Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

愛される人と愛されない人の悪循環

人間には常に、死ぬまで愛されることが必要である。
愛されない苦しみというのは、究極的にはお金がない苦しみよりも遥かに辛い。

愛されること、
例えば、気にかけてもらうこと、気にしてもらうこと、
見てもらえること、話を聴いてもらえること、大切にされること、
電話してもらえること、メールしてもらえること、
励ましてもらうこと、応援してもらえること、
信じてもらえること、抱きしめてもらえること、

こうしたことは、生きている限り、すべての人間にとって大切なのだ。
それは、「科学」では証明しきれないことだとは思うが、
科学以上の、絶対的な真実だと僕は思っている。

だが、こうした愛情は、たくさんもらえる人と、もらえない人がいる。

愛されることを求め、必死に誰かを求めている人がいる。
だが、愛されることを求めるがゆえに、
誰にも愛されない、という変な悪循環があるのだ。
愛されることを必死に求めている人は、
だいたいにして、他人から避けられてしまう。

人は、愛されることを求めていながらも、
他人に愛してくれとせがまれると、とても面倒くさくなる生き物みたいだ。
例えば、「かまってちゃん」なんていうのも、そういう人間を侮蔑する言葉だ。

逆に。。。

幼少期からたっぷり愛されてきた人は、
愛されることにいわばお腹いっぱいになっているので、
愛されることを期待することなく、人を愛することができる。
(*愛されることの内容は上で挙げたとおり)

愛されることの素晴らしさを知っているがゆえに、
そういう人は他人を愛してあげようとするのだ。
で、その結果、その愛してあげた人から愛情を受けることになる。

自分のことをしっかり見守ってくれる、
そういう存在であるがゆえに、人はその人を愛してしまうのである。

何が言いたいかというと、
愛されない人は、愛することができないために、愛されないままであって、
愛される人は、愛することができるがゆえに、ますます愛される、
という「循環構造」がある、ということだ。

これは実に興味深い現象だ。

他人のために動ける人は、結果的に愛されてしまうのである。
なぜならば、その人は他人のために動けるほどに素敵な人だからだ。

が、逆に、他人のために動けず、自分のためだけに動く人は、
結果的に誰にも愛されないのである。
なぜならば、その人は自分のためにしか動けない人だからだ。

愛する人は、ますます愛されてしまい、
愛されない人は、ますます愛されない、という・・・

どうしたら、愛情に欠けた人は愛されるようになるのか?!
これは、僕の本当のところの問いである。
分からないのだ。

どうしたら、幼少期の愛情不足は解消されるのか。

愛されないで苦しんでいる人たちと出会うたびに、
僕は本当に胸が苦しくなる。

結局、「あなたが変わらなければ、今の苦しみは終わらない」、
という、とても陳腐でありきたりな言葉しかかけられない。。。

恵まれた愛情環境の中で育った人は、
愛情が充足されているために、他人を愛し、
そして、多くの人に愛され、尊ばれる。

だが、恵まれない愛情関係の中で育った人は、
愛情が不足しているために、他人を憎み、不審に思い、
そして、おびえ、苦しみ、愛されずに、敬遠されてしまう。

どうしたら、このクソみたいな悪循環を断ち切ることができるのか。
もちろん恵まれた愛情環境の中にいる人はそれでいいと思う。
ラッキーだっただけだ。自分の実力でもなんでもない。

けれど、アンラッキーでしかない恵まれない愛情環境で育った人は、
その悪循環を断たねばならないのだが、どうしたらいいのか分からない。

で、それが分からず、そして焦り、
そして、ますます愛されることを求めてしまう。
(で、ご察しの通り、ますます愛されなくなる、という・・・)

財産も、学力も同じことがいえるかもしれないが、
「人生」という大きな問題を考える時、
やはり、何よりも愛情が一番の財産だと思う。

それは、情緒的にそうだって言っているわけじゃない。
それが、人間の存在条件になっている、というリアルなのである。
僕は、それほど感情的にこの文章を書いているわけじゃない。
どっちかというと、ものすごくドライに書いているつもりだ。

