松岡正剛のにっぽんXYZ

セイゴオ先生の「にっぽんXYZ」教室と同時進行。濃~い日本史話が満載!

01 東アジアと倭国 (Y=鉄 その1) 自立を促した鉄

2004年06月23日 | 01 東アジアと倭国
XYZの2つ目は、「鉄」です。鉄や青銅器などの金属器は、日本には最初はなかったのですね。では、鉄はいつごろ日本に入ってきたのか?
それは前回お話しした、大陸伝来の稲作技術とほぼ同じ時期でした。青銅器や銅剣なども一緒です。弥生時代の最大級の遺跡、佐賀県東部の吉野ヶ里遺跡にある墳丘墓から、副葬品として十字架形の銅剣が発掘されていますね。
この青銅器や鉄が日本に入ってくると、日本は大きく変わります。さあ、どういうふうに変わったのでしょうか。

まず、金属器は水田耕作に欠かすことのできない道具だったのです。日本には葦が多く、日本神話では、「豊葦原中津国(とよあしはらなかつくに)」が日本を呼ぶ名称なんですね。それまでの木製、あるいは磨製した石の道具では、葦の原を切り開いて田んぼにすることは、かなりたいへんです。また収穫の稲刈りも難しい。使える農具としては、穂の先端の穂を刈りとる石器の穂摘具(ほつみぐ)があったくらいでした。

強いクニ造りのためには、食糧が安定して供給できる効率的な稲作が必要です。つまり、そこに鋭くてよく切れる鉄製の農具が必需品となったのですね。こうして稲作技術とセットのように、輸入された鉄からつくった農具が広まっていきます。

日本の弥生時代の鉄は、朝鮮半島の鉄でした。
鉄の生産は古朝鮮語で、「サ」とか、「ソフ」とかいう名前の場所で、生産されていたんですね。朝鮮半島の古代王朝が首都の京城を「ソフル」とよんだのも、鉄器の産地に由来しています。現在の首都ソウルですね。なかでも洛東江という川の流域の鉄鉱をつかってつくられた鉄が、日本列島に輸入されていたといわれています。
2世紀以降には、日本の稲作の道具はほとんど鉄器化されていきます。日本の稲作は、朝鮮半島の鉄によって支えられ、鉄は国際的な交易の通貨のようにも扱われていた。鉄を通して朝鮮半島と日本列島は、一体になった経済、文化が展開していたんですね。

しかし、3世紀ごろから、日本人はみずから鉄をつくりだそうと試みはじめます。朝鮮半島の鉄鉱石は赤く酸化した赤鉄鉱という鉄鉱石をもちいていましたが、日本に赤鉄鉱はかなり少ないんですね。そこで、新しい鉄鉱石をみつけなくてはならなかった。それは何だったか、わかりますか? 
日本列島に潤沢に存在する「砂鉄」がそうでした。5世紀後半から中国地方を中心に始まった製鉄で、砂鉄はこれまで輸入された鉄とは違った、日本の独自の鉄をつくりだします。これが日本の経済文化圏を朝鮮半島からだんだん自立させていったんですね。

農耕具として大きな力を備えていた鉄製品ですが、また、さまざまな建築物や道具をつくる工具としても必需品だった。あらゆる技術の基本に鉄があったといえます。

でも、それだけじゃないんですね。古墳時代の遺跡からは、トップであるオオキミ(大王)の副葬品として、大太刀が出てきています。
そうです。鉄はさらに、強力な武具、鋭利で硬い剣や槍ともなるのです。つまり、鉄の武具の大きな破壊力や威圧の力から、剣や刀がクニのリーダーの象徴とされるようになっていったのですね。

【次回は6月25日(金)、Y「鉄」の2回目です】