9月6日の朝日新聞朝刊にて興味深い記事があった。
「今妊娠してぃて悩んでます。どぉしてかと言ぅと、最近離婚したばかりで子どもが2人います。ゥチの子ゎ2人とも父親が違ぅんです。今回の子ゎ離婚する前に知り合った妻子持ちの彼氏の子なんです。頭の中真っ白・・・」
この「字体」からして、イマドキの女の子だろう。そして、この文字から「悲壮感」は伝わってこない。「本当に悩んでんのか?」と突っ込みたくなるほどに緊張感もない。
だが、その反面、文章の行間から悲鳴のようなものを感じずにはいられない。こういう字体になるのは、それだけ外界からの影響を受けやすく、他有化されているということに由来している(自分をもっている人間はこういう字体は使う必要がない)。簡単に言えば、彼女には「自分」がない。この文章の最後の「頭の中真っ白」というのは素直な言葉だろう。19歳で三人目の子どもを身ごもっている。離婚していて、さらに不倫相手の子ども。。。まともな感覚じゃやってられないほど厳しい状況だ。
彼女を責めることは簡単だ。だが、彼女をいくら責めたところで、きっと彼女には伝わらないだろう。自分のしている行動や行為が後にどのような結果を及ぼすのか、ということを想像する力を持ち合わせてないからだ。きっと親が何を言っても聞く耳はもたないだろう(それ以前に親の人間性も相当疑わしい)。
この19歳の少女(母親)の子ども2人+胎児1人はとても悲惨だ。金銭的にも相当厳しいだろう。離婚した相手というのも恐らく相当未熟な人間であろう。慰謝料や養育費を支払う離婚男性はものすごく少ない。3割程度だと言われている。かといって、この文章を読む限り、母の手一つで3人の子どもを育てていけるだけの経済力があるとは思えない。厳しい・・・
何よりも、彼女自身、彼女を幸せにしてくれる(あるいは共に幸せになる)パートナーを見つける恋愛感覚をもっていないように思う。不幸にする男性(見た目だけがよかったり、悪ぶっている男=いい男のような男性)に恋するメカニズムが彼女の中にあるように思うのだ。(若い女性たちを日々見ていると、自滅型(どうしようもない男性だけしか愛せない)女というのは少なからず多い。
既婚男性の子どもを身ごもるというのも・・・ もちろんその既婚男性が彼女にアプローチをかけたのだろう。男も男だ。ただ、悲しいのは、そういう自分の問題性に対して無反省であるということだ。きっと彼女は今の現状に対して「真っ白」になっているのだろう。しかし、自分の生き方や自分の判断基準への懐疑/批判の精神はあるようには思えない。
僕は、子育て/母子関係/保育の根源には、「恋愛」がからんでいると見ている。家庭環境が複雑になる中、恋愛することの重さを痛感せずにはいられないのだ。「できちゃった婚」というのも、結局は男女の無責任な性的接触の結果であることが多い(それで幸せになる夫婦もたくさんいるから一概に批判はできないが!)。
ネットの普及のおかげでワールドワイドで男女が出会えるようになってきた。だが、そういう時代だからこそ、もっと恋愛に対して慎重になるべきではないか。古い人間の発想かもしれないが、安直に肉体関係は結ぶべきじゃない。特に女性は、「男性は性的接触そのものに対して非常に貪欲だ(とても卑しい)」、ということを知るべきだと思う。そういう男にとって重要なのは、「愛情の内でその人と寝ること」ではなく、「動物的接触をしたい、吐き出したい」という本能的な衝動だということ。先の19歳の母親も、ある意味で、無知によって男性に人生を狂わされた被害者ともいえなくもない。彼女にとっては「愛情の表現」であったとしても、男にとっては「快楽の堪能」でしかなかったのではないか。
彼女の言葉の背後に潜む叫び、「頭の中真っ白・・・」という抑制された心の叫び。そして、19歳で二児の母でありながらとても幼稚な文章。どう考えるべきか。実に考えさせられる記事だった。