イタリアンでも食べルッカ

おいしい物と個性豊かな料理人達に囲まれた料理学校での日常記

2008年8月15日

2008-08-20 00:41:25 | イタリア語
終戦記念日、かつ、聖母被昇天の日。
この日をもって、La Divina Commedia(『神曲』)天国篇まで、一応読了。
寿岳文章先生は12月8日(真珠湾攻撃の日、かつ、無原罪の聖母の日)に天国篇の翻訳を終えられたそうですが、何か因縁を感じるこの日付。
とりあえず『神曲』を読んだことのない人生と決別できたことはめでたい。
(といってもこれから、ドロシイ・セイヤーズによる英語版との対決が待っているのだが)
同時に、やはり『神学大全』をちゃんと読まないと話にならん!と痛感。
必読図書リストに載せたのは大学時代だったが、サボっていたツケが回ってきた……。
みなさん不精はやめましょう。

ところで無慮4名から「速やかにブログを再開せよ」との要望があったにもかかわらず何故更新がないのかというと、『大全』以外にも読む本に対し買う本の「輸入超過」状態が二十数年続いた結果、ついに未読の本が本棚に1001冊もたまってしまったのが原因の1つであり、多方面のメンテナンスを行っていたのが2つめの原因である。
次回はそのメンテナンスについて(たぶん)。

凡庸について

2007-02-27 07:25:05 | イタリア語
イタリアのミステリーが邦訳されたというので、へえと思って12月に帰国したときに買ってみた。
主人公はバツイチの弁護士。離婚は妻の方から切り出すのだが、その時の理由というのが主人公が「平凡な男になってしまったから」だと邦訳ではなっていた。もっと直接的具体的には、彼に愛人がいることも理由の一つ。しかし昔から「どんな英雄であっても、従者にとってはただの人間」と言われるように、人間と言うのはそもそも平凡なものではあるまいか。
で、イタリア語の原文を見るとmediocre とある。平凡、というと確かに美点ではないかもしれないが欠点とも言い切れない。でもmediocreというとあくまでネガティブなイメージなんだなあ。最初に連想したのはヴィスコンティの映画『ベニスに死す』。主人公の友人が彼の音楽を評して言った「君の音楽の根底に何があるかわかるか?凡庸(日本公開版は英語版ゆえmediocrity)だ」というセリフだ。
ま、めかしこんで出かけ、しゃちほこばって傾聴した大指揮者・作曲家の音楽のテーマが「凡庸」だったらこれは怒る価値があるが、妻に常に非凡さを求められては夫のほうもたまるまい(といって愛人を持つことを「平凡」と形容されても困るが)。「陳腐な男」あたりでどうだろう。
主人公が一人で夕食を作る場面も出てくるが、揚げ物の衣を「卵にワインと水を」加えて作る、とあり「ワインと水?薄そうだな」と思ってまたもや原文を見ると vino e sale(ワインと塩)となっていた。原作はかなりの売れ行きで賞も取ったそうだし、邦訳も山場の法廷場面の迫力などほめてあったが、上の2点に限らずちょっと訳文に「?」と思う箇所が散見し、いまだちゃんと読めず。昔三島由紀夫の『禁色』のイタリア語版を原作と参照していて、書き出しの一文が間違っていたので思わずパタンと本を閉じたのを思い出した(これもその後、読んでいない)。
現在片手間に(?)やっている翻訳の仕事だが、時々恐ろしいことに聖人や聖母マリアの言葉などを訳さねばならないことがある(私は仏教徒で大学は浄土真宗系だったんですが)。この前は恐るべきことについにイエス・キリストの幻視を見た人間まで登場し、「イエスの言葉」などを訳す破目になった(実家は禅宗で母方の祖母は神主の娘なんですが)。きっと数々の事実誤認・誤訳をしているに違いないのだが、上の例を他山の石として肝に銘ずしかない。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。