ドライに、愛情という生々しいものを語っている。
そこに矛盾はあるが、それはいたしかたない。。。

世界平和だとか、人類愛とかを訴えたいわけでもない。

ただ、ごく身近なところに、そういう愛情不足に苦しむ人がたくさんいるのだ。
それが、僕にはどうにもやるせないのだ。

「あなた」が変わらなければ、「あなた」は今後も愛されないままであろう。
でも、愛することができないからこそ、苦しんでいるのだ。
どうしたら、これまで愛されなかった人は、
愛されることを期待しないで、他人のために、
他人に即して、他人を愛することができるようになるのだろうか。

その打開策は、今の僕には全然分からない。

愛することに長けた人と出会うしかないのだろうか。

もし、そういう人に出会えたからといって、
その人が必ずしも救われるとは限らない。
例えば「ボーダー」と言われる人は、
愛されることを求めつつ、愛されることを拒絶する傾向が強いと言われている。

愛される実感がない人間は、
愛されることに安心ではなく、不安を覚えるのだ。
なぜなら、愛されるという経験がないがゆえに、
それがどういうことなのかが分からないからだ。

故に、
「これが愛されるということなんだ」、
ということをきちんと身をもって学ばなければならない。

そこに何か答えがありそうな、なさそうな・・・

うまく伝えられないけれど、そういうことを今日は考えました。

コメント一覧

あお
クズ両親から生まれ育ちました。
初めまして。
父親には暴力や暴言を受け、実の母親はそれを知らんぷり…腹違いの姉2人から軽いいじめを受けて育ちました。
社会人になるまで友達も1人もいませんでした!

苦しかったですよー(´;Д;`)

でも今幸せです。友人はいるかいないかわからないけど、気楽に付き合える知人が多く、やたら人から誘われます。

それまでは…転げ回るほど苦しんで…自殺もして…この世の悪も殺人以外やりつくして…嫌われもので…居場所もない…
宿命を受け入れて、諦めて、開き直って…向き合って…

まぁ私にはそうすることが必要だったのだと思います。
時々心の古傷は痛みますけど…時間が解決してくれるでしょう。

どうか愛をもらえず、苦しみをもらって育った人が、その経験を宝物へと変えられますように。
親(養育者)は愚か者だっただけですよ。
それが彼らの精一杯だった。だって愚かなんだもの。
彼らへの感謝は自分が幸せになった後でできたらいいけどできなくてもいい。

自分で自分を愛することができますから安心してください。
絶対大丈夫ですから‼︎
人間自然に良くなるようにできてますから‼︎
とにかく生きていれば絶対大丈夫です‼︎

自分をもっと信じて、自分を頼りに。
その後に他人を愛せるようになります。
他人からの愛があってもなくても大丈夫になりますよー!

今はそう思えないかもしれないけれど未来のあなたは私みたいに…私よりも幸せだと思う。絶対!
はじめまして
全然関係ない検索ワードでなぜかたどりつきました。
うーん、わたしも愛情面で恵まれない家庭で育ちましたが、どちらかというと助けたいタイプです。意識的にそうしているわけではないのですが。
今は、依存したい人が寄ってくると困るので、もう基本助けないで、今後寄ってきた人には自立を促し、あまり立ち入らせない方向で行こうと思っています。
それで誰もいなくなっても、神様はきっと皆を、私も含めて愛してくださるから、それで諦める?納得する?ようにするつもりです。
おじゃましました。
kei
nakaさん

こんにちは。コメントありがとうございました。6年前の記事なのに、よく見つけられましたね(汗)

「人に言えば笑われるでしょうが、一度でいいから、誰かに抱きしめられてみたい。大変だったねと言ってもらいたい。頭をなでてもらいたい。そんなことばかり考えています」という言葉が、胸に響きました。まさに、「大いなる母への渇望」ですね。

コメントを拝読した後、僕の頭には、「神からの愛」が思い浮かびました。僕は宗教家ではありませんが、nakaさんの言われている内容は、アガペーの愛に近いものなのかな?と思いました。

