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2007年秋 ダウラギリ

2007年秋 ダウラギリ

徳島ダウラギリ主峰 登山隊の皆様 

現地での直接 天候 雪質 体調 その他総合判断こそ
 皆様 考え抜いた末の ご決断と思います。
外野席の私など 皆様の ご英断に 敬服する次第です。

今回は さぞ 悔しい思いでしょうが 
全員 無事無傷で帰国がなによりです。

また いずれ なんらかのチャンスも巡ってくることを 
こころより祈念申し上げます。

ところで 『生きた 還った』
メスナー著 横川文雄訳 1987年 東京新聞発行
のダウラギリの部分を読み返してみました。

メスナーも 3度目の正直で登頂でした。
天候だけは いかんせん どうしようもないものがあるのでしょう。

「この山では しばしば荒天が襲来するので、とくに危険な山とされている。」



こうした悪天と戦いながらも
いまも ダウラギリでは いまだ 何隊かが進行形のようですが、今秋の状況はとても厳しいようです。

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●● DODO KOPOLD 
(注目の人)
(1980年生まれ)スロバキア

2007年春から 8000mのダブルヘッダーを二つ 計4峰トライしている。
うちCho Oyu, Shisha Pangma と Nanga Parbatは登頂済み。
(K2は登れなかったが 驚異的なスピードでボトルネック下8000mまで達した)

はじめ春先には 高度障害で頭痛に悩まされていたブログの記述があるのだが、その後 連続的に 8000m峰に登っているので 常に高所順応済なのだろう。

(また痛ましいことに Shisha Pangma では同行者が行方不明とか)

ダウラギリは今年 8000m5峰目の挑戦

http://www.himalaya2007.expedition.sk/

2007年10月4日 Dodo KOPOLDの ブログの日本語訳
(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)

「C2の下で終わった試み--補足 COMPLEMENT」
2007年10月4日

「私たちはフランス人、オランダ人、およびオーストリア人と共に昨日4時頃にBCを、出発しました。 多くの雪があるので、私たちは C1への道のりに 9時間以上かかりました。

私たちは昨日 午後にC1に達しました。

私たちは今朝、C2を他のものと一緒に出発しました。
とても多量の雪があるので、2人のチームでは登り続けるかいがありません。私たちには非常に良く感じましたが、 残念ながら、C2の下のどこかで雪が降り始めました、そして、視界は悪化しました。

私たち全員(全員)は、C1に
リターンして戻ると決めました。 そのなかで私たち2人はBCまで戻って、他のものはC1に滞在しました。 今後の天気は何日間かは、よくありません。 天気予報は曇天と降水をアナウンスしています。
私たちは すばらしく感じます。 私たちは、しばらく いい状態になるのを待ってから、再び上がるでしょう。」


2007年10月2日 Dodo KOPOLD ブログの日本語訳

「6日間の大雪の後に、遂に晴れました。 私たちはもう雪崩を聞きません。 多くの新雪があり、山の状態は悪化しました。

しかし、今日それは希望に満ちているように見えます、そして、、私たちは4時頃に明朝、フランス人と共にC1(5.500m)に行くつもりです。 それはBCから私たちはcca(c1? ABC ? )まで 7時間かかるでしょう。

そこで、私たちが、何をしたらよいかを決めるつもりです。

既に、晴れて暑い1日の間では、夜は寒いです。 最後の数日が非常に寒かったので、私のソーラー・パネルは凍りました、そして、私たちはバッテリーによるフランス人の助けを必要としました。
大いに雪が降りました、そして、すべてが覆われたupthereです、そして、彼らが、山に既にいくつかのデポを残している人々はそれらを見つけられるか恐れています。 すべての固定ロープが雪の下に埋まっているとして、日本の遠征隊は出発を考えています。」


●KINGA BARANOWSKA (女性)ポーランド

http://www.kingabaranowska.com/

http://wyprawy.onet.pl/30169,472,1439524,ekspedycja.html

2003 Cho Oyu (8201 m)
2006 Broad Peak'a (8047 m)
2007 Nanga Parbat (8125 m)

Dodo と一緒のチームメンバー Nanga Parbatに2007年7月登頂
10月5日付のの彼女のブログ(ポーランド語)によると 
C1 付近では 韓国隊のテント以外の各隊すべてのテントは 雪の深さ 1.5-2m位下にあるようだ。

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●Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー

http://www.fredrikericsson.com/Default.aspx

2004 Shisha Pangma 中央峰(8012)からスキー
2005 Gasherbrum 2  (8035m)からスキー

(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)
2007-10-06 ブログ 日本語訳

http://www.fredrikericsson.com/News.aspx

「壊れたテントと、より多くの降雪」

「私はC1の4日間の訪問の後に再びベースキャンプに戻っています。 山頂への私の望みはダウラギリへのさらなる降雪によって打ち砕かれれました。

火曜日にC1に到着して、私は白い雪の平坦な空き地を見つけました。 我々の誰もがテントをなんら見ることができず、1組のスキー・チップだけが雪を上につき出していました。 1.5メーターの新らたな雪は テントを覆っていました。 それの場所を見つけるように位置を調べたあと、積雪を2時間の間 雪堀した後に、私は、私のテントが打ちこわされているのがわかりました。 ポールの1つは壊れてテントの側面の大きな穴があいていました。 また、C1で掘り出された他の大部分のテントも壊れていました。

