ニュース番組を午後10時に持ってくるとの発想は当時テレビ関係者にはなかったに違いない。9時からはNHKのニュース、そのままNHKの特集番組かバラエティーを観て、一日を締めくくるニュースは11時台が定着した習慣だった。そこにテレ朝がニュースステーションをこじ入れてきた。30年も前のことだ。キャスターはバラエティーなどで認知度は高かったものの、硬派の顔になるか未知数だった久米宏氏。改変当時はそう視聴率も上がらなかったようだが、フィリピン政変を生中継する幸運に助けられほどなくして10時台の顔になった。久米氏は、それまでのニュースキャスターのイメージを一新させた。民放も含めてお堅い雰囲気のキャスターが絶対的だったころ、時に洒脱で、時にさらに洒脱なトークは、ニュースをより身近に、分かりやすく視聴者に提供された。久米氏が羽目を外した時は、「ピンキーさん」と呼ばれ愛された、朝日の解説委員小林一喜さんが重しとなった。小宮悦子がサポートする、考え抜かれたキャストと言っていいだろう。最終回も振るっていた。約20年間続けてきたことを自ら労い番組中にビールの栓を抜きグラスを飲み干した。古舘伊知郎こそ最もニュースにふさわしくないキャラクターだと思っていた。「言葉の速射砲」により視聴者を煙に巻く。決してそれが本質ではないが、絶妙な近似値に妙に納得させられる。そんな話芸が彼の持ち味だったからだ。12年間続けたことになる、及第点を与えることができる。少々左に寄って立っていたこともあったが、特色のない他局のニュース番組の中にあって存在感は十分だったのではないだろうか。
古舘氏の後任は局アナとなった。テレ朝がが政権に全面降伏した格好だ。元経産官僚古賀氏、そして岸井さんの降板、次々と政権に苦言を呈する方が消えていく。これだけ目に見えるのも珍しいことではないだろうか。ちょび髭が見合う顔になってきたものだとつくづく思う。
古舘氏の後任は局アナとなった。テレ朝がが政権に全面降伏した格好だ。元経産官僚古賀氏、そして岸井さんの降板、次々と政権に苦言を呈する方が消えていく。これだけ目に見えるのも珍しいことではないだろうか。ちょび髭が見合う顔になってきたものだとつくづく思う。