということだと思います。失敗して次につながる経験もあるのかもしれませんが、失敗しなかったからその後も踏ん張れたという経験もあるのかもしれません。
 このあと4ヶ月後には松野桃源郷ハーフ、そして10ヶ月後には歴史街道丹後ウルトラ(60キロ)を走り、そして2回目の小豆島で2回目のフル。2回目の小豆島は気持ちよかった記憶しかありません。予想を上回るペースでゴールすることができ、意識して臨んだ翌月の加古川でサブフォー達成。初マラソンから1年と1ヶ月でした。初マラソンで「歩かなかった」こと、「時間内にゴールできた」ことは、儂にとってはものすごく大きなことだったんだと思います。

 今年は何人の方がフル初完走の感動に浸ることができたのでしょうか。

高く空を切る・・・2題

2010-11-27 23:51:44 | 近場の異邦人
何か忙しいですいろいろと。追われていますいろいろと。毎週、インターバル練習(そんなにしたことはないが)の如く休日を楽しみにしている日々です。
今日は10キロ走った時点でえらく疲れてしまい、よれよれになりながら計約19キロのジョグ(2時間半でよく走れたもんだもっとかかったかと思ってた)。きりのいいところで電車で帰りました。
特にこれといって目的もなく、ただ普段は走らないルートではありましたので、すごいなあって感じで写真を2枚ほど撮ってみました。

長渕剛の「風は南から」に僕の家(うち)の屋根が空を切るというようなフレーズがあるのを思い出しました。でもう一つ。

青空に朱もなかなか風情があります。もちろん、高速道路が空を切る写真は、雲がいい味だしていましたが。

12月になると家の大掃除をしながら走る時間を見つけていかないといけませんね。そんなことを思いました。

続々秋の日~二輪と二脚と

2010-11-21 23:11:53 | 徒然に2010-2013
昨日は、某スポーツ店のバーゲンで家人の日替わり限定のジャージを確保するために、開店時刻に合わせて走った。結果、約21キロを信号待ちとトイレ休憩除くと2時間切りするという結構なペースで走る羽目になり、くたくたになっていた(自分のものも買ってもらったのでそれはよかったが・・・)。だから、今日は、ちょっと軽めにすまそうと思っていた。
ところがこの天気と暖かさ。絵に描いたような(?)小春日和。先々週の宿題をこなすべく、自然とへんろ道を目指していた。今回は「キョリ測」で大まかにルートをトレースしている。歩幅もテンポも昨日とはうってかわってという感じで、ゆっくりゆっくり進む。走り始めて5キロ。腹具合が悪くなり、ルートを変更してコンビニへ・・・。

で、ようやく札所への道に入ると、狭い道を県外ナンバーの車が次々に通りすぎる。

札所の手前、衛門三郎を奉る(?)文殊院というお寺にも県外ナンバーが止まっている。今日見た一番遠くのナンバーは土浦だった。
札所の寺は大きく、前には民宿もあった。予約が結構入っている。札所を抜け、国道へエスケイプする山道に入る。結構な勾配でしかも道が狭い。

ぐんぐん標高が増す。里山から山へという感じ。車は3台ほど出会う。人にも一人出会う。

国道に出て、500メートルも行かないうちに今度は下り坂の小道に向かう。看板は出てなかったので、予習してきて良かったと思った。日差しを浴びて、気持ちの良い明るさの小道を下る。こういうのも木漏れ日と呼んでいいんだろうか。暖かさを感じる木漏れ日。うっそうとした木々の間から差し込むそれとは違い、穏やかな気分になる。木々の葉は紅葉と云うより、緑黄緑黄色紅茶という感じでいろいろな色がほどよく散りばめられて、これはこれで楽しい。

以前は、こうした道をよく単車で走っていた。単車の時もスピードなんか出さずにトコトコと原付に抜かれることもあるぐらいゆっくりと走っていた。近景より遠景に目がいくのは習性なんだろう。単車でこうした道をよく走っていたことも関係があるのかもしれないし。

単車(250ccの軽二輪)を売ったのはこの時期(季節)だったから、単車から離れて丁度2年になる。単車は3台目でカワサキのシェルパで、77000キロ走ってもまだ速度も出たしエンジンもしっかりしていた。

