読み手としての感覚で言うと、部分表示が中心になっているブログは、わたしはあまり好きではありません。理由は閲覧がめんどくさいから。ひとつの記事だけを読む場合にはそれでいいんです、ただしその記事から興味を惹かれてトップに行って、並んだ記事が全て部分表示の場合、あくまでもわたしは、ですが、次の記事を読む気が減少します。
部分表示はいちいち記事を開けて読まなきゃならない。ブログ自体か軽いとこならいいのですが、ぎっしりと画像だの情報だの詰まったブログや、背景に画像を使ったブログはその、記事を開くときにいちいち開く時間を待たされる。また、待たされるというほどの時間がかからなくても、メニューだのなんだのといちいち表示されていく動きがなんというか「目にうるさい」。特にアク解の忍者ツールを使っている場合、ちらちらと画面の端で動きながら出てくる小さな手裏剣がいちいち出てくることがまた「目にうるさい」。開いた記事に対しては、そうした持たされる感覚分の期待をしますから、あまり満足できなかった場合、全文表示のブログを閲覧したときよりも、勝手ながら不満度は上がります。そしてそうしたストレスを数回持たされた経験のストレス感は、実に勝手ながら、次に全記事部分表示のブログと出会ったときにスライドされてもいきます。
全記事部分表示を選択しているブログに関しては、わたしは、こうしたストレス感を軽減させるために、カテゴリの充実と、検索窓の設定を是非、と思います。
例外は、すでに巡回リストに入っているブログ、RSSリーダーで全文が読めるブログです。
すでに巡回リストに入っているブログは、部分表示だけでその全文表示を開くかどうかの「心理的敷居」は低くなっていますし、巡回リストに入れただけの「信頼感」は持っています。また巡回リストに入っているブログの場合は、過去記事をいくつかまとめて読むということもなく、部分表示を開くという回数が一度だけなので、たいした手間とも思わず、日常の「そこのブログではそう」的な解釈のひとつとして定着。ただし、自分が出会った以前の過去記事を読もうという気になったときに、「いちいち部分表示を開いて読まなきゃならない」という心理的な圧迫感を持つ要素はあります。わたしは過去記事に関しては、全文表示が中心のところの方がよく開く機会が多いです。
RSSリーダーで全文が読めるブログの場合は、本文だけが全文表示されますので、メニュー画面や背景画像の表示速度などが全く関係なく全文を開くことができます。ただし、過去記事に興味を持ったときに、RSS取得以前のリーダーでは読めない記事に関しては、上記と同様です。
わたしはgooを開いた時点で、ブログというものはこういうものかと、たいして考えもせずに全記事部分表示を選んでいました。その後、全記事全文表示に変更。ひとつひとつの記事を開く回数分のページビュー数を失い、ページビュー数は一時的にがくっと落ちましたが、その後、またじわじわと上がり始めました。これは、該当記事以外のページを開く回数、つまり「ついでに過去記事を開いていく」アクセスが増えていったことを表していると解釈していますが真偽のほどはわかりません。尚、ピックアップ記事をトップにあげたのは、その後です。
gooは全記事部分表示か全記事全文表示か、の二者択一しかできません。しかし他のサービスでは記事によって部分表示か全文表示か選ぶことができるものがあります。こうしたところに関しての部分表示は、部分表示にしたことに関しての「書き手の意志」を推測しながら開くということがあり、それはそれで楽しいです。
*追記:興味深かったので、リンク
・ページの見易さと書き手の意図/やっぱり本が好き
・■[ネット]ブログ閲覧時の「部分表示と全文表示」 [S嬢のPC日記]/明日は明日の風が吹く
部分表示はいちいち記事を開けて読まなきゃならない。ブログ自体か軽いとこならいいのですが、ぎっしりと画像だの情報だの詰まったブログや、背景に画像を使ったブログはその、記事を開くときにいちいち開く時間を待たされる。また、待たされるというほどの時間がかからなくても、メニューだのなんだのといちいち表示されていく動きがなんというか「目にうるさい」。特にアク解の忍者ツールを使っている場合、ちらちらと画面の端で動きながら出てくる小さな手裏剣がいちいち出てくることがまた「目にうるさい」。開いた記事に対しては、そうした持たされる感覚分の期待をしますから、あまり満足できなかった場合、全文表示のブログを閲覧したときよりも、勝手ながら不満度は上がります。そしてそうしたストレスを数回持たされた経験のストレス感は、実に勝手ながら、次に全記事部分表示のブログと出会ったときにスライドされてもいきます。