教会でお茶の話

2006-07-28 08:37:26 | イタリア語
ジャンルーカの顔を見て「そういえばレシピの翻訳がとどこおっている」ことにあらためて気づき、ペースを上げようと外出の回数を増やすことにした。矛盾しているようだが、もう1つの翻訳の仕事は常時7種類くらいの辞書を広げながらやるので家でしかできない関係で、レシピの方は電車の中、ホーム、医院の待合室でやることにしているから家にいては全然進まないのである。今日の目的地は7種類の辞書を駆使しても遅れに遅れている翻訳の発注元。本職は神父にして教育者なので納期の遅れも見逃していただいているが、ごぶさたして3年になるのでさすがに良心がとがめ、午前中東京から戻ったところでもうすぐ九州に出張(ジャンルーカの逆パターンだな)というお忙しい中にお邪魔した。
学院と修道院、礼拝堂と順に案内していただくが、あちこちで「これはドン・ティート(シエナ料理学院時代の理事長)のお世話で購入した絵」「こちらは(シエナに長く暮らし、名誉市民にもなられた)故・千葉翔画伯のステンドグラス」と、どこかで聞いた名が頻発する。
神父は留学・研究生活のためローマに計16年暮らした経験のある方で、その豊富な経験談を伺っているうちに「一度、チェントロ・ウラセンケ(茶道・裏千家のローマ出張所)の野尻さんから頼まれて……」と、ちょうど今読んでいる『ローマでお茶を』の著者野尻命子さんの名前が出てきて驚く。実はこの本、近くの図書館の蔵書だったのでそのうち読もうとのんびり構えていたところ、いざ借りようとしたら「以前に借りた人が返さないので」利用不能になっていてあわてた。「もし茶道のシロウトに面白くない話ばかりだったらカリフォルニアでお茶を教えている知人にさっさと贈呈してしまうか、この図書館に寄贈してしまおう」と思いつつやっと手に入れて読み始めたのだが、ローマ在住40年、各方面に知り合いの多い方なので戦中戦後のローマ日本大使館の裏話だの、カトリック界との交流だの実に面白く、カリフォルニアと図書館には悪いが手許に置いておくことになりそうだ。
帰路、大阪府立中央図書館に寄って調べ物。つい出来心で折り紙作家の布施知子さんの蔵書を検索したところ、45冊もあり適当に5冊借りる。うち1冊が筑摩書房刊「箱自由自在 その1・四角箱と八角箱」。うちの本棚にはいつ入手したのかまったく記憶にないがなぜかこのイタリア語版 Fantasia di scatole in Origami がある。去年の暮れまでは折り紙にそれほど関心はなかったのだが、どうも最近あちこちで「めぐりあわせ」を感じるよ。

昭和拾年の洋食する人々

2006-07-05 00:24:41 | イタリア語
さて今回のお題その一は、英語とフランス語でまったくつづりが同じDessert、いわゆるデザート。これが昭和十年版ではどう処理されていたかというと―

デザート Dessert 洋食の一とほり済んだ後に出す菓子及び果物等
デセール Dessert 砂糖、鶏卵、メリケン粉等を混じて作ったビスケットの一種。

エッ意味も同じじゃないの?と早速図書館に走る。「ラルース」で確認するといわゆる「デザート」と言われて想像するいつもの意味だけが書かれており、自分の無知ではなかったのだとちょっと安心。ということは当時は総称である「デザート」を英語、その中のほんの一部であるビスケットだけをなぜかフランス語で「デセール」と呼んで棲み分けが行われていたのか。ややこしいことだ。ところが広辞苑第五版でも「デセール」を
 1)デザートに同じ 2)上等のビスケットの一種。デセル。
と説明しているのに及んではますます気になり、小学館の「日本国語大辞典」を引くと―

デセール:やわらかく焼いた上品な味のビスケット風洋菓子。
(出典)徳富蘆花「自然と人生」(1900=明治33年)写生帖・雨後の月「デセールの鑵など持って見舞に来たそうですが」
徳田秋声「元の枝へ」(1926=大正15/昭和元年)「キヤンデーやデセールのやうな菓子」

と文脈がわかるようになっていたので何となく納得が行った。つまりポルトガル人が持っていたお菓子を指して「これなーに?」と聞いたところ、相手は指がさし示した一点に「お城」の絵が描いてあるのを見て「カステラ」と答えた、のが菓子名になったごとく、ある時フランスから運ばれてきたビスケットの缶に「Dessert」とでも印刷してあったのではないかと、神戸屋の「ゴーフル」の缶に印刷されたスペルを思い浮かべながら考える私。
ちなみに徳富蘆花の短編ではこの菓子は入院した婚約者の病気見舞いとして登場するが、病名が「天然痘」だから凄い。入院している女性は大きな商家の一人娘、見舞った男は三菱銀行のエリートサラリーマンだから、安物の菓子なぞは持っていかなかったはずである。味その他の描写はなし。なにしろ本人はビスケットを食べるどころか生死の淵をさまよっているので、後日談として「見舞に来たそうですが」と言うのが関の山なのである。
徳田秋声の方では、デパート(当時は「雑貨店」と言ったらしい)でのお買い物の場面に登場していた。普通の店では手に入らなかったのかも。で、この「デセール」って、今でも売られているのでしょうかね?