処分した理由にはその半年前に豪雨に負けてエンジンが止まり、所用に間に合わなかったことが何となく引っかかっていたということはある。20年近く乗っていて、初めての経験だったから。でも何よりも、単車はお金がかからないようでお金がかかる。タイヤやらチェーンやらスプロケットやらいろいろな交換が一気にやってきて結構な費用になったのは大きい。維持費自体は車ほどではないから、とりあえずおいておくという考えはあったが、乗らないものを置いておくこと自体家人は余り気分が良くないようだし、パーツを交換しなければ乗れる状態にはならないので諦めて手放した。家人にも相談せず、ひっそりと引き取ってもらった。下取りの代金はすぐにシューズ代で消えた。引き取ってもらったB社のスタッフは、丁寧な応対だったが実は不誠実な対応をしていたことが後になって分かり、単車を手放した少しの後悔も手伝い、結構後味が悪かったことも鮮明に覚えている。
当時は、季節に関係なく、天気に関係なく、行き先に関係なく、用事に関係なく、ある時期は80キロの通勤距離もすべて単車で移動していたことから、未だにたまに会う方に「今日は単車じゃないんですか」と言われることもある。それぐらい儂は単車を使う人だった。
数年前にアジアの国で、キャリアにものを高く高く積んでいる単車を見たが、この使い方こそ単車だと思ったりしたことがある。純粋に移動の道具、生活の道具として使うという点では、儂のシェルパも、アジアの単車に近い。荷物を載せ、息子や娘を乗せトコトコ買い物に出かけたりしたことが懐かしい。
もう乗らないだろうな単車は、と思うと寂しいが今ジョグでこうして山道を走る自分の本質はやはり変わっていない。単車に乗ってるときと、本質というか行動パターンは変わっていないとつくづく思う。二輪が二本の脚になっただけだ。走ると云うことは生活そのものなんだろう。


窯元が点在し焼き物で有名な町に降り、国道に出て家路を目指す。この時はハチやら動物やらに会わずに済んでほっとしたのか、気力が失せ気味になっていた。腹が減ったのと疲れたのもあり、バスに乗ってワープして帰ろうかとも思ったが、トイレに行ったコンビニで購入したキャラメルを食べてなんとか気分をごまかしつつ、残りを走りきる。でも、ワープする勇気も必要なんだろうな。貧乏性だからつい我慢してしまうのだが。

朝練、夜練

2010-11-20 22:22:10 | 徒然に2010-2013
この二週間、ムスメが朝練で一本早い電車で行くのにつられるような感じで身支度し、一本早い電車で出勤していた。せっかくなので開始時間までに仕事の段取りをしておけばいいと思うし、実際そうしていた時期もあった。ただ、最近ただでさえ残業や休日出勤が多くなっていることもあり、この二週間は、こうして浮いた30分のうち1/3だけ仕事に充てることにして、残りはいつもより長めの距離を出勤ランするのに充てることにした。降りるのはいつもの駅。そこから、少しだけ遠回りをする。休日に時々走ったり去年などは帰宅ランで走っていたりしていた道を、朝の凜とした空気の中ちょっと気分を変えて走ることができた。いつもと違う車の種類に混じり、お遍路さんの姿も見た。ただ、だいたい朝ランの時にはコンビニのトイレにお世話になることが多い。そのコンビニのトイレのタイミングを計るのが難しかったということはあった。いつもより2~4キロ多めに走り、いい朝練になった。普段と違う光景が楽しくて、このままロングランに・・・なんてことを考えるかと思ったがそうでもなかった。
いつもより早い電車も悪くはない。でもこの二週間、儂より一本遅い電車で行くムスコと顔を合わす機会がなくなり、やはり来週からは元通りの練習(出勤ランの距離)に戻す予定。テスト発表があってムスメの朝練もなくなったことだし。どうしても夜は遅くなりがちになる。朝は誰もが目覚めた直後で機嫌いいとはいえないが、家族ととりあえず顔を合わせる時間は大切にせねばと思っているので。まあ、これからもこんな感じでたまに朝練やろうかとは思う。
ちなみに、帰りも電車の時刻に合わせて3回ほど堀端を周回したりもしていた。

11月に入ってからこのコースをちょくちょく試してみるようになったが、思わぬものも発見してちょっと楽しくなった。皇居ほどではないが、ウォーカーだけでなくジョガーも多い。ちなみに儂が走るのは、2.2キロのコースか1.5キロのコース。帰宅ランは仕事疲れの本当にしんどい状態で走るわけだが、堀端はちょっと楽しかったりする。もうすぐ街のあちこちでも電飾が飾られるはずだ。そこを走るのは結構楽しくて、疲れを忘れたりもする。
夜練は、できたら1.5キロのオプションでいいから時々走りたいなと思う。特にこれからは。

