黄昏時になんとなく

I live my life my way

帰って来てまで・・・マコチノサンドナァ

2014-02-24 21:13:49 | 日記
昼間は暖かい日射しが
今日の東海地方はいいお天気でした

マコチノサンドナァ
鹿児島弁でとてもキツイ

ヨダキイとも言うし
ドエリャアエライとも
ブチタイギイとも言う?



さてさて 今まで何回かに分けて書いてきた私の鹿児島ライフ
今回が最終回です

僅か6日間の滞在で本当にいろいろな事がありすぎました ですがいろんな意味でも中身が濃い充実した日々だったと思います

最終日は朝8時に起床
若干5日酔い(^^;)(^^;)

若干というのは前日サバエくんと飲んだときは主に芋焼酎を飲んでいたからかもしれません
ワインや日本酒は残りやすいのですが・・・芋は比較的残らないんですよね

この日は長崎在住の従姉一家が車で長崎に帰る予定でしたので 一緒に乗っていって鹿児島空港で下ろしてもらうという予定を組んでいたのですが・・・

急遽予定変更

空港まで高速バスで行く事となりました

最初は朝10時半くらいに家を出る予定でスケジュールを組んでいたのですが バスの時間の都合で9時半に家を出ることに

・・・やれやれ(^。^;)
初日から最終日まで予定変更の連続でしたね
こういう事も想定して前の日寝る前に簡単に荷物の整理をしていて正解でした

今の仕事柄あらゆる事を想定して行動する訓練は日々成されていたので すぐに切り替えて行動しました
朝食は取れなかったので みそ汁だけを飲み 軍曹の入れたコーヒーを頂きました

それで着替えも素早く済ませて出ようとした時 流石に母上も私に対して申し訳ないと思ったのでしょうね

私にこれで昼食を食べなさいとお金(結構な額でしたが・・)を持たせてくれました

いえいえ母上様 いらぬ配慮はご無用ですぞ と丁重にお断りしたのですが 最終的にはありがたく頂くことに

こうして母上と母方の親族一同に見送られる形で実家を後にしました

次に帰省するのは何時の日になることでしょう


バス乗り場までは軍曹運転で送って頂きました 昔であれば2人きりの空気があまりにも重くて拒否していたでしょうが・・・ これも少しは成長した証なのでしょうか


バス乗り場で軍曹 またの名を村長にお礼と挨拶をしてバスに乗り鹿児島空港へ

フライトまで少し時間がありましたので空港内のレストランで昼食
母上からせっかく昼食代を頂いたので少し高めのメニューを頼みました

昼食後は職場の上長(店長)に今から飛行機に乗る旨の連絡を入れて セントレア行きに搭乗
飛行機の中では熟睡していました

1時間30分のフライトを経てセントレアに到着

このままどう行動しようかふと迷いまして・・・
家に帰らず 直で温泉かスーパー銭湯に行こうか・・・
いったん帰宅して軽く整理してから 上記の場所に出かけようか・・

この時は後者を選びました
で金山駅まで特急券を買い地下鉄を乗り継いで帰宅しようと まずは名鉄の特急に乗りました


と・・・・・・・・・・ここからまたハプニングが(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)



特急の窓側の席に座り ほっと一息

特急が発車しました
じゃあのんびりブログでも書くかと思ったら・・・

ふと隣にナップサックをしょった若い女性がやってきて私の隣の席に腰掛けました

ん・・・・??????

彼女は特急券を持っていない様子
あれ~ひょっとして名鉄特急乗るの初めてなのかな?? 後で車掌さん来たら特急券見せてって言われるよ~

ちなみにこの日私が乗った特急は6両編成で前2両が特急車両でしたが
特急の車両に乗るには乗車券プラス別途 特急券を購入せねばなりません

この子大丈夫かなあ・・・と思っていたら
彼女が話しかけてきました

「Excuse me?」


えー!!!! い、イングリッシュ~(゜o゜;(゜o゜;(゜o゜;

「い、イエス」

つい反射的に答えた私

「※* &##&&*&@@☆※‡◇○★§@@・・・・・」
「???????????」

彼女は流暢に英語を喋るのですが 全く理解できません あの~一応ここは日本なんですけどね・・・

ただ分かる単語を拾い集めたのと彼女が持っていた地図を見ながら話しかけて来たのをみたら・・・なんとなくですが

彼女の目的地は名古屋の繁華街・栄
地下鉄の金山駅まで行きたいのだがこの特急は金山駅で止まるのか?という質問

「イエス、ストップ・・・カナヤマステーション」

私は分かる単語で返答

「OK、Thank you(^^)(^^)」


しかし私は気になる
特急券・・・持ってる??

