しろくま日記

読んだ本の感想を記録してみたいと思います。
なんだか忘れてしまうので。

ノヴァ サミュエル・R・ディレイニー著 伊藤典夫訳 ハヤカワ文庫

2017-07-15 | 海外SF
‘12ローカス誌オールタイムベスト長編59位、1968年発刊。

「難解」とされるディレイニーの作品、訳者の伊藤氏が「アインシュタイン交点」同様(?)迷路にはまり本作も邦訳が出たのは原書発刊20年後の1988年と遅いです。

伊藤氏翻訳の「アインシュタイン交点」の方は邦訳1996年発刊、原著が1967年発刊ですからなんと29年後。
伊藤氏の入れ込み具合とともに伝説となっている作品ですね。

本作も現在絶版となっておりブックオフで古本を購入。

ちなみに表紙の船主役たちの乗る<ロック>の絵と思いますが、本作読んだ限りではもう少しボロ船な気がしてミスマッチな気がしました。

内容紹介(裏表紙記載)
時は32世紀。プレアデス連邦の権力者ローク・フォン・レイは、仇敵プリンス・レッドを破滅の淵に追いこむべく、途方もない冒険に乗りだした。希少な超エネルギー資源イリュリオンを短時間に大量に採取しようというのだ。だが銀河広しといえど、それが可能な場所はただひとつ―大爆発をおこしノヴァになる瞬間の恒星の中心部だけだった! 華麗な神話的宇宙を織りあげ、現代SFの頂点をきわめたディレイニーの最高傑作。

本作には「神話的」とか「メタファー」とかいろんなもの入り込んでいることになっているようですが…。

素直に表面だけ読むと普通に1960年代のニューウェーブ、ワイドスクリーンバロックの流れを汲んだスペースオペラという感じです。

内容紹介みると凝ったストーリーのエンターテインメント作品を想像するのですが(私がそう)そのつもりで読むと今ひとつ何がいいたいのかわからない話です。
ラストが普通にハッピーエンドでもなく「???」なのでストレス溜まるかと思います。

解説やら評判読んで「神話」のパロディ的になつもりで読むと、そこはかとなくワーグナーのオペラに雰因気(ケルトとか北欧とかの古代ヨーロッパ神話っぽいんでしょうね)を感じる気がします。(ワーグナーのオペラそれほど見たわけでもないのでいい加減です...)

ディレイニーの作品、音楽が重要な役割を果たすケースが多く本作でも準主役級の少年マウスが奏でる感覚シリンクスなる楽器が重要な役割を持っています。
ワーグナーなど聴きながら読むとはまるかもしれません。

このマウス、「ダールグレン」の感想でも書きましたが惑星間宇宙船の無重力に対応するためということで片足ブーツ・片足はだしで過ごしています。
また主人公のローク・フォン・レイとの出会いから最後の方でずっと一緒にいる描写がありゲイであることを暗示しています。
「ダールグレン」のキッドの原型の少なくとも一部はマウスにあるんでしょうね。

本作は地球圏を含む旧体制的な地域ドレイクを支配する企業体のトップであるレッド一族の兄:プリンス、妹ルビーと、銀河の開拓地プレアデス連邦を支配する新興企業体トップのフォン・レイ家の御曹司のロークとの愛憎交えた鬼ごっこが縦軸となっています。

レッド一族のプリンス・ルビーの兄妹が近親相姦的関係にありそうなところも神話っぽいですしそのルビーにロークが横恋慕しているというだけの状況に様々な人々が巻き込まれて右往左往するのも神話っぽい構造ですね。

解説の新装版への追記の最後で「中間点を境に対象構造となっている」との記載があり、そう思ってあらためて確認してみると、冒頭酒場で狂人ダンとマウスが話す場面がラストでロークとマウスの会話として再現されていたりなどなどと確認してみると確かに対象構造になっています。
その辺も神話っぽいんですかねぇ。

プリンス・ルビー、ロークの鬼ごっこと傷つけ合い(特に終盤)は、お互いが金持ちの御曹司なので直接的過ぎてとても違和感がありました。
誰か雇うなりすればいいのに....。

まぁその辺の変態的固執も神話なんですかねぇ。

プリンス・ルビーとロークの終盤での対決の場面にマウスの感覚シリンクスが重要な役目を果たすというのも、ロークのルビーへの想いを断ち切るのが同性愛を体現する「少年」の持ち物なのもなにやかやを象徴してそうです。

ラスト辺りのプリンス・ルビーの滅びぶりの見事さ、ロークの悲惨な運命など絵に描いた悲劇的ラストはこの作品のクライマックスとして一番楽しめました。

「ルビーお姉さま」魅力的です…「凄く」て「コワイ」。
黄泉の国でのイザナミを想起してしまいました。

こんなお姉さまに魅入られたプリンスとローク…破滅しますよねぇ。
イザナギ-イザナミの話と似たような話がオルフェウスの話としてギリシャ神話にあります。
こちらは楽器として竪琴が出てくるようなのでこちらの方はノヴァの下敷きの一つにはなっているかもしれませんね。

縦軸のレッド家とフォン・レイ家の争いの横軸的存在のシリンクス使いのマウスと・小説家(この世界では小説は失われているらしい)志望のカティンは狂言回しというか道化師的役割を担っています。

マウスは随所に重要な役目を担うのですが、カティンの方は「作者の分身」的な役割を担っているのでしょうが批評的なことを述べるだけであまり役に立っていない…。

カティンの言っていることをよく読み解けばいろいろ気づくところもあるんでしょうが…。
(ラストで聖杯伝説についても言及している)
ギミックとしての脊髄ソケットやら、この物語世界での申請的存在である「アシュトン・クラーク」などもよく考えればいろんな意味があるんでしょうが….。
そこまで深読みするパズルのような読み方をする気にはなりませんでした。

解説によると英国では「ノヴァ」の方が評価が高いようですが、私は「アインシュタイン交点」のなんとももやっとした感じの方が好感が持てました。

まぁ私の読解力では「アインシュタイン交点」も全然ちゃんと読めていないのでしょうけれども。

ということで本作素直にスペースオペラとして読むとちょっと中途半端に感じるかもしれませんが、なにやら「神話」的な雰因気を楽しむにはよいかと思います。
レッドお姉さま魅力的です….。

もっと深読みできる読み手には….もっと楽しいのかもしれませんが私には無理だった感があります。

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