真夏の夜の夢

現実と夢と真実と・・・ 
目に見える現実と目に見えない真実の交差点。

金融って不思議だね・・・ でも、その真の姿をきちんと見据えなくちゃね!

2013-01-31 22:40:31 | Weblog

自民党に政権が交代してから1ヶ月半。 経済政策に力を入れる、と宣言しているものの、実態経済に変化はほとんどない。 それなのに株価は20%以上上昇し、円も20%近く下落した。 人々の期待感だけで、ここまで変動している。不思議だよね・・・

株を買いたい人が多いから株価が上昇する、つまり先行き経済が好転し、企業の利潤も上昇すると思う人が多いから、株を今のうちに買おうとする。 株の上昇はそれでわかるのだけれど、円の下落がよくわからぬ・・・ 海外からの投資が増えているということなので、外貨を円に換えて日本株を買うわけだから、円高になっていいはずなのにそうならない・・・ この不思議な現象は、株安で円高という、つい最近の現象でも存在していた・・・ 裁定取引?とかいろいろ複雑な取引が裏で行われている(といっても認められた取引)かららしい・・・ このあたり、私はほとんどわからないけれど、きちんと理解している人ってかなり少ないんじゃないかな、と思う。

海外投資家が外貨で日本株を買っているとすると、少し前の日本株と今の日本株とその価値はそれほど変わらないんじゃないかな? 為替と株価の変動率がお互いに相殺しあって、結局、外貨での価値は同じと言うことが起きているんじゃないかと思う。 もし、為替を自由に操作することができたとすると、海外から損をせずに株価も操作できるわけだ。 

あれっ? 海外から円安に乗じてどんどん株を購入して株価がつりあがったとする。 で、今度は株安になっていくとする。 これと同時に円高になっていけば、海外の人はそのとき売ったとしても損はほとんど発生しない。 損を被るのは、国内で投資した人・・・ あれれっ? もしかするとこれって国内の個人投資家の金融残高1,500兆円を吸い上げているわけ? 誰が? 結局、国内の金融機関か??? 

ふと、イギリスの銀行が為替レートをねつ造してた、っていうニュースを思い出したりして・・・ そんな大規模なねつ造がどうやったら可能なのか、よくわからないけど。

金融って、本当に不思議な世界だと思う。 最近スイスのファンドマネージャー事件が話題になってるけど、彼はファンドマネージャーとして膨大な富を築いていたらしい。 サラリーマンや普通の社長で達成できないような額だろう・・・ 金融という、お金の流れを調整しているだけで、それだけの富が稼げるというのが、不思議だよね。 なんだか、まっとうな世界ではないような気がするよ。 金融=投機なのか?

また、凡人のあずかり知らぬどこかで、誰にもわからないような高度なレベルで、何らかの偽造や搾取がおこなわれているような気もする。

そういえば、先日ニューヨークタイムズの社外取締役になった伊藤穰一氏(デジタルメディア革命の旗手!)が、こういっていた(日経新聞より)。 

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――持続可能な成長モデルを模索するのに新聞社に与えられた猶予は。

 「5年以内だと思う。民主主義がダメージを受ける可能性があるからだ。すでにその兆候は出始めている。米国の政治に対するマネーの影響力は増大しており、政府も企業も腐敗が深刻になっている。国民が行動を起こせるようなかたちで、事実をきちんと伝える役割を守ることが重要だ」

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彼は金融の世界を批判しているわけではないけれど、マネーと政治の関係を危険視している。 そのために、新聞という,古いけれど大きな可能性を秘めたメディアを進化させて活用しようとしている。 特にニューヨークタイムズは、政治家たちも容赦なく批判する「意志」を持った新聞社。これを新しい時代のメディアに適合させ、社会を変えていこうということなのだろう。

私たちも、金融、マネーというものを「難しい」として敬遠することなく、真剣にとらえ、批判する気概を持つべきなのだろう、と思う。


オリンピックとSANAA、そして村上春樹 - 権力から遠く離れて

2013-01-20 17:06:56 | Weblog

たまたまSANAAを紹介する番組をテレビでやっていた。

SANAAは妹島和代と西沢立衛による建築ユニット。 彼らの建築は、周囲の環境に調和し溶け込むように存在する。 人々が自然の中でのびのびと存在し生活する、そういうイメージを表している。 

最近開館したルーブル美術館のランス別館は彼らが設計した。 アルミとガラスを多用した外観は、青空と雲を写し、周囲の緑に溶け込む。室内は日差しにあふれ、建物の中にいながら草原の風を感じることができそう。 ロレックスの研修センターも、緩やかな起伏のある床にはゆったりできる椅子がたくさんあり、ガラス窓の向こうは日の光があふれている。

そのSANAAが国立競技場の設計プランに応募していたらしい。 2020年の東京オリンピックが実現すれば、そのメイン会場となる建物だ。 ライバルはザヒ・ハディド。 未来都市のような流線型の建物が存在感をアピールしている。 一方で、SANNAの設計は、緩やかな天井、外とつながる空間を演出する。 http://www.jpnsport.com/

結果は、ザヒ・ハディド。 SANAAは入賞で終わった。 ハディド建築の他を圧倒する存在感が勝利した。

結果を聞いてふと思った。 SANAAの建築は、オリンピックという「国家掲揚プロジェクト」には似つかわしくないと・・・ 誰もが一位になるために必死に戦う。 その背後には国家のサポートがあり、国民は彼らを熱烈に応援する。 金メダルを獲得した選手は国家的なヒーローとしてマスコミからもてはやされる。 そんな雰囲気から最も遠いのがSANAAの建築と、その目指す世界ではないか。 いわゆる中央集中的なもの、国家掲揚的なものからは、遠く離れた存在なのだ・・・

そして、また、村上春樹の「シドニー!」という小説(エッセイ)を思い出した。 これはシドニーオリンピックの取材記。 彼もまたオリンピックは大嫌い! 開会式なんてくだらない、と切り捨てる。 それでも、取材をしないかと誘われシドニーに行った。 彼がみたのは、いわゆる日本人選手の試合でもなく、たくさんの国の人たちが必死で自分の限界に挑戦し熱くなって戦っている姿だった。 いわゆる世界のトップにまで遠く及ばない人たちも、全力を尽くして無心に戦っていた。 そういうたくさんの試合。 テレビやマスコミがまったく注目しない試合。 そうした無数の試合が存在し、人々がいることに彼は感動してすがすがしさを感じた、といっている。 オリンピックの全く違う姿に感激したと。

でも、オリンピックはもともとそういう存在だったのではないか・・・ 

もしも、オリンピックがそうした姿を取り戻すなら、その会場こそSANAAの建築がよく似合うだろう。 熱くなって戦い全力を出し切った彼らがお互いを祝福するとき、SANAAの建築はさわやかな風を送るに違いない。 その風は観衆にも吹き渡り、そして人々の間に静かに広がっていく・・・

SANAAの建築は、オリンピックのあり方に、また「国家」に象徴される一つのあり方に一石を投じたような気がしてならない。 でも、その審査員の誰もがその意味に気がつかっなかった。 それはとっても残念なことだと思う。

SANAAの妹島さんは、涙をぬぐっていたけれど、悲しむことはない・・・ いつの日か、この敗北が新たな飛躍へのステップであったと語られることだろう。