syuの日記・気まま旅

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越谷・天嶽寺へ syu散歩  

2017-03-19 | syu散歩
埼玉県南東・東京から25km圏内の「越谷」。
台地の麓の低湿地に位置している所から越の谷の名が。東境の古利根川と南境の綾瀬川に囲まれ、中央に元荒川が蛇行して流れる水郷地帯。
中央に宮内庁埼玉「鴨場」がある。
江戸時代日光道の第三番の「越谷宿」伝統工芸に「だるま」の生産が盛んな地域。幕末は、レンコン・クワイ・ネギの生産が。
越谷も草加と同じ大ベットタウンで、昭和37年東武・地下鉄日比谷線乗り入れている。
又、県内唯一の「広域流通拠点・越谷流通団地」が出来ている。

                  東武東上線「北越谷」駅前


 越ヶ谷御殿は、徳川家康放鷹時の宿場所として、慶長9年の1604年、設営された。
この地は、越谷郷の土豪会田出羽の陣屋でしたが、家康の求めによりこの地を差し出している。
規模は、現御殿町一帯のおよそ6町余歩で、家康、秀忠はしばしば鷹狩りに越谷を訪れている。
1657年、江戸大火による江戸城焼失には、この越谷御殿が将軍の居城として、江戸城二の丸に移された。




                     
                     香取神社本殿


                     浄土宗  光明院


                      元荒川






「浄土宗・天嶽寺」
寺は、太田道灌の伯父と伝えられる専阿源照が文明10年の1478年、開山。
当時は、小田原北条氏の城砦に用いられ、北条氏により寺領の寄進を受けていた。



徳川家康から寺領15石の御朱印状を拝領、5ヶ寺の塔頭を擁していたという。

                    武蔵国三十三ヶ所霊場27番寺。




庚申塚と呼ばれた小高い丘があり
ここには、1673年、の文字庚申塔や1695年の青面金剛彫像庚申塔など、数多くの庚申塔が建てられている。
参道にそった庚申塚の下にも「かハしも二郷半、川かみかすかべ」などと道しるべが付された大供養塔や猿田彦大神塔などが並んでいる。
このほか境内には方言学の祖といわれる越ヶ谷吾山の句碑などが建てられている。

天嶽寺の本尊は阿弥陀如来であるが、釈迦仙の涅槃像(寝仏)も安置されている。これは珍しい金仏として越谷市指定の文化財。埼玉県掲示より




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