Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

●夫婦の仕事●病の現場から

今日、結構古い町にある大きな病院に行った。

病院の中を見回してみると、色んな人がいる。病院には、色んな人が集まっている。色んな事情の人がいる。病に臥している人もいれば、その患者に連れ添う人も多くいる。

病院の人間模様を観察していたら、老婦人が乗った車椅子を押す老紳士がいた。特に会話をすることもなく、静かにゆっくりと車椅子を押している老紳士の姿が印象的だった。60歳後半くらいだろうか。二人は、きっと夫婦なのだろう。二人で力を合わせて生きてきた重みみたいなものを感じる。老婦人はパジャマを着ていた。入院患者だろうか。手荷物もなかったので、おそらくこの病院に入っているように思われる。

しばらくして、今度は、老紳士が乗った車椅子を押す老婦人の姿があった。こちらの二人は、親しそうで、小さな声で笑いながら話していた。車椅子の押し方をみると、少しぎこちない。あまり車椅子を押したことのないような感じだった。だが、車椅子に乗っている男性の表情は硬くて、少し緊張している様子だった。笑う表情の中にも、翳りのようなものがあった。

この二組の夫婦らしき二人組を見ていて、【夫婦】のあり方を考えさせられた。

僕らは、社会の中で生きている。社会は、主に「労働」を主として回っている。男性であれば、「家族」や「夫婦」に時間をかける倍以上の時間を労働に費やしている。女性も、「男女共同参画社会」の流れの中で、優秀な人材としてどんどん社会に出ている。社会に出る=労働する(働く)ということであり、女性も「労働」にかける時間はものすごいことになった。

家庭にかける時間はどうだろうか。小さな子どものいる家庭では、労働の他に、多くの時間を子どものために費やしている。真面目なお父さん、お母さんは、子どものために!と、大切な休日のすべてを子どものために使っている。働いて得たお金も、子どものためであれば、かなり惜しまないのではないだろうか。共働きであれば、それはなおさらであろう。父も母も働き、得たお金で、子どものために費やす。子育てや教育にかかるお金も半端じゃない。親も必死であろう。

働く時間と家族の時間は、無論、欠かしてはならない大切な時間であろう。働かなければ食べていけないし、生きていけない。また、子どもを中心として構成される日本の家庭にとって、子どもにかける時間は何にも変えがたい大切な一時であろう。現在、経済は上向きだと言われているが、それは多くの人々の犠牲によるところも大きいと思う(一昔前は「リストラ」という言葉が大流行した)。

では、夫婦はどうなのだろう。仕事にかける時間、家族にかける時間と比べてみると、夫婦の時間はどれだけあるのだろう。父として、母としてではなく、男と女としての夫婦。夫婦が互いに向き合ったり、また、夫婦が並んで何らかの対象に心を費やす時間は、どれほどあるのだろうか。子どものいる家庭において、夫婦はどのような関係を生きているのだろうか。

今回、病院で、看病する夫婦を見ていて、【夫婦の時間】について考えてしまった。若い夫婦の場合、相手が病気になったからといって、仕事を休んで、子どもをどこかにあずけて、相手と一緒に病院に連れ添う人はどれだけいるのだろうか。そこにジェンダー(社会的な男女差)も隠れているだろう。夫が倒れたら妻は病院に連れ添う。だが、妻が倒れて、わざわざ仕事を休み、相手に連れ添う夫はどれだけいるのだろう(特に、緊急を有しない病気の場合)。仕事を放棄することは、今の社会、なかなか難しい。まして、妻の病院に連れ添うためだけに、一日をつぶすなんてできない!という人が多いのではないだろうか。

僕は、夫婦の仕事もある、と思った。働くこと、子育てすることも大事だと思うが、それ以上に、夫婦を生きることも大切なのではないか。仕事と子育てよりも下に見られる夫婦。。。そんな気がしてならない。(これはおかしいのだ!恋愛している若き青年たちは「恋」に命を懸ける。なのに、結婚してしまうと、恋愛は終わったかのように、愛に時間をかけなくなる。結婚してからこそ愛の長い旅が始まるはずなのに・・・)

