風景居酒屋 ごじゃ満開

2011年03月11日14時46分、東日本大震災発生
(since 2007/8/15)。

1168)房総ワンデイハイク 旭市(3景目 網戸城跡)

2011年12月14日 | 千葉彷徨
 「岩手宮城内陸地震」から3年半経ちました。とはいえ、その時の影響が元々無かった東京圏では話題にすらなりません。勿論その時南部にいなければ、私も関心の低い側にいたことでしょう。何事でも、限られた脳ミソのシワの中で継続して意識し続けるのは難しいと感じています。


 旭駅からの彷徨の続きです。前回ご覧いただいた上宿バス停と中宿バス停の間の交差点から、JR総武本線を跨ぎ国道126号線とを結ぶ建設中の道路があります。そのすぐ東側の道を北上すると真言宗の東漸寺(とうぜんじ)が建っていますが、この寺の境内にはかつて網戸(あじと)城がありました。


(網戸城跡に建つ東漸寺 -旭市ロ 2011/10/23-)

 東漸寺は1593(文禄2)年に悦道和尚が開基しましたが、彼を招いたのは木曽義昌(きそよしまさ)という武将です。その名のとおり元々木曽の武将で、有名な木曽義仲の子孫とされています。1590(天正18)年に豊臣秀吉の命によりこの地の城主となった際に居としたのが網戸城でした。

 義昌は新田開発や城下町整備に努めましたが5年後に死去し、息子の義利(よしとし)が後を継ぎました。しかしその5年後の1600(慶長5)年に改易(江戸時代に武士に課した罰で、領地等を取り上げて平民に落とすこと)となり、木曽家は断絶となりました。境内には義昌・夫人・木曽家の供養塔が建っています。


(東漸寺境内に建つ供養塔 -旭市ロ 2011/10/23-)

 義昌の命日である毎年3月17日には毎年、東漸寺と地元民による供養が行なわれていますが、その250回忌(江戸末期)に国学者野々口隆正が詠んだ歌が、旭という市名(町名)の由来になったのだそうです。

「信濃より いずるあさひを したひきて 東の国に あととどめけむ」

 さぁ、雨が落ちてきました。




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2009/12/14の一品・・・お休みでした
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