やっぱニューヨークかなと。はい。

2010-11-14 21:40:16 | 装備の話
この2日間、スポーツショップを巡りランニングシューズを探しました。お買い物ランになるので、休日にもかかわらず通勤ランの如くリュック背負って走ってました。昨日は2軒今日は1軒で合計3足購入。いずれも40%~50%OFFで旧モデルを手に入れ、まずまずの成果でした。出費は痛いんですが、仕方がないです(とはいえお金をたくさん使うと元気はなくなりますな)。また、昨日今日と普段はやらない店での試し履きもまめにやりました。本当は、フットワークさんのタイムセールでニューバランスのかっこいいレインボーカラーのシューズも購入する予定でしたが(懲りてない懲りてない・・・)、昨夜あと1時間起き続けることができず断念(朝には売り切れていました・・・)。でもまあ、その日にニューヨークを40%OFFで購入できたので、もういいかという気分に半分以上はなっていたのかもしれません(店にあった2足の26.0を買い占めました)。

そのGT-2150を早速今日、休日出勤ランで使用したのですが、やはり走りやすいです。この硬さと安心感は他には変えられません。ただ、行きのランで左足に違和感。なんでかなあと帰りによくよく見たら、結び目が左右で違っていました(!)。左はオーバーラップで右はアンダーラップ。一番はじめはどちらもオーバーで始めていたので気がつかんかったんです。右に合わせてアンダーで締め直すと、全く感じが違います。今まで、靴を買ったらそのままの結び方で履いていましたから(なんとまあ横着な)、結び目でここまで違うのかとびっくりしました。儂の場合、ニューヨークはアンダーの方がいいみたいです。靴によって違うとは思いますが。先日の24耐は、GT-2140をオーバーで締めていたかもしれません。
今回は、現品限りの半額につられ久々にナイキの靴も購入しました。ストラクチャートライアックス13+です(袋のおまけ付き!)。

ニューヨークの前は、エアズームカタナの初期モデル(ただ新しいバージョンのカタナとはあまり相性がよくなかったです)を愛用し、これでフルとかも出ていたこともあり、ナイキはそう悪い印象はありません。ナイキがiPodか何かと通信できるようになって儂には関係ないかと疎遠にはなりましたが、耐久性はともかくとして割り切れば悪くないシューズだと思います。ドラフトでいえば、3位の即戦力を単独で獲ったという感じです。出番が楽しみです。当時、といっても5年ぐらいまえでしょうか、アシックスのライトレーサーとかそんなのも履いていました。まだ週3回走ればいい方で、1日の練習距離は休日でも10キロぐらいだったと思います。ペースは今より速かったかと思います。

今日の店では軽い「サロマ」を発見しました。

サロマは儂の師匠が愛用しているはずなのですが、こんなに軽かったとは。値段が下がらないシューズなので、これまであまり注目してこなかったのですが、これだけ軽くてクッション良さそうなのはぜひ履いてみたいですね。ウルトラにももう少しまめにエントリーしていかねばと、そういう気にさせるかっこいいサロマレーサーです。
シューズ探しは、今回は購入する目的もはっきりしていましたのでまあまあ楽しかったのですが、仕事のことを考えるとどうしても暗くなります。で、どうしても気になるので今日は休日出勤しました。結構時間がかかってしまい、予定の半分ぐらいしか片付かなかったのですが、月曜日に憂鬱になるよりよかったです。朝は、ちょっと気分が沈んでしまっていましたが、今はとりあえずブログ更新する気になっています。来週の休日まで頑張らねば。明日は、泊まり勤務です。

21日目の電撃引退とまさかの片道限定復帰

2010-11-12 23:36:15 | 装備の話
先月から使っていたMR760の靴底がやばくなったので、今日急遽使用中止にした。

21日目。安い靴ならあきらめもつくが、元々そこそこ値が張る靴なので、もったいないようなでも脚を傷めてもいかんしというような複雑な心境。まだ内側はきれいなので職場のちょっと履きとして第二の靴生を歩ませることにし、それまで現役を引退してちょっと履きに使っていたブルックスのアクアリウム3(ちょっと怪しい。名前忘れた)を職場からの帰宅ラン限定で復帰させることに。

