OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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井上ひさしの読書眼鏡 (井上 ひさし)

2013-05-30 23:52:27 | 本と雑誌

Hyokkori_hyoutan  いろいろな方の読書案内は、自分では気がつかないような本を知るよいきっかけになります。本書もそういった期待をもって手にとってみました。

 井上ひさし氏といえば、私の世代は「ひょっこりひょうたん島」の原作者という印象が強いですね。
 恥ずかしながら、氏の小説や戯曲は読んだことがありません。少し前に「この人から受け継ぐもの」という小文を読んだぐらいです。

 本書は、井上ひさし氏が読売新聞で連載していた読書エッセイ等を採録したものです。23ページで1冊の本を紹介しているのですが、その中からひとつ、心に留まったくだりを書き留めておきます。 

 山崎正和氏の「二十一世紀の遠景」をとりあげている章から。
 インターネットの普及等によって情報の入手が圧倒的に容易になっている昨今、“知者” について語っている部分です。

(p81より引用) 自分の知っていること、学んだこと、考えたことを、揉んで叩いて鍛えて編集し直して、もう一つも二つも上の「英知」を創り出すことのできる真の知者が、思いのほか少ないのでがっかりしてしまうのです。

 そういった中で、井上氏は、山崎正和氏こそ数少ない知者のひとりだと言い、「二十一世紀の遠景」からの一節を引いています。

(p83より引用) 〈情報や知恵とは違って、知識の有用性は避けがたく間接的です。今日は雨だという情報は直接に役に立ちますが、今年の雨量がなぜ多いかという知識は、すぐには役に立ちません。しかし、そうした一見無用な知識の有用性を忘れるようでは、人間の文明の将来は危ういというほかありません。〉

 この状況において山崎氏は、「たとえ明日世界が滅びるとしても、それでも今日、一本のリンゴの木を植える」という言葉をもって、知識を貴ぶことで将来を楽観視しようとしています。

(p84より引用) 筆者もまた、人間の現状に悲観しつつ地球の未来に一筋の光明を見る悲観的楽観主義者の一人なので、右の言葉がとても身にしみました。

 そして、その覚悟に井上氏も共鳴しているのです。
 

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池波正太郎の東京・下町を歩く (常盤 新平)

2013-05-27 23:23:49 | 本と雑誌

Sensouji_map  図書館の返却棚で目についた本です。

 池波正太郎さんの著作は、エッセイの方は何冊か読んだことがあるのですが、小説は一冊も読んでいません。
 本書は、池波作品にちなんだ東京下町ガイドなので、小説未読の私にとっては有難味半減ではありますが手に取ってみました。

 池波作品の舞台の中心のひとつは浅草界隈だったそうです。
 以前、私の伯父・伯母が本所吾妻橋に住んでいたので、学生時代までは浅草・吾妻橋あたりには時折行っていました。浅草から吾妻橋を渡ったところには佃煮の海老屋總本舗があって、ときどき買い物をしたのを覚えています。当時はまだ独特のデザインをしているアサヒビール吾妻橋ビルも建つ前でしたね。

 池波さんの小説「鬼平犯科帳」「剣客商売」などでは、当時の江戸の街割りをかなり正確に踏まえています。それゆえに、小説を頼りに町案内が書けるのですが、その中で紹介されている江戸四橋のひとつ「永代橋」について、「江戸名所図会」からの引用部分を書き留めておきます。

(p165より引用) 「東南は蒼き海に面し、房総の緑の山並ななめに開けたり。富士の白峰は御城の西にひときわ高く、筑波の遠峯は大川の水のかなたに朦朧と見ゆ。上野の山、金峰山浅草寺は緑樹のかげに見え隠れし、朱色の柱、青き屋根の色合まことによろしく、橋上の眺めはさながら夢の絵巻なり」

 こういった伸びやかで色彩鮮やかな風景が、当時の江戸では見られていたのですね。想像するだけでもわくわくします。

 池波ファンの方々にとってのもうひとつの楽しみは、本書で紹介されているお店でしょう。
 食通としても有名な池波さんですから、さすがにどれもちょっと気になります。機会を見つけて少しずつでも訪れてみたいですね。

