Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

[V-Classic] DIE IN CRIES nothingness to revolution

Visual-keiの歴史の中で、DIE IN CRIESの存在は無視することができない。

僕の中では、DIE IN CRIESは、「すごく良い作品を世に出しながらも、マーケット的には成功できなかった無名だけど無敵だったバンド」であった。

このバンドが登場したのが、ヴィジュアル系ブームが来る98年以前であり、Xを中心にムーブメントを巻き起こした90年頃~98年頃の「過渡期」だった。イカ天・ホコ天・ジャパメタブームの後、厳しい状況の中、次世代にバトンを渡す役割を果たしたのがDIE IN CRIESだったと言えよう。

ZI:KILLを脱退し、後にラルクで大活躍したYUKIHIRO先生を考慮すると、まさにDIE IN CRIESは、二つの時代の点を線で結ぶバンドだったことが分かる。

楽曲のクオリティーやバンドの世界観やカラーなんかを見ると、DIE IN CRIESは、極めて優れたバンドであった。独自の世界観を最初から前に出したバンドであり、この時代のどのバンドよりもポピュラリティーももったバンドであった。

このバンドの作品で、僕が最も衝撃を受けたのが、この「nothingness to revolution」だった。このアルバムは、DIE IN CRIESの作品となっているが、Kyoのソロワーク作品でもあった。しかし、バンドの世界観や価値観や雰囲気は後のDIE IN CRIESとなんら変わらないものであり、コンセプトは一貫していた。

DIE IN CRIESの退廃的、近未来的、エレクトリック、無機質、ダークなカラーは、この作品に最もよく表れているように思う。とりわけ03のNOISY CROWDは、他のDIE IN CRIESの作品には見られないものの、極めてDIE IN CRIESらしい楽曲になっている。最後のNERVOUSは、後の作品にも収録されているものの、音がよりエレクトリックで、より先鋭的なサウンドになっている。

今、改めてこの作品を聴くと、彼らのアヴァンギャルドな世界観の凄さを感じずにはいられない。

僕的に残念だったのは、最後のSEEDSの前くらいから、このコンセプトが少しずつ変わってきたことかな。正直、最後のSEEDSはあまりピンとこなかった。曲的にはいい曲もあったが、DIE IN CRIESの世界観を壊す作品でもあったと、今となっては思う。(ただ、それがバンドだとも言えるのだが)

DIE IN CRIESは、ずっと僕の中で生き続けるバンドだ。今も、「言葉にならない」は時々口ずさんでいるんだなぁ~

コメント一覧

kei
anonさん

kyoさんのファンの方なんですね?!嬉しいです。DIE IN CRIESからのファンというのも素敵ですねー。僕もDIE IN CRIESには特別な感情をもっています。「言葉にならない」は、自分の葬式のときに流してもらおうと思っています。名曲がたくさんありますもんね。

anonさんはどちらにお住まいなのですか?

千葉は、たしかにkyoちゃんもyukihiroも出身ですよね。さらには、yoshikiもtoshiも!!

Kyoちゃんは今も、デランジェのみならずBUGでも歌い続けてくれてます。これからもずっとずっと応援し続けたいですねー。
anon
2年前の記事に突然すみません。いろいろ検索していてこちらへ辿り着きました。

kyoさん大好きです。
D'ERLANGERをリアルタイムで体験できなくてDIE IN CRIESが最初でした。
当時はネット環境など無かったものですから、デビューから1年たらずで解散してしまった
伝説的なバンドのボーカリストというとにかく孤高なイメージばかりが先行していました。

それがラジオなどを聴いてみると気さくなお兄さんで(年の離れた妹さんがいらっしゃるようですね。)
古くからの友人に語りかけるような雰囲気もあり、その人柄も含めてとても惹かれていきました。
ラルクの面々がゲストとして時々遊びに来ては兄弟みたいに仲が良さそうで羨ましかったものです。

音楽性ではバンド時代とは一線を画すものに仕上がっていますが、1stソロなども落ち着いていて
聴きやすくて好きです。そういえばHYDE氏の1stソロを聴いた時も近い印象を受けました。
どちらもデヴィッド・シルヴィアン(JAPAN)からの影響でしょうか。