翌日は修理日です。針 糸、ダクトテープのロールで、テントを使えるように直しました。 少しの休みなく午後に私は、短いスキーハイクにでかけ、キャンプに向かって滑ってみて いくつかの回転をしました。

木曜日に、C2に達する試みをしました。 深雪を4時間かけてのトレイルをつけた後に、雲が すばやくやって来ました、そして、雪が降り始めました。 視界がなくなり、私たちはどこに行っているか見えないので、C1に戻ると決めました。

金曜日も 良い天気でなく、朝 山を囲む暗い雲が正午までには 降雪に変わりました。 不安定な天気に飽きていたし Budhi(随行者の人名)の食べ物がほしいので、私は、BCに降りて戻ると決めました。

この秋は、私たち登山家にとっては簡単ではありません。 それは、山の青空と日光は 私たちを おとり のように誘い出して やがて吹雪を私たちの顔に吹きつけたりします。 登山家の多くが、今年、ダウラギリのサミットへの彼らの望みをあきらめて、帰途についています。 日本のチームは何日か前に離れました。そして、オランダ人、オーストリア人はポーターが彼らの装備をとりにくるのを待っています。
許可証の上では もう10日間を過せます。私はDodo(スロバキア 登山家)から月曜日には高気圧がきて、それが数日間 いい天気をもたらすという天気予報を聞いていますので、 月曜日の朝には、私が再びC1まで向かうことになります。積雪条件 次第では ゆっくり山に登ります。 これが 今年 ダウラギリ山頂への 最後のチャンスになるでしょう。」


2007-10-01 ブログ 日本語訳

「6日間の降雪」

「ついにに太陽は6日間の降雪の後に再びダウラギリを照らしています。 雪のシャベル作業から解放されコーヒー飲酒に変わりました、そして、視線はサミットに向かっています。

天気で気分がどのように変化するか、信じられません。
太陽が照って幸福で満足であり、雪が降っていると 悲しい。 その前の週に、私の気分はボールのように弾んで、ダウンしています。 10日間の良い天気と良い高度順応させていて、すべてがすばらしく見えました。そして、自己確信がトップにありましたが、 やがて、雪が降り始めました、そして、数日間で どんな変化も去りました。 雪が私のテントを埋め尽くし、6日間の後に降雪で、雪壁が囲み、絶え間なく積もってしまいました。ますます多くが否定的になり、 山頂へ行くより どう谷へを出るか 考えました。

日曜の朝にダウラギリの北側リッジの上で青空と日光で目覚めました。 すぐさま私のムードは変化しました、そして、私は頂上へのプッシュへの計画を練り始めました。 少しの太陽で何ができるかは、おもしろいことです。

明日、火曜日に、私は、オーストリア人 Andreasand、と Lawrence とオランダ人 Edvin 、トマスらとベースキャンプをでてCamp1までトライするつもりです。 私たちは固い雪の上を歩くことができるように朝早くでるつもりです、そして、うまくいけば、暑くなる前にC1に達するでしょう。 韓国人の登山家キムによると 昨日、C1のテントサイトはすべて雪で覆われていたとのことです。 したがって、私は、最後に訪れ建てた テントを探し 多少掘って掘り出した後、もし条件と天気ががよければ、C2 C3に向かって進み続けるつもりです。 金曜日の朝非常に早く、私は、スキーをbackpackにつけて、C3の私のテントを出て、Dhaulagiriのサミットに向かって登り始めるでしょう。」

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●オランダ人

Edwin Klerkx
Tomas van Hoek

http://www.7thsummit.nl/news_english.html

ブログ
http://7thsummit.blogspot.com
(注意 ここでの C1 C2の位置は 徳島隊のとは異なっているようだ。)

「10月1日ブログ

明朝 10月2日 4時にBC発で上へ向かう
同行は (オランダ人2人の他に) 
スキーヤー フレディック(Fredrik )
オーストリア人 アンドレアと ローレンス
(Andreas and Lawrence)
幸い 高度順化は十分だ。 
天気予報も良好だが残された時間がない。 次の週 もし 状況が良ければ 5-6日間で頂上へプッシュできるだろう。 ベースキャンプへいいニュースを持ってこれるかもしれないが、 大事なことは安全に無傷で戻ってくることだ。」

9月30日ブログ
「 1週間の大雪の後 ついに 空が晴れて太陽が顔を出した。 フランスチームがC1からベースキャンプに戻ってきた。 雪崩で冷や冷やしながら9時間かかった。 4時間以上余計にかかった。 今朝 韓国人が2人のシェルパとベースに戻った。補給もなくC1で雪に閉じこめられていた。一日がかりでおりてきた。
もし雪がふらなければ 上へ登れるが今日明日ではない。 山は大変危険で タフだ。雪崩で悪評高いアイガー壁は常に雪崩が落ちて いる。

タフなルートにフィックスロープは見つけられない。

我々のテントが見つかりますように、そして頂上へのプッシュに残された時間がありますように。
読んだり 待ったり 考えたりしながら時間を過ごす。

フランスチームは楽しい人たちだ。 今晩は 彼らとともに過ごす。」


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ダウラギリ2007秋

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