 さて、名所案内とは別に、本書で紹介されている池波さんを語ったくだりの中で、興味を惹いたものをひとつ書きとめておきます。

(p73より引用) 池波さんは原稿用紙にはこだわっていました。紙の色を変えたり、マス目の大きさを変えたり。
〈『夜明けの星』のように主人公が女のときは赤い線のを使うとか。(略)『真田太平記』を書くときは、ちょっと灰色のものでやる、と〉『男の作法』
 この習慣は、同時に複数の小説を書き進める際の気分転換だったようです。

 いかにも小説家然とした池波さんらしい粋な姿です。
 

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「質問力」の教科書 (御厨 貴)

2013-05-24 22:38:17 | 本と雑誌

Jiji_hodan  著者の御厨貴氏は政治史学者ですが、オーラル・ヒストリーの専門家でもあります。その著者が「質問力」について語った本です。

 具体的な内容は、インタビューの質を向上させるためのTips集といった趣きです。

 たとえば、インタビューにあたっての「事前準備」について。

(p63より引用) 周到な準備は質問力に小さなフレームをはめ込むことになりかねない。

 もちろん事前に相手のこと(人柄・経歴・業績等)を調べておくことは大切です。ただ、それによって「相手のイメージ」を必要以上に固めてしまうことはインタビューに無用の予見・先入観を与えることになり、新鮮な発見を妨げる怖れがあるとの指摘です。

 もうひとつ、こちらからの質問に対して、相手が「無言」になった時の対応
 私のような素人は、「無言の間」に耐えられなくなって、つい、今までの話の要約を付言したり、「こういうことでしょうか」と相手の回答を促すようなフォローをしたりしてしまいます。

(p78より引用) 私は会話や取材のなかでの無言の間は、一種の神経戦のようなものだと思っている。質問者側がどれだけその沈黙に耐えられたかで、結果のよし悪しが決まる。楽になりたいからといって水面から顔を上げてしまっては負けである。

 最後まで、相手からの言葉を引き出す努力が重要だとの考えです。

 さて、本書ですが、マスメディア等への露出の多い御厨氏の著作ということで、その内容についてはかなり期待していました。が、読んでみてかなり想像していたものと大きなギャップがありましたね。

(p169より引用) 人間はデジタル的に0か1かで割り切れない生き物である。イエスとノーの間にグレーゾーンがあるのが人間の会話であり、そのグレーを掴む感性こそを磨くべきなのだ。質問力が最終的に必要とするのはこのような感性なのである。

 この著者のコメントはそのとおりだと思います。ただ、私も含めて読者は、まさにそこのところ、「感性の磨き方」を掘り下げて詳説して欲しいと考えているのです。

 このくだりの物足りなさでも分かるように、私としては、もう少し理屈っぽい解説を楽しみにしていたのですが・・・。
 自身の経験には即しているだけにある程度の具体性はあるものの、結局はインタビューにあたっての“How to本”に終始していたとの印象です。残念ですね。
 

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生物の世界 (今西 錦司)

2013-05-21 22:59:54 | 本と雑誌

Imanishi_kinji  久しぶりに「生物学」関係の本を手にとってみました。
 著者は「棲み分け理論」で有名な今西錦司氏です。

 本書は、今西氏の学究成果の中でも初期の代表的な理論的論考です。
 加えて、本書は今西氏にとっては、大きな決心のもとに書かれたものでした。それは、拡大する戦火を前に、自らの足跡を書き留めておきたいとの思いでした。

(p3より引用) この小著を、私は科学論文あるいは科学書のつもりで書いたのではない。それはそこから私の科学論文が生まれ出ずるべき源泉であり、その意味でそれは私自身であり、私の自画像である。・・・
 ・・・今度の事変がはじまって以来、私にはいつ何時国のために命を捧げるべきときが来ないにも限らなかった。・・・私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、何かの形で残したいと願った。

 今西氏の論考のスタートとなる世界観は、全てのものの“もとは一つ”というものでした。

(p13より引用) 私のいいたかったことは、この世界を構成しているいろいろなものが、お互いに何らかの関係で結ばれているのでなければならないという根拠が、単にこの世界が構造を有し機能を有するということばかりではなくて、かかる構造も機能も要するにもとは一つのものから分化し、生成したものである。その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、そのもとを糺せばみな同じ一つのものに由来するというところに、それらのものの間の根本関係を認めようというのである。