近年はD'ERLANGERを復活させて頑張っていらっしゃるようで陰ながら応援させてもらっています。

ローカルな話題になりますが、kyoさん、keiさんと同郷なんですよね。
こちらではよさそうなお店をたくさん紹介されているので目移りしちゃって
どこへ入ろうか迷ってしまいますが、どこかへ入ってみたいと思います。

…DIE IN CRIESのラストライブが行われたのは今は無きTOKYO BAY NKホール(千葉県)で、
kyoさん、yukihiroさんのお二人が千葉県出身という…奇妙な縁を感じてしまいます。
kei
ありがとうございます!
kaneさん
僕も千葉在住ですごくたいへんだった記憶があります。どうやって買ったのか、覚えていませんが。わざわざ新宿に買いにいったような… LOVE SONGいい曲ですよね~~ 夢に咲いた歌のように~♪ 

ypさん
まさに!(にやり)初期のdie in~はまさにデランジェの匂いをそのまま進化させたようなサウンドでした。VISAGEなんかはそのままデランジェになりそうなほどに「淫らな誘惑」でした。たしかにKyoのパートナーはいつでも豪華でしたね。それだけみんなが大好きなボーカルだってことですよ!!きっとロック系のコンポーザーだったら、絶対kyoに歌ってもらいたいと思うと思います!

kyo様ファンの秘書さん
初めまして! 大学の秘書さんですか!では関係者ですね(笑)同じ世代ということで、末永くよろしくお願いします!

VISAGEからのファンとなると、初期のファンですね~ 「水晶の瞬間」は名曲ですよ~ シンプルなんだけど味があるっていうか。さらっとしていて、どこか濃厚で。ポップでセクシーで。まさにdie in cries!って感じでした。VISAGEはホント素晴らしい一枚でした!

yuki-hiroさん
うわ~痛い所を・・・(汗)ライブはたしかにちょっと微妙だったかも。TAKASHIのベースがバンドを支えていたことは間違いないでしょう!僕はdie inのときは、いつも先生のドラミングを見ていた気がします! 言葉にならないの合唱が懐かしいです!~! 

yuki-hiro
こんばんは。
パソコンの調子が悪く…携帯からお邪魔してみたら…
また懐かしいモノを(爆)

この当時…OPTICばっかり聴いていたよぅに思います。
DIE INに行ってたけど…
デラ流れ、というよりジキル流れ?先生を追っ掛けて…。
CDの音は、洗練され綺麗にまとまっていたけど…LIVEではバラバラ。
TAKASHIくん以外の自己主張が…音の揃わないステージが…。
そんなステージでも、先生の音とTAKASHIくんのベースしか聴いてなかった、先生しか見てなかった、そんなステージが懐かしいです。。。

kyo様ファンの秘書
DIC
はじめまして。いつも楽しく拝見しております。
某大学で秘書のようなことをしておりますkyo様ファンです。

DIE IN CRIESといえば私の青春そのものでした♪
実は当時のD'ERLANGERはあまり知らなくて、
高校入って好きになったバンドがVISAGEの頃のDICなんです。
(たぶんKei先生と私は同年代かと思います。)

因みに私が一番好きなのは「水晶の瞬間」です♪無機質なエロスってところでしょうか。

いきなりカキコしてすみませんでした。。。
yp
当時のD'ERLANGER解散は非常にショッキングでしたが、KYOが着実にその路線を引き継いでくれましたよね。
DIE IN CRIESは世間的には無名に近かったけど、僕にとってはスーパーバンドでした。室姫深のセンスある楽曲、TAKASHIのベースプレイも外せない。
よく考えるとKYOってギタリストやコンポーザーに恵まれてますよね!
HIDE、CIPHER、室姫深、JIMMY師匠、佐野昌樹、成田忍、NARASAKI、ASAKIなどなど。
kane
おお!懐かしい。当時(今も)田舎住まいなんで、手にいれるのにかなり苦労しました。
DIE IN CRIESは僕の中でもずっと生き続けるバンドです。今も、「LOVE SONG」はカラオケの定番です。誰もついてこないけど。
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