夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

憲法修正を考える(安倍首相とは別の意味で)。  

2017-07-07 09:50:57 | Weblog
私は憲法を修正すべきと考えている。憲法を守る手続きの追加である。ナチスは民主的なワイマール憲法下で政権を掌握しドイツに不幸な歴史をもたらした。それ故この点でドイツの基本法は神経質である。

ではどのような修正か?
①憲法を守らない政権担当を弾劾する手段。
②憲法に違背する法律を審査する手段。
いかなる憲法であれその憲法を保守する手続きがなければ憲法改正を主張しながらその憲法の内容を気に留めない政権に無力である。

安倍夫婦は森友学園を応援した。夫人に経産省の秘書をつけ国有財産を安価に払い下げようとした。そしてその森友学園は教育勅語を幼稚園児に暗唱させていた。教育勅語の個々の内容は正しいであろう。しかし勅語は主権が天皇にあるとする前提に立ち国民主権を定める現憲法に不一致である。法令に従い正しい行政手続によりながら憲法に反する教育を安倍首相をやってのけたことになる。経産省、財務省が加担してである。違憲の振る舞いを合法かつ適正にであるやってのけた。事は刑事罰の問題ではない。立憲の問題である。刑法のどこに書いてあると居直られても困る。
違憲の振る舞いに導いた以上弾劾のチェックが必要だ。総理大臣の振る舞いは極めて憲法上の問題である。刑法で十分とするのは私たち全くの私人を相手にするときだけである。

更にたとえ国会で成立する法律であれ憲法に合うか、合わぬか合理でもって審査する必要がある。合わぬ法律は無効である。憲法は私たち国民のものである。閣議での解釈が優先でよいと思えない。それは行政機関の長が取り敢えずこの解釈で行こうという行政限りの話であってその普遍を許してよいわけではない。憲法の条文趣旨に照らして合憲か違憲かのチェックは必要である。私たち閣僚はこう思うで済ませてもらっては困る。憲法は長い歴史の中の民主主義国家日本の知恵である。単なる安倍首相の思い込みではいけない。思い込みをそのままにしてよいはずはない。
以上の意味で私は憲法修正を考える。


追記
自衛隊を憲法に明記したいと主張する方もいるようであるがそのことのために改正論議はすべきでないと思っている。私は自衛隊は合憲であり、自衛権の反射としてその存在は認められていると考えている。明記するための改正が国民投票で否決されたらどうする。今後は自衛隊は認めないという憲法上の決定になる。英国のEU離脱のようなことがその時の気分によって起きないとは言えない。遊びで自衛隊を危険にさらしてはならない。

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