Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

板橋区に続き三重県でも… 児童遺棄はなくならないのか?!

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110901-00000102-jij-soci

【全文引用】

田んぼに新生児捨てた疑い=母親の21歳介護士逮捕―三重

時事通信 9月1日(木)18時30分配信

 新生児をポリ袋に入れて休耕田に捨てたとして、三重県警伊勢署は1日、殺人未遂の疑いで、三重県伊勢市小俣町本町、介護士天野江梨奈容疑者(21)を逮捕した。
 逮捕容疑は8月19日夜、自分の車の中で男児を出産した後、翌20日早朝、男児をポリ袋に入れて同市朝熊町の休耕田に捨てた疑い。
 同署によると、男児は同日午後1時50分ごろ、休耕田の所有者に発見され病院に搬送された。現在も入院中だが、健康状態に問題はない。 


8月29日にも、東京都板橋区の蓮沼町で、生まれたばかりの男児が置き去りにされるという事件があった。そして、9月1日、今度は三重県で、新生児が休耕田に捨てられるという事件…

こうした母親を責めるのは簡単だ。

だが、責められるべきは、母親だけではなく父親も、だ。…なはずだ。が、ニュースにはならない。いつも母親は責められるし、逮捕されるし、犯罪者になるが、父親はそうはならない。

それが一番腹立つ。

逮捕するなら、父親も同罪だろう。なのに、何故いつも追いつめられ、遺棄し、逮捕されるのは女性なのか。そりゃ、遺棄したのが女性だから、その容疑がかけられるのはいつも女性だろう。

しかも、上の天野容疑者しかりだろうが、相手が誰か分からなかったり、相手がワケありの男性だったり、打ち明けられないような相手だったりするわけで、男性が逮捕されるということにはならないだろう。

だからこそ、僕は強く思う。遺棄した女性を感情的に非難するな、と。

子を捨てた罪は重い。だが、それとて、社会がそういう行為をさせるようになっているのだから、母親が苦しまないように、社会の側がなんとかしなければならない。

こうした遺棄・嬰児殺しは、個別の問題ではない。女性の問題であり、親子の問題であり、家族の問題であり、福祉の問題であり、子育て・保育の問題である。

「なぜ児童相談所に行かないのか」、という反論は受け付けない。

行けない理由があるから、行かないのだ。あるいは、そういう相談所の存在を知らないから、行けないのだ。それを、外側にいる人間が、「無知なのがいけない」と責めることはできない。

ホント、心苦しい事件である。

ただ、赤ちゃんが死ななくてよかった。それは、赤ちゃんのためだけでなく、母親である容疑者のためにも。殺人者にならずにすんだ。まだ、やりなおせるし、まだ、色んな可能性が残っている。介護者ということで、それほど悪人だったとは思えない。苦しんだ挙句の突発的行動だと、僕は信じたい。今は、深く反省していると、信じたい。

僕は必ずしも赤ちゃんポスト擁護者というわけではないけど、赤ちゃんポストがあれば…と思う事件だった。

こうした問題に、真っ向から立ち向かう論者がどれだけいるのか?!

自分は、こうした問題にコミットし続けたいと思う。

僕自身は助けられないけど、こうした女性たちを支える枠組みを考え抜きたい。それが、僕の仕事だと思っている。やるしかない。


ふと思う。

どうして、僕はこんなに、こういう女性たちの肩をもとうとするのか。

正直、自分でもよく分からない。ただ、子どもにとって、母親がいるということはとにかく強いことだから、としかいいようがない。父親でもいいけど、やっぱり母親だ。MOTHERだ。

いい母に育てられれば、人間は狂うことはない。そう確信している。どれだけ、他人に嫌われようと、どれだけ、他人に後ろ指さされようと、自分が愛して欲しい人、つまり母が子を愛してさえくれれば、人間は崩れることはない。母でなくてもいい。絶対的な存在に愛されることで、人間は強く生きていける。だから、僕は宗教も否定しない。なんでもいい。自分より大いなる存在に認められ、赦され、愛されることで、人間は生きていける。

他の問題は、それに付随する問題に過ぎない。

誰かに大切にされることで、人間は人間になる。大切にされることなく、育ってしまうことだけは何とか阻止したい。本当に多くの人が、大切にされることの喜びを知らない過ぎる。いや、そんなに多くはないかもしれない。けれど、大切にされない人間がいる、ということが僕には耐えがたい。

母親だって、愛する我が子を好き好んで、大切にしないわけじゃない。大切にする余裕がないくらいに、追いつめられているのだ。子どもを救うためには、その母親を救うしかない。母親を救うといっても、超デリケートな問題なだけに、行政の対応では追いつかないし、入り込めない。行政、公務員ができることの限界を超えている。職業で解決する問題ではないのだ。

すべての子どもの愛情の保障を実現するためには、すべての母親がきちんと守られてねばならない。守られ過ぎというのも問題だが、守るべき母親はきちんと守るべきだ。それは、もう問答無用だと思う。

たいていの母親はすごくよくやっていると思う。新生児~乳児という化け物を相手にしながら、よくぞ、皆、殺さずに頑張って育児をしていると思う。そういう人は、そのまま頑張ればいい。たいていの母親は、この難局を乗り切るのだから。

ただ、この難局の渦中で、追いつめられ、苦しみ、どうしようもなくなってしまう母親(母親になれない女)が存在する、ということも忘れてはならない。

そういう女性を見つけ、支援し、教育し、自立させること、これこそが、すべての子どもを助ける、ということの意味なんじゃないかな、と。だから、究極的には、母子生活支援の充実こそが、最も求められるのだと思う。

コメント一覧

kei
エミさん

はじめまして。ブログ拝見しました。なんか、近いところにおられる方だなぁと思いました。

こういう事件の背景には、女性の問題が色々な形でかかわっていると思います。赤ちゃんポストの議論しかりですが、女性がおとなしすぎます。女性からの動きがなさすぎます。そこに憂いをいつも感じていました。エミさんは、このような問題にしっかりコミットされているんだなぁと思い、共感しました。

女性の苦しみなのに、女性から声があがらない。ここに、日本の女性問題の難しさが隠れているようにも思います。

今後も是非よろしくお願いします☆
エミ
はじめまして。
http://ameblo.jp/nerima-ad/entry-11005389294.html
検索でこちらに来ました。
児童遺棄、虐待に関する多くの人の反応には(気持ちは分かるのですが)違和感を感じています。虐待をした人を責めることは簡単でもう少し前向きな解決法を考えたいと思っています。また、虐待をした人を責める(自分とは違うと思う)ことは、自己のバランスを取るための行動だとは思うのですが、二重三重の差別を生んでしまうのではないかと危惧しています。バッシング記事の多い中、似たようなことを思われている方がいるのだなと思いました。今後もブログを拝見させて頂きます。よろしくお願いします。
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