私は特急券を見せながら彼女に話しかけました

「ユー ハヴァ エクスプレス・・・チケット?」
「what?」
「オー、ディス チケット・・ノ~・・シート」

「mm...I don’t know」

いやいやもどかしいですね(T_T)(T_T)


(オー、ノーノーノー! オジョウサン ココノセキハ トッキュウケンナイト スワッチャ ダ~メダ~メナンデスヨ)


私思わず聞きました

「Excuse me? Can you speak Japanese?」
「mm..No」

ノー!!!???
(+o+)(+o+)(+o+)(x_x)(x_x)(x_x)(T^T)(T^T)(T^T)


全く日本語分からないんだ・・・この子は~

ん~・・・・

と思っていたら車掌さん現われて特急券を・・・と声掛けられました

当然戸惑う彼女

私は思わず横から
「彼女、特急券持ってないみたいなんですけど 日本語全く分からないみたいです」
「・・・・え!?」

車掌さんも一瞬ひきつった顔をしましたがなんとか自分の分かる英語で彼女に説明

「Oh、OK(^^)(^^)」

彼女は満面の笑みで特急券を購入しました

しばらくは落ち着いた時間が流れました

すると地図を見せながらまた彼女が話しかけてきました

「§★@○☆☆&※◇※&&##&◇※○☆&&#&&○◇※※★‡#‡&・・・」

ん~(x_x)(x_x)(x_x)(x_x)

ただ単語の中でvisitingという言葉がありました 確か訪問 訪れるみたいな・・・

で名古屋でここは訪れるといいよというお勧めのスポットを教えてほしいとの事でした

地図をみる私
地図は当然 英語で書かれていました

私は写真を指さしながら

「TVタワー(名古屋テレビ搭)・・・グット(^^) オアシス21・・・グット(^^) ナゴヤキャッスル(名古屋城)・・・グット(^^)(^^)(^^)」

「Ok、Thank you(^^)(^^)」

彼女は満面の笑みでした

特急は金山駅へ到着
彼女を地下鉄名城線まで案内しました

「Welcome to Japan、and Welcome to Nagoya city」
「(^^)(^^)(^^)(^^)」

「Where are you from?」
「Australia」

え~(゜o゜;(゜o゜;
オーストラリア?
いえいえ顔立ちは中国か東アジアの人かなぁ・・あるいは華僑の人かなとも思ったのですか・・・

私のコミュニケーション不足でしょうがアジア系のオーストラリア人か・・
はたまた日本に来る前はオーストラリアを観光していたのか・・・結局は分かりませんでした

しかし駅の改札を通る時に キップの入れ方を間違えたり
キップの買い方を知らない所をみると本当に日本初めてなんだろうなぁとふと思いました

名鉄から地下鉄に乗り換えて 地下鉄の電車まで案内しまして

結局は栄の駅まで送る形になりました


最後に別れぎわに

「good luck!」

と言った記憶はあります

彼女は満面の笑みで去っていきました


それから私は電車を乗り継いで帰宅


家に着くなり疲れがどっと出てそのままバタンキュー(^_^;)(^_^;)

