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「如果・愛」のころ~上海雑誌「TimeOut」

PerhapsLove公開までの軌跡~以前のブログ(贈り物♪)は2004年の暮れから始めましたので、まさにこの映画の軌跡を最初からたどっていたはずなのですが。。。。。あはははは、今見直してみるとぜんぜん「メモ」としての役目を果たしていませんね

まったく関心が別の方向を向いていて、昔の思い出をひたすら語るのみ(大笑)
でも資料だけはきちっと集めていたんですよ!
それにあさかぜさんという強い味方がいます

なぜ「上海」がこの映画のキーワードなのか?
そもそも2005年1月の下旬に北京でクランクイン。題名は「PerhapsLove」とのみ決まってはいても、肝心の「漢字題名」が決まっていませんし、出演者の名前の中にレオン・ライがあったり、監督はジョウ・シュンがマギー・チャンに似ていると言ってみたり(どこが!)
なるほど、監督は最後に撮った「ラブソング」を大いに思い出していたわけです。

金城君がインタビューの中で「この映画は順撮りだったから感情移入しやすかった」と述べている通り、真冬の厳寒の北京の凍てついた川の上ではじまり、しかも最初のころの撮影はクリストファー・ドイルさんだったりしたわけです。

2005年4月5日、上海で、Biothermの中国初の代言人となる、その記者発表会がありました。

そしてこのあとPerhapsLoveの撮影は北京から上海へと移ります。このころもまだ題名が決まっていません。毋忘我(「私を忘れないで」)という名前が一番可能性があると。。。。。

2005年5月9日、上海影視楽園で、ついに「PerhapsLove」「如果・愛」として記者発表会が行われたというわけです。

それでは「毋忘我」はどうなっちゃったの~~~?と思っていたら、公開された『ウィンターソング』の中でしっかりその存在をアピールしていましたね。
映画の中で、ジャッキー・チュン演じる監督が撮っていたミュージカル映画、その名前が「毋忘我」だったのです。

はい、前置きがとても長くなりましたが、こういう経緯があったからこそ、上海雑誌「TimeOut」2005年5月号が存在するんですね~~しかも表紙は一番最初の水も滴る武!!





この雑誌の訳はあさかぜさんが2005年5月29日

ネットでもこの雑誌が紹介されました(ほらね~ちゃんと記事まるごと保存してたんです、やっぱりXPの方がVISTAより役に立ったわ!)




上海には上海の意気込みがあるわけです(北京とは一線を画す!?)
次はビオテルム公開のころの記事を。
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