コリアンジャパニーズ

韓国系日本人のひとりごと

嫌韓流

2006-02-25 21:17:17 | インポート

嫌韓流2が出た。さっそく読んでみて、なるほどパート1よりは洗練されたかな、というのが感想だ。パート1は少しばかり乱暴すぎた。もちろん、骨子は間違ってはいないと思う。日本の冷静さに対する韓国のオーバーなナショナリズム批判、さらに韓国のねつ造ぶりや火病紹介など、漫画ならではの表現に「うまい」と思ったものである。しかし、あまりに底が浅い批判だなあと思った。「在日は…」という表現、「韓国は…」という表現は、新たなステレオタイプをつくろうとしているかのようだった。韓国人にもいいヤツはいるし悪いヤツはいる。在日も同様、日本人だって実にいやなヤツがいるかと思えば、感動するほどいいヤツもいる。同じなのだ。もちろん、そのベースとなっている公教育など批判すべきこともあろう、だが、みそもくそも一緒くたにする表現には「ちょっとそこが浅いな」と思った。

2でも、実はあまり変わっていない。しかし努力している部分もある。そこは評価するが、韓国のことをなにも知らない日本人にいきなり読ませては、悪影響うけないかな、とやはり心配してしまった。結局、この本は、本自体が否定している「韓国のひどい教育」と同じスタンスで韓国を批判しているのだ。韓国の公教育よりは「事実」は多い。しかし、「事実」のみを一方的に指摘し、多重な、さまざまな角度からの批判をしていない。一方的すぎるのだ。まあ、漫画だからしゃーないのだが、現実というのは、もっともっと複雑なのだ。だから、多くの書物を読み、インターネットで笑韓までのレベルの人なら楽しめるが、韓国知識がまっさらの人にはちょっと、と思ってしまう。ただでさえ、韓国については無知な人が多いのだから。

私は産経新聞を愛読しているが、ガチガチ保守の産経の、しかも韓国特派員の久保山さんがこの本に、高い評価をしていないことが印象的だった。この本は確かに評価されていい部分が多くある、読まずに批判するサヨクや韓国メディアには「アホ」と言うだけだが、著者に対しては「もっと勉強した方がいい」と言いたい。韓国の勉強ではない、漫画の勉強だ。


逆説の日本史

2006-02-18 11:53:50 | インポート

前に書いたかもしれないが、私は薄いサヨク的な人間だった。共産主義は実現不可能かもしれないけれど理想社会で、そこに限りなく近づくことが良いことだと考えていた。スターリンはとんでもないヤツだけど毛沢東・周恩来は立派で、それに比べて日本の政治家は…と思っていた。韓国の政治家は金大中と朴正熙しか知らなかった。もちろん朴正熙は悪いヤツだと思ってた。それが、いつごろから意識が変わったのだろう。年をとって、サヨクの偽善性に気づきはじめ、朝日新聞のデタラメぶりがわかり、そうこうしているうちに井沢元彦氏の「逆説の日本史」に出会ったのが決定的であったろう。もともと歴史好きだったせいもあってこの本を読みはじめ、すぐに気に入り、氏のほかの著作にも目を通した。

井沢氏はお世辞にも文章がうまいとはいえない。読んでいてつらくなるほどだ。しかし、氏はそれをカバーしてあまりある論理性と直感力と分析力をもっている。はっきりいってものすごい人だ。彼は「強行採決」という言葉に疑問をもったという。民主主義の国会において、多数派の主張が少数派よりも通ることは当たり前で、すべての採決は強行採決になるのが当たり前なのに、日本では「多数派の横暴」であると言われる。でも、国民の多数が与党を支持したのだから、国民の意見を国会に反映させるのなら、多数派が強行採決するべきだし、それが間違っていたのなら、次の選挙で負けるだけ。これが民主主義の基本的ルールだ。しかし、この民主主義ルールが非難される。ということは、日本は民主主義で動く国ではないということなのだ。この主張を聞いて、私のサヨク思想はきれいに消え去った。日本のサヨクは「民主主義」のために戦っているのではないのだ。

