晴れ、ときどき映画三昧

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「理由なき反抗」(56・米) 75点

2014-03-28 13:02:09 | 外国映画 1946~59
 ・50年代青春スターのシンボル、J・ディーン。


                                        
 いつの時代にも青春スターは存在するが時代を代表する鮮烈な印象を持つスターはそんなにいない。50年代世界を魅了した代表的青春スターといえばE・プレスリーとジェームズ・ディーンだろう。

 端役を除くと、たった3作であっという間に銀幕から去っていった彼の2作目で、「青春映画」と云うジャンルを映画界に確立した作品のひとつ。それまでの主人公は強くて決して人前で泣かないヒーローだったが、彼の泣き顔は従来のヒーロー像を覆したといえる。

 「夜の人々」(49)で監督デビューした原作者のニコラス・レイが、西部劇全盛期に念願かなって監督した111分。最初はマーロン・ブランド主演をイメージしていたが、本人からOKが出ず年代を下げJ・ディーンが起用された。まだ、全く無名の俳優起用のためB級映画としてモノクロで撮影開始されたが、「エデンの東」(55)が公開され大ヒットしたため、急きょカラーに昇格したという。そのためジミーのシンボル・赤いスウィングトップに白のTシャツ、ブルージーンというスタイルが世界中に広まった作品でもある。

 泥酔したジム(J・ディーン)は集団暴行の容疑者として警察に連行される。そこで出会ったのが、夜間外出して保護されたジュディ(ナタリー・ウッド)と仔犬を撃って補導されたプレイトウ(サル・ミネオ)。3人はそれぞれ悩みを抱えたドウスン・ハイスクールの同級生だった。

 映画史に残る作品だが、60年後観て素晴らしい作品とは言い難い。あの頃のアメリカは、強い父親が一家を取り仕切り、優しい母親が子供を育てるという家族制度が確立していた。その矛盾を大人や社会への漠然とした苛立ちを切り取った映像ドラマだろう。グリフィス天文台は不良仲間との殴り合いシーンに使われジミーの胸像が立ち、チキン・ランは当時若者達の危険な遊びとしてその名を広めた。

 ジミーは当時24歳でハイティーン役にはトウが立っていたが、アドリブ重視の監督とはウマが合い作品に関わった演技は、ジミーそのもののイメージとオーバーラップして迫真の演技だった。とくに哀しげな上目使いいと孤独な表情は彼ならで、後にマネをする俳優が多数出現した。今ならB・ピットかJ・デップか?

 「エデンの東」で鮮烈デビューし、「ジャイアンツ」(56)で繊細な演技に拍車がかかったジミーは、本作が一番のお気に入りだったことが窺える。チキン・ランで生き残ったジムが、撮影終了後自動車事故であっけなくこの世を去っていった。もし生きていたらどんな俳優になったことだろう。
 

 
 


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