人間には常に、死ぬまで愛されることが必要である。
愛されない苦しみというのは、究極的にはお金がない苦しみよりも遥かに辛い。
愛されること、
例えば、気にかけてもらうこと、気にしてもらうこと、
見てもらえること、話を聴いてもらえること、大切にされること、
電話してもらえること、メールしてもらえること、
励ましてもらうこと、応援してもらえること、
信じてもらえること、抱きしめてもらえること、
こうしたことは、生きている限り、すべての人間にとって大切なのだ。
それは、「科学」では証明しきれないことだとは思うが、
科学以上の、絶対的な真実だと僕は思っている。
だが、こうした愛情は、たくさんもらえる人と、もらえない人がいる。
愛されることを求め、必死に誰かを求めている人がいる。
だが、愛されることを求めるがゆえに、
誰にも愛されない、という変な悪循環があるのだ。
愛されることを必死に求めている人は、
だいたいにして、他人から避けられてしまう。
人は、愛されることを求めていながらも、
他人に愛してくれとせがまれると、とても面倒くさくなる生き物みたいだ。
例えば、「かまってちゃん」なんていうのも、そういう人間を侮蔑する言葉だ。
逆に。。。
幼少期からたっぷり愛されてきた人は、
愛されることにいわばお腹いっぱいになっているので、
愛されることを期待することなく、人を愛することができる。
(*愛されることの内容は上で挙げたとおり)
愛されることの素晴らしさを知っているがゆえに、
そういう人は他人を愛してあげようとするのだ。
で、その結果、その愛してあげた人から愛情を受けることになる。
自分のことをしっかり見守ってくれる、
そういう存在であるがゆえに、人はその人を愛してしまうのである。
何が言いたいかというと、
愛されない人は、愛することができないために、愛されないままであって、
愛される人は、愛することができるがゆえに、ますます愛される、
という「循環構造」がある、ということだ。
これは実に興味深い現象だ。
他人のために動ける人は、結果的に愛されてしまうのである。
なぜならば、その人は他人のために動けるほどに素敵な人だからだ。
が、逆に、他人のために動けず、自分のためだけに動く人は、
結果的に誰にも愛されないのである。
なぜならば、その人は自分のためにしか動けない人だからだ。
愛する人は、ますます愛されてしまい、
愛されない人は、ますます愛されない、という・・・
どうしたら、愛情に欠けた人は愛されるようになるのか?!
これは、僕の本当のところの問いである。
分からないのだ。
どうしたら、幼少期の愛情不足は解消されるのか。
愛されないで苦しんでいる人たちと出会うたびに、
僕は本当に胸が苦しくなる。
結局、「あなたが変わらなければ、今の苦しみは終わらない」、
という、とても陳腐でありきたりな言葉しかかけられない。。。
恵まれた愛情環境の中で育った人は、
愛情が充足されているために、他人を愛し、
そして、多くの人に愛され、尊ばれる。
だが、恵まれない愛情関係の中で育った人は、
愛情が不足しているために、他人を憎み、不審に思い、
そして、おびえ、苦しみ、愛されずに、敬遠されてしまう。
どうしたら、このクソみたいな悪循環を断ち切ることができるのか。
もちろん恵まれた愛情環境の中にいる人はそれでいいと思う。
ラッキーだっただけだ。自分の実力でもなんでもない。
けれど、アンラッキーでしかない恵まれない愛情環境で育った人は、
その悪循環を断たねばならないのだが、どうしたらいいのか分からない。
で、それが分からず、そして焦り、
そして、ますます愛されることを求めてしまう。
(で、ご察しの通り、ますます愛されなくなる、という・・・)
財産も、学力も同じことがいえるかもしれないが、
「人生」という大きな問題を考える時、
やはり、何よりも愛情が一番の財産だと思う。
それは、情緒的にそうだって言っているわけじゃない。
それが、人間の存在条件になっている、というリアルなのである。
僕は、それほど感情的にこの文章を書いているわけじゃない。
どっちかというと、ものすごくドライに書いているつもりだ。
ドライに、愛情という生々しいものを語っている。
そこに矛盾はあるが、それはいたしかたない。。。
世界平和だとか、人類愛とかを訴えたいわけでもない。
ただ、ごく身近なところに、そういう愛情不足に苦しむ人がたくさんいるのだ。
それが、僕にはどうにもやるせないのだ。
「あなた」が変わらなければ、「あなた」は今後も愛されないままであろう。
でも、愛することができないからこそ、苦しんでいるのだ。
どうしたら、これまで愛されなかった人は、
愛されることを期待しないで、他人のために、
他人に即して、他人を愛することができるようになるのだろうか。
その打開策は、今の僕には全然分からない。
愛することに長けた人と出会うしかないのだろうか。
もし、そういう人に出会えたからといって、
その人が必ずしも救われるとは限らない。
例えば「ボーダー」と言われる人は、
愛されることを求めつつ、愛されることを拒絶する傾向が強いと言われている。
愛される実感がない人間は、
愛されることに安心ではなく、不安を覚えるのだ。
なぜなら、愛されるという経験がないがゆえに、
それがどういうことなのかが分からないからだ。
故に、
「これが愛されるということなんだ」、
ということをきちんと身をもって学ばなければならない。
そこに何か答えがありそうな、なさそうな・・・
うまく伝えられないけれど、そういうことを今日は考えました。