 この“もとは一つ”という基本コンセプトから、本書の前半では、生物と無生物あるいは生物と環境といった相互の関係性について哲学的論考にも似た思索が展開されます。

(p63より引用) われわれはいままで環境から切り離された生物を、標本箱に並んだような生物を生物と考えるくせがついていたから、環境といい生活の場といってもそれはいつでも生物から切り離せるものであり、そこで生物の生活する一種の舞台のようにも考えやすいが、生物とその生活の場としての環境を一つにしたようなものが、それがほんとうの具体的な生物なのであり、またそれが生物というものの成立している体系なのである。

 この環境も含めた今西氏の視座が「棲み分け理論」の源流ともなったのです。

 今西氏の生物社会観は、階層的構造をイメージしています。

(p128より引用) 地縁的共同体としての生物の全体社会が、われわれの眼に映るありのままの自然であり、一方では個体から種社会、同位社会、同位複合社会と総合していった最後的な、その意味では唯一な生物の全体社会でもある。

 このあたりから今西氏の立論はますます「哲学的」になってきます。
 その論考の基本概念のひとつが「種社会」ですが、その説明の一部はこんな感じです。

(p130より引用) 生物の種社会は一般にはその個体間に分化ないしは分業の見られぬ社会である。単なる個体の拡がりにすぎぬ平面的な社会である。それだけでは体系的に完結性をもたぬ一つの未発展の社会にすぎない。

 この「種社会」が血縁的・平面的に発展したものが「同位社会」、さらに「同位社会」が分業的に拡大したのが「同位複合社会」であり、全体としての生物共同体は、こういった成り立ちで社会組織としての構造を備えていったとの説です。

 こういった生物界の組織構造を前提に、今西氏は独自の進化論を展開します。

(p153より引用) 変異ということそれ自身もまた主体の環境化であり、環境の主体化でなければならぬ。・・・よりよく生きるということの表現でなければならぬ。・・・生物の生活がこのように方向づけられているからこそ、環境化された主体はいよいよ環境を主体化せんとして、いよいよ環境化されて行く。適応の原理はここにあるであろう。

 今西氏は、生物は「生活の方向」をもっていると考えています。生物はこの方向に向かってよりよく適応しようとするために変異が起こるというのです。

 一般的な「自然淘汰説」は、変異した個体が生存競争の適者となって、変異しなかったものを次第に滅ぼしていくという考え方ですが、今西氏は、種自身に環境とシンクロした変異の傾向が決まっていると考えるのです。

(p154より引用) 同じ生活をなすものであるがゆえに彼らは同じ生活の方向を持ち、したがって同じ変異を現わすべく方向づけられているといえるであろう。それはかならずしも全個体が同時に変異を現わすものでなくてもよい。世代を重ねて行くうちに次第にそのような変異を呈する個体の数が増して行って、いつの間にか種自身が変ってしまうのである。

 現在では、本書で提唱されている今西氏の棲み分け理論や生態学的進化論は広く支持されている学説ではないとのことですが、生物社会学ともいうべき科学哲学的著作としてはユニークで、なかなか興味深いものではありました。
 

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経営者・平清盛の失敗 会計士が書いた歴史と経済の教科書 (山田 真哉)

2013-05-18 12:59:58 | 本と雑誌

Taira_no_kiyomori  著者の山田真哉氏はミリオンセラーとなった「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」で有名ですね。

 タイトルをみると、いかにも先年NHK大河ドラマで「平清盛」が取り上げられたことにタイミングを合わせた感ありありの著作ですが、その実は、面白い切り口からの経済・財政の入門編ともいえる内容です。

 著者によると、清盛は経済的視点を持った一流の戦略家だったようです。

 たとえば、清盛の手がけた事業として、日本初の人工島(現在の神戸港)の造営がありましたが、その本質的目的についてこう解説しています。

(p43より引用) 当時の日宋貿易は、輸入も輸出もすべて博多にいる宋商人(博多綱首)が仕切っていた・・・
 つまり、「日宋貿易」の経済実態は、大国・宋と商売上手な宋商人の手による「宋宋貿易」であったのです。儲けはほとんど宋側のものでした。

 これに対して、清盛は「経ヶ島」(神戸港)を造ることにより博多港をスルーして直接宋船を関西に呼び込みました。

(p46より引用) 清盛は、貿易の中心地を博多から神戸に移すことで、貿易実務を宋から日本に移す一大革命を起こそうとしていたのです。

 こういう戦略家としての「構想力」は見事ですね。

 もうひとつ、「日宋貿易」と並んで、本書で詳説しているのが「宋銭」についてです。
 平安末期に大量に輸入された「宋銭」ですが、その背景にあるものは単純な貨幣経済の進展ではありませんでした。