一度夜9時頃目が覚めましたが小一時間ほどボ~としていて

また朝まで眠り続けました



とまあとても長く長く振り返りましたが 私の鹿児島ライフと私の休暇は終わりました


気がつけばソチオリンピックも閉会式を迎えました

この2月の出来事はとても中身が充実した日々でしたので またこれからの日々もおろそかにせず

日々修業になりますが しっかり鍛錬しましょう


春の訪れを少しずつ肌に感じながらも今日はこんな感じです

たかが1勝 されど1勝

2014-02-23 04:09:12 | 日記
寒い日々が続きます

今回も鹿児島ライフ

最後の夜について振り返ります


何回か文の中でネタ振りしていましたが11に縁がある人

私の高校時代の友人です
私は高校時代バドミントン部に所属していました とはいっても同好会の延長線上にある部でしたので弱小の部でした
顧問はいましたが大会の時に引率するのみで指導者はおらず 自分達で練習メニューを決めて練習していました

活動も学校の体育館でやるのではなく 近くの町営体育館で毎回使用料を数百円払って練習 当時私は高校まで片道1時間10分 往復2時間半かけて通学していましたので練習時間にも制約がありました

一応普通科の高校でしたので朝補習 たまに放課後も課外授業がありました
当時の私の平日スケジュールは
朝5時半に起きてバスで学校に行き学校の授業
16時頃から部活約2時間やってバスに乗り20時半頃帰宅 食事をして勉強夜1時過ぎに寝る生活をしていました

うわぁ・・・(^_^;)(^_^;)

こうして振り返るとハードですね
高校時代から遠距離通学していたので もう慣れてしまったのでしょうか・・・
今の往復3時間半の通勤もそんなに苦でないのは高校時代に鍛えたからでしょうね(^。^;)

そんな中今から書く友人(以下 サバエくん)はストイックな人でした


私が入部したのは高1の初夏のことでした
この時 サバエくんとは同じクラスだったのですがあまり接点はなく 別のクラスメイトがバドミントン部にいたので彼に誘われるまま練習を見に行きました

この時はサバエくんと件の彼 そして別のクラスのYくんと1年生は3人いました
実は2年生に3人部員はいらしたのですがこの3人は気が向いたら現れて練習して・・・なのでさほど真剣にはやっていないので実質この部は1年生ながらサバエくん中心の部になっていました
私が練習を覗いた時もサバエくんは件の彼をビシビシしごいていました

ですがその真剣に取り組む何かに惹かれて入部しました
ちなみに件の彼は私が入ると入れ替えに練習に顔を出さなくなりました・・なんか体のいい言い訳を並べて・・・まぁ元々ヘタレな奴だったんですがね

実質サバエくんとΥくんと私の3人で活動をしていたのですが練習はハードでした
試合形式の練習がメインでしたがサバエくんはとにかくよく拾うのです 粘られて粘られて最後には決められて・・・いつも完膚なきまでに叩きのめされていました

練習でもサバエくんは厳しい口調で私にゲキを飛ばしまくりました しかし実力は完全にサバエくんが上でしたので私は何も言い返せません
互いにヒートアップしていたので練習中に衝突したことも何度がありました

悔し涙を流しなから帰ったこともあります

部員は実質3人でしたので サバエくんとYくんがダブルスを組んでいた関係上私は公式戦はシングルス出場がメインでした

その中で私が3年間で残した記録は 3年生の夏の地区大会シングルスであげた1勝のみ
今まで私の人生の中でバドミントン部にいた記憶は「たった1勝」しかできなかったことでした

しかし今回は「されど1勝」だったことを知ることとなりました


私と対照的にサバエくんは1年生の地区新人戦はシングルス準優勝 県大会でもそこそこ上位に行ける力を持っていました
2年生の秋に同級生のTくんが入部してきました Tくんは元から運動神経は抜群でしたのでダブルスはこのTくんとサバエくんが組むこととなり私はYくんとようやく組めることができましたが
ダブルスでは1勝もできず・・・

この頃は他校の練習に参加させてもらったり 社会人の人達がダブルスで出ている大会に参加したりして
この時主将になっていたサバエくんは相変わらず積極的に活動していました 私は彼についていくだけでした


こうしていろいろな面で鍛えられた私の高校の部活動はシングルス1勝の記録を残して終えました
高校卒業後サバエくんは大学受験で1年間自宅浪人をしていましたが 結局大学は受験せずにそのまま就職しました

と・・・ここで本題

なぜサバエくんが11に縁があるのか?