芸術もまた人の「赦し」に関わるものだと思いますが、nakaさんの場合、絵に触れてもダメだったようですね。哲学もダメそうですね。

とはいえ、神からの愛も、そう簡単に感じられるわけではなさそうにも思えます…。

難しいですね、、、
naka
私は他人と比べられて、親の希望に沿ったことをしたときだけほめられて育ちました。
そのためにどうすればほめられるのか、認めてもらえるのか、と相手の顔色を伺ってしまい、ありのままの自分を出して人と向き合うことができないままです。

好きな女性ができても、母親にさえそのままの自分を受け入れてもらえなかった自分が受け入れてもらえるわけもない、
と思ってしまいろくに話すこともできません。

自分を変えたいと思ってトレーニングをしてみたり、絵を学んでみたりしても、実力のある先人と自分を比べてしまって、落ち込んでしまいます。

人に言えば笑われるでしょうが、一度でいいから、誰かに抱きしめられてみたい。大変だったねと言ってもらいたい。頭をなでてもらいたい。そんなことばかり考えています。
kei
みちさん

貴重なコメントありがとうございました。みちさんの文章を拝読して、改めてこの問題についてももっと真面目に考えないといけないなぁ、と思わされました。特に「愛着形成が内側にできてない人にとって社会は、防衛の一途しかありません」という言葉には、胸が痛みました。ありがとうございました。
みち
私もアダルトチルドレンで吸血鬼みたいに愛や関心を求めてます。

愛されたい!俺をみろ!
とプラスに行動してた部分はありますが、気づかなきゃいいのに、自分は他人と比べてコミュニケーションがおかしい、コミュニケーションといえらと気づいてからは地獄の始まりで、うつ状態になりました。

私の中の俺を見て!という部分は見捨てられ不安からきてます。乗り越えようと頑張ったことはありますが、親という安全基地を経験できない、愛着形成が内側にできてない人にとって社会は、防衛の一途しかありません。

いつも傷つけられる可能性から逃げるには、ひきこもるのが1番になります。

アダルトチルドレンの親は子供を作るなといいたい。不幸な子供が増える。
kei
しょうこさん

こんにちは。まさかの再コメントありがとうございます。このしょうこさんのコメント、覚えています! 現在、しっかりとご自分と向き合いながら、前に向かって生きておられて、僕も嬉しいです。

真夜中に泣きながら打ち込んでくださったんですね! それに、感動しました。(そうやって読んでくれている人もいるんだな、って…)

現在はどんな勉強をされているのですか? 

絶望の先にあるもの、もし見えてきたら、いつか教えてくださいね!
しょうこ
ありがとうございます
まさかお返事をいただけるとは思っていなくて、感動しています。一年前の夜中に泣きながら打ち込んだことを覚えています。
今の私は学校が忙しくなったので、以前ほど自分の過去を振り返って辛くなることは減りました。また、今までお母さんに自分の気持ちを分かってほしい!話を聞いてほしい!という思いから頻繁に連絡を取っていたのですが、今ではもう滅多に連絡していません・・・。帰省も当分しないと思います。悲しいことかもしれませんが、家族と距離を置くことで少し気持ちが楽になったのも事実です。早く卒業して一生懸命仕事をして、好きな人と結婚したいです。結婚できなくても、せめて自分で生きていける力をつけたいです。叶わないかもしれないけどそれが夢です。お返事くださってありがとうございました。
kei
しょうこさん

コメントありがとうございます。随分前のブログ記事ですが、読んでくれてとても嬉しいです。

この問題は、本当に難しいです。簡単な処方箋もないと思います。でも、しょうこさんはご自分としっかり向き合っているように思えました。

今後、しょうこさんがどのようにして「絶望」の先へと進んでいくのか。それが、また一つの答えのような気がします。僕が大好きな臨床家×哲学者のフランクルは、自身のアウシュヴィッツ強制収容所の経験を踏まえて、「それでも人生にイエスと言う」という言葉を残しています。『夜と霧』という本です。