全記事部分表示を選択しているブログに関しては、わたしは、こうしたストレス感を軽減させるために、カテゴリの充実と、検索窓の設定を是非、と思います。
例外は、すでに巡回リストに入っているブログ、RSSリーダーで全文が読めるブログです。
すでに巡回リストに入っているブログは、部分表示だけでその全文表示を開くかどうかの「心理的敷居」は低くなっていますし、巡回リストに入れただけの「信頼感」は持っています。また巡回リストに入っているブログの場合は、過去記事をいくつかまとめて読むということもなく、部分表示を開くという回数が一度だけなので、たいした手間とも思わず、日常の「そこのブログではそう」的な解釈のひとつとして定着。ただし、自分が出会った以前の過去記事を読もうという気になったときに、「いちいち部分表示を開いて読まなきゃならない」という心理的な圧迫感を持つ要素はあります。わたしは過去記事に関しては、全文表示が中心のところの方がよく開く機会が多いです。
RSSリーダーで全文が読めるブログの場合は、本文だけが全文表示されますので、メニュー画面や背景画像の表示速度などが全く関係なく全文を開くことができます。ただし、過去記事に興味を持ったときに、RSS取得以前のリーダーでは読めない記事に関しては、上記と同様です。
わたしはgooを開いた時点で、ブログというものはこういうものかと、たいして考えもせずに全記事部分表示を選んでいました。その後、全記事全文表示に変更。ひとつひとつの記事を開く回数分のページビュー数を失い、ページビュー数は一時的にがくっと落ちましたが、その後、またじわじわと上がり始めました。これは、該当記事以外のページを開く回数、つまり「ついでに過去記事を開いていく」アクセスが増えていったことを表していると解釈していますが真偽のほどはわかりません。尚、ピックアップ記事をトップにあげたのは、その後です。
gooは全記事部分表示か全記事全文表示か、の二者択一しかできません。しかし他のサービスでは記事によって部分表示か全文表示か選ぶことができるものがあります。こうしたところに関しての部分表示は、部分表示にしたことに関しての「書き手の意志」を推測しながら開くということがあり、それはそれで楽しいです。
*追記:興味深かったので、リンク
・ページの見易さと書き手の意図/やっぱり本が好き
・■[ネット]ブログ閲覧時の「部分表示と全文表示」 [S嬢のPC日記]/明日は明日の風が吹く
僕自身はというとむしろSさんと逆で、部分表示で区切ってくれているブログの方が好きですね。見た目がコンパクトだし、すっきりしていると好感が持てます。
しかし、こう感じるのは、自分がタブ・ブラウザを使っているからかもしれないなぁとも思います。
実際、自分のブログはそれなりに見やすいように工夫をしているつもりですが、考えてみたら、自分のPC環境において閲覧しやすいからといって、他の環境の方が見やすいとは限らないのですね。
とにかく、どんなスタイルを採用するにせよ、やはり読み手の便宜をはかったレイアウトを工夫するのが大切なんだろうなぁとこのエントリーを見てつくづく反省しました。
僕は、トップページに出てくる最初の数個の記事のみ全文表示にして、古くなったら随時、部分表示にしてます。
あと、ガチャガチャブログをたまに使用するんですが、スクロールしなければ最初の記事にたどり着けないブログも、読みません。タイトルにやたらでかい画像使ってるとことか。
だからSさんの「トップにピックアップを掲載する」っていうのは、僕自身はあまりいい手だとは思わないのです。閲覧者によるとは思うんですが。
部分表示にした方が記事単体のアクセスがはっきり分かるから
変更しようかな?とアドバンスにした頃に思いましたが
見る人が面倒かな?と思い現行のままにしてあります。
