夜と霧

迷える子羊
ーこの場を借りて自分の考え方を確立したいと思っていますー

労働力の社会的コストまたは経済の適正規模

2009-04-29 09:56:42 | Weblog
しばらく前に、しばらくと言ってももう20年ぐらい経つかもしれないが、労働力不足が喧伝された。3Kと言われ始めた頃かもしれない。
その結果女性が労働市場に登場した。高齢者も積極的に働くようになった。国際化が言われ外国人労働力も動員された。
私にはこれが戦中の兵隊不足、労働力不足と重なって見える。
韓国の人、台湾の人達は、軍人、軍属となり、また工場に動員された。女性は工場や運送で工員となりまた車掌で働いた。高齢者は銃後の守りで空襲、防火訓練の花形であった。
行き過ぎた戦線拡大の結果である。
同じ事が今の経済に言えたのでは無かろうか。人々は経済成長を享受するとともに一方で心は疲弊した。日本という国が戦争ではなく経済の分野で先進国をひたすら追いかけ、中国、韓国に負けまいとし、何かを忘れた。
労働力と言うとき、やはりそれが人であることを忘れては行けない。そしてご都合主義で人を手配する、そう言った経済を見直すときかもしれない。

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時代的閉塞(草薙剛のヌード)

2009-04-28 00:38:16 | Weblog
SMAPの草薙剛が酔っぱらって裸になった。見たかった女性もいるのでは無かろうか?
高校時代、夏の暑い日、私は通りかかった川で泳ぎたくなって、真っ裸になって泳いだのを思い出した。開放感と涼しさで随分と気持ちがよかったのを思い出す。
田舎の高校生の気楽さであった。
これを東京ですると、人通りが多い所でするとすれば随分と気恥ずかしいかもしれない。
これを酔いの勢いでやってしまった。
マスコミは大喜びで騒ぐが、酔いすぎれば私も、実は気づかぬうちにストレスが溜まっていて、同じ振る舞いに及ぶかもしれない、そして有名人であれば、それが、とてつもない騒ぎになる、そんな窮屈な時代になった。
勿論、酔おうと酔うまいと礼節というものがある。
しかし、いたずらに大騒ぎするのも礼節を欠く行為である。
酔いすぎてする都会でのヌード、そして大騒ぎ、どこか今の時代の閉塞感を表象している気がする。
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老人問題

2009-04-26 15:44:44 | Weblog
こんな題名にすると俄に社会性を帯びる。
しかし、要は私にとっては父母の問題であり、これから私が如何に両親に接するかであり、自分のこれからに如何に付き合って行くかである。
そう考えると、お金がどうとか、政府がどうとか、地方公共団体がどうとか、そんなことが何一つ関係ないものになってしまう。
私達は日本経済の成長につれて、大学を出、そして親元を離れた。たまに帰省することと電話が親子の付き合いとなった。そう言う意味では、日本経済の発展のつけをこれから払うのかもしれない。
今郷里に帰るとしても今やなんの足がかりもない。これは、人生を経済成長に関わらせた同胞の共通する問題である。
都会に出て、年寄りとの付き合いを久しく忘れていた。どんな風に年寄りが生きていたかを見てこなかったつけもある。
私は政治の問題に行く前にその辺の考え方の整理をしたい。
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プロが出ないテレビ

2009-04-23 01:24:24 | Weblog
この頃テレビに一流の学者は顔を出さない。新聞もそうである。一流の学者、専門家はテレビ、新聞に登場しない。
私達は知らず知らずのうちに分かり易い言論を喜び、面白い議論を喜ぶ体質になっている。だから素人の、ある意味では深みのない評論家のテレビでの評論を喜ぶ。
しかし物事はそれほど単純ではない。単純に見えることであっても奥行きの深い問題であることが多い。そんな問題をきちんと整理して初めて問題の解決が出来る。物事を解決するという視点に立ったとき、難しさをきちんと理解して肝心の所を押さえる。それが言いっぱなしではない言論というものである。
私達は、気ぜわしい世の中に慣れてしまった結果、難しい話しに素直に耳を傾けるという謙虚な態度を無くした。勢い、耳障りのよい言葉ばかり聞きたがる。
難しい事実や内容を理解するのは本当に大変な作業である。しかし問題をきちんと解決するという視点から見ると、耳障りのよい、また分かり易い、そんな言論は単に道を誤る元であり、何らの解決をもたらさない。素人の感想で盛り上がっても仕方がない。やはりここは専門の知識をじっくり聞いて、道を誤らないようにしたいものである。
テレビ、新聞に再び、一流の人物の登場を待ちたいと思う。
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郵便法違反事件 その二

