今回は久しぶりに本のご紹介です。風薫る季節、そろそろ天候も安定するでしょう。あなたは本をたずさえて旅に出ますか、それとも、丁寧にいれた一杯のお茶とともに読書を楽しみますか。
どこよりも好きなティールームがあります。「洋菓子舗ウエスト」青山店、地下鉄千代田線の乃木坂駅から徒歩3分のところ。乃木坂、といえば、いまでは東京ミッドタウンを連想する人が多いだろうけれど、国立新美術館もミッドタウンも六本木ヒルズもなかった十数年前から、このティールームに通いつづけています。
店の正面には通りをはさんで青山墓地が広がっているせいか、人通りもすくなく静かで、店内には暗色の背広やスーツ姿の紳士淑女が目立ちます。クラシック音楽を低く流し、客に会話を楽しんでもらうことを第一に心がけている、都内でも数すくないお店(音楽なら何でもサービスだと勘ちがいしている店とはちがう)で、戦後まもなく名曲喫茶として流行り、たくさんの文人たちが集ったと聞いています。
ウエストは、『風の詩』という無料のリーフレットを発行していて、誰でも自由に読めるようにティールームの卓上に数冊重ねて置いてあります。それに、ウエストが一般公募している随筆や詩などが毎週一編ずつ載ります。応募要領に「お茶をのみながら素直に共感が得られる生活の詩を‥」とあるせいか、お茶を飲みながら読むのにちょうど良い長さの親しみやすい文章ばかり、それも日常の喜怒哀楽を綴ったものがほとんどです。それがこのたび、創刊3,000週号を記念して一冊の本にまとめられ、本のタイトルはそのまま『風の詩』(新風舎刊 ※)になりました。先日、お店に立ち寄ると同時ににわか雨が降り出したので、これ幸いと店頭で本を購入して、ティールームで雨宿りがてら読みました。
─ここは何も変わっていない。店のサービスもインテリアも、お客も、お茶もドライケーキの味も、そしてこの『風の詩』も。きっと、わたしがこの店の常連になる何十年も前から変わっていないのだろうと思う。変わったものがあるとすれば、クラシックのレコードがCDになったことくらいかも。『風の詩』もまた、市中に生きる人々が、いつもとなんら変わらない暮らしの中で見つけたちいさな宝石を集めたものだ。本の中で、みんなが泣いたり、笑ったり、悩んだり、過去をふり返ったりしている。なんてゆたかで、愛に満ちた暮らしの詩(うた)があふれているのだろう。それに比べて、ここ数年のうちに首都圏のあちこちに乱立しているSC(ショッピングセンター)やモールなどの大型店へ出かけて時間をすごし、お金を払って楽しみを得るという最近の風潮は、なんだかむなしい─ すぐそばのミッドタウンのひきもきらない喧噪を牽制しながら、本を読み終えたわたしは、二杯目の緑茶茶碗を片手にぼんやりとそんなことを考えました。
雨が小降りになって店を出るころ、ウエスト青山店が近々改装されることを知りました。これも、ミッドタウンの影響なのかな。どうか、この店が長年かけて築いてきたたいせつな文化を、新しい店舗になっても継いでほしいし、『風の詩』から人々の暮らしの詩を発信しつづけてほしいと願わずにいられません。
『風の詩』の中から、選者の故・林芙美子さん(作家)が選んだ詩をひとつ。
第93号 「街の歌」 金井直也(金井 直)
次から次へと過ぎ去って行く数々の足音の木霊をなつかしみながら、みんな愛し合ひ憎み合って、それぞれの楽器をかきならし、にんげんのいのちを歌ってゐる。
マッチ箱のやうに並ぶ家の中に、家と家の間を走るおもちゃのような電車の中に、さまざまな感情がぎっしりつまってゐる。夜になるといっせいに、ぱらぱらと落ちた涙のやうに、電灯がともり─ 遠くでみると何んと静かな美しい風景なんだらう。
一筆箋
※ 『風の詩』 は さくら書房 で紹介しています。
※ 『風の詩』 のバックナンバー(第2815号以降のもの)は、洋菓子舗ウエストのホームページからご覧いただけます。