(p105より引用)
・宋銭は「銅材」として輸入された
・その銅を求めたのは、経塚をつくりたがった高僧や貴族たちだった
・宋銭の輸入を主導したのは、寺社勢力であったとみられる
・・・いずれにしてもこの頃は、誰も宋銭を「貨幣」として見ていませんでした。

 この状況の中で、宋銭を「貨幣」として流通させようとしたのが清盛だったというのが、著者の主張です。
 貨幣の利便性がもたらす「取引コストの低減」による「景気の刺激」、「通貨発行権」を手に入れることによる「経済活動の支配力強化」、さらには「貨幣の普及」に伴う「金融利益の享受」。清盛は、「貨幣経済」を活性化することにより、経済面から磐石たる平家支配の確立を企図したのです。

 しかし、その後起こったことは、過剰な宋銭の普及による「デフレとハイパーインフレ」そして「銭バブル」とでも言うべき状況でした。
 この清盛の経済政策の失敗が、貴族や武士たちの不満を招き、源氏の旗揚げ、平家の滅亡に繋がっていったというのです。

 なかなか興味深い論考だと思います。
 

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機械との競争 (エリク・ブリニョルフソン)

2013-05-15 23:40:26 | 本と雑誌

Factory_automation  アメリカを中心に話題になっている本です。
 「雇用問題」をテクノロジーの進化との関わりという文脈の中で議論しています。
 
 産業革命以降の世界経済の動きは、世界恐慌等の谷間はあるにしても、基本的には拡大基調でした。それに併せて雇用も順調に伸びていきました。

(p164より引用) 「技術進歩が続いた結果、失業者が増大し続けた」ということにはならず、「技術進歩が続いた結果、経済が拡大し、生活水準が向上する一方で、新たな雇用の場が生み出されてきた」からである。

 これに対して今日の「デジタル革命」「IT革命」は、従来とは異なる影響を経済に与えています。
 指数関数的に進むコンピュータの進歩は、急速に従来型業務を効率化し雇用の減少をもたらします。そして、ITにより創出される新ビジネスが生み出す雇用の増加を凌駕し、「雇用総量を減少させる」というのです。

(p171より引用) 本書の主張はコンピュータが人間の領域を侵食することにより、雇用は減り、その減った雇用は、高所得を得られる創造的な職場と、低賃金の肉体労働に二極化するということだ。

 このあたりの本書の主張のエッセンスは、本文よりも巻末の「解説」の方が明瞭です。

 こういった状況に対して、著者たちは最終的には楽観的です。とはいえ、彼らの示す処方箋の解説は極めてプアです。「教育」「起業家精神」「投資」「法規制・税制」の観点から19のアクションを示しているのですが、それらの政策としての連関は希薄で、その説得力は乏しいと言わざる得ません。

(p150より引用) 「おそらく最も重要なアイデアは、メタアイデアである。すなわち、アイデアの開発と伝播をサポートするためのアイデアである」とも述べている。デジタルフロンティアは、まさにメタアイデアである。・・・このフロンティアでは、必ずやイノベーションのゆたかな実りを収穫できるだろう。私たちはその可能性にかけている。

 テクノロジー失業を回避するためのイノベーションを生むキーファクタとして“メタアイデア”というコンセプトを説明しているくだりですが、これも具体的根拠の薄い希望的観測を語っているに過ぎません。では“メタアイデア”はどうやって創造しているかという重要な点については、「インターネットによる集合知への期待」を示すに止まっています。
 結論はそのとおりになるのかもしれませんが、この程度の記述で終わってしまっては素人の感想文のレベルでしょう。

 MITの研究チームのレポートとのことですが、(装丁が奇抜な割には)全体を通して論考が甘く、正直なところ物足りなさが大いに残る内容でした。
 

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下町ロケット (池井戸 潤)

2013-05-10 23:04:37 | 本と雑誌

Rocket   あまり「小説」を読む方ではありませんし、「○○賞受賞作品」といったものにも疎いのですが、たまたま、いつも行く図書館の返却棚で目についたので手にとってみました。