あと私は本文の頭にimgタグなどを入れているので、部分表示にすると
文章の出だしがほとんど出ないで「続きを読む」に
なってしまい、見に来ていただいた方に対して不便かなぁ、と
思って部分表示にしなかった、というのもあります。
> カテゴリの充実と、検索窓の設定を是非
私もそう思います。
デフォルトだと検索窓が結構下~の方だったので
使いやすいようにカスタマイズして上にもってきました。
あと私もトップにピックアップを持って来ようと
思っていたのですが、ずいっと下にスクロールするのも
極力手間を省こうと思ってサイドバーに入れました。
それでは、失礼しました。
また、アクセス解析を見たところ、「天竺堂通信」の読者は、コンスタントにアクセスする“常連さん”より、サーチエンジン経由でたまたま立ち寄った“一見さん”の方が多いことが分かりました。
一見さんはキーワードに関連する記事だけを読みに来る訳ですが、私としては、そこで“よそ見”をして他の記事も読んでもらい、あわよくば常連さんになってほしい。ですから、記事前文をトピック的に閲覧できるようにすれば、他の記事を目にする機会が増える…とも考えました。
ついでに。
日記でないブログの場合、カレンダーとか、月ごとのアーカイブから閲覧をする読者は、ほとんどいないのではないかと思います。よほどブロガー個人に興味を持たない限り。
自己主張とかレビューとかギャグネタとか…記録継続より内容自体を重視するブログなら、“目次”の役割を果たすカテゴリアーカイブを上部に据えた方が、リーダビリティが高くなるのではないでしょうか?
サービスの特性なんぞが影響しつつ。
>クリックよりも縦スクロールの方にストレスを感じます(ホイール付きのマウスを使っていても)。
なるほど。
と思いつつ、いや、真面目に申し訳ない。
縦スクロールストレス層が存在する中で、わたしはこのストレスに関しては、あまり無いんですよね。
だから自分のところは、この縦スクロールの必要が満載になってしまう。
でも結局は、自分に合わせる。だから申し訳ないってことになっちゃいますね、ごめんなさい。
このコメント欄は、縦スクロールが少なくて済むよう、以下、直アドレスで読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/cmt/e31eba957defa91a1a8a8dfdd1b575e7
寝太郎さんのところは、カテゴリクリックでトップに一覧が出る。
コレ、おもしろいですよね、そしてわたしにはとても見やすい。
背景や文字色等も、わたし個人にはとても見やすいです。
寝太郎さんのところの、わたしの「お薦め」は、「自伝的・出会った人々・思い出など」カテゴリです。特に「Mrs P. 」はイチオシ。すばらしい。
>LSTYさま
初めて見に行ったのは、ずいぶん前だと思う、確かむだづかいのトラックバック経由だったような。
なんだか魔除けのような、ちょっと怖い顔画像に怖れをなして早々に退散したのが最初。
だって、アレ怖いんだもの。
実はナイショの話だが、コメント欄にたこぽんを見つけてほっとしてコメント入れたのが最初だったような。
わたし、たこぽんになついてますので。
数ヶ月の変遷を経て、実はわたしはライブドアを読破してます。
初期へろへろが好きだ、わたしは。
ってことで、自分が好きなものを見つけると、結局体裁はなんでもよくなるというお話。
トップにピックアップ記事の欠点は、実は自覚。
あのね、本当は、メニューを全部順番入れ替えたいの。
でもね、できないの。
CSSいじって、略センセに手を入れてもらって、やっとこ作ったこのテンプレ。
アレンジで手を入れて、せっかく略センセにきれいにしてもらったのが壊れそうなのが怖いの。
がんばって、やってみようとgooの解説ページを読みまくったこともあったんだけど、逃避してるの。
で、なんもできんフリして、ピックアップ記事の欠点に目を伏せてるの、ああ、情けないねえ。
>USHIZOさま
全文表示でも、記事単体のアクセス数、出ますよね。
カテゴリアクセスや、月アドレスのアクセス数も出る。
過去記事をまとめ読みしている人の存在に気づきやすいですよね、gooの全文表示、アドバンス利用。
