最初の武家政権をつくった平清盛、みなさん、もちろん知っていますね。清盛については、平家物語の「おごれるものは久しからず」や、「盛者必衰のことわり」など、平家滅亡のシーンがよく記憶されていますが、この平清盛が統治者として実際に考えていたこと、推進したことには、もっと注目したほうがいい。
その一つの大きなポイントは、国際貿易を強力に押し進めていこうとしたことです。海に囲まれた日本で、貿易を中心にすることは、海洋に生きる国、海洋国家をつくろうということですね。これは日本の歴史の中でも非常にユニークな目標だったといえます。ただ、いろいろとあせってしまったために、結果的に清盛は失敗してしまったのですね。
では、なぜ、貿易がそんなに力を持っていたのでしょうか。12世紀中ごろ、日本の貿易はとても活発になっていたんです。最大の相手は、中国の南宋でした。中国では10世紀初頭に唐王朝が滅びた後、五代十国の混乱期を経て成立した宋王朝が、12世紀に大陸の北部を金(きん)という国の女真族に抑えられたので、南宋を建国したんです。宋時代から続く南宋との貿易で、日本から輸出されたのは、大量の金や真珠でした。
とくに日本の金は、大陸より8割も安かったんですね。外圧に苦しんでいた南宋にとって、日本の金は国家を支える貴重な財源だったのです。では、日本に輸入されたのはなんだったか分かりますか? 代表的なものは、貴族が好んだ青磁の壺、そして大量の銅銭でした。中国のお金を輸入していたんですね。
「04 内裏と摂関政治(荘園2)」でも話しましたが、日本では古代銭貨の発行が、958年を最後に止まったんです。その後、荘園経済の活発化を背景に、米や絹という生産物をお金の代わりにしていたんですが、一方で私製の銭貨や中国のお金を使ってもいたんですね。とくに院政期から、日本では宋銭が通貨として機能していた。宋の銭貨がつねに流通貨幣の半分以上を占めていたんです。
こうしてみると、平清盛がとろうとしていた政策が、少しずつわかってきましたね。簡単に言えば、貿易と通貨という二つの仕組み、システムで新しい経済力をもたらそうとしたわけです。これは、とても現代的な考え方ですね。
では、そういう中で平清盛は、どのように日本の権力のトップに躍り出ていったのでしょうか。平清盛の祖父正盛、父忠盛は、伊勢平氏として貿易からつくった膨大な財をもち、また、北面の武士として朝廷の軍事力の中心となっていた。清盛自身も北面の武士として活躍し、平氏一族の財力や政治力を背景に、朝廷に影響力を広げていきます。
そこに起こったのが、平安京が迎えた初めての武力衝突、保元の乱という内乱だったのです。中心人物は前回紹介した崇徳上皇と後白河天皇。清盛がパワーゲームの表舞台を務めるのは、この戦火の中からとなります。
【次回は11月2日(火)、07 院政と源平、Y=平清盛の2回目です】
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