2009-04-22 00:11:45 | Weblog
昔から官のものを民に払い下げるとき疑獄はつき物であった。
だから今回いろいろなことが出てくるのに不思議はないのかもしれない。
今から思うと余り必然性の無かった郵政民営化である。
当然利権が群れてもなんら不思議はない。
儲けようと思えばいくらでも儲かる郵政事業のあり方、それは民営化によって初めて自由になる。不採算郵便局を止めれば儲かりすぎるぐらい儲かる仕組みができる。田舎の爺ちゃんばあちゃんが不便を甘受すれば、つまり不採算店を切り捨てるという民間の手法を踏襲すれば、効率化などあっという間にできあがる。公共と言う目標を捨てさえすれば効率化などあっという間に出来る。
そんな分かり切ったことを議論しないで、成立した民営化、利権に群がる輩が出てくるのも不思議はない。
私達の見えないところで行われた「簡保の宿」の払い下げ、そしてこの事件。まだあるのではないかと思う。
しかしそれを許したのはまた私達なのである。
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郵便法違反事件

2009-04-20 21:18:15 | Weblog
鳩山総務大臣がこの問題に次のように言及していた。
曰く、
「総務省の監督責任が問われる」。
しかしその総務省を指揮監督するのは、総務省の責任者は大臣ではないか?
総務省が悪いのであれば最終の責任は大臣である。
一部局が悪いのであれば局長である。それが責任というものである。
抽象的な総務省という単位での責任の取り方はない。
問題が発覚したときの人ごとのような政治家の物言いにいつも政治家の無責任を感じる。
政治家はプランし、大臣となっては実行の指揮監督をする。
そこには責任というものがある。
もっとも日本の政治家、プランもせず、実行は人任せ、そして直言する悪いやつは人事局を作って任用しないと言うのであれば話は別である。
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麻生首相の経済対策

2009-04-19 10:15:57 | Weblog
今回のばら巻き、四段ロケットが愚であること自明である。難しい経済理論は要らない。私のような素人にも自明である。
返せる当てのない借金をして善政をしようというのである。それも今年限りのばら巻きである。これを短くいえば選挙対策である。定額給付金のような対策が多すぎる。勿論この国には私のような節操のない国民が多いから、本当は払った税金を返して貰うしても、勿論貰うと嬉しくなってくる。飲み会で会費を多く払い会費が余って戻ってくると嬉しくなるようなものだ。そんな時幹事はいい幹事に見える。後で会費が足りなかったと言って会費を追徴する幹事は悪い幹事である。
今回のばら巻き、国の借金でばら巻きをするのであるから心情的にはよい首相であろう。私達にはそう映る。
しかし将来のことを考えてみる。返せない借金はしてはいけない。たとえ子供の教育費であれ、サラ金から金を借りてまで教育にお金をつぎ込む人は少ない。多くの人は子供に悪いと思いつつ我慢させる。出来ない無理はしないという常識があるからである。麻生首相はなりふり構わず、借金をしようとしている。
返せない借金を重ねるとき、個人であろうと国家であろうと行き着く先は破産である。借金の踏み倒し、棒引きである。
太平洋戦争の時私達はこの愚を一度犯した。アメリカと戦うために戦時国債を大量に発行し、終戦後国民経済が成り行かないほどのインフレに陥った。そしてそのインフレを前提として初めて昭和27年に完済した。
今国の財政は、国債を返せない以上、また返す実力もない以上破綻している。今の問題はその破綻が何時具現化するかである。
個人の返せない借金は個人が苦しむ。国家経済の破綻は国民全体が苦しむ。今の経済の苦しさを凌ぐのに将来の塗炭の苦しみを以てする、これは麻生首相の選挙対策故の犯罪である。
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経済政策としての製造派遣禁止