そう私はサバエくんと高校卒業して以来電話で何回か会話はしたことがありますが会っていませんでした

しかし卒業以来11年ぶりに再会しました

当時私は鹿児島で働いていて 当時も小売業に従事していました
私が当時働いていた店に偶然サバエくんが買い物に来たのです

突然の再会にお互いにびっくりしました
その時サバエくんは彼の地元に近い街に居を移していて 私の地元の街で働いていました
でその時 彼と10分ほど話をしたのですが彼が未だに社会人のサークルでバドミントンを続けていることを教えてくれました
週3回 小学校の体育館を貸りて夜8時から約2時間やっていたので来てみる?とサバエくんからお誘いを受けたのです

私はその話に乗りました
それから勤務後にバドミントンに汗を流す日々を送っていました これは私が今の仕事で東海地方に来るまで続きました

で11の話・・・

サバエくんとは高校卒業以来11年ぶりに再会したのですが
実はサバエくん今の少子化の中では珍しく11人兄弟の1人なのです(^-^)

そしてサバエくん 20代前半で結婚して子供が3人いますが 奥さんは11才年上(^-^)

あと私個人的に惜しかったのが 飲む約束を10日に設定していました まあ11日は帰る日でしたのでもし11日に設定していれば本当に11尽くしでしたね~(^^)(^^)

こうして鹿児島最後の夜はサバエくんと飲むことになりました
高校以来 何回か期間が空きましたが長い付き合いではあるのですが飲むのはこの時が初めてでした

サバエくんはわざわざ店を予約してくれていました
今回こうして私が東海地方に出て以来・・約8年ぶりに再会することとなったのも きっかけはFacebookでした

つい1ヶ月前にサバエくんから友達申請が来て繋がりを持ったのですがこの時は私は弟の結婚式で帰省することは決定していたので時問があえばというやり取りはしていたのです

で今回の飲み

サバエくんはゴルフの話を始めました
私が社会人のサークルでバドミントンをしていた時も サバエくんはゴルフも掛け持ちでやっていたのですが

2~3年前にバドミントンはやめて今はゴルフがライフワークだそうです
腕はシングル級 たまにアマチュアの大会にも参加しているみたいです

いやはや(^。^;)(^。^;)
彼は高校卒業以来体型はほとんど変わっていません 別の意味でビルドアップした私は冷や汗ダラダラ・・・

そして彼は今の若手 石川遼と松山英樹の話を始めました
彼からみて遼君は天才肌なので そんなに猛練習をしなくても様々なテクニックを少し練習しただけで身につける器用さを持っている それはとても素晴らしいことなんだけど・・・・
身につけたモノをさらに練習して自分のモノにしなければならないのにCMに出たりして別のことに時間を費やしている印象があるのはいささかもったいないことかなあという話をしました 大きい大会でここ一番で力を発揮できないでいるのはまだ練習の積み上げが足りないのでは・・・というのがサバエくんの意見でした

そうは言うものの4年前の中日クラウンズで世界最少ストローク58のスコアを残した凄いゴルファーであることも絶賛しておりました

そして松山英樹 松山はサバエくんの中で真面目に黙々とやるタイプでここ一番でも自分のペースを乱さずに自分のゴルフに徹する強い精神力を持っていると

それはアマ時代の大学生の時からコツコツと自分のゴルフを徹している印象をサバエくんは持っているみたいでした

ふと私はここで思い出しました
確か去年の何かの大会で松山選手がパターショットを打つ際に遅延行為だというクレームが入ったことを・・・

でサバエくんにこの件を聞いてみました

「おお、よく知っていたねえ」
サバエくんは意外な質問を私がふってきたので驚きながらも感心しているみたいでした
サバエくんの意見
他のゴルファーはパタ一ショットを打つ際にはよくテレビ中継でも見られるように2~3回素振りしてからいいイメージを持って入ります
しかし松山はグリーン上では一切素振りをしない つねにバターショットは一発勝負なので ショットに時間がかかるそうです
その時は確かに松山のショットも打つのは遅かったけど同じ組でプレーしていたゴルファーも遅かったので決して彼だけの責任ではない・・・との意見でした

