長く短い4日間が終わった。いま帰りのバスに揺られているということになるはずなのだけど、一時間半も時間を間違えていた。だから今は帰りのバスを寒空の中待っている。
昨夜は芦屋でのラストライブ、ギターを宿に置いたまま地下鉄に乗ろうとしたり、帰りは帰りで最終電車を逃して大阪で足止めをくって、タクシーもばからしいので5~6キロほど歩いて帰った。
注意深い性格がトラブル続きだった。大阪の一番ディープな場所と人に触れたせいなのかもしれない。路上生活のおっちゃんがエロDVDを売っていて、素通りしたら「何や買わんのかボケ、わし帰るで~」と怒鳴りちらした所で「知るかボケ」くらいしか浮かばなかったのだけれど、あの場合、欲しい欲しくないは別にして50円くらい値引きして買ってあげて「◯◯ちゃんのやつは無いの~なんやおもろない」とか言うのがこの地のやり取りだったのかもしれない。
残念ながら北国生まれの俺にはそんな機能はない。そういう自分が少し損をしてる気がした。ただ天か底かというと底よりの人間なんでこの場所がいとおしく思えて、翌日もこの辺りをぶらついた。昼間の方がすさまじい光景だった。
京都に来て何かしらの「物足りなさ」というか「普通さ」「上品さ」みたいな物を感じた。もちろんそこを求める方がおかしいのだけれど。
歌舞伎町でバイトしてた頃、側で殺人事件があって立ち入り禁止の黄色いテープがそこらじゅうに貼られていても、あっ何かあったのかなくらいにしか思わないのも住んでいればそこが仕事場で、そのための通り道のでしかないからだ。むしろ「勘弁してくれよなぁ、回り道しなきゃ行けないだろ」とか思うのが自然的だろうさ。
今はあまりそういう危機みたいな物からほどどとおい町に暮らしているので西成の「底」はより強烈におもえた。3日も居れば「慣れ」が「面白い」なっていたけれど。またいつかあのパチンコ屋みたいなスーパーに行きたくなるだろう。しんマスターにも逢いたくなるだろう。
お世話になってマスター、bingo君、お客様様、おおきに。
もうまもなくバスが来る。そして旅ごと乗せて行ってくれるだろう。少しだけ神経質じゃなくなった疲れた身体はバスに揺られて眠れるだろう。
そうどっちに転がってもどっちに転がるかは己次第なんだよ。