このシューズもそんなに寿命は長くなかったが、復帰させてみて案外履き心地は悪くない。10キロ以下ならもう少しいけるかもという感じはする。まあ、この休みで新しい靴の購入に踏み切れるかどうか、かな。
儂のランニングシューズは、クッション性と耐久性が優先。その上でコストを考える。今日「また金かかるなあ」と半分暗い気分で帰りながら、今自分がどれぐらいのことを目安にしてシューズを購入しているのかを頭の中で計算してみた。目安は、定価が10000円程度かそれ以上のもので、初心者用とかジョギング対応のものを選択している。当然バーゲン品なのでモデルチェンジ前の品か、一年以上前の型落ちをネットやチラシで探して買う。時々、スポーツ店に行きチェックもする。これまでいろいろ試してきて、コストとしては一応1キロ=10円で使うことができたら、まあまあという感じになる感じ。これは、アシックスのニューヨークの型落ち品がバーゲンでよく出る値段(というか購入してもいいかなと思う値段)と、自分の走行距離が基準になっている。つまり、現在は月500キロぐらいが走行距離で、ニューヨークは約1ヶ月半もつ(本当は2ヶ月ぐらい使いたいがそこまではさすがに無理みたい)。それを考えると一日170円、1キロ約10円ではき続けられたらまあ合格かなと思ったということ。欲を言えば150円ぐらいなら上々なんですが、なかなか難しい。履き心地とかも考えると限定されるし(例えば同じアシックスのGEL-1140なんかは外見ニューヨークと似たような感じだが柔らかすぎるのと、1ヶ月で外側の踵のソールがはがれてしまうのとで、コスト的には「アリ」だが積極的に履く感じではない)。
今回のMR760は結果、1日で230円ぐらいということになるので、ちょっと失敗ということになるが、履き心地の良さは捨て難いのも事実。ニューバランスには、しばらくだまされるのが分かっていながらも選択して履き続ける気もする。
購入できそうなニューヨークを待つか、ちょっと安価なシューズを短いスパンで履きつぶしていくか、ニューヨーククラスのシューズでちょっと目先を変えてみるかということはいつも迷っている。でも、安いシューズの寿命は短い。本当に。かつ高くて寿命が短いと泣きそうになる。小遣いそんなにないんだから。
フォームもそんなにはよくないんだろうけどな。そういうことをいうときりがないしな。
今のプロ野球のストーブリーグみたいな話になりました。

続・秋の日 ~ 遍路

2010-11-07 22:47:40 | 徒然に2010-2013
暖かい日。雨もあがったので、街から外れた方へ向かう。郊外というには田舎すぎか。途中の田んぼに点在する百姓家は、倉があったり倉庫を兼ねた大きな門があったりして昔から続いている家が多いことが分かる。でも新しい住宅も多い。不動産屋の分譲地もいくつかある。やはり郊外なんだろう。車の行き来は少ない。静かだ。
少し大きな道路に出て。さらに山向きに行く。四国巡礼のへんろ道。正確なへんろ道はその脇の細い道(とはいっても昔のメインルートだったはず)のようで、時々交わりながら山に向かう。

ここは、前々回まで愛媛マラソンの35キロ過ぎのコースになっていた。その時はときどき試走に来たりしていたが新コースになって、一年半ぐらい来てなかったか。35キロといえば、最後の関門を通過してゴールに向かう時だ。このコースの時の愛媛マラソンは、4時間というちょっと二の足を踏むような制限時間だったのに加え、それ以上に関門閉鎖の時間が厳しかった。実際儂もこのコース最後の大会の時は、最終関門は残り38秒で通過というぎりぎりのところでセーフだった記憶がある。収容バスが追いかけて来るような感じだった。その後は、歩かなければ何とかゴールテープは切れるはずと、ランナーみんなしんどい登りを前に進んでいた道だ。

バスの終点に出る。郊外から里山という感じ。何かしらほっとする。あまり寒くないのもうれしい。かなり山の方に来たはずだが案外家が多い。昔ながらの家で、今度はこぢんまりとした百姓家。家の多さは、へんろ道と関係があるのかもしれないと思ったりする。ちっちゃいばあちゃんが、しっかりした足取りで歩いている。あちこちで3人ほど見た。