その中でサバエくんは言いました

「○○(私のこと)はどちらかというと松山のタイプだったよね」

黙々とコツコツと練習に取り組んでいた高校時代の私を評しての一言でした

「○○が凄かったのは3年間 練習を投げ出さなかったよね」

いやあ・・・(^。^;)(^。^;)
正直練習の度にサバエくんにキツいことを言われて 何度ブチキレてやろうか・・・何度練習を放棄しようかと思いましたよ・・・
されど いつかサバエくんと試合形式の練習をして会心のスマッシュを打ち込んでやろう 勝ってやろうと負けん気を出して部活に打ち込みましたね

ですが・・・
会心のー撃!!!と何度私がショットを打ち込んでも サバエくんはことごとく拾うんですよね~

8年前に会った時にサバエくんは高校の授業中も握力を鍛えていたり 家に帰ってからも勉強そっちのけで素振りやフットワ一クのトレ一ニングをしていた話は聞いていましたが

今回はさらに衝撃の真実が・・・
実はサバエくん 私と試合形式の練習をしていた時にわざと私にスマッシュやショットを打ちやすい所にシャトルをあげて打たせる→拾う→打たせる→拾う・・という意識で取り組んでいたそうです
理由は当時 私がシングルスしか出れなかったのでサバエくんがショットを決めることはいつでも出来たけどそれじゃあ私の身につかない・・・・と

そして彼はこう言いました

「俺はその当時どうしたら あの人みたいになれるか・・・目標にしていたんだよ」

サバエくんはこの時インドネシアの選手としか言いませんでした 私も彼の話からあの選手・・・と顔とプレーのイメージは出来ましたがその時は名前をど忘れしていました

この文を書く際に調べて思い出しました

アーディ・ウィラナタ
インドネシア往年の名選手でバルセロナ五論の男子シングルス銀メダリストです

高校時代 イメージトレーニングの一環でウィラナタ選手のビデオを見た記憶があります とにかくこの選手はディフェンスが凄い(゜o゜;(゜o゜;(゜o゜;
バドミントン界で回転レシーブをしたのは恐らく彼ぐらいではないかというぐらい徹底して強力なスマッシュを拾いまくる凄い選手でした

もうこの話を聞いた時点でサバエくんに脱帽・・というより尊敬に値しますね

私がなんとか1勝、1勝とあがいている時に主将は世界のトッププレイヤーを目指していたとは・・・

しかしサバエくんはこう言ってくれたのです

「○○がシングルスの地区大会で1勝したときは自分のことのように嬉しかったよ
その時のことは今でも覚えているよ」

私も覚えています
マッチポイントの最後の1点を決めたときに渾身の握り拳を見せて力強くガッツポーズしたあの一瞬を・・・

あれから10数年の月日が流れましたが 共に厳しい練習をしてきた仲間から素敵な言葉を頂きました
この時から私の高校3年間打ちこんできた部活の思い出がとても有意義な日々であったと思えるようになりました
「されど1勝」だったのです

この夜の酒は格別に美味しかったです

あの時はサバエくんは練習の時はとても厳しく しんどい日々でしたけど月日が経ってようやくあの日々がとても良い思い出だったと思えるようになりました


ちなみにサバエくん 今やっているゴルフの究極の目標は
「エージシュート」を達成したい

わああ(^o^)(^o^)(^o^)

ゴルフ用語で自分の年齢より下のスコアで18ホール回ること

ちなみにジャンボこと尾崎将司選手は66歳の時 62ストロークでエージシュートを達成しています

これを聞いただけでもサバエくんの目標設定の高さに驚きます
凄いの一言ですよ(^_^)(^_^)(^_^)


と長く書きましたが 鹿児島最後の夜はとても美味しい酒を飲めました

帰りはサバエくんの奥さんが車で迎えに来てくれたので私の実家まで送って下さいました

こうして有意義な鹿児島ライフもあとは東海地方に帰る日を迎えるだけとなりましたが またまたプチハプニングが起こりました

次回はそれを書きたいと思います


ソチ五論 銀メダリストの竹内選手の美しい涙に心奪われながらも深夜はこんな感じです

のんびりのんびりリフレッシュ(^-^)(^-^)