教育や児童福祉の問題について考えている僕としては、教育や養護の問題以前に、夫婦の問題、さらには、ヤングアダルトの恋愛の仕方の問題があるように思えてならないのだ。子ども一人一人をみても、やはりどんな家庭で育っているのか、ということと、その子の人間性は切っても切り離せない関係にある。

もちろん、労働の問題、経済の問題、家庭の問題、個人の問題(精神の問題)も重要であろう。ワーキングプアしかり、リストラの問題しかり、自殺率の問題しかり、どれも無視してはならない問題だとは思う。だが、それと同じくらいに夫婦の問題も重視されていいのではないだろうか。

今日、寄り添っていた夫婦を見ていて、「これこそが、愛の最後の仕事なんだ」と思った。愛するって、やはりどちらかが崩れることではっきりと顕在化されるものなんだと思う。病気が何なのかを言い当てることでもなく、治療費を出すことでもなく、相手の傍に居てあげて、寄り添うことが、夫婦の仕事なんだと思う。病院に一人でいくのは、やはり心細いものだ。いくら看護師が優しくしてくれようとも、心の底にある不安や孤独は解消されない。ただパートナー(妻だけではない!?)だけがそうした揺らぐ心に無償で寄り添ってくれるのであろう。

【夫婦の哲学】というのがあってもいいように思う今日この頃・・・

コメント一覧

kei
yukisukeさん
ちょっとお久しぶりですね!!コメントありがとうございました。

まったく同感です。仕事や子育ての基盤となる夫婦愛について、もう少し議論があってもいいのではないか、と思うようになりました。今話題の【赤ちゃんポスト】もやはり夫婦間の問題があってのことだと思います。

人間って不思議なもので、あれだけ恋愛には力を入れているのに、夫婦となると、誰も力を入れようとしていない。。。【子はかすがい】っていうけど、そうじゃないだろ?!と突っ込みたくなる今日この頃です。

ドイツ式に言えば、夫婦がまず主体。子どもはおまけ。そういう風潮ができると、また夫婦関係も変わってくるんじゃないかな?と思ったりしています。

yukisukeさんの夫婦論も聴いてみたいところです!
yukisuke
夫婦の哲学。

yukisukeは大賛成です!

特に、仕事や子育てよりも下に見られがちな『夫婦の時間』という文章が的を得ているような気がします。

なんだか日本の常識っていう枠の中で、確かに夫婦関係は下に見られがちですよね。

KEI氏の言うように、緊急を要さない妻の病気のために会社を休む人は、どれだけいるのでしょうか?

『仕事』や『子育て』の基盤になるのは、確かな『夫婦愛』しかないのに。

kei
あやさん

そうですね。油断する、安心しきっちゃう、そういう状況の中で、じわりじわりと忍び寄る影。。。

愛って、ホント長期戦なんですよね。短期戦じゃないし、ましてや、獲物を獲得するサバイバルでもない。そう気付くのに時間がかかりました(笑)

人生の後半、添い遂げた人が弱くなるとき、ホント、このときに、すべてが分かるような気がします。

それまでは、いろいろと苦しみや障害を乗り越えて、愛の実践を積み重ねていきたいものですね!!

ローマは一日にしてならず。。。愛も一日にしてならず!!
あや
「いて当たり前」

誰かと過ごして、時間がたつと、そんな気持ちがうまれる気がします。

片思いかなぁ、付き合えるかなぁ~?って時って、睡眠削ろうが距離があろうが会いにいく気がします。

落ち着いたら、「いつでも会えるし」って。油断ですね。。

今、この時しかないかもしれないという気持ち。

人生の後半、添い遂げた人が弱くなるとまた、今しかない!と愛がうまれるのかもですね
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「教育と保育と福祉」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事