千葉から東京まで、快速列車で約40分かかります。先日の東京往復時、いずれも隣にご婦人2人組が座ったのですが、身振り手振りを交えて40分間ずっとしゃべり続けていました。通勤道中で知人に会っても会話が途切れがちな私には次から次へと話題が溢れてくることが羨ましくてなりません。ただあの声量は周囲に聞こえているのを承知の上なのでしょうか?
義経北行伝説 第6幕(青森県八戸市 種差海岸)
「私的義経北行伝説」、ここまで岩手県の伝説に残る史跡をご覧戴いてきましたが、青森県八戸市にはこれとは違う義経北行伝説が残っています。それによると義経一行は気仙(現在の陸前高田)から船に乗り八戸に向かったといい、この時の上陸地が種差海岸だそうです。
(秋の種差海岸 -青森県八戸市 2009/10/07-)
勿論、岩手版・八戸版何れも伝説の域を越えないのですが、八戸版を聞けば、岩手版では何故山中を北行したのかな?という疑問が湧いてきました。
奥州藤原氏四代の泰衡(やすひら)と義経が結託して身代わりの首を頼朝に差し出し「義経は死んだ」ことにし、頼朝がそれを信じたのであれば、義経は無理に山中を辿る必要も無かったと思います。
逆に、泰衡が父秀衡の遺言に背いて高館にいた義経を攻めたが取り逃がし、ごまかしで代わりの首を差し出したとすれば、それが頼朝にばれないように泰衡が義経を追ったということも想像できます。
伝説の先を想像すると、無限に広がりそうです。
2011/07/15の一品・・・1016)房総ワンデイハイク 銚子市(6景目 銚港神社)
2010/07/15の一品・・・754)私的岩手通史の旅 第33回
2009/07/15の一品・・・お休みでした
2008/07/15の一品・・・お休みでした
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義経北行伝説 第6幕(青森県八戸市 種差海岸)
「私的義経北行伝説」、ここまで岩手県の伝説に残る史跡をご覧戴いてきましたが、青森県八戸市にはこれとは違う義経北行伝説が残っています。それによると義経一行は気仙(現在の陸前高田)から船に乗り八戸に向かったといい、この時の上陸地が種差海岸だそうです。
(秋の種差海岸 -青森県八戸市 2009/10/07-)
勿論、岩手版・八戸版何れも伝説の域を越えないのですが、八戸版を聞けば、岩手版では何故山中を北行したのかな?という疑問が湧いてきました。
奥州藤原氏四代の泰衡(やすひら)と義経が結託して身代わりの首を頼朝に差し出し「義経は死んだ」ことにし、頼朝がそれを信じたのであれば、義経は無理に山中を辿る必要も無かったと思います。
逆に、泰衡が父秀衡の遺言に背いて高館にいた義経を攻めたが取り逃がし、ごまかしで代わりの首を差し出したとすれば、それが頼朝にばれないように泰衡が義経を追ったということも想像できます。
伝説の先を想像すると、無限に広がりそうです。
2011/07/15の一品・・・1016)房総ワンデイハイク 銚子市(6景目 銚港神社)
2010/07/15の一品・・・754)私的岩手通史の旅 第33回
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