2014-02-22 06:22:34 | 日記
フィギア女子をテレビで観ましたけど 浅田真央選手 良かったですね(^o^)(^o^)


さてさて鹿児島ライフをふり返ります

今日は5日目の後編
この日はあいにくの雨でした

昼前には母上と母方の親族一同は皆外出しましたので 実家には私と軍曹だけとなりました
軍曹は町内会のお仕事をするために昼前に外出 午後1時30分頃戻ってきました

それと入れ替えるように私は軍曹の車を貸りて外出 ようやく自分のしたいことが出来ました
じゃあ早速景気付けに桑田さんの曲でもかけて ノリノリでドライブでも~

・・・と思ったら???

CDが曲を再生しない
・・・・・ん????

何回再生ボタンを押してもかからない

あ~この機械 年季入っていて古いから調子悪いんだなぁ じゃあ仕方ない ラジオでも聴くかとCDを出そうとしたら・・・


CDが出てこない
・・・・ん??????

何回押しても出てこない(T_T)(T_T)(T_T)

オーマイガー!!!!!!!!



(*_*)(*_*)(*_*)(*_*)(x_x)(x_x)(x_x)(x_x)(+o+)(+o+)(+o+)(+o+)(T^T)(T^T)(T^T)(T^T)




お気に入りのCDだったんですが・・・ あとで軍曹に聞いたら 最近調子が悪いんで使用していなかったようです

ですから私のお気に入りのCDは今でも軍曹の車の中にある模様(x_x)(x_x)
かなリテンション下がりましたが 気を取り直して目的地へ

最初に向かったのは 海上自衛隊の鹿屋基地内にある史料館
映画「永遠の0」を見終わったあと帰省したら是非訪れたいと思っていました

以前にも私は昭和時代が歴史の中で一番関心があるというのは書きましたが
改めて映画を観た後に今この平成の世を生きる自分はどう生きるべきなのかを・・・小1時間かけて資料をみながら振り返っていました

で史料館を出ようとしたら受付にいた職員の男性に声をかけられたので雑談をしていたのですが・・・

話をしていたら実は軍曹の後輩だと分かりました

「ああ~なるほどね~
あなたお父さんによく似ていると思ったよ」

聞けば軍曹はこの2日前にもここを訪れたとか
そういえば自衛隊OBの父方の伯父を連れて出かけていたのを思い出しました
軍曹は伯父と2人でここに来ていたようです


ここにも何か軍曹との縁を感じて私は雨の中 次なる目的地へ

吾平山陵を訪れました
今まで帰省したら必ず訪れていましたが 雨の日の訪問は初めてでした

されど私の中ではパワースポット
雨の日は雨の日の趣がありました

古の昔から守られている自然と会話をしながら歩みを進めて また今回も生きる英気を頂きました

あとのスケジュールもあったので写真は撮れなかったのですが・・・(^-^;


山陵を出てからはおみやげを買いに行き ガソリンスタンドでガソリンを満タンに入れてから帰宅

すでに夜6時を回っていましたが 軍曹に車を返したついでに近くのコンビニまで行って私をそこで下ろしてくれるよう依頼しました


次の日私は飛行機で東海地方に帰る予定でしたが鹿児島最後の夜も飲みの約束を入れていました

前回書いた11に縁がある人です


今回も予想以上に長くなりましたのでここまでにします 次回は今回の鹿児島ライフの中で非常に実りのある出来事だったので改めて書きたいと思います


浅田選手の演技に涙・涙になりながらも今日はこんな感じです

村長さんのお仕事

2014-02-20 01:28:08 | 日記
ジャンプ 男子団体は銅
ドイツ・オーストリアは強かったです


またまた鹿児島ライフを振り返ります

5日目も朝9時頃起床

見事な4日酔い(*_*)(*_*)

