「アインシュタイン交点」で中身が理解しきれず「???」だったディレイニー、再挑戦です。
本作'12年ローカス誌オールタイムベスト96位、'14年SFマガジンオールタイムベスト33位と一般的にも評価の高い作品のようです。
発刊は「アインシュタイン交点」の前年1966年です。
本自体は昨年ブックオフで購入していました。
![](https://farm4.staticflickr.com/3879/14887052301_0956497d57_n.jpg)
先日のSFマガジンのオールタイムベストの記事でブログ友のT岡さんの「ベスト5」に入っているというコメントも頂いていることもあり手に取りました。
本作1967年第二回のネピュラ賞長編部門を「アルジャーノンに花束を」とで共同受賞しています。
前年(1966年第一回)の受賞は「デューン/砂の惑星」
なお同年(1967年)のヒューゴー賞はハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」が受賞。
この時代のアメリカSF界は新旧、多様なジャンルの作品が入り交り百花繚乱ですねぇ。
内容(裏表紙記載)
インベーダーの大規模な破壊活動が行われるとき、きまって傍受される発信源不明の謎の通信<バベル-17>が一種の宇宙言語であることをつきとめ、宇宙船ランボー号を駆って敵の次なる攻撃目標へと飛んだ。だが、船内にはすでに恐るべきインベーダーの魔手が忍び込んでいた・・・・・・。1966年度ネピュラ賞受賞の栄誉に輝くニュー・スペース・オペラの決定版
上記書いてあるものをそのまま記載しましたが、ネピュラ賞は「1967年」が正(じゃないか)と思います。
さて感想、1966年発刊ですが、ここまでくればサイバー・パンクまでもう一息という先進性のある作品と感じました。
「サイバー・パンクとはなにか?」を大して読んでいない私が理解しているとも思いませんが、なんとなく「現実」と電脳的「仮想現実」の境界があいまいになった世界を舞台にした作品という理解をしております。
本作の主題たる「論理言語」=「バベル-17は電脳的言語でもあり、それが仮想現実というか「真の現実」を構築して、目の前の「現実」がもしかしたら主観だけのあやうく「仮想的」なものかもしれないという世界観を構築しています。
1966年時点ではかなり先進的だったのではないでしょうか。
「アインシュタイン交点」と違い表面的ストーリーはとりあえずスペース・オペラ仕立てですし、色々な事件が起きその謎及び犯人を追いかけるミステリー仕立てにもなっていて読みやすく、表面だけなぞっていてもそれなりに面白いです。
ヒロインのリドラ・ウォンは同盟軍側だけでなくインベーダー側にも知られる美貌の有名詩人にして、暗号解読の天才、にして荒くれ男(女)ぞろいの宇宙船の船員をたばねる親分肌のキャプテンとしての力も持つというかっこいいスーパーウーマン。
そんな女性が最後は魔法にかけられていた王子様と苦難を乗り越え(たとえです)結ばれるというおとぎ話的構造でもあったります。
読後「なんでこんな奴がいいんだー!」という感を多くの男性は抱くのでないでしょうか。(笑)
ただ前述の通り、作中の「現実」は非常にあいまいになっていてストレートに「書かれたまま」の意味とは取れないような色々な仕掛けがあるように感じました。
そこがディレイニーの味なんでしょうかねぇ。
ということで細かく読むと論理的破綻は結構あったりします。
(ネタバレ入っているので未読の方はご注意、一応一部伏字)
○同盟軍兵器廠アームセッジ星でTW-55は○○○が近くにいないのにどうして暴走したか?
○アームセッジ星からランボー号が出発するときパイロット ブラスはどうなっていたのか?
松バベル-17を創り使用しているインベーダー艦隊に対しヒロイン:リドラが同じバベル-17を使い優位に立てたのはなぜ?
○終盤インベーダーとの白兵戦で敵と交戦中ののリドラたちを船内から撃ったのは誰か?