私は民主主義を愛している。別に政党ににも団体にもまったく属していないが、民主主義を守るべきであると堅く信じている。日本が好きなのは、いちおう民主主義だからだ。いろいろ問題はあるが、いちおう三権分立と表現・結社の自由がなされている。中国にはまったくない。北朝鮮にはさらにない。韓国にも残念ながらない。台湾のそれは風前の灯火だ。香港はもっとヤバイ。東アジアで唯一の民主主義国が日本なのだ。

やはり日本人に帰化して、私は正解だった。


キムチの味

2006-02-11 14:35:56 | インポート

両親ともに日本で生まれている。父は広島、母は大阪。私は大阪で生まれて神戸で育った。私は在日三世だった。父が末っ子だった影響が強いのだろうか、前にも言ったように結構いいかげんなコリアンで、祭礼(チェサ)はやらないし、言葉も全然覚えなかった。ほとんど日本人と同じくように育った。ただし、キムチだけは別だ。当時、チンチと読んでいたそれは、いつも母の手作りである。たくさんの白菜を縦に切って、干す。一日ほど塩漬けして、そのあと、キムチのもとを葉っぱの間に入れて、また漬ける。味が浸透したら食べる。こんな感じで母はキムチを作っていた。キムチのもとは大量の唐辛子、桃缶、塩辛、その他いろいろなものを混ぜて作る。母は料理が上手かった。

韓国国内でも、都会では特に、いまやキムチは「買って」食べるものだ。とはいえ、買ったキムチはまずい。どこのキムチもまずい。旨いという評判のものも、やはり母の味にはかなわない。ときどき父が母のキムチを知り合いにあげるのだが、少しもらった人はみな「もっとくれ」となり、ある時期、母は業者のように、大量のキムチをつくり、ダウンし、もう二度と他人のためには作らない、と宣言し、父も了承した。母はほかにも何種類かの韓国料理をつくっていたが、あまり舌にはあわなかった。そんなものよりハンバーグやカレーや寿司が好きだった。

さて、母は老い、私はいま遠い町に住んでいて、母のキムチを食べる機会がなくなった。私は日本女性と結婚したが、母は妻にキムチの作り方を何度か教えた。しかし、妻はまったくやろうとしない。私も全然期待していない。今年の正月、実家に帰省した。「久しぶりに作ったよ」とキムチを食卓に出してくれた。本当に旨かった。やはり俺は韓国人なんだなあと思った。


日韓の架け橋?

2006-02-04 11:31:23 | インポート

在日韓国人というと、よく偽善的に「日韓の架け橋」という言葉が使われる。ここで偽善的にという表現を使ったのは、本気で日韓の架け橋になろうという人がどれだけいるだろうか? という疑問があるからだ。ほとんどの在日韓国人は普通の人々である。普通の、というのは、そんな政治的なことに関わっちゃいられない人ということだ。毎日の仕事や子育てに必死になっていて、そんなことに力をそそげないのだ。私だって、普段の仕事のせいで、このブログの更新もなかなかままならない。一週間に一度が限界かもしれない。

一方、マスコミなどでそんな情報を発信している人々はそれなりに理由があって発言をしている。人気商売の芸能人だったり、そういった主張が自分の利益になる学者や評論家であったり、なにかしらの意図、つまりどこかから金をもらって、その組織のために主張しているのである。彼らの特徴は「日韓の架け橋に」と言いながら、そのスタンスがほとんどの場合「韓国より」で、決して日韓双方の中心部にいないのだ。その理由がなんであるかはわからない。本当に「日韓の架け橋」になりたいのならば、なぜ韓国のまずい部分と平行して日本の問題点を指摘しないのだろうか。

もうひとつ言えることは、マスコミに出てくる在日韓国人は、韓国のことをよく知らない。はっきり言えば、彼らを含めて、在日韓国人は韓国のことをなんにも知らないのだ。私は韓国人をやめた。韓国国籍にはなんの未練もない。が、韓国という自分のルーツには興味がある。そのため私は韓国の歴史、経済、文化などを結構勉強してきた。もちろん、半島に住んでいる韓国人にはかなわないが、そんな私でさえ、彼らよりは韓国の実体をわかっている。いや、もしかしたら韓国を知っていても、知らないふりをしているのかもしれない。

その理由は…?