さてそれにも増して、
フリッター メリケン粉にパン粉を加え、これに卵白を泡立てて加へたものを衣とし、魚、
  野菜等をふっくりと揚げた食品。朝食のパン代わりに食する。

の記述に私は絶句した。誰ですかこんなものを朝から食べる強靭な胃袋の持ち主は?!(学校を卒業して最初に勤めた会社には「けさ起きたら、なんだか天ぷらが食べたくてしかたなかったので、朝から天ぷら揚げて食べちゃいました」と平然と語った恐るべき胃袋の女性がいたが、きっと子孫なのだろう)。日本国語大辞典を見たところ、ハリー牛山『モダン化粧室』(1931)からの出典として“贅沢なデザートやパイ(略)フリッター(煎餅)などを食べすぎてはなりません”とある。「かっこ・せんべい」となっているあたり「ホントに、あのフリッターのこと?」と聞きたくなるが、何となくこれが朝食の描写とは思えない。確認したいが、どうも国立国会図書館に行かなくては読めないようなので断念。

3度にわたりネタを提供してくれた「辞苑」シリーズも今回が最終回。このようなことをしていては仕事も進まず、イタリア語の学習に何の進展もないのでいい加減にしなくてはならない。昨年も同じようなことを考え「そういえばキリスト教関係の翻訳なんだから、『神曲』もちゃんと読まなきゃ」と昔の教科書を引っ張り出したところ、注釈のところにいきなり「フォカッチャ」が出てきて唖然とした。注釈者によるとフォカッチャはウェルギリウスの『アエネアス』にも登場するそうである……イタリア人がイメージする「フォカッチャ」の守備範囲って私が理解していたより広く深かったのか?その人と連絡がついたら、いつかこの件書きます。

續・昭和十年のイタリア語

2006-07-02 23:53:36 | イタリア語
さて前回の「宿題」の正解。

食べ物:マカロニ タイミングよく「料理王国」7月号にも(pp.32-33)取りあげられていたのでこれは想像がついた人が多いのでは。でも、

飲み物:マラスキーノ これは意外でしたね。おまけに定義が「チェリーブランデーに砂糖を加えたもの」。大胆な筆致だ。あながち間違っているとは言わないが、あくまで製造段階での加糖でしょうが。じゃあチェリーブランデー(というものがどれくらい流通していてどのくらいしたのかしらないが)を買ってきて砂糖を入れてみよう!と考えた軽はずみな読者はいなかったのだろうか?昭和十年ならまだ食糧事情はそれほど悪くないはずだから。
ちなみに料理関係ではほかに「ビステキ ビフテキの訛。伊(イタリア語)Bisteccaの訛か?」という推理もあった。これって「ひ」が「し」と同じ発音になっちゃうという江戸っ子の喋り方の影響とは考えられないのだろうか?でこれはカウントしません。どうも新村出センセイは「当時の同盟国だから」という理由ばかりではない隠れイタリアびいきのような気がする。「カンネー」なども、TAKAさんの鋭い指摘を受けて「広辞苑・第二版」(昭和50年代に購入)と最新版の「第五版」も確認したがしっかり生き残っているし、「南欧」の定義なども「ヨーロッパの南部、即ちイタリーの辺」という、イベリア半島やエーゲ海あたりを完全に無視した記述になっているのだ。余談だが「フィレンツェ(前略)煙草、マジョリカ、モザイク細工、美術工芸品等の製造が盛んである」なんて記述もあってフィレンツェとタバコという新鮮な組み合わせなどもわかった。しかしフィレンツェで作っててなんでマジョリカ焼き?

さらに余談。食べ物関係はイタリア語じゃなくても何となく気をつけて見ていたところ;
「メリケン粉:精製小麦粉のこと。アメリカ製小麦粉の意で、日本在来の粗悪な小麦粉を饂飩(うどん)粉と称したのに対し、精製したものをメリケン粉と俗称したのである」
ふむふむ。「広辞苑」に較べ歯に衣着せぬ物言いだがその通り。ルッカの料理学校のどのコースでも必ず出る質問のひとつが「イタリアの粉の区分の『ゼロ』『ゼロゼロ』って『薄力粉』『強力粉』のどちらですか」であり、私たちはいろんな人に聞いたとおりに「日本の小麦粉はうどんを作ることを前提として配合されているので、イコールで結びつけられる粉はイタリアにはありません」と答えている。他の料理学校(たとえばコルドン・ブルー)なんかじゃ、中国や韓国からの留学生になんと説明しているのだろうか。
あとイタリアからは離れるが「ハヤシライス」は hashed-rice (ハッシュドライス)の訛だそうで、ハヤシさんが発明した料理ではないというのが新村センセイの主張である。フランス料理から入った人がよくみじん切りのことを「アッシェ(不定詞のhacherか過去分詞の haché/ -eéのどっちかは知らないが)言っているから、これが「細かい肉の入った」ライスだというのはよくわかる。でも「メンチ」の定義というか別名が「細かく刻んだ肉、はやし肉」とは初耳だった。
他にもマリオ先生のクロスティーニでおなじみの「脾臓」の別名が「ひ」「よこし」「血管腺」だというのも、およそ役に立つとは思われないが一応貴重な情報であり何となく感銘を受けた。

