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不思議で美しいミクロの世界 (ジュリー・コカール)

2016-09-19 20:03:46 | 本と雑誌

  ちょうど直前に「細胞」の仕組みについての本を読んだばかりだったせいもあって、いつも行く図書館の新着本の棚で目に付いたので手に取ってみました。
 電子顕微鏡があきらかにするミクロの姿はその仕組みの神秘さに呼応した精緻さで、「人工の拙さ」を改めて感じさせます。

 本書は写真集なので、内容を紹介するのに説明文を引用してもあまり意味ないのですが、気になったコメントを2・3、書き留めておきます。
 まずは、「砂の粒」の写真の解説文。


(p175より引用) 砂は均一な物質ではなく、大量の石英や貝の破片、火山灰粒子、サンゴなどで構成されている。微細な砂の粒の大きさは50マイクロメートルから数ミリに過ぎないが、1粒ごとにストーリーをもっているのだ。


 「砂」といっても単一の鉱物ではありません。まさに海と陸とそこに住む生物の歴史の堆積だということですね。
 この砂の場合であれば100倍程度の倍率で一粒一粒の特徴を判別することができますが、細菌類や微細な寄生虫になると15,000~80,000倍程度に拡大しないと構造までは識別できません。そこまで拡大しても、生命体は精緻で複雑でかつ機能的な姿を現すのです。

 本書の監修者国立科学博物館館長林良博氏は巻頭でこう述べています。


(p2より引用) 研究者たちの基本的欲求は、もちろんミクロの世界を見ることによって新しい科学的な知見を得ることであった。・・・現代科学はミクロの世界の美術面よりも、そこから新しい技術が生まれることを求めている。近年注目されるようになったバイオミメティクス(生物模倣技術)は、生き物の機能や仕組みを模倣して、新たな技術の開発を模索している。・・・
 しかし、著者が一貫して読者に求めていること。それはかつての冒険家たちのように、際限のない好奇心のまなざしで本書を見てほしいということだ。


 著者のジュリー・コカール氏は、本書に収録された数々を写真を見ることによって、今まで考えたこともないような疑問とその答えのヒントが得られると語っています。


(p4より引用) あらゆる角度から顕微鏡で観察された地球は、ときに驚異的で魅力あふれる写真を通して、それらの秘密を教えてくれるはずだ。


 この「顕微鏡で観察された地球」という表現は印象に残りますね。確かにミクロの世界の集積が“地球”なんですね。

 

不思議で美しいミクロの世界
ジュリー・コカール
世界文化社
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見なかった見なかった (内館 牧子)

2016-09-11 21:51:57 | 本と雑誌

 変わったタイトルですが、脚本家・作家である内館牧子さんのエッセイ集です。
 内館さんには、今はなき赤坂プリンスホテルで20年ほど前にお目にかかったことがあります。ちょうどNHKの大河ドラマ「毛利元就」が放送されたころで、会社のイベントでの講演をお願いしたのですが、その折にご挨拶方々いろいろとお話を伺ったことが思い出されます。その後は、特に横綱審議委員としての言動が注目されるようになりましたね。

 このエッセイ集でも、歯切れのいい舌鋒鋭い切り込みが随所に見られます。
 その中から、強いてひとつだけとても印象に残ったくだりを書きとめておきます。

 フリースタイルスキー・モーグル上村愛子選手、自身3度目のオリンピックとなる2006年トリノオリンピックで5位入賞したとき、そのレース後の彼女のコメントを取り上げてこう内館さんは語っています。


(p158より引用) 「どうやったら、表彰台にあがれるんでしょうね。謎ですね」
 笑みを浮かべて、こう言うのを聞いた時、上村選手はおそらく、でき得る限りの努力を重ねてきたのだと思った。自分としては、為すべきことをすべて為し、言うなれば限界まで努力した。なのに、表彰台にあがれなかった。この短いコメントは、「選ばれた人」としても「選ばれた人の人間らしさ」という点でも、つくづくいいコメントだった。・・・無理をせず自然体をよしとして生きてきた「並みの人」には、持ち得ない美しさだろう。