もう少しだけ山に向かうと、弘法大師の網掛け石に出会う。さらに奥に行ってもよかったが不案内なので、今日はここで折り返すことにする。今度は下調べをしておいて、また暖かい日に尋ねてみようと思う。
帰りは結構バテる。少し下り気味のはずだが、やたらと疲れる。歌詞うろ覚えの中島みゆきの遍路が頭の中でエンドレスで続いている。スリーフィンガーのギターのリズムに合わせて地道に足を出し続けた。「手に提げた鈴の音は帰ろうという急ごうという・・・頷く私は帰り道もとうになくしたのを知っている(うろ覚えなので間違っているかも)」お遍路さんというのは、本来そういうもんかもしれんなあ。昔は命を落とした人もいるもんなあ。
亡くなった人への想いや、自分自身へのへの想い。何かに突き動かされるように歩き始めるのが遍路なら、昨日のはかまいりも遍路なんだろうな。
でも儂には帰る場所はあるから。数年前、冒険家の河野兵市さんは「帰る」という主題で北極からの冒険を始めた。残念ながら途中で命を落としてしまったけれども、帰るという一見冒険にはそぐわない言葉が実は大切なのだと思った記憶がある。帰って新たな一歩を踏み出すための遍路が必要なんだろうと思う。

帰ると、背中と足に結構な疲労をため込んでいたことに気付いた。

秋の日

2010-11-06 23:00:05 | 徒然に2010-2013
今日も秋晴れ。一昨昨日とは違い、いくぶん体の重さを感じながら家を出る。思ったより気温が高いのがわかる。2キロほど走ってピステを脱ぐ。ペースは7分から7分半。コンビニにも寄らず、とりあえず黙々と走る。今日は峠を越えて、月に一度のいぬのはかまいり。次第に上り坂がきつくなる。7分半から9分ぐらいになる。トンネルを抜けるとようやく下り坂になる。時間はかなり経っているのに、寒い。再びピステを着る。山の道なので影が多い。時折のぞく晴れ間にほっとする。もう冬のランという感じか。狭い路肩を大型トラックに気をつけながら走る。横を抜けるとき、風にあおられそうになる。

11月といっても紅葉とまではいかない感じか。それでもきれいな空のあおと山のあおとの対比はこの時期ならではか。

もうすぐ到着というぐらいに、川に出る。川というより渓谷か。子どもの時はこの下流で遊んだ。何にもなくても、川で一日過ごせた。大人には危ないからと止められたな。この日は、何かを採っていたのかそれとも釣りをしていたのか、誰かが大きな岩の上に上っていた。どうやって上ったんだろ。

はかまいりを終え、じゃまたねと、来た道を戻る。予定していたところまでは、何とか行けそうだ。だらだら続く登り道。きっちりキロ8分のペース。背中を丸めずに、前を向いて走るように気をつける。
毎月同じ道を走りながら、目に入る光景はいつも違う。景色が違っていること、そして自分の状態が違っていること。いつもと違うところを走るときといつもと同じところを走るときでも違うが、どこを走っていても、結構考え事はしている。性分なのだと思う。今日もいろいろなことは頭の中を過ぎていった。でもいつもほどではなかった。今日は仕事のことはあまり頭になかった。穏やかというほど安定していたわけでもないが、ネガティブ思考で走り続けたわけでもなかった。昨日の夜、ビール飲みながら見たいきものがかりのメロディーがずっと頭の中で鳴っていた。いつもはさだまさしやら中島みゆきやら長渕剛なんだけどな。鳴っている曲は変わらない。新しい曲はあまり入らない。もう飽和状態なんかな、それとも、新しい曲に馴染まないのかな。
「悲しい記憶の数ばかり飽和の量より増えたなら忘れるよりほかないじゃありませんか」と中島みゆきは傾斜で唄う。忘れるよりほかないといいながら、実は悲しいことに飽和量などない。楽しいことよりも悲しいことをよく覚えてしまうのは仕方のないことなんだろう。

くだらんことを考えながら脚を前に出す。
それでも前に行くわけさ。


先月と同じ、予定通りのバス停のところでこの日は終了。バス待ちの間、職場でいただいたおやつと近くで買った缶コーヒーで慰労する。どら焼きがしっかり甘かったので、缶コーヒーは渋めで正解だった。甘いものを持ってきていなければ、ココアを選択していたかもな。
帰ってから、めずらしく昼寝する。今週は、気が重くなるような宿題は持って帰っていない。先々のことを考えるときりがない。まだ追われていないから、とりあえず今週は仕事のことは考えないでおこうと思った。
約31キロ。週末としては充分の一日。




冬仕様進化系?