『その後』のしょうこさんについて、いつか聞かせてもらいたいと思いました。コメントありがとうございます。
しょうこ
まさにその通り
まさにその通りです。幼い頃親はいつもイライラしていて私の話に興味をもってくれなかったし、よく愚痴を聞かされていました。欠点ばかり指摘され何かを頑張っても褒められたことはありません。そんな育て方をしておいて、お前は愛嬌がない、もっとニコニコ可愛らしくしろと叱られました。いつもニコニコ明るくて天然で人懐っこくて小さい女の子みたいに純粋で男子からモテモテだけど女子からも愛されてる友達がいます。こういう子は小さい頃から愛されてすくすく育ってきたんだな、育ちがいいんだなと思って、数少ない友達なのにすごく嫉妬してしまうし、正反対な自分が辛くてしかたないです。勉強を頑張りいい学部に入り、家はそこそこ裕福で、容姿も褒められたりするけれど、やはり人からあまり愛されてないという事実の前では何も意味がないと思います。とにかく自信がなくて、堂々と人と向かい合えません。当然のように愛されてきたクラスの人達とは話していてもズレをかんじます。

愛情が不足しているために、他人を憎み、不審に思い、そして、おびえ、苦しみ、愛されずに、敬遠されてしまう。

まさに私です。人を警戒し、自分から好きにならないくせに向こうから愛してくれることを期待してるのです。このまま親を憎んで幸せそうな人を妬んで生きていくのかと思うと絶望です。
kei
えりさん

コメント返事していませんでした。ごめんなさい。貴重なご意見ありがとうございます。僕は中立的な立場を保持します。もちろん愛をもって。それをどう感じるかは個々人の感じ方ですからね。ありがとうございます。

のりさん

コメントありがとうございます。「人間は不条理」、その通りだと思います。ただ、どんな状況下であっても、それを笑い飛ばして、強く生きられる人がいます。どうしたら、そういう人間になれるのか、ずっとずっと考えています。答えはまだまだ見つかりませんが、、、 また、何かご意見等ありましたら、是非お聞かせください。
のり
ども同んなじADHDです。

とても興味深く拝読させてもらいました。
僕自身愛情不足で育って感じるところが多々ある文章でした。

幼少期の環境は人生に大きな影響を及ぼすとつくづく感じます。

まーでも一つだけ言えることはどんな環境で育っても人間はそれを背負って生きるしかないってことだけは真実な気がしますね。

人間の不条理なのかなと。でも人間は経験から何かを感じて考えて変わりうる生き物だと思ってるので幼少期の苦悩は克服できるものだと思いますね。大変だけど。負けてしまう人もいるけど、克服する人もいる。もーそれはその個人の差と運としかいいようがないと。
えり
浅い。
浅すぎます。
愛されたくても愛されない人がこの記事読んだら多分めちゃくちゃ傷つきますよ。
理論か書き方のどちらかを何とかしてください。
答えを出してあげられないならせめて愛されない人の嘆きに同情してあげてください。それできっとちょうどくらいです。
ドライな目線!中立!客観的な視点!でかいてればいいと思ってるかもしれませんが、もともと愛されない人は自己否定感がすごいから、その人からすれば中立なんか冷酷な裁判官でしかありません。
それで愛される人はこの文章読んでも意味わからないわけじゃないですか? 誰も得をしない文章を書かないでください。
kei
陽子さん

コメントありがとうございます。

この記事を書いたのは、もう3年くらい前のことでして、僕の中でも少し考え方が変わりました。

陽子さんは、「幼い時期に愛を満たしてもらえなかった人や深い傷を負った人にとっては、愛=孤独や裏切りかも知れないし、愛=絶望や毒かも知れないです。」と書きました。

この「孤独」や「裏切り」や「絶望」や「毒」は、たしかに苦しいものですが、でも、こうしたものが、その人の「その人らしさ」を作っている部分もあるのかな、と最近は思うのです。

一番考えるのは、「世の中の全ての人が幸せで、はたして幸せな社会と言えるのか」、ということです。「不幸」もまた、人間の豊かさ、例えば芸術家としての偉大さにつながるのでは?、と。