あと2つ笑える外来語の食べ物の説明があるのですが、出典の1つである徳田秋声の本が、やっと図書館に届いたので明日取りに行って読んでから書きます。
1つは、同じ語源・同じつづりの単語が英語とフランス語で収録されていて、フランス語の方にエッと思う定義がくっついている例。
1つは、今ではふつうに皆が食べている料理だが「朝食のパンがわりに食する」と定義されており、「誰だ朝からこんなものを、しかもあんな時代に食べていたのは?!」と思わず叫んだ例。あなどるべし昭和十年。

昭和十年のイタリア語

2006-06-06 23:04:51 | イタリア語
ただいま翻訳中の作品は1912~1941年(大正元年~昭和16年)に書かれたものなので、訳語の選択に苦労する。たとえばTokyoは「東京都」ではなく「東京市」だし、China は「中華民国」もしくは「支那」、Coreaは「朝鮮」。「トイレットペーパー」なんて外来語はまだないからcarta igienica は「落し紙」。昭和フタケタ生まれの私のボキャブラリーでは当然カバーしきれないのだが、さいわいわが家には『広辞苑』の前身にあたる『辭苑』という辞書(412版、昭和17年2月)が残っていたので「当時こんな外来語あったかな?」と不安な時は、これで引いて確認している。けっこう意外な単語が収録されていて、たとえばテレビこと「テレヴィジョン」はすでに載っている。もちろん理論が説明されているだけで、実物が茶の間に登場するのはずっと先なのだが。
さて、この辞書にイタリア語の単語はどのくらい載っているかと思い、一度ザッと通してページを繰った限りでは、全収録語十五萬八千百六十四(158,164)語中わずか89語であった。予想はしていたが、かなりに少ない。ちなみにダントツは音楽用語で36語。中には首をかしげるものもあり、「チュタ フォルザ」(Tuta forza=最大勢力で唄へよの意)、「ムジカ アラビアータ」(musica arabiata=喜劇音楽、道化楽)はつづりが違っている上、「怒った」になるはずのアラビアータがどうして喜劇になったのかがわからない。
人名は23語。ガリレオ、コロンブス、ダンテ、マキアヴェリ等々の人選には何の異存もないが、プッチーニ(『蝶々夫人』の作曲者だから入れたとか?)が入ってヴェルディ、ロッシーニが漏れているし、カルドゥッチ、デレッダ、ピランデルロのノーベル文学賞受賞者3名(当時)も全滅、アリオスト、ボッカチオの名もなく画家のジョットすらないのは不思議である。ちなみに彼らを押しのけて採用されたのは、天文学者のカッシニ、ソプラノ歌手のカリクルチ、生理・物理学者のガルヴァニ、物理学者・数学者のトリチェリ、文学者・哲学者のパピーニ、精神病理学者のロンブロゾーと、ついでにダンテの理想の女性ベヤトリチェさんであります。
地名は10語。ヴェニス、カンネー、コロシウム、ナポリ、フィレンツェ、ポンペイ、ミラノ、メッシナ、ローマ、ロンバルディヤ。英語読みとイタリア語読みが雑居してますな。ナポリは実は英語発音の「ネープルス」でも載っていますが1語と数えました。イタリア王国誕生当時の首都トリノ、シチリア、サルデーニャ、ボローニャ、ヴェローナ、カプリ等々を押さえて「紀元前216年8月1日、ハンニバルがローマ軍を破った所」だというだけでカンネーが収録されたのは何故なのでしょうか。
美術建築関係=3語。テンペラ、トルソー、フレスコ。淋しいな。テラコッタもカウントして4語とするか?
作品名=2語。「クオレ」「デカメロン」。実は「トスカ」もあったが、オペラとしてではなくその原型である「1887年初演のフランスのサルドゥー作の劇」とあったのでカウントせず。
歴史政治関係=5語。カルボナーリ(炭焼き党員)、ファッシォ、ファッシスチ、ファッシスト、ファッシズム なにせムッソリーニがまだ首相だった時代ですから。
さてクイズです。あと残る単語は9語です。カジノ、ゴンドラ、バシリカ、マドンナ、マラリヤ、リラ(貨幣単位)、レガッタと、あと2つは料理に関した単語です。それは何でしょう? 
ヒント:ひとつは食べ物、もうひとつは飲み物です。飲み物の方は実は私も意外でした。
正解は次回。
それにしても、ファッション関係の単語がひとつもないんだから、ファッションにおけるイタリアがいかに後発国かということがよくわかりますな。

