風の吹くまま絵を描きます

趣味は登山。風の吹くまま、出かけて絵を描いています

ドブロヴニク

2017-08-01 10:57:03 | 日記
ドブロヴニク
アドリア海の真珠。天国を見たければドブロヴニクに行け等々、最大級の賞賛の言葉でたたえられている。当然、世界遺産である。

ドブロヴニクは戦いを避け、巧みな外交政策により独立を確保した都市。ビザンチン帝国に年貢を納め、代わりに帝国内での自由貿易の権利を得、13世紀、セルビアの鉱山から銀、銅、鉄、鉛などと運び、一時、ヴェネチア共和国の支配下になるも、1418年独立、ドブロヴニク共和国となる。
15~16世紀、地中海で最大数の船舶を持つ。
強大な国に対して従順なようであるが、肝心の自治権は守りとおした外交手腕は評価されている。

ドブロヴニクでは3泊した。しかし、毎日雨が降った。旅行案内書では6月の雨量は東京の1/3だが、日本の梅雨と同じような雨量だった。


ドブロヴニクへの道
スプリトを6月21日16:15出発。バスでドブロヴニクへ向かう。途中、ボスニア・ヘルツゴヴィナ領を通過する。
クロアチアの中にわずか9kmの幅だけボスニア・ヘルツゴヴィナ領が割り込んでいる。国境ではパスポートチェックがある。

17世紀ハクスブルク帝国がオスマントルコからクロアチア内陸部とハンガリーを奪い返した。条約では、この地はドブロヴニク領にする事になった。しかし、割譲を要求しないで、そのままトルコ領になった。当時、ここから北は敵対するヴェネチア共和国の領土であり、間に強大なトルコという緩衝材を作る狙いだった。と本には書いている。
しかし、その後、歴史はめまぐるしく変わり、チトー亡き後、民族紛争のあげく分裂した。17世紀の条約が現在まで生き残るとは思えない。
民族紛争中に複雑な利害関係があり現在の形になったと思う。

ここでトイレ休憩、売店で食料品を買い晩飯。ババナ、ウエハス、ポッキーで腹をふくらます。日本のコンビニのように弁当、おにぎりは売ってない。
異国であるが貨幣はクーナが使える。物価も安いという。しかし、買いたくなる物はない。
国境を通過すると、そこはドブロヴニクである。雨の中、21時前、ドブロヴニクに着く。


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