愛されないことに苦しむことで、人間はまた成長することもあります。

愛に苦しんで、その果てで、愛の意味を知る、ということもあります。

陽子さんは、「今は子供がいて、その愛を素直に受け入れて素直に許していて…。何も無いことへの不安も恐怖も消えて、嘘のように満たされてます」とお書きになっていて、それはそれで素敵だと思いますし、また、そういう風に満たされることもできるんですよね。

なので、単純に、「親の愛があればそれで人間は幸せになれる」と言うこともできないんだと思うのです。

人間とはやっかいなものですね、、、汗
陽子
随分前の記事みたいですが、これまでの私の人生のテーマと被っていたので体験談で書かせて頂きます。

私は、いつも心では愛されたいと思いながら、実際には愛されるのが怖く、しかも愛することが何かも分らないでいました。

私の『愛する』とは、まさに自分の求める愛からの逃避で、『愛し合う夢』への依存だったのです。

ただ素直に愛されることがただ素直に愛することだと
それは特別でも何でもない、疑いようの無い原理だと
人を凄く凄く好きになっても、いつもそこにはそれが無くて

失うことへの不安や傷つくことへの恐怖と、愛することができない自分がいるだけだと
私はそれを受け入れられなかったのだと思います。

『何故か愛する人には愛されない』と思っていたのに、本当はそれはただ
『きちんと愛してくれる人を愛せていない』
『きちんと愛されるってことも分かっていない』だけでした。

普通は、一番最初の人間関係で自然に培って、自然に大切にしてくれる人を大切にして幸せを掴んで行けるのだろうけど、
幼い時期に愛を満たしてもらえなかった人や深い傷を負った人にとっては、愛=孤独や裏切りかも知れないし、愛=絶望や毒かも知れないです。

でも、人の本能から愛への欲求は無くならないので、そんな歪められたイメージが記憶に貼り付いている限り、ことある事にその人は恐怖と不安のサイレンに苦しみ、耳を塞いで逃げ出して、また苦しむ
という地獄のような悪循環に陥るでしょう。

そんな状態で将来、矛盾や不条理にぶつかった時に自分の何を信じて乗り越えられるのでしょうか。その都度、愛する人や自分を傷つけるしかできなかったり、そうしてまた余計に認知の歪みが起きて、逃避癖がついて、自然の愛からはますます遠退いてしまうのです。

そんな悲痛な人生を食い止めるには、まず本人が認知の歪みに気付かないといけない。
そして自分を責めるのも恥じるのもやめ、自分を認め受け入れて、認知の矯正作業をする必要があります。

私はそれでかなり回復しました。それまでに結婚を失敗したり本当に色々ありましたけど、今は子供がいて、その愛を素直に受け入れて素直に許していて…。何も無いことへの不安も恐怖も消えて、嘘のように満たされてます。

私は本来、人を愛せない人はいないのだろうと思います。まず自分が自分を愛することさえできれば…。
それを教えてくれる人が親であれば、迷わずに幸せが無限に増すのだと思います。
kei
真理さん

コメントありがとうございます。この問題はもっと多くの人で議論したいテーマですよね。拝読して、「徳」ってなんだろう?と思いました。また、「一生懸命努力する人が愛されない」という一言から、「一生懸命に何を努力するんだろう?」と思いました。また、このことから、「愛すること」は「一生懸命にすること」なのではないのかな、とも思いました。

自殺さん

お返事遅れてすみません。最初のコメントを見た時にビックリしましたが、「代弁」だったのですね。どうしたらこのロジックから自由になって、よりよい生き方ができるようになるのか。それを考えたいです。人や社会を恨んでも、自分がハッピーになるわけじゃない。自殺さんがお書きになったようなことを思う人がどういうロジックをもつようになれば救われるのか。難しいテーマだと思いました。

kさん

コメントありがとうございます。たしかに「どこかで聞いたことがありそうなロジック」ですよね(汗)

思ったのは、「どんなに愛しても、便利ないい人で終わり」というところで、「どのように愛しているんだろう?」、ということです。愛し方、といいますか。愛され上手な人は、きっと愛し方が上手なんだと思います。愛され上手の人の技法をもう少し考えてもいいのかな、とも。

