真夏の夜の夢

現実と夢と真実と・・・ 
目に見える現実と目に見えない真実の交差点。

靖国神社に行ってみた・・・

2016-12-31 17:40:04 | Weblog

秋のある日、靖国神社に行ってみた。 イチョウが黄葉していてとてもきれいだった。 

人を威圧する巨大な鳥居をくぐると、雲を突くように高い「大村益次郎」の銅像が目に入る。 靖国神社の設立に尽力した人らしいのだが、なぜか本殿におしりを向けている・・・ 失礼じゃないのか? あるいは、自分は神である、ということか? 

ちょっとした違和感にとらわれつつ本殿へ。 みんなと一緒に参拝をしたあと、今なお軍国主義の雰囲気漂う遊就館を抜け、紅葉がきれいな庭園の方に行った。 そこからさらに迂回する道が続いている。 誰もいない、陽もささないちょっと暗い道。 

そこには、沢山の木々が植えられていた。 木には白いプラスチックのカードがつけられていて、かつての日本軍の様々な部隊、グループの人たちが献木したものらしい。 正式な日本軍の部隊名を書いているものもあれば、アジアでの現地徴兵された人たちのものもあった。 出陣前夜の短歌を記した札も。

 おそらくは、「靖国で会おう」と決戦の地に赴き、幸いにも生き残った人たちが、仲間を想って献木したのだろう。 戦争で亡くなった仲間を「供養する」という意味合いもあるだろうし、戦場での苦しい日々を共有した仲間達との思い出として、そうしたのかもしれない。 

靖国神社は「悪しき日本軍の記憶」の象徴としてとらえられており、私も同様の見方をしていた。 しかし、その人知れぬ道にある無数の木々が語るものはそれとは違ったものだった。 そこには、家族を想い、仲間を思いやる、普通の人々がいた。 彼らは、戦争という悲惨な体験を必死で生きたのだ。 彼らを日本軍の一員として「悪人」としてくくることはできない。 彼らは戦争の犠牲者なのだ、と実感した。 彼らがひたすら哀れだった。

そういう風に見れば、毎年終戦記念日の8月15日に靖国神社に集まる多くの人たちを非難することなどとうていできない。 政治家であっても、個人として考えれば、犠牲者への追悼、という意味では、正しい行為と言えるかもしれない。 

しかし、靖国神社はそういう優しい存在ではないだろう、と我に返る。 

靖国神社のどこを探しても、彼らを戦死させてしまったことを悔いるというメッセージはない。 本殿の脇には、「彼らは国家のため、家族のため自ら犠牲になった」といった顕彰の碑があるだけ。 何の脈絡もなく東京裁判のパール判事の肖像があったりする。 彼は東京裁判で唯一日本は無実であると主張した、と記されている。 これでは、単に日本が正しかったといっているだけだ。 彼の深い意識には思い至るすべもない。 遊就館は、「かっこいい」零戦や機関車、大砲を展示し、自らを省みず戦争に尽くした軍属たちを紹介していた。 ストーリーは多分に美化されていて、どんな悲惨な状態にあっても国を賛美して犠牲になったというもの。 ここでも、彼らを想い哀れな気持ちになった。 

靖国神社は護国のためなら戦争を省みない(=賛美する)存在なのだ、ということを思いが至る。

戦後、日本は不戦を宣言して平和国家となった。 それにもかかわらず、靖国神社だけはそういう存在ではないのだ。そこかしこに、戦争賛美の残滓を漂わせている。 無意識に、とは言えない・・・ 表面的にはどうあれ、実質的には戦死者を追悼することを目指した施設ではないのだ。 だから、純粋に戦死者を追悼するために、靖国神社に参拝する人たちが、軍国主義を標榜するとして非難されたりする・・・

この際靖国神社の意味もなく大きな鳥居は壊して、広島の戦没者慰霊碑のように「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」といった文言の記載された碑と、反戦の観点から再構成した「太平洋戦争記念館」を建てたらどうだろうか。 靖国神社という「戦争賛美、戦争浄化装置」を丸ごと過去の遺跡として葬ってしまい、不戦を誓うのだ。

なんだかすっきりしない靖国問題が、これで解決するような気がするんだけど・・・ 

これができない理由は何? 靖国神社が既得権益を主張しているのか?? あるいは、実は、日本は平和国家ではないとか・・・まさか!!