朝はいつものように和食の朝食を食べ 軍曹の入れたコーヒーを飲んでいました

この日も母方の親戚一同は滞在しており 朝はあちこちで雑談している様子が窺えました
私は朝食後に情報を整理するために軍曹の書斎へ

パソコンを拝借して Facebookや地元の情報を集めていました
30分くらい情報を集めていましたがそこに軍曹現わる

「ちょっと書類を印刷させてくれ」

すぐに席を譲る私
軍曹は村長さんのお仕事を始めました

そう
自衛官を退職した軍曹の今の顔は

町内会長です

町内会といっても過疎化が進んで 爺様・婆様が圧倒的に多い集落の集まり
周りは畑ばかりで人が少ないという・・・

少し話は反れますが私の今のライフワークの一つとして ここ3~4年実践していることは

旅で訪れた街の図書館に行き その街の歴史や地理を調べて その場所に行ってみる

まあブラタモリの真似事ですね(^^)

前回帰省したときは私が高校時代通っていた街をレンタカーで訪れて そこの図書館に行き その街に関する書物を読み漁りました
300年以上昔の商店街の跡や 宿街だった場所を訪れて感激した記憶があります

で私の実家のことも以前 ネットで調べたのですが・・・

100年以上昔は主に2つの村だったそうです
仮にA村 B村としましょう

A村は戦国時代は城があった地域で 昔の武士・・・お侍さんの子孫が今暮らしています
B村は農村地域でいってみれば百姓の子孫が多い・・

でこのお侍さんの子孫たちが・・まぁプライドが高い人達が多いそうな(^^;)(^^;)


で町内会の話し合いになっていろいろな決まりごとを審議するときお侍さんの子孫たちはなかなか首をタテに振ることが少ないそうで・・・

その割には会長・・もとい村長さんには要求することが多いそうな・・・

現在 ニジマスを飼っている廃校になった学校はA村にあったのですが
校長室には歴代の校長先生の写真が飾られていました そこは100年以上も続いていた古い歴史はあるのですが・・

Aの民たちは言います
「その写真を公民館に飾ってくれい」

・・・・誰がみるの????

学校はつい最近廃校になり まだ面影は残っているのですが ある日のこと
ここの跡地をどうするか 公民館の寄り合いで話し合いが行われました

「道の駅を作ってくれい」

・・・・いえいえ、幹線道路から外れているのですが・・???
あまり集客は見込めなさそうですよ? もっとも県内や県外から集客の見込める目玉の何かがあれば話しは別ですが・・(x_x)(x_x)


この話を聞いただけでも軍曹の苦労は窺いしれます

軍曹はたまに議会にも行き 町内会に出た議案を審議にかけることもしばしば
その他 近くにある老人ホームからの色々な事案や ご近所さまや同じ町内会の人々が訪れたり電話をかけてきたりと・・・

現役リタイアしたあとも動き回っております

村長、もとい軍曹曰く

「ここは少子高齢化の最前線の現場だぞ」

半ば自虐的に(^-^;(^-^;
では何故比較的身軽に動き回れるのでしょうか?

そう

軍曹は無派閥だからです

この地に居を移して数年 この地は地元ではないのです そもそも出身も鹿児島ではないのですが・・・

昔からのしがらみがないんですよね

それが強みだと言っていました


後母上には村長業務になるべく関わらないようにさせているみたいです
まぁ母上は母上でかなり神経質な所がありますので 軍曹はそこを配慮している模様

近所の人達も母上はいまだに仕事をしている(パートタイマーですが・・・)のを存じているのでかなり気を使って頂いているようです


いやはや

軍曹の息子は貧乏暇なしと小売業に勤しんでおりますが
村長は村長で大変でありますなぁ(^_^)ゞ(^_^)ゞ

今回 帰省して軍曹の苦労を少し理解できることができました


まあそんな村長業務に勤しんでいる軍曹のために

私がいろんな所を車で回った際軍曹の車を貸りたのですが
ガソリンを満タンにしてお返ししました

洗車もしようとしたのですが あいにくその日は雨でしたので・・・

まぁ小さな親孝行をできたでしょうか


昨日 母上から聞いた話では軍曹は町内会長に再任された模様

軍曹の村長業務はまだまだ続きそうです


とまぁ今回はこんな感じです 次回は11に縁がある人の話を書く予定です

相変わらず寒い日が続きますね(^^)(^^)