 小説なので、あまり詳しくはご紹介しませんが、登場人物が魅せた印象的なたシーンをふたつ、覚えとして書き留めておきます。

 まずは、帝国重工宇宙航空部の財前道生部長。本物語のキーマンのひとりです。

(p214より引用) もちろん、工場を一度見ただけでそれに陶酔するほど、財前は青くはない。しかし、帝国重工の部長として、相手の技術を見定める目には自信があった。そして、ひとたびこれと認めたら相手を尊敬し、誠意を見せる。それは、川崎の町工場で生まれ育った人間に染み付いた、ある種性癖のようなものかも知れない。

 続いて、佃製作所のメインバンク銀行から出向して経理部長殿村直弘。普段はあまり目立たず社内の人間からは門外漢と見られながらも、佃製作所への熱い想いを抱いた人物です。

(p110より引用) 「なにか勘違いされていませんか、田村さん」
 そのとき、重々しい声で殿村が割って入った。「こんな評価しかできない相手に、我々の特許を使っていただくわけにはいきません。そんな契約などなくても、我々は一向に困ることはありません。どうぞ、お引き取りください」

 さて、この作品ですが、一気に読み切ってしまえるテンポが心地よく、確かに世の中受けするストーリー展開ですね。大きなどんでん返しがあるわけでなく予定調和的です。
 “ものづくり”という時代的なキーワードの波に乗った、とても無難で優等生的なエンターテイメント作品だと思います。
 

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もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界 (城山 三郎)

2013-05-07 22:44:36 | 本と雑誌

Ishizaka_taizo   「2013年本屋大賞」に百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」が選ばれました。
 私も昨年読んだのですが、確かに気持ちの良い物語でしたね。芯の通った経営者の生き様はとても刺激的です。

 本書もそういうテイストの本として手に取ってみました。

 主人公は、第一生命・東芝の社長を歴任、その後長年にわたり経団連会長も務め“財界総理”との異名もとった石坂泰三氏です。石坂氏もやはり極め付けの“頑固者”でした。

 そういった石橋氏の「人となり」を垣間見ることのできるくだりをいくつかご紹介します。

 まずは、石坂氏の生き様が際立つシーンから。
 “頑固”“我儘”とも見える石坂氏ですが、その根底には人生に向かう真摯が姿勢がありました。

(p18より引用) 漠然とした「生涯の一日」というより、誰の一日でもない「それがしの一日」。その一日一日を大切にしたい-。
 これもまた、石坂の痛切な思いであり、人生の指針であった。

 この信念がマッカーサー元帥に対しても「用があるなら、そっちが来ればいい」との態度をとらせたのでした。

 石坂氏は、戦前からの第一生命社長、戦後、吉田首相からの蔵相就任依頼を固辞しての東芝の社長職等を経て、齢70歳にして経団連会長に就任しました。
 経済運営における石坂氏の基本姿勢は、政治とは一線を画し、高度成長を背景とした自由主義経済論を基軸にしていました。

(p181より引用) 経団連は業界の利益団体ではない。総論賛成、各論反対は許さぬということだが、といって、統制色の出ることを嫌い、「命令や統制に類することをしてはいけない」と、内部を戒めた。・・・
 「経団連会長は欲望調整業だ」とも言い、調整はする。ただし、経済界全体としても、個々の業界、個々の企業にしても、あくまで自由で自主的でなければならない-こうした石坂の信念の下で、経団連そのものの性格も固まって行った。

 結局、石坂氏は経団連会長を4期、12年にわたり務めることになりましたが、さらに、80歳を前にして「日本万国博覧会協会会長」という要職も引き受けました。誰も就きたがらなかった激務、この失敗は許されない国家的大事業を成功させるために石坂氏は最後の力を振り絞ったのです。

 しばしば衝突したマスコミや官僚に対しての石坂氏の態度にも、何としてでも完遂させたいという狂おしいまでの気概を感じることができます。

(p267より引用) 石坂がいまひとつ、頭を低くしたのは、関係官公庁の役人に対してである。万博は本来、政府の事業。石坂が頼まれて苦労を重ねているというのに。
 その理不尽さに腹の煮え返る思いをこらえ、万博成功のために、「あの人に頭を下げたんじゃない。あの椅子に頭を下げたんだ」
と、つい、ぼやくこともあった。