等々、最後に一応謎解きされているのですがそれでは説明できないような部分が残っていてなんだか釈然としない。
釈然としないながらも、人間の認識や現実やらのあいまいさを味わう作品なんでしょうね。
とにかく作中いろんな設定があいまいになっています。
死者と生者の境界もかなりあいまいで霊的存在が宇宙船の乗組員の一人として平気で乗り込んでいますし、死体を甦らせて肉体を持った女性パイロット助手もいて、その女性をめぐり他2名の男性パイロット助手は恋愛関係を云々…。
パイロットのブラスは自分の体を改造して毛皮や、口に牙がはえサーベルタイガーのような外見になっているし(一応人類という設定)。
兵器として開発されたTW-55は人間の遺伝子を使って創った兵器なわけですがこのような存在は果たして人間でないと言い切れるのか?
とにかくいろいろなものの境界線があいまいになっています。
敵である「インベーダー」の中にも非アメリカ人の人類が加わっているようで、詩人である主人公リドラの詩はインベーダーの間でも広く読まれているようです。
作中記載がありますが銀河系には9種族存在していることになっていてインベーダー側が4種族、同盟側が3種族、中立が2種族ということになっております。
そもそも主人公の属する同盟側は多数派ですらない…。
「敵」「味方」の概念もかなりあいまいです。
「敵」「味方」のあいまいなスペース・オペラ、なにもかもあいまいなミステリ仕立ての作品…考えてみるとかなり変な作品ですね。
あいまいな全存在の「本質」を認識しまとめていくのが「言語」ということになっているのですが….。
作者は本当にそう信じて書いているのか?それもまたあいまいです。
「アインシュタイン交点」では「真」の言葉的位置づけとして音楽が重要な役割を担っていましたが本作ではあまり音楽が重要な役割を果たしていないのもちょっと気になりました。
言葉を「音」の側面から捉えると音楽がどうしてに出てくる気がするのですが…。
ディレイニーの経歴考えても出て来そうな気もするのですが。
波乱万丈なスペース・オペラとしてもまぁ楽しめますし、サイバー・パンク的な特殊な世界観も楽しめますがが、読了後なにやらいろいろ謎が残っているような….。
不思議な作品です。
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本作'12年ローカス誌オールタイムベスト96位、'14年SFマガジンオールタイムベスト33位と一般的にも評価の高い作品のようです。
発刊は「アインシュタイン交点」の前年1966年です。
本自体は昨年ブックオフで購入していました。
![](https://farm4.staticflickr.com/3879/14887052301_0956497d57_n.jpg)
先日のSFマガジンのオールタイムベストの記事でブログ友のT岡さんの「ベスト5」に入っているというコメントも頂いていることもあり手に取りました。
本作1967年第二回のネピュラ賞長編部門を「アルジャーノンに花束を」とで共同受賞しています。
前年(1966年第一回)の受賞は「デューン/砂の惑星」
なお同年(1967年)のヒューゴー賞はハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」が受賞。
この時代のアメリカSF界は新旧、多様なジャンルの作品が入り交り百花繚乱ですねぇ。
内容(裏表紙記載)
インベーダーの大規模な破壊活動が行われるとき、きまって傍受される発信源不明の謎の通信<バベル-17>が一種の宇宙言語であることをつきとめ、宇宙船ランボー号を駆って敵の次なる攻撃目標へと飛んだ。だが、船内にはすでに恐るべきインベーダーの魔手が忍び込んでいた・・・・・・。1966年度ネピュラ賞受賞の栄誉に輝くニュー・スペース・オペラの決定版
上記書いてあるものをそのまま記載しましたが、ネピュラ賞は「1967年」が正(じゃないか)と思います。
さて感想、1966年発刊ですが、ここまでくればサイバー・パンクまでもう一息という先進性のある作品と感じました。
「サイバー・パンクとはなにか?」を大して読んでいない私が理解しているとも思いませんが、なんとなく「現実」と電脳的「仮想現実」の境界があいまいになった世界を舞台にした作品という理解をしております。
