福島第一原発所長の吉田さんが入院したというニュースが流れた。
もしや白血病では、と勘ぐる向きもあるけど、病名が発表されていないので真相はわからない。 でも、もし放射能関係の病気なら公表すると政府は発表しているので、とりあえずはそれを信じるしかないかな。
といったところで、前から気になっていたことを思い出した。
3月12日一号機の状況が悪化し、一刻も早いベントが必要となった。 政府がベントを指示したにも関わらず、なかなか実行されなかった。 この遅れについて、政府と現場の責任のなすりあいがあったが、実際には現場でベントをしようにもなかなかできなかった、というのが現実のようだ。
現場では原子炉の圧力がどんどんあがっていくにも関わらずベントはうまくいかず、一時は吉田所長もこれで最後かと悲観的になった。 彼は、現場から待避したい人は待避していい、という指示も出したらしい。 しかし、その後、ベントも成功し、なんとかなったということだ。 しかし、この間の事情について、何が起きてどのような対策をしたのか、きちんとした説明はなされていない。
ベントについて言えば、通常はリモートであけられるのに、(電力がないため?)動かなかった。 で、やむを得ず、手動でやらざるを得なかったらしい。 この「手動」の手順はよくわからないのだけれど、いずれにせよ、あの原子炉の格納容器の間近まで人が行って、弁を開ける訳だよね。 となると、そこに行った人はものすごい量の放射能をあびたことになる。
その人(たち)は大丈夫だったのか、そして今どうしているのだろうか・・・とずっと気になっている。
誰が決死の覚悟でベントをやるために原子炉に近づいたのか・・・ たぶん責任感が強く原子炉に詳しい誰か、だ。 それが吉田所長・・・ というのは、私の勝手な妄想だけれど・・・
あのとき原発の近くにいて決死の覚悟で対応を行っていた人たち。 彼らがまったく健康に生活していると確認されて、初めて福島原発事故は収束した、といえるのではないだろうか。 そして、何よりもそれを第一に考えなければいけないと思う。