それと、僕なら、「見返りがなくても、利用されるだけの価値が自分にあるんだ。それでいいかなー」と思うと思います。僕なんか、毎年、若者たちに利用されるだけ利用されて、離れていっちゃいますからね。このブログでも、いつも卒業式の時は愚痴っています(汗)

愛して、愛して、それでも報われず、、、。それでよしと考えれば、素敵な生き方だと僕は思いますけれど(そのためにも、自分を愛してくれる人が必要なんですけれども)
またこの理論ですか。
はいはい。聞き飽きました。

どんなに愛しても、便利ないい人で終わります。
どんなに愛してもあなたの愛は要らない。と言われます。

愛したからって、何も解決しません。

見返りを求めず、愛して愛して愛して、

コンビニエンスな人間として、利用されてきました。
多分これからも。


愛したからって、何も解決しません。
自殺

こういう気持ちで、大量殺人を犯したのだろうか。秋葉原の事件の犯人や、大阪の国立大付属小学校を襲った犯人たちは。おそろしい。
自殺
そのとおりだとおもう。今まで愛されたことがないし、もう先が見えないから、自殺しようと思う。ただ、自分だけを殺しても面白くないから、だれか他人を殺そうとおもう。できるなら愛されて幸福を飽食している連中を大量に。そうすれば自殺しなくても、国家が殺してくれるしね。
俺に殺されたやつは、運がわるかったな。
真理
ちょっと違う
う~~ん
それは真実ではありませんね

生まれながらに得をもって生まれた人は楽に愛され

一生懸命生きている人が愛されていない


これは事実です

悲しいですけど
kei
こんにちは。

やはり「人との出会い」によって、人生ががらりと変わるってこと、あるんですね~。

こういう話を聞くたびに、自分の人生は自分で作っているわけじゃないって思わされます。

人との出会いは、「運命」、「偶然」で語られます。どっちでもいいんですが、どっちにしても、自分の意図の範囲外で起こってるってことですよね。

恋人も、結婚相手も、子どもも、全部、想定範囲外のところで成立している。不思議なものです。

大きいところのお姉さんたちが怖かったというのはどういう感じで怖いんですか? 変な薬をやってるとか?? それとも精神的に病んでるとか??

スナックや居酒屋のおばちゃんたちは、なんか突き抜けてますよね。多分、自分が経営者だからだろうけど、プロっぽさを感じます。是非行ってみてください。また、都会と地方だとずいぶん事情が違います。そこも面白いところだと思います。ミカさんはどちらにお住まいなのですか??
ミカ
お返事ありがとうございます♪
私の友達は、まれにみない人種?笑
のようで…

すごく愛情表現豊かなコなんです♪
この子といると、すごく大事にされてる感があるので…
(ミカが一番大好き!!)
って感じで接してくれて、幸せな気持ちにさせてくれます
犬みたいになついてくれて、ホントにダメだと思ったら怒ってくれて、良いとこはすごい誉めてくれて、いつも楽しい事を一緒に探して、辛い時に側にいてくれて、一緒に泣いてくれて
自分の立場になって考えてくれる…

大事だと思ってる人皆に出来ちゃうからすごい!!

だから、何でもしてくれる分
してあげたくなっちゃったりするんですよね♪自然に
私もそうなれたらと思います♪

私の今の彼も、友達と似ていて、愛し愛される人です
そんな二人を見習いながら、私も成長していければと思ってるんですが…笑

keiサンとこのサイトで出会えたのも勉強になりましたし、感謝感謝です(^-^)/

夜やってたんですね!!