 その後、上村選手はさらに2度のオリンピックに出場しています。
 2010年のバンクーバーオリンピックでは4位。その時は、
 「何で、こんなに一段一段なんだろうと思いましたけど……」と語り、2014年のソチオリンピックでもやはり4位、悲願のメダル獲得には惜しくも届きませんでした。しかし、その時の言葉もいいですね。
 「メダルは獲れなかったけど、すがすがしい気分。全力で滑れたことで点数見ずに泣いてました」
 「ソチを目指そうとした時、又(メダルが)取れないとか取れるとか、そういう場所に戻る自信は持てなかった。最高の滑りをしたら取れるかもという所まで来れたのが、凄く嬉しい」
 「今回の五輪は良い想い出で終われるんじゃないかと。メダルは無いんですけどね。そこは申し訳ないとしか言いようがないんですけど、頑張ってよかったなぁと思っています
 まさに“記憶に残る選手”だと思います。

 さて、本書、冒頭「変わったタイトル」と書きましたが、これは内館さん自身の発案とのこと、あとがきにこう綴っています。


(p261より引用) 本書のタイトル『見なかった見なかった』は、自戒をこめて私がつけました。そう、自分の考え方や感じ方に合わないからといって、怒ってもしょうがないのです。世の中にはたくさんの考え方があり、誰しもその考え方や感じ方が正しいと思っているでしょう。私自身がそうであるようにです。
 ならば、・・・これからは気を大きく広く豊かに持って、「見なかった見なかった」とやり過ごすことも覚えようと思いました。


 しかし、内館さんの場合、気になったことを“やり過ごす”ことができるとは到底思えません。今でもいつも自ら認めていらっしゃるように“怒りキャラ”であり続けていらっしゃることでしょう。

 

見なかった見なかった (幻冬舎文庫)
内館 牧子
幻冬舎
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国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (伊藤 祐靖)

2016-09-04 21:01:27 | 本と雑誌

 会社の同僚の方のお薦めで、お借りして読んでみました。
 著者の伊藤祐靖氏は元海自特殊部隊の小隊長。自らの実体験を踏まえての記述は、その主義主張の立ち位置如何に関わらずいろいろな面で興味深い内容でした。

 著者が「特殊部隊」創設の必要性を痛感したのは、能登半島沖日本海において北朝鮮の工作母船に遭遇したときの経験でした。著者が乗船していたイージス艦の隊員たちが、官邸から海上警備行動の発令にもとづき工作母船船内の立入検査に向かうことになりました。当然相手は武装しています。選抜された若い立入検査隊員を前にこう思ったと著者は記しています。


(p18より引用) 彼らを、政治家なんぞの命令で行かせたくない、と思った。・・・“わたくし”を捨てきった彼らを、それとは正反対の生き方をしているように見えてしまう政治家なんぞの命令で行かせたくなかったのだ。


 この能登半島沖不審船事件が契機となって海上自衛隊内に特殊部隊が作られました。まさにその事件当事者として部隊創設を訴えていた著者の理由はこうでした。


(p51より引用) あの日、我々は任務を完遂できる可能性がゼロなのを何人もの者が知っていながら、若者たちを工作母船の立入検査に投入しようとした。その当事者たる彼らは、すっきりと不思議な満足感に満ちた目で行こうとしていた。日本は、そういう目で死地に赴く若者を、二度と出してはならない。そのために特殊部隊は不可欠だった。


 論理構成・因果関係による具体的結論が「特殊部隊が不可欠」というところに至る点については、私として首肯できるものではないのですが、理不尽なことを許してはならないという著者の真摯な想いについては理解はできますね。

 特殊部隊創設の第一歩は「人集め」です。特殊部隊に配属された隊員は、自衛隊の中でもそれぞれの部隊で「浮いていた」人材でした。それ故、著者は人間関係においても厄介な状況になるであろうと覚悟していたのですが、隊員どおしのトラブルは皆無だったとのこと。この推定理由が面白いですね。


