硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

      子供たちと、吉野に遊ぶ

2013年04月03日 | 

竹林院