2010-11-04 23:05:51 | 徒然に2010-2013
昨日は、ラン日和だったようで、儂の職場でも「初めて10キロ走りました!」とか「14キロ。今日は少し疲れ気味だねえ」などという言葉を聞くことができました。2月の愛媛マラソンまで残り3ヶ月。今年は職場に初挑戦の方がそこそこいます。半分ぐらいけしかけたような気がしないでもないので、勤務が終わってから少し一緒に走りましょうかと声をかけたいのですが、儂の方の仕事のキリが付かず延び延びになっています。どもすみません。
さて、行きの通勤ラン帰りの帰宅ランも寒くなり、10キロ弱の距離でもジャージを着たり脱いだりと細かな調整が必要になってきました。スポドリの消費量も減っています。これからは、特に帰宅ラン時の「ごほうび」に大好きな炭酸ではなく、暖かい飲み物を選択することも多くなりそうです。

特にありがたいのはココアですが、ペットボトル式のミルクティーも使い勝手がよく、両手で握り手を暖めながら走ったりします。ホットケーキは初めて見ました。どうなんでしょうか。先日24時間のディスカウントストアで見た、40円ぐらいのスイカソーダよりは試してみる価値はあります。

おしるこに「金」ですから、体に染み渡るようなうまさが想像できます。コーンポタージュにもお世話になったことがあります。どちらもどんなにやっても小豆やコーンが残ってしまうのが玉にきずではあります。右のカレーも初めて見ました。ちょっと興味がありますが、儂の中でコーンポタージュと競合しそうなポジションです。しかも、ほとんどの場合、どちらもおしるこには負けます。この冬、試す機会があるでしょうか、という感じです。また、ラーメン缶なんかもよく見ますが、一缶300円は、試すにはリスクが大きいですね。これらは120円というのがとても良心的だと思ったりします。何か、自販機も進化しているなあと感じた次第。あ、今日は買っていません。

単に走りたかったから走った日~市内だらだらLSD

2010-11-03 23:39:12 | 近場の異邦人
週の真ん中の休業日は、御褒美だと思う。この日は休日出勤は止めてだらだら走ることにする。
天気がよかったので、ふらあっという感じで家を出る。郵便局と宅配屋に寄り、用を済ませた後はひたすらジョグ。朝ご飯しっかり食べたせいか、さほど疲れた感じもない。そして昨日は泊まり勤務あけ、ということは先月末から4日間続けていつもの半分ぐらいの10キロ前後の練習になっていたから、体が走ることを欲していたのかもしれない。

歩道橋から、目指す街を見る。当てもなくというのは正しくない。だいたい、走ってみたい街のイメージはあった。この夏用事があって何故かよく通った(走った)空港に近い市の西部。そこへ行き着くのも最短ではなく、うろうろしながら走ってみようと思った。路肩の狭い道があり、完成間近の家があり、稲刈りが終わって小休止の田んぼがあった。空港に行く、という目的はなく、そのあたりの街を走ってみたかった。

これは、ある場所で見つけた碑。2、3回通ったことのあるはずの道だが、気付かなかった。
郊外に出たり、山間の道を走ったり、いろいろとだらだらLSDはするが、この日は気分的に街走りだった。少し肌寒く感じることはあったが、ピステを重ね着することもなく、ジャージの上を脱ぐこともなく、テンポよく(しかしゆっくりと)走ることができた。復路は電車で帰る準備もしていたのだが、その必要はなかった。
夏場は、30キロ走った時に、スポドリやら炭酸やらアイスやらの補給だけで1000円弱かかった。今日は家から持ってきた水筒入りのスポドリ(500ml)と、イオンのお徳用キャラメル2粒で済んだ。この時期、やはり練習にはいい季節なんだろう。だらだらではあるけれども、用事と信号待ち含めて約4時間半で35キロは、結構「しっかり走ったLSD(そんなんあるんかな?)」だった。こんな日は珍しいかも。

まだまだ忙しいなや。御褒美とはいえ、何というか、仕事がなくなるわけではないから、時間の借金をして休んでいるような感じかな。でもまあ、今日みたいな日も必要かなと。確かに。