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胎児の命と生命倫理と科学技術

出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増(読売新聞) - goo ニュース

科学技術の発展と共に、僕らはこれまで直面してこなかった問題に、次々と直面している。その一つが、この話題ではないだろうか。

一応、念のために、引用しておこう。

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 胎児の染色体異常などを調べる「出生前診断」で、2009年までの10年間、胎児の異常を診断された後、人工妊娠中絶したと推定されるケースが前の10年間に比べ倍増していることが、日本産婦人科医会の調査でわかった。

 妊婦健診の際に行われるエコー(超音波)検査で近年、中絶が可能な妊娠初期でも異常がわかるためとみられる。技術の進歩で妊婦が重大な選択を迫られている実態が浮き彫りになった。

 調査によると、染色体異常の一つであるダウン症や、胎児のおなかや胸に水がたまる胎児水腫などを理由に中絶したと推定されるのは、2000~09年に1万1706件。1990~99年(5381件)と比べると2・2倍に増えた。

 全国約330の 分娩 ( ぶんべん ) 施設が対象で、毎年100万件を超える全出産数の1割をカバーする。回答率は年によって25~40%程度だが、調査では回答率が100%だったとして「中絶数」を補正した。

 人工妊娠中絶について定めた母体保護法は、中絶が可能な条件に「胎児の異常」は認めていない。だが「母体の健康を害する恐れがある」との中絶を認める条件に当たると拡大解釈されているのが実情だ。平原教授は「ダウン症など染色体異常の増加は妊婦の高年齢化も一因だ」と話す。

 調査結果は22日から都内で開かれる日本先天異常学会学術集会で発表される。

 玉井邦夫・日本ダウン症協会理事長の話「個々の選択がどうだったかわからないが、エコー検査が、ダウン症児は生まれてこない方が良いという判断を助長していると考えられる」

 ◆出生前診断

 胎児の染色体や遺伝子の異常を調べる検査。エコー検査の他、ダウン症など染色体異常を調べる羊水検査や絨毛(じゅうもう)検査、妊婦への血液検査で胎児に異常のある確率を割り出す母体血清マーカーなどがある。

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ここでいう「出生前診断」こそ、科学技術による恩恵であるのと同時に、生命倫理的にわれわれに突きつける大問題である。技術が先行してしまい、倫理が追いつかなくなっている「悲劇」の一端とも言えなくもない。「診断」ゆえの苦しみというか、苦しい選択が迫られる今日のわれわれなのである。

これは、ある種の「合理的優生学」とも言えなくもない。

自分の愛する子どもが障害をもっていないかどうか。これは、妊婦のみならず、出産にかかわるすべての人の好奇心に訴える。皆が知りたいと思っていることだからだ。だが、知ってどうするのか。その答えの一つがここにある。「障害をもっているなら、中絶してしまえばいい」。

それは、ある種、当然の帰結とも言えなくもない。10か月かけて、色んな思いを抱きながら、生まれてくる新しい命。その新しい命をもつ新生児に障害があるなら、生まれる前に中絶して、また作ればいい、そう考える方が(ある種)自然であるし、人間的な判断だとも思えなくもない。

けれど、その診断が絶対というわけでもない。臨床的には、そんなにまだはっきりと診断の真偽が言えるような段階ではないはずである。あくまでも「推論」「可能性」でしかない。けれど、診断が定着化して、その結果があっていようと間違っていようと、出てしまえば、その診断の結果を信じるしかない。そうすると、妊婦、ないしは夫婦は厳しい選択が迫られることになる。

障害をもっていようといまいと、我が子は我が子と思える人が多ければ、何の問題もない。だけど、実際は、上の記事が示すように、中絶してしまうのである。僕的には、その中絶を決断した母、父を責める気にもなれない。リアルに自分がそう突きつけられたならば、自分だって、中絶という可能性を考えてしまうだろう。

これまでの障害児・者自立支援運動は何だったのだろう?と考えさせられる。

長い時間をかけて、ようやく障害児・者の権利を獲得してきたのに、ここにきて、全部ひっくり返されるような気分になる。結局、障害児・者は、生きるに値しないのかどうか。生まれてきてしまえば、育てるしかないし、守るしかない。でも、未然に防げるとなれば、、、?!?!

日本の人々は、中絶に対する抑制が(宗教的・倫理的に)あまりない。中絶数を調べれば分かると思うが、胎児の命を重くみていない。日本は、数的に見ても、凄まじい中絶王国である。中絶を反対する(社会的に)正当な理由がないので、気軽に中絶してしまう。胎児(のちの新生児)に対する意識が極めて低いのである。(とはいえ、それが間違っているといえるだけの論理も持ち合わせていない)

つくづく思うのは、日本という国は、赤ちゃん、新生児、幼児、子どもに対する関心が極めて低い国である、ということだ。児童手当(子ども手当)だって、世界水準で見れば、先進国の中では極めて酷い状況である。子どもは未来の宝であるはずなのに、それに対する国家予算は極めて貧弱であると思う。

僕は愛国主義者ではないけれど、日本人の子ども(とそれをとりまく周囲の人々)がとかく生きにくいことに対しては、憂いを感じている。

出生前診断は断ることもできる。この診断をするか、しないか。若い父母の知性が問われるところであろう。

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