本作の主題たる「論理言語」=「バベル-17は電脳的言語でもあり、それが仮想現実というか「真の現実」を構築して、目の前の「現実」がもしかしたら主観だけのあやうく「仮想的」なものかもしれないという世界観を構築しています。
1966年時点ではかなり先進的だったのではないでしょうか。
「アインシュタイン交点」と違い表面的ストーリーはとりあえずスペース・オペラ仕立てですし、色々な事件が起きその謎及び犯人を追いかけるミステリー仕立てにもなっていて読みやすく、表面だけなぞっていてもそれなりに面白いです。
ヒロインのリドラ・ウォンは同盟軍側だけでなくインベーダー側にも知られる美貌の有名詩人にして、暗号解読の天才、にして荒くれ男(女)ぞろいの宇宙船の船員をたばねる親分肌のキャプテンとしての力も持つというかっこいいスーパーウーマン。
そんな女性が最後は魔法にかけられていた王子様と苦難を乗り越え(たとえです)結ばれるというおとぎ話的構造でもあったります。
読後「なんでこんな奴がいいんだー!」という感を多くの男性は抱くのでないでしょうか。(笑)
ただ前述の通り、作中の「現実」は非常にあいまいになっていてストレートに「書かれたまま」の意味とは取れないような色々な仕掛けがあるように感じました。
そこがディレイニーの味なんでしょうかねぇ。
ということで細かく読むと論理的破綻は結構あったりします。
(ネタバレ入っているので未読の方はご注意、一応一部伏字)
○同盟軍兵器廠アームセッジ星でTW-55は○○○が近くにいないのにどうして暴走したか?
○アームセッジ星からランボー号が出発するときパイロット ブラスはどうなっていたのか?
松バベル-17を創り使用しているインベーダー艦隊に対しヒロイン:リドラが同じバベル-17を使い優位に立てたのはなぜ?
○終盤インベーダーとの白兵戦で敵と交戦中ののリドラたちを船内から撃ったのは誰か?
等々、最後に一応謎解きされているのですがそれでは説明できないような部分が残っていてなんだか釈然としない。
釈然としないながらも、人間の認識や現実やらのあいまいさを味わう作品なんでしょうね。
とにかく作中いろんな設定があいまいになっています。
死者と生者の境界もかなりあいまいで霊的存在が宇宙船の乗組員の一人として平気で乗り込んでいますし、死体を甦らせて肉体を持った女性パイロット助手もいて、その女性をめぐり他2名の男性パイロット助手は恋愛関係を云々…。
パイロットのブラスは自分の体を改造して毛皮や、口に牙がはえサーベルタイガーのような外見になっているし(一応人類という設定)。
兵器として開発されたTW-55は人間の遺伝子を使って創った兵器なわけですがこのような存在は果たして人間でないと言い切れるのか?
とにかくいろいろなものの境界線があいまいになっています。
敵である「インベーダー」の中にも非アメリカ人の人類が加わっているようで、詩人である主人公リドラの詩はインベーダーの間でも広く読まれているようです。
作中記載がありますが銀河系には9種族存在していることになっていてインベーダー側が4種族、同盟側が3種族、中立が2種族ということになっております。
そもそも主人公の属する同盟側は多数派ですらない…。
「敵」「味方」の概念もかなりあいまいです。
「敵」「味方」のあいまいなスペース・オペラ、なにもかもあいまいなミステリ仕立ての作品…考えてみるとかなり変な作品ですね。
あいまいな全存在の「本質」を認識しまとめていくのが「言語」ということになっているのですが….。
作者は本当にそう信じて書いているのか?それもまたあいまいです。
「アインシュタイン交点」では「真」の言葉的位置づけとして音楽が重要な役割を担っていましたが本作ではあまり音楽が重要な役割を果たしていないのもちょっと気になりました。
言葉を「音」の側面から捉えると音楽がどうしてに出てくる気がするのですが…。
ディレイニーの経歴考えても出て来そうな気もするのですが。
波乱万丈なスペース・オペラとしてもまぁ楽しめますし、サイバー・パンク的な特殊な世界観も楽しめますがが、読了後なにやらいろいろ謎が残っているような….。
不思議な作品です。
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