Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

cafeとファミレスとラーメン屋さん

僕にとって、「親密圏」という概念がますます重要になってきている。

親密圏は、通常、家族や恋人同士や親しい内輪の会やグループなんかの性質を示す概念で、愛情や友情という基盤に支えられた限定的な人間空間を指す。ある種、排他的で、その空間では、同属性、帰属性、同質性、共感性が強く働いている。

それに対して(対してないかもしれないが)、「公共圏」という概念もある。いわゆる「パブリックな空間」だ。電車の中、公園、広場、スタジアム、コンサートホール(これはヘタしたら親密圏になるが・・・)、喫煙所、談話室、ホテルのロビー、海岸、さらには公会堂や市民会館、県民ホールなど。あらゆる「社交場」が公共圏に属している。

さらに、人間の空間には、「労働圏」というのもある。簡単にいえば、「職場」だ。職場や商談取り引きする場所、そういう空間のことを労働圏と呼ぶ。「金の切れ目が縁の切れ目」となるようなスペースを意味し、そこでは「ビジネスライク」な関係性が重要となる。自分たちの利益を第一に考え、相互の利害関係が強く打ち出された空間、人間関係が労働圏の大きな特徴となる。

教育学に近い現代思想では、二つ目の「公共圏」を生きるための思想の模索が活発に行なわれている。市民教育、シティズンシップ教育、公共哲学など、いろんな思想家や哲学者、教育学者がこの公共圏について熱い議論を交わしている。

教育と福祉のあいだをさまよう僕は、一つ目の親密圏から公共圏への移行が大問題となる。親密圏で親しい間柄をたっぷりと生きた人間ならば、公共圏で楽しく元気に活発に生きることができる(仮説)。逆に、親密圏を充分に生きられなかった人間は、公共圏をうまく生きることができない(仮説)。そんな構図を描いているが、問題もある。内々の閉じられた人間関係を生きていると、その関係がその人に居心地がよすぎて、外で「他者」と対話をすることが困難となる可能性が高まる。

特に日本人の場合、内々の親密な関係性のうちでしか、自分の意見や考えを言えない、というケースが圧倒的に多い。親密圏に依存することも多く、その結果、親密圏でしか自分を出せない、という事態に陥ってしまう。理想的には、親密圏、公共圏、労働圏のなかを、それぞれうまく生きられるようになることが望ましいが、どの領域を第一領域にすべきか、という難問がつきまとう。

この問題を、カフェ、ファミレス、ラーメン屋さんに分けて考えてみると、いろいろ合点がいく。

カフェは、「サロン」が行なわれる場所として認知されている。人と会うとき、喫茶店、カフェで話をする、というのはごく見慣れた光景であろう。複数人の人間が集まる時、喫茶店で話をする、というのは、結構当たり前のことだったりする。もちろんカフェで恋人同士が親密な時間を過ごしたり、商談取り引きを行なったりする場合もある。が、基本的には、色んな人間がその場で会話をしたり、何かを語ったりする場所がカフェと呼ばれる場所である。だから、カフェは公共圏に属する空間と考えられる。議論をしたり、地域の問題を語り合ったり、みんなで楽しく時間を過ごしたり、そういう場所として、カフェは今も利用されている。

ファミレスは、安くて、便利で、メニューが豊富で、どんな人のニーズにも答える究極のレストランだ。食べたいものは、ほぼメニューにそろっている。店員さんはすべてパート、バイトで、料理もすべてセントラルキッチン方式。誰でも同じように作れるメニューのしくみになっている。飲み物も飲み放題。まさに、消費社会の申し子ともいうべき飲食店であり、飲食にかかわる総合商社とも言える。つまり、ファミレスとは、経済圏の只中にあるレストランであり、ビジネスの色が強く出ている。ファミレスに来るお客さんも、「消費者」として記号化されている。お客様マニュアルがあったとしたら、それは、一個の人格をもった人間として扱われるのではなく、「お客様一般」という扱いを受けていることになる。店員もお客さんも、顔がなく、人格がなく、のっぺらぼうであることが最低条件となる。(だからこそ、誰もが安心して利用できる、という利点も当然ある!)

そして、ラーメン屋さん。僕は、ノスタルジックなラーメン店が好きなので、そういう町のラーメン屋さんを想定して考える。ラーメン屋さんは、気軽に入れて、仲間内でふらっと入れる場所である。店主は、「おやじ」と呼ばれ、客から愛される。テレビが設置されているお店が多く、そこで、ラーメンを食いながら、野球を観戦したり、バライティーを見たりして、だら~っと過ごす。かしこまって食べるものでもないので、ラフな格好で食べているおじさんもたくさんいる。家族連れで、のんびりと、だらだらとラーメンをすする姿をみると、いい家庭だなぁって思ったりする。お客さんも、一人の人間として、生活者として、地域の一人の人間として、扱われる。店主さんと仲良しになるケースも多い。なかには、身の上話をしたり、人生相談をしたりもする。家族経営のお店が多く、夫婦、子どももお店にいたりもする。アットホームな世界がラーメン屋には広がっている。まさに、「親密圏」と言えるだろう。(そうでないお店も増えているが・・・) いきつけの居酒屋なんかも、この部類に入るだろう。

カフェも、ファミレスも、ラーメン屋も、それぞれいいところがあるし、使い道がある。その背景には、思想的な意味合いもあり、それぞれ、都合に応じて使い分ければいいと思う。

ただ、若い学生と日々接していると、最近、あんまりカフェに行く、とか、古びた町のラーメン屋さんに行く若者がいないなぁって思ったりもする。みんな、ファミレスやファストフード店に行ってしまう。当然、値段が安い、長時間いられる、っていうメリットはあると思う。もちろん、ファミレスで議論したり、語り合ったりすることもできる。しかし、カフェで、しらない人と話をしたり、ラーメン店で、おやじと語り合ったり、という経験は、ファミレスではできない。

僕としては、もっともっとカフェに行って議論してもらいたいし、ラーメン屋で店主と雑談してもらいたいと思う。カフェで議論するのと、ファミレスで議論するのとでは、やっぱ何かが違うと思うんだな。是非、カフェで議論することを楽しんでもらいたいと思う。。。喫茶店LOVE☆

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