後に、バブル崩壊の年と言われた1991年の春、セローを手放し「ホンダ JADE」に乗り替えた。
買った店は、以後ずっと付き合うことになる赤穂の「てんとうむし」というバイク屋だ。
JADEは、当時「ネイキッド」と称して人気が回復し始めた普通のスポーツバイクの中にあって、250クラスでは一番落ち着いた(と見える)バイクだった。
水冷4気筒、カムギアトレーンDOHCとCBR譲りの高回転エンジンは、軽い吹き上がりであっという間に1万数千rpmまで回るし、アイドリングに近い低速でも4気筒らしくスムーズに回った。反面、一般道での流す走りでも5~7千rpm回っており、忙しなく感じた。また、発進で油断するとすぐエンストした。低速トルクが無いのではなく、フライホールが軽いのだろう。
車体はちょうど良いサイズで、街乗りからロングツーリングまで何処に行くにも過不足は無かった。
JADEでは遠くへツーリングに行った。四国、九州、そして北海道へも行った。
北海道ツーリング
この頃に揃えたバイクウェア類は良いものが多く、十数年たった今でも使っているものがある。春秋用グローブ、ショートブーツ、冬用ジャケットなどだ。さすがにくたびれてきており買い替えの時期だが、通勤程度にはまだまだ使える。
ツーリングに行く機会が増えると、JADEというより250ccの不満が出てきた。
パワーは充分でも、常に高回転で回っているエンジンは体感的に疲れる。
軽量な車体は取り回しは良いが、長距離高速走行では疲れやすい。
なにより、三十路男が乗る唯一のバイクとしては少々見劣りがする。(大きい方が良いというミエがあった)
JADEに乗って僅か3年、より大きなバイクに乗り替える事を決めた。
1994年春の時点では、ヨーロッパでの評価が高かった「ヤマハ ディバージョン600」が第一候補であった。が、実際に買ったのはまったく別のバイクであった。
買った店は、以後ずっと付き合うことになる赤穂の「てんとうむし」というバイク屋だ。
JADEは、当時「ネイキッド」と称して人気が回復し始めた普通のスポーツバイクの中にあって、250クラスでは一番落ち着いた(と見える)バイクだった。
水冷4気筒、カムギアトレーンDOHCとCBR譲りの高回転エンジンは、軽い吹き上がりであっという間に1万数千rpmまで回るし、アイドリングに近い低速でも4気筒らしくスムーズに回った。反面、一般道での流す走りでも5~7千rpm回っており、忙しなく感じた。また、発進で油断するとすぐエンストした。低速トルクが無いのではなく、フライホールが軽いのだろう。
車体はちょうど良いサイズで、街乗りからロングツーリングまで何処に行くにも過不足は無かった。
JADEでは遠くへツーリングに行った。四国、九州、そして北海道へも行った。
北海道ツーリング
この頃に揃えたバイクウェア類は良いものが多く、十数年たった今でも使っているものがある。春秋用グローブ、ショートブーツ、冬用ジャケットなどだ。さすがにくたびれてきており買い替えの時期だが、通勤程度にはまだまだ使える。
ツーリングに行く機会が増えると、JADEというより250ccの不満が出てきた。
パワーは充分でも、常に高回転で回っているエンジンは体感的に疲れる。
軽量な車体は取り回しは良いが、長距離高速走行では疲れやすい。
なにより、三十路男が乗る唯一のバイクとしては少々見劣りがする。(大きい方が良いというミエがあった)
JADEに乗って僅か3年、より大きなバイクに乗り替える事を決めた。
1994年春の時点では、ヨーロッパでの評価が高かった「ヤマハ ディバージョン600」が第一候補であった。が、実際に買ったのはまったく別のバイクであった。