 終生、「それがしの一日」、その一日一日を大切にした石坂氏でした。

(p321より引用) 「とにかく、石坂さんという人は、近くにいるだけで人を熱くさせる非常にボルテージの高い人であった」

 東芝・経団連で石坂氏の後を辿った土光敏夫氏の言葉です。
 

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世界史 下 ・19世紀以降(ウィリアム. H. マクニール)

2013-05-05 09:04:18 | 本と雑誌

World_1898_empires_colonies_territo  下巻の後半は、19世紀から現代に至る期間の解説です。
 その幕開けは、18世紀のイギリスに始まった産業革命とフランス革命を代表とする民主革命でした。

(p230より引用) 政治の弾力性と、その権力の拡大。これが西欧文明における民主革命がもたらしたふたつの結果であった。それゆえ民主革命は、産業革命のまことの双生児だといえる。産業革命もまたそれ自体の領域で弾力性を高め、西欧人の手にした力をおびただしく拡大したからである。このふたつの革命が結びついた結果、西欧の生活様式は他の文明世界のそれをはるかにしのぐ力と富とを獲得するにいたった。他の文明世界の国々が、西欧の侵食に対して抵抗することはもはや不可能となった。

 18世紀までの西欧における「社会」の認識は、「神の意志」に基づく「正統・不変」な構造があることを前提としていました。しかしながら新しい「自由な精神」の広がりは、急速な「社会の産業化」と相俟って、社会は変わり得るものだとの認識を生じせしめたのです。

 さて、本書を読む楽しみのひとつは、欧米人の歴史家が欧米以外の地域の歴史をどう解釈してどう意味づけているかという点にあります。

 そういった観点から、まずは、明治期以降の日本の工業勃興期を解説しているくだりをご紹介しましょう。

(p270より引用) 利潤の追求は、けっしてそれ自体が目的とはならなかった。日本の会社が求めたのはつねに名誉と特権とであった。工場の支配人は、国に奉仕し、上司にしたがい、部下を訓練し保護することが自分たちの義務だと考えた。そのような姿勢は、何世紀にもわたって日本を支配してきた武士階級の倫理から直接に由来していた。勇気、忍耐、忠誠といったかつての武士の美徳は、いまや新しい製鉄所、繊維工場、造船所などの建設や経営の面で、大きな役割をはたしていた。

 この封建時代の精神性は、初期の労使関係にも敷衍されていました。主従の関係に慣れ親しんでいる日本人は、経営者と従業員、元請と下請といった階層関係に違和感を感じなかったのです。

(p271より引用) 古くから武士団に存在した服従と義務という観念がたくみに修正され、産業界における人間関係をきわめて効率的なものとした。

 特に近現代において、欧米以外の地域の歴史を語るとき、そこには「帝国主義」の潮流との関わりといった切り口は不可避です。西欧列強の帝国主義的拡大政策は、初期の新大陸(アメリカ)を始めとしてアジア・アフリカ・オセアニアと全世界に及びました。

 その中で、「アフリカ」への進出についての解説部分から。
 西欧列強にとって、未開地域への経済的進出とキリスト教布教活動とは密接に連携したものでした。

(p294より引用) 実際のところ、・・・貿易を拡大する事業と、キリスト教を広める事業とは、ともに協力しあって行われるべきだと考えられたのである。ヨーロッパ人にとって、西欧文明の恩恵は自明のことであった。そうであれば自分たちに課せられた道徳的義務とは、アフリカ人(とその他の未開の民族)に文明の光をもたらすこと-おそらくは力を使ってでも-であるはずだと、彼らは確信したのだった。このようにして何百万人もの善意の欧米人たちが、熱心な帝国主義者となった。

 西欧諸国は、商人や宣教師の活動を支援するためには軍隊の派遣も厭わなかったのです。これが、帝国主義的侵略のシナリオでした。

 本書を読んでいくと、こういった視点以外でもなかなか面白い着眼の解説がいくつもありました。
 その代表として、「写真」が与えた20世紀芸術に対する影響についての考察をご紹介します。

(p342より引用) 視覚芸術の場合は・・・一部の画家はありのままの現実のイメージを描く姿勢から脱却したが、それにもかかわらず美術を愛好する人々の数はきわめて増えたのである。その理由としては、写真技術の進歩によって、一般人が美術作品を見る機会が限りなく増えたからであろう。こうして美術のこれまでの歴史にあらわれたすべての様式が人々の眼前に開かれるようになるとともに、世界のさまざまな地域からの刺戟が画家や芸術家たちに霊感を与えた。

