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ペットボトル

近頃  縦走路の道端に 水の入ったペットボトルが よく落ちている。

たとえば 平成20年4月26日から 5月17日までの山行では 縦走路に落ちていた 毎回 それぞれ1-2個のペットボトルを回収した。

こうした 水入り ペットボトルが道ばたに よく落ちている最近の傾向は 以前から 特に気になっていた。



ズバリ この原因は はっきりしている。



落とし主の 登山者が故意に落とすわけでなく 無意識のうちに ザック(バックパック)のサイドポッケトに差し込んだボトルが何かの弾みで落ちてしまうのである。

昔の ザックでは 水筒などザック本体にしまうようになっていて むきだしサイドポケットへの差し込みは なかったし、仮にあっても落ちない工夫がしてあった。


o社製 バックパック 落ちないような工夫あり。


L社製 バックパック これもボトルが落ちないような工夫あり。


だから 今日 道端にやたら見かけるようなボトルの紛失はなかった。

ただ  ザックの天蓋などに引っかけた タオルや衣類などが道に落ちていたりするのは 昔も 今でも 時折見かけるが。。。

昔 山登りでは あまり 水を飲むなという時代もあったが 今では こまめな水分の補給を大事にするようになったことは いいことだろう。


ハイドレーション・システムをつけたK社製 ザック。

今では ドリンキング・チューブを使った、ハイドレーション・システムを使えば水分補給は完璧で、最近のメーカーのカタログをみれば ハイドレーションを導入できるザックが多くなってきたのがわかる。

しかし、同じザックメーカーでも いとも簡単にペットボトルなどをサイドに差し込め こまめな水分補給ができるとサイドポケットの利用を やや誇大に宣伝しているようだ。

実際 山中で 手荒くサイドポッケトを使用するとなると 様々なケースが考えられ メーカーサイドの想定外のペットボトルの落下など 現実に起きているのである。

サイドポケットの使用上の責任を登山者にすべて負わすのはどうだろうか。

以前から ポリウレタンを使った山靴が 山中でパックリはがれることで大騒ぎになってきているが、 今では 登山者に使用上の「注意」を促すだけでなく、メーカーサイドでのポリウレタン対策として、、一応 それなりの処置は とられてきているが、いまだ完全に解決しているわけではない。

(外部リンク    )




ペットボトルも 登山者に注意を喚起するだけでなく メーカーサイドの対策として 自転車用の給水ボトルなどの固定方法など 見習えば ボトルが簡単に落ちない 工夫など いくらでもある。   

もとより 山は いろいろな接しかたがあり 靴の選択 衣類の選択 ザックなどの道具の選択など、 山に登る人 それぞれが考え 自分の裁量で決めればいいことである。

つまり山の道具など 趣味性の強いもので、 装備の 好き 嫌いなど 個人の趣向で選択すればよいことであって、批評家として 他人の 持ち物について あれこれ 評するようなことはしたくない。

ただ 最低限のこととして 自然に還元しないボトルに 紐をつけるとか 専用のキャップなどで 簡単に落ちない工夫をしてもらいたいものだし、とくに ザック・メーカーには サイドポケットの問題を いまだ あまり問題に思っていないのなら 是非とも 山の中で起きる こうしたトラブルを製品にフィードバックして対策を考えてもらいたいものである。



ペットボトル

よもやま話

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「あれば便利」 、キャンプ道具

夏はキャンプなどアウトドアのシーズンである。
昨今のキャンプの傾向は大型のRV車に目一杯の「便利な」キャンプ道具一式を満載した、いわゆるオートキャンプのスタイルが多いようだ。

こうしたキャンプスタイルは今日では何の違和感なく受け入れられているが、今から 何昔ほど前に、大都会からは ほど遠い、とある 山里のキャンプ指定地で、
今でいうオートキャンプの「はしり」のような「ご一行様」に出くわしたときは全く驚いたものだった。

これでもか これでもかと 車から運び出される 膨大なキャンプ道具の数々。

一体 これは なんなんだろうか?

机や椅子を並べて、ラーメンの屋台の出店でも こんな山奥で出店するのか?

その当時は 駐車できるところと キャンプサイトとは 適当に離れていたので
こうした 荷物を キャンプサイトまで運び込むのは 大変な苦労がいるので こんな光景は全くの例外的だったのだ。

その当時 私などの「山屋」は 炊事、幕営道具といっても、担げる範囲の 必要最小限の程度の品素なもの 少々しか持って行けなかった。

その程度でも その当時の装備は 品質も悪く かつ嵩張り、重かった。

ザックの重さはそのまま行動の鈍さに繋がるので、山中での動きを重視する限り、
炊事、露営道具などなどは 更に できるだけ切りつめた必要最小限の装備類しかもたないのであった。

だから「あれば便利だ」などという考えはなく、不自由なのは 当然だと思っていたし、そもそも 「いかに不便さを味わうか」が本来の山登りだと考えていた。 

その当時の 山里のキャンプ指定地で見かけた膨大なキャンプ道具類は とてもザックに担いで運べるものでもなく 私などの「山屋」には全く奇異に映ったのだった。


しかし今日の情勢として 世の中のキャンプスタイルとしてよく目にするのは 膨大な荷物を RV(リクレーショナルビークル)という大型車に詰め込んでいくので、キャンプ場のテントサイトも車横付けでしか キャンプできないようになり、いたれり尽くせりの 都会生活の延長のような 快適な 便利なキャンプ生活を楽しむのが 今では一般化している。

より便利で より快適さを楽しむのならそのようになるのだろう。

世の中では 便利さ、快適さの追求を否定できない現実があるのも事実なのだが。


だが、あえて
世の動きに逆らうようだが 「山歩き」 は山の中では 本来 もっとシンプルに 原始的であるべきなのだと思う。

何十年 経て その当時から私の基本的な考えは 今でもそう 変わっていない。

 よりシンプルな装備である方が 自然との 接点は多いはずだし。

より自然と密接な関係を楽しむなら装備は より少ない方がよいのだ。

道具が多ければ多いほど 自然との接点は少なくなり 自然は遠のいていくものだ。

もっとも 正直言って 私の山歩きも 装備の近代化、というか 文明の恩恵を受けているのも事実である。

 今日「山屋」の装備類も高品質で軽量化し 昔に比べ よりコンパクトで高性能な山道具の恩恵を受けるようになっていて、そのため うかうかしていると折角 軽くコンパクトになったザックなのに、 「あれば便利」といって あれもこれも 不要なものまで ザックに詰め込んでしまう 誘惑に惑わされることになっている。

私の 山歩きも 「もっと不便に」 「いかに不便さを楽しむか」もっとシンプルに もっと山を楽しめるように していきたいものだと思う。






「僕は何も回顧趣味に溺れるわけではない。
近代科学の恩恵にあずかぬことは馬鹿げている。
しかしヴァレリーが、近代の人間の精神的怠慢は科学の発達による、という意味のことを言っていたことを思い出す。
スピードとイージーが容易く手に入る結果われわれはもはや苦労して得ようとはしなくなった。
手軽な翻訳本が出てきたために誰も字引を引き困難して原著に就くものがなくなったようなものである。
精神の滋養となるものはそういう困難の中に存するのだが。」
深田久弥


http://shumiyama.web.fc2.com/yomoyama/yamadougu.html

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