アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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辺野古新基地阻止のカギは埋立承認の「撤回」

2016年09月26日 | 沖縄・翁長・辺野古

    

 辺野古新基地建設をめぐる裁判で、沖縄県は23日最高裁に上告しましたが、当日の琉球新報の解説記事はきわめて問題でした。
 記事は「辺野古新基地建設計画を巡って想定される今後の流れ」として、最高裁が高裁に続いて「国勝訴」の判断をした場合、次は来年3月の「岩礁破砕許可」の更新が焦点だとして、「最高裁判決から来年3月末の更新期限の間に、再び工事に関するつばぜり合いがありそうだ」(23日付琉球新報「透視鏡」)としています。

 問題なのは、「今後の流れ」の中で埋め立て承認の「撤回」について一言も触れていないことです。最高裁判決後の争点は来年3月の「岩礁破砕許可」の更新だとして「撤回」を棚上げしています。

 これは重大な誤りです。最高裁判決で「県敗訴」が確定した場合、翁長氏が(来年3月を待つまでもなく)直ちに行うべきことは、埋め立て承認の「撤回」です。

 繰り返し述べてきたように、もともと翁長氏がすべきだったのは承認の「取り消し」ではなく「撤回」でした。そのボタンの掛け違いが福岡高裁那覇支部(多見谷寿郎裁判長=写真左)の不当判決を許す一因となったと言っても過言ではありません。

 竹下勇夫県弁護団長(写真右)は高裁判決に対して、「前知事の承認処分に裁量権の逸脱・乱用があるかどうかから判断されている。対象を誤っているのではないか」(22日付琉球新報)と批判しています。
 しかし、仲井真前知事の埋め立て承認に「法的瑕疵があるかどうか」、つまり「承認」は妥当だったかどうかを争点にしたのは翁長氏自身です。翁長氏が第三者委員会に諮問し、委員会が「瑕疵あり」としたので「取り消し」ました。それが高裁に「前知事の承認処分」を審理対象とする口実を与えたのです。

 「取り消し」と「撤回」の違いを改めて明確にする必要があります。

 「取り消しが、承認時の手続き上の瑕疵を理由にした処分なのに対し、撤回は承認後の状況の変化を理由にした処分」(18日付毎日新聞社説)です。

 そのこといち早く詳細に指摘したのが、新垣勉弁護士、仲地博沖縄大学学長ら5人の専門家による「撤回問題法的検討会」が翁長知事宛てに提出した「意見書」(2015年5月1日)でした。

 「意見書」は学説や判例を精査したうえで、「『取消』は、埋立承認時における『瑕疵の存在』を理由とするものであるが…『撤回』を、埋立承認後の事由に基づく公益判断により行うものと解すると…埋立承認時の瑕疵の存否の判断を待つことなく、先行して『撤回』を行うことは、法的に十分可能である」として、第三者委員会の検討を待つまでもなく、「撤回」すべきだと翁長氏に進言しました。

 その場合、「埋立承認後の事由」とは、度重なる選挙による民意の表明です。したがって「撤回」によって仮に裁判になれば、争われるのは(「取り消し」と違って)「手続き上の瑕疵」ではなく、「米軍基地建設」対「沖縄の民意」という本質的争点になります。

 しかし、翁長氏はこの「意見書」を無視しました。

 1年半以上の回り道になりますが、翁長氏は「意見書」に立ち返り、最高裁判決後直ちに埋立承認を「撤回」しなければなりません。

 不当判決を下した多見谷裁判長自身、「和解勧告文」(1月29日)の中で、「仮に本件訴訟で国が勝ったとしても、さらに今後、埋立承認の撤回がされたり、設計変更に伴う変更承認が必要となったりすることが予想され…それらでも勝ち続ける保証はない」と本音を漏らしていました。

 埋め立て承認の「撤回」こそが、辺野古新基地阻止のカギを握っているのです。


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