2009-04-16 00:13:08 | Weblog
経団連の方は、つまり名だたる企業の経営者は派遣を望ましい雇用制度と見ているようである。何時でも欲しい時に雇用でき、生産が落ち込んだときに契約の継続をとり止めて解雇する。
勝手気ままに使える労働力が、欲しいときときに欲しいだけの労働力が保証されれば経営に極めて都合がよい。
が問題はここにある。
一つは熟練である。生産は開発技術だけでなく製造の技術を要求する。製造に慣れて裏も表もわかるという製造の技術を要求する。頭の良さだけではない、経験がいる。これが、製品の安定を担保する。熟練労働者あっての良質の製品であることが多い。
もう一つの問題は、経済に与える影響である。不景気という指標がでたとする。全ての企業がなんのためらいもなく雇用調整に走る。一企業ではなく全ての企業が減産に走る。雇用の減った分だけ需要はなくなる。
この雇用制度の機能は、速やかな不景気への対応を可能とするが、逆に緩やかな景気減退を存在しえないものとする。個々の企業の不景気対策が更に不景気を加速する。
一気に景気が減速することは、私達の暮らしの経済にとどまらず、世の中の経済にとっても非常に辛いものである。ゆっくりと減速すれば、何とか受け止めることが出来るが、個々の企業が対応にスピードを競うことは、私達の国民経済を良くするとは思えない。
労働者を保護するのは、すぐに解雇できないようにするのは、減速を緩やかにする効果がある。
雇用の安定が次の成長を支えた。これが高度成長期の経営の知恵であった。
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追加経済対策

2009-04-14 21:55:02 | Weblog
随分と大盤振る舞いである。この経済対策その効果を疑問視する声も多い。とにかく使えであるから効果などなんにも考えていないというのが本音であろう。今までの行きがかりで、その延長線上で使ってみよう、そんなところである。効果を疑問視するのはもっとである。
しかし、私は、不安視する。本当に不安である。
金もないのに金を使う。金がないだけならまだいい。借金だらけである。そんな中にあって金を、効果もわからずとにかく使えである、そんな態度に不安を感じる。
国債の乱発、これが実体経済との関係でいかなる意味を持つのか、私は理解していない。実体経済は厳然とある。確かに国の借金という虚構で、実体経済を刺激する、国の借金を原資とする金のやりとりで、実体経済での金のやりとりを潤滑にする、そして実体経済を改善する、それが従来の手法である。。
しかし、今や潤滑油だけでは実際は少しもよくならない。それにも拘わらず、借金を増やす。
麻生首相は「百年不況」を「戦後以来の不況」に言い換えた。終戦直後の不況を云々するとき、その当時のインフレで、戦争経済で乱発した赤字国債故に滅茶苦茶になった経済も思い出さないといけない。この時は朝鮮戦争で救済されたが、今回はそんな事態が起こるとは思えない。
朝鮮戦争があって、インフレがあって、戦中の赤字国債を償還できたのは戦後7年経ってと聞く。今の問題の先送りならまだいい。今回のばら巻きは今の苦しみを逃げてサラ金地獄に陥る、そんな危険を秘めている。
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北朝鮮の国体護持

2009-04-13 21:01:18 | Weblog
今の北朝鮮の有り様はかつての日本の終戦前夜かと思う。おそらくは、国力の全て、国家の威信全てををかけて体制維持に汲々としている。国民は塗炭の苦しみに喘ぐにしても、なりふり構わず体制維持を希求する。
本当によく似ていると思う。やはり隣国、国民性も似ている。
これは金正日だけの都合ではない。彼に集まる人の都合でもある。いやそれ以上に彼の国に暮らしが成り立つ人達の都合でもある。暮らしていけると勢い人間は保守的となり、それ以外の有り様が考えられなくなる。ほんの一部の人を除いてどんなに苦しもうと、体制護持に人々は向かう。
彼の国にあって今一番の願望はアメリカからの政権、政体へのお墨付きである。
所で彼の国をなめてはいけない。私達は石油を止められて自暴自棄になってしまった。当時は軍事以外民生ではあんまり石油は必要ではなかった。石油のない軍事を縮小した国の有り様、中国から手を引いて制裁を解除して貰って石油を手にする、そんなことを考えることが出来なくなって、敗戦に至った。勝てぬとわかってアメリカとも戦うという愚を犯してしまった。この意味でもなめてはいけない。
彼の国、隣国である。国民性も似ている。自暴自棄にならぬと誰が言えるであろうか?60年前の私達の失敗を奇貨として、声高に制裁を叫んで彼の国を追い詰めるのではなく、冷静に大人の国家の対応を考えたい。窮鼠猫を咬むのたとえはは国家にあっても真実なのである。
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