うろこ余談

2006-06-04 15:57:26 | イタリア語
月末の入稿が無事に済み、心に余裕ができたので久々に英英辞典など開ける。4月の講習で「英語では『うろこ』も『はかり』も『規模;スケール』と同じく scale だ」と知り「どういうつながりが?」とずっと疑問だったのである。歴史と共に意味が変わってきた言葉、意味が加わって行った単語はいろいろあり、たとえば「列車、汽車」の意味だとふだん理解している train はもともと「(ロングドレスの)すそ」のことだった、という話を聞いた覚えがある。機関車に連結されて長々と連なって進む様子が、床にズルズルと引きずられるドレスのすそを連想させたらしいのだが、服装がすっかり変わってしまった現在ではなかなか浮かばない発想だ。はかりとうろこの間の関連性はそれ以上にナゾだったので、辞書のお世話になることにした。
その結果、「はかり」「うろこ」「スケール」は現代英語では一つの単語として処理されているが、もともと他人のそら似であったことがわかった。
まず「スケール」の語源はイタリア語の scala。15世紀に借用され、19世紀まではイタリア語と同じように「階段・はしご」の意味もあったらしい。「定規」の意味もある。
次に、「はかり」のルーツは古代アイスランド語のskál。これが古代英語でscăla と変化し、英語で「スケール」(および「シェル=貝殻」)、ドイツ語で「シャーレ」(schale;貝殻、豆のさや、受け皿、等々)という発音になった。はかりの受け皿→はかり、という意味の拡大化である。小中学校の理科でお世話になったシャーレははかりの親戚だったのか。それにしても長さを測る「定規」と重さを量る「はかり」が、発音もつづりも同じくせに語源が違うのだからややこしい話だ。
さて「うろこ」である。語源は古代フランス語のescaleで、これが14世紀に英語に入り、頭の「エ」の音が取れて「はかり」と混同されたらしい。ちなみに古代フランス語ではドイツ語・英語と違って、「うろこ」(escaille)と「クルミの殻」(escale)は別の単語で表していた。現代フランス語ではつづりが変わってécaille・écaleとなるが、やはり使い分けている。
なお古代フランス語と同起源の古代ゴート語では「うろこ」は skalja。これが中世ラテン語 scalia を経てイタリア語の scaglia となった……あれ?scaglia ってカルパッチョの上にのせるチーズの「薄切り」とか、トリュフを「薄く削ったもの」とか、果ては「削りぶし」とかに使う言葉じゃなかったっけ?と思い辞書を引くと、どの辞書も確かに「うろこ」の意味を載せているのだった。しかも第一義。え~講習じゃみんなsquama としか言わないよ?と思い、今度は squama を引くとやはりどの辞書にもこの意味がある。では両者の違いは― scaglia は「豆のさや」を意味する skalja が語源で、「魚のうろこ」の意味。これが転じて「不ぞろいなかけら」を意味するようになった。一方 squama はご先祖のラテン語時代からず~っと squama で、「爬虫類・魚類・鳥類・哺乳類……要するに脊椎動物のうろこ」。魚類だろうが爬虫類だろうがうろこはうろこでいいと思うのだが、なぜ魚だけに別の言い方があるのだろうか。あくまで推論だが、scagliaというのはおそらく語源の「豆のさや」と同じく、「中の実(身)を食べようと思えば、取り除かなくてはいけないもの」という意味なのだろう。古代ローマ人ならいざ知らず、今のイタリア料理では「うろこを取ってから食べる」食材は魚くらいしかないからだ。
なかなか勉強になって楽しかったが、イタリア語には英国のOEDのように語義を初出年代順に、しかも原典の引用つきで配列した辞書がないので、「コトダマ」というか意識の流れの変化を追いかけるのが難しいのが、いつもながら残念。