真夏の夜の夢

現実と夢と真実と・・・ 
目に見える現実と目に見えない真実の交差点。

「永遠の0」は反戦映画ではない・・・と思う・・・ (ネタバレあり)

2014-09-15 23:03:01 | Weblog
遅ればせながら「永遠の0」をビデオで見た。 原作も200万部を超えるヒット、映画も大盛況だったそうだ。
みんな戦争の悲惨さとそれに立ち向かう主人公に涙した・・・らしい。 
私もその一人ではあるのだけれど、よく考えるとこの映画って反戦映画ではないな、と。
 
それがなぜかを考えてみた。 ここから映画の内容を書いてしまうので、まだ見てない人は読まない方がいいです。
 
彼は自分が死ぬのは怖くない、ただ家族を守ってあげられる人がいなくなるのが怖いのだ。
だから、空中戦でも戦闘を回避する。 これによって戦死する仲間をどう考えているんだ、という突っ込みはさておき。
 
特攻隊の訓練教員になったあとも、無益な戦争で無意味な死をさけるため合格させない。そして、生徒たちをかばう。
それでも、狂気に包まれた日本軍は破滅への道をたどる。そして彼自身も自ら特攻に志願する。 狂気のなせる技だ。
 
彼は、最後の一瞬に自分が助かるチャンスを見いだす。でも、それを後輩に譲り、彼自身は敵艦に突っ込んでいくのだ。
後輩そして彼を崇拝する人たちは、その後必死で彼の家族を守り抜く。
彼は死んだけれど、彼の心は家族を守ったのだ・・・
 
途中、彼が部下を無意味な戦闘から守ろうとする部分があり、上層部と対立したりするので、反戦映画と思われるが・・・
 
でも、最後の彼の心境、まだ若い後輩に家族の未来をたくして、自らは死んでいく、という構図は、まさに戦争賛美ではないか・・・
家族=国民を守るため、自分が犠牲になる、ということ。 
非常に美しい自己犠牲の精神だ。 かつての日本軍が標榜した精神。
 
こういうのって危険だよね・・・ 自己犠牲という崇高な行為の前に、戦争の不当さ、軍部の狂気といった醜い部分がすべて隠されてしまう。
それはだめだよ・・・ そんな描き方をしてはいけない。 そんな終わり方をしてはいけないよ・・・
特攻隊員の死は美しかったけれど、汚泥の中に沈んでいこうとする白い花のようなものだ。
白い花を描くことは、カタストロフィーにはなるけれど、それ以上ではない。 それを飲み込もうとする汚泥を真っ正面から捉えて描かなくては。
そんな視点はこの映画にはない、と思う。
 
原作者の百田さんは、憲法改正派であり軍隊を持つべきだと主張しているようなので、まさにそうありなんと思った。
自国を守る軍隊の存在は確かに正論かもしれないが、軍隊が存在して活動し始めた瞬間、殺戮の狂気への道に至るのだ。 そうならない軍隊なぞ存在しない。 
日本は非常に曖昧ながら、米軍を駐留させたり、自衛隊という煮え切らないものをつくってお茶を濁しているのだ。
結果として、戦争には巻き込まれなず、誰も狂気に翻弄されることなく、戦死者を出すこともなく70年が過ぎた。 
それはまるでかっこわるいことかもしれないけれど、すばらしいことだと思うよね。
百田さんはこのあたりをどう考えているのだろうか・・・
 
うまく言えないけれど、こういう映画を美しいといって多くの人が涙し大ヒットする世界って、なんだか恐ろしい感じがする。
知らない間に人々が洗脳されてるような・・・ まずいまずい。
こういう時代だからこそ、ぶれない批判精神を持ち続けなければ!