私の所ゎ小さいとこで
女の子皆仲よくってって感じですが…
大きい所ゎ怖かったです
お姉さんたちが笑

スナックですかぁ~
行った事がないのですが
勉強しに行ってみたいですね~☆

やはり、年上女性の母性愛的な所もいいかもしれないですねッッ(^^)

kei
ミカさん

初めまして。keiと申します。

有難いコメントありがとうございました。まさにミカさんのような方に読んでもらいたくて、この記事を書きました。(というか、そういう人を想定しつつ・・・)

「よい友達との出会い」も、人生を変えるきっかけになりますね。確かに。友達に大切にされることで、愛情が何なのかを学ぶ、ということもあるんですね。

ただ少し疑問に思うのは、友達だと、やっぱり対等な関係じゃないかなぁ、と。やっぱり頼りきれないし、信頼しきれないし、甘えられないし、遠慮も出ちゃわないかなぁって思うんですけどね。どうなんでしょう。

僕もかつては夜の仕事をしていました。そこで、僕も、どういう人間が好かれるか、見えた経験をしました。

あと、キャバじゃないんですが、スナックとか居酒屋のおばちゃんのお客さんへの対応はまさに「母の愛情」を感じるものがあります。深いんですよね。深いんだけど、あんまり深追いしないっていう。そこに惚れています(汗)
ミカ
初めまして(^-^)/
本当におっしゃる通りな気がします!

私は今21歳ですが、18の時に良い友達と出会い、その人のおかげで、どうしたら自分は人に好かれるか、ということを
学ぶ切っ掛けができました♪
更にキャバクラで働いていたため、どういう女の子が好かれるかを学びはじめました

衝撃ですね!!
結局の所、基本的には
性別ではなく…人間って
必要とされてる感じを与えてくれる人が好きなんですよね~
自分を重要だと思って
必要としてくれる人が好き
大好きだよ~って言ってくれたり、あなたがいないと寂しいって言ってくれたり
誉めてくれたり、構ってくれたり、自分が面白いこと言ったら笑ってくれたり、自分の為に泣いてくれたり…

私の大好きな友人がすごく人気者な理由が解りました(^-^ゞ

私は親から誉められた記憶がありません(;_;)

どれだけ頑張っても当たり前で…

小さい頃友達の家に行ってお手伝いをするのが大好きでした

誉められたかったんですね…

もっと色々早く気づければよかったなと、後悔しています…

言葉って大事ですね

私も誉め言葉のバリエーションが少ないので、私の大事だと思える人達に、感謝を伝える為に勉強します(^-^)b

いみふめいな文章ですみません!!
興奮して、思うままに書いてしまいましたm(__)m

管理人様に感謝します!!

解りやすくてすごく勉強になりました♪
私の様な多くの人が救われると思います(^-^)/

kei
mamiさん

初めまして(?!)ですかね。

コメントありがとうございます!

ボーダーラインは、本人も、その本人に関わる人も、ともども苦しむ「障害」と言われています。「境界性人格障害」(ボーダーライン)については、以下のサイトが詳しいです。

http://park8.wakwak.com/~dendo/kokoro/jinkaku/kyoukairei/

僕は≪援助者≫ではないので、何とも言えないのですが、たくさんの人たちを見ていて、上の記事って、かなり真理だよなぁって思っています。

もしmamiさんが様々な事情の下、悲しみを抱えているのであれば、「ななめからの愛情」をたくさん受けることをオススメします。恋人からの愛情ではなく、親からの愛情でもない、その中間くらいの人。概念的に言えば、フィリアの愛ですね。

また、実際に関わらないけど、尊敬できる人を憧れるのもオススメです。これはエロスの愛と言います。

抽象的な言い方ですが、上からの愛と横からの愛は、かなり受け入れがたいのではないでしょうか?! 

なんの答えにもなってませんが、、、

コメントありがとうございました!
mami
初めまして
とても興味深く、そして泣ける程胸につきささる内容でした…
ボーダー…まさにあたしは当てはまる心理のようです。。
言葉に出来ない感情で、ただただ悲しいです…


yp
「愛のある心くばり」ってところでしょうか。
サービス産業の中だけではなく、人間関係の構築においても結構使われたりしますよね
kei
ypさん

たしかに。。。

きちっとしたもてなしのできるホテルや病院や施設が繁盛し、またそれができないホテルや病院が消えていく、、、

施設なんかでも、儲けのためのもてなしと、本当のもてなしとがあるかなって思いました。

ypさんはホスピタリティをどういう意味で使ってますか?なんか、ちょっとずれてるような、、、(汗)
yp
ホスピタリティとは何ぞやという命題にも近いのかもしれませんね
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