gooだと、検索窓使ったときに、部分表示は閲覧が不便なんですよね。
例えばUSHIZOさんのところで「QUEEN」と検索窓に入れる。
全文表示だと、該当記事が全部出てきて、そこで全部読める。
でも部分表示だと、一個開いてその記事読んで、バックボタンで戻ると、検索状態は解除。
また検索窓に「QUEEN」と、入れ直さなきゃならなくなるんですよね。
これがヒジョーに、わたしは、めんどくさい。
まあ、自分の記憶を頼りに、人んち行って過去記事検索やることが多いってことなんですよね。
わたしの行動パターンにおいて出てくることかもしれない。
>天竺堂さま
「弱者」の記事のコメントを入れなかったのは、いや、コメ入れが遅くなったのは、実は天竺堂通信のトップに表示される情報の多さに、目がくらくらしたからなんです。
わたしは初コメント入れは、たいがい、かなり過去記事をチェックするんですよね。
それが、ちょっと目がきつくて、躊躇してしまった。
天竺堂通信は、縦スクロールがきつい。メニューに情報が入り過ぎなのか、スクロール時に文字がちらちらと動くんですよね。
そのブログの持つ「景色」に慣れる、ってのもあると思うんです、少なくともわたしにはその時間が必要だった。
そしてその慣れを身につけても、天竺堂さんのところは読む価値のある文章が満載だと、わたしは思っています。
最近は、RSSで読むことが多いです。
個人的には、アーカイブ記事、もっと希望。
それと、ブログ内検索窓、希望。
もう既に、自分でも読む気しないのに、、、ありがとうございます。
「過去」記事だからでしょう、多分ね。
書き手にとっては「過去」でも、閲覧者にとって読むのが「今」だと、それは「過去記事」にはならない。
そんな要素はあると思う。
先日、「明けぬ世の夢」のののかさんのはてなダイアリーのコメント欄に、ある方の「過去」記事のブログのアドレスを入れました。
ある方の「過去」記事が、現在の誰かの「今」を動かす小さな要素になっていくことがある。
これがネットに残っていくものの、おもしろいところかもしれないと思う。
閲覧できる状態になっているってことは、本人の手を離れて「生きてる」んですよね。
LSTYさんのライブドアの「過去」記事には、わたしは感性として好きなのがいっぱいあるんだけど、パブリックのブクマはしない。
それは、本人にとっての「過去」記事であることに対しての、尊重のようなものです。
っつ~ことで、記憶に入れてる「心のブクマ」。
もう動かさない場所ということで、閉鎖を考えるときがあったら教えてね、個人で保存するから。
なので、部分表示でも全文表示でもどっちでもいいかな?って何とも身も蓋も無いコメントですが。
アドバンスな方々は、アクセス解析でどの記事が読まれるかが分りやすいので、部分表示がいいのかなと思ったり。でも、オレ自身が自分のブログを読むとき、部分表示だと鬱陶しいと感じた(以前実験してみた)ので、全文表示にしてます。
ワンクリックの重みってのは意外とあるので、そのワンクリックで自分の記事が読んでもらえなかったら、と考えると、自分が読まれた数を知るよりも、簡単に読ませることを選びたいですね。
新規のブログ閲覧の場合、斜め読みが多いから、部分表示より全文表示のほうが読む記事数は多いですね。
同意。
>自分が読まれた数を知るよりも、簡単に読ませることを選びたいですね。
同意。
>新規のブログ閲覧の場合、斜め読みが多いから、部分表示より全文表示のほうが読む記事数は多いですね。
同意。
って、終わっちゃうじゃん。
えっけん氏がはてダ越後屋でネタ予告してる。
http://d.hatena.ne.jp/ekken/20060112/p1
コレがちょっと楽しみ。
アドバンスなワタクシ。アドバンスでのアク解のページ別アクセス数は、検索でアクセスっていう「代表的な記事」がだいたいわかる。
もう一年近くの間、「たったひとつのたからもの」と「V602SH」は、ずっとこの欄の上位定番。
他は、その時期の最近でニュースサイト被リンクがあった記事か、はてブで取り上げられたもの。
それとコメントがついた記事、かな。
あとはちょろちょろっとあって、それからカテゴリアドレスか月アドレス。
このパターンが多いかな。