 確かに、写真により今まで見ることができなかった美術作品が、その場に行かなくても疑似体験できるようになったのは、関係者に対し強烈なインパクトがあったと想像に難くありません。また、こういう視点が歴史の著作で著されていることに新鮮さを感じましたね。

 「世界史」といえば「山川の教科書」がまずは頭に浮かんでしまう世代の私にとっては、その呪縛からのささやかな抵抗という意味でも面白い内容でした。
 

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世界史 下 ・18世紀まで(ウィリアム. H. マクニール)

2013-05-03 09:16:24 | 本と雑誌

Westfaelischer_friede_in_muenster_1  下巻がカバーするのは、西暦1500年ごろから現代までです。

 まず最初の一区切りは、1500年から1648年まで。
 1648年は、三十年戦争が終結した年です。講和条約として締結されたヴェストファーレン(ウェストファリア)条約により、神聖ローマ帝国の影響力が薄れ、世俗的な領邦国家がそれぞれの領域に主権を及ぼし統治するという新たなヨーロッパの勢力均衡秩序が確立されました。

(p65より引用) この時代にヨーロッパ人が経験したことといえば、政治のあらゆる無益な混乱や、残酷な武力衝突や、イデオロギーの確信を求めて行われた激しい戦いなどであったが、これらすべてはまったく無駄というわけではなかったのである。・・・彼らの闘争は、冨、人力、および才能を、政治的、経済的目的のために動員するヨーロッパ人の能力をひじょうに増大させた。

 この政治活動の活性化が、王権が強力になった国々を帝国主義的営みに向かわせたのです。
 そして、この時代は、中世において志向されたある種の完全性を否定する大きな潮流を生み出したのです。

(p78より引用) 普遍的な真理を発見し、強制するのではなく、ヨーロッパの人々は、意見を異にするという点で意見を一致させることが可能だ、ということを発見した。・・・このような多様性こそ、ヨーロッパ思想が、我々の現代にまでも継続してきわめて急速に進歩することを保証したのである。

 本書において著者は、こういった大きな流れを的確に掴み、歴史における本質的なトピックとして提示していきます。そのコンセプト抽出に至るプロセスの特徴は分析と綜合にあるように思います。

(p207より引用) 旧体制からブルジョア体制への西欧文明の移行を分析するにあたって、(1)経済面、(2)政治面、(3)知的文化面、という三項目にわけるのはたしかに便利である。だが、こうした図式はいずれも人為的で、不完全であり、それぞれの横の関係を曖昧にする恐れがある。・・・経済的、政治的、および知的な変化は、それぞれがきわめて複雑かつ緊密にいりくんでいる。したがって西欧世界が体験したこの三つの様相のすべてが、いずれもひとつの全体を構成しているのである。

 さて、世界史といえば、山川の教科書をいの一番に思い浮かべてしまう私ですが、本書を読むにあたって最も興味があったのは、カナダ生まれの著者の視点で「日本」がどうとらえられているかという点でした。
 その観点からいえば、著者の日本分析は、たとえば江戸末期の評価にみられるとおり、私にとってはすっと腹に落ちるものでした。

(p193より引用) この国の将来にとって、より重要だったのは、一握りの日本の知識人たちが、大きな障害を克服して、中国の学問とともに西欧の学問を学ぼうとした事実である。・・・
 こうした知的異端のいくつもの潮流について本当に重要な点は、それらの流れが合流し、たがいに支えあう傾向にあったという事実である。

 江戸後期の洋学・国学等の流れとその意味づけを語りつつ、著者の解説はさらにこう続きます。

(p194より引用) 日本の開国は、いわば銃の引き金をひいたようなものだった。開国自体がこの国に革命をもたらしたのではない。だがそれによって、既存の体制に反対していたグループが政権につき、天皇と古来の正統復活の名のもとに、西欧の産業技術をそっくり自分のものにし始めたのである。ヨーロッパ文明との接触がもたらした機会を利用するうえで、これほどうまく受け入れの用意ができていたアジアの民族はほかになかった。徳川時代の日本に広く見られた対立する理念間の緊張や文化の二元性を、他の民族はかつて一度も経験していなかったからである。

 的確な指摘だと思います。
 大学生を中心に話題になっている本だとのことですが、確かに良書ですね。
 

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発売日:2008-01

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