(p95より引用) 人間関係のトラブルというものは、意見の食い違いではなく、生きている目的の違いだったり、相手の真意を理解しようとしない態度から起きるのだろう。


 特に本ケースにおいては、共有していた「生きている目的」の深さが特殊だったのだと思います。

 さて本書は「特殊部隊」創設が主要テーマですが、その周辺系の記述でもとても興味を惹かれるくだりがありました。むしろそちらの方が多かったのですが、それらの中からいくつか書き留めておきます。

 まずは、著者が分析する海軍(海上自衛隊)と陸軍(陸上自衛隊)との文化の違いに言及しているところ。海軍は多くの者がひとつの乗り物に乗って戦闘をします。他方、陸軍は個人が歩いて戦闘する、このスタイルの違いがスタートです。


(p112より引用) ビークルコンバットにおける指揮官の存在意義は、戦闘中にある。それは、報告させて、自分が判断して、実施させるからである。
 一方、インディビジュアルコンバットにおける指揮官の存在意義は、戦闘前にある。それは、作戦の真の目的を理解させ、なぜこのような組織編制や任務分担にしたのか、なぜ、このような命令を出したのかを事前に理解させるからである。
 陸上自衛隊と共同訓練をした時、私に状況を聞いてきた高級幹部は一人もいなかった・・・
 「始まってしまったら、現場の指揮官に自由裁量の余地を少しでも多く与えること、現場指揮に専念できる環境を整えてやること、これが僕の仕事だからね」・・・
 これが文化の違いである。


 これはいろいろと考えさせられるコメントです。

 次に二つ目、言い様については気分的にいいものではありませんが、突いているポイントに関しては結構納得感がありました。


(p130より引用) 日本という国は、何に関してもトップのレベルに特出したものがない。ところが、どういうわけか、ボトムのレベルが他国に比べると非常に高い。優秀な人が多いのではなく、優秀じゃない人が極端に少ないのだ。・・・
 あくまで一般的傾向としてだが、軍隊には、その国の底辺に近いものが多く集まってくるものなのだ。・・・
 要するに戦争とは、その国の底辺と底辺が勝負するものなのである。だから、軍隊にとってボトムのレベルの高さというのは、重要なポイントなのである。・・・
 「最強の軍隊は、アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官」というジョークがあるが、なかなか頷ける話なのである。


 三つ目は、フィリピンで格闘技量を磨いていたときに気付いた「相手に勝つための方法」について。自分が闘いやすい環境下で闘うことが相手に勝つ確率を高めると考えるのが常人ですが、著者の考えは違います。


(p165より引用) 自分が能力を発揮できる環境ではなく、自分も発揮しにくいが、相手がさらに発揮しにくい環境を創出すべきなのである。なぜなら、相手の方が戦闘能力が高くとも、それを発揮しづらい状況に引きずり込んでしまえれば勝てるからだ。


 フィリピン時代、著者はこうした「闘いの本質」に触れるところで改めて自らの考え方の原点を再確認したようです。


(p171より引用) 我々は「できない」と簡単に口にしてしまうが、実は、できないのではなくて、できるのである。多くの場合は単に、そこまでしてやりたくないとか、そんなリスクを負うならやらないという話なのである。


 逆に言うと、「リスクを負いさえすれば『何でもできる』」のであり、「自らを犠牲にすれば闘いには勝てる」ということです。それを「勝ち」というのかはともかく、「闘い」とはそういうものだというのです。


(p173より引用) 「自分が大切だと決めたもののために何かを諦める」という極めてシンプルで当たり前のことだった。


 真剣に真摯に物事に取り組むとはこのことだったとの著者の言葉はとても印象的でした。

 さて本書、自分からは決して手にとることはなかった本ではありますが、それ故に予想外に面白い気付きをたくさん得ることができました。
 根っこの考え方の部分では、私として明確に共感しかねるところがあるのですが、それでも著者のメッセージの真剣さは十分伝わってきます。その点ではとても興味深い本でしたね。

 ちなみに、1945年9月2日、アメリカ海軍の戦艦ミズーリ艦上において、対連合国降伏文書への調印がなされ太平洋戦争は終結しました。8月6日広島へ原爆が投下された日から1か月間、毎年、戦争についていろいろと考える時間です。

 

国のために死ねるか 自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動 (文春新書)
伊藤 祐靖
文藝春秋
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