カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月の予定です。

警官のこと。

2017-04-09 15:21:21 | Weblog

 今回マザーハウスに行くとマザーハウスの角に銃を持った警官が二人立つようになっていた。

 日本ではニュースになっていない思うがネットなどでも書かれていて知っている人は知っているだろうが、私のブログを読む人のなかで何人知っているのだろうか。

 と言うのは昨年七月バングラディッシュのダッカでテロがあったことは知っていると思う、その犯人グループがマザーハウスを標的にしていたため、マザーハウスの角には警官が立つようになっていた。

 最初マザーハウスのなかにも警官を入れるとの意向が警察にあったが、それはシスターたちが断った。

 ボランティア担当のシスターメルシーマリアはテロに狙われる可能性が高い、朝施設に向かう時やアドレーションの後にマザーハウスの傍に居続けることをしないようにずっと話していた。

 そのため木曜日のボランティアがまとまってハンセン氏病の施設チタガールに見学に行くこともテロのことを考え、中止されていた。

 私は日本人のオリエンテーションでそのことを話すこともあったが、やはり恐怖心をあおるだけになってしまいかねないのであまり話さなかった。

 なぜならテロは絶対にないとは私には言い切れないからである。

 警官は朝のミサの始まる六時前からマザーハウスの角にいて、夜はアドレーションの終わる時間までいた、その他の時間は私はそこに居なかったので分からない。

 ある日の午後のことだった。
 
 その警備をしていた警官が一人マザーハウスのなかに入ってきて、物珍しそうに辺りを見回しながら、マザーのお墓の部屋の前まで来た。

 すると一人のシスターが笑みを浮かべながら、たぶん、ここがマザーのお墓ですよ、入りなさい、とでも言ったように手招きしてマザーのお墓の方に案内すると、その警官は嬉しそうな笑顔を浮かべて、マザーのお墓のところに行った。

 その警官がお墓から出て来ると、今度はシスターがあそこがマザーの部屋ですよ、とでも言ったのであろう、マザーの部屋を指さして案内すると、警官はまた嬉しそうな笑顔を浮かべてマザーの部屋に行った。

 この警官もマザーのお墓やマザーの部屋を見るのは初めてなんだと思い、その嬉しそうな笑顔にマザーのことを好きなのかもしれないと思うと、私はその光景を見ながら、こっそりと笑みを分けてもらっていた。

 その次はもう一人の警官も同じようにマザーハウスに入って来て、笑みを浮かべて出て行った。

 マザーは今もなお、出会った人を前よりも明るく元気にして帰らしていた事実を目の当たりにした。

 それを知り、私が微笑んだのは言うまでもない。

 帰り間際、セント・ジョン教会のMCの観想会シスターモニカテレーズとマザーハウスがテロの標的になっていたことを話し合った。

 彼女の友達のMCシスターはイエメンのアデンでテロリストに銃殺された一人であることを教えてくれた。

 彼女は言った「シスターたちは誓願を立てているから良いけど、ボランティアはね、誓願を立てていないから」と言っていた。

 シスターたちの誓願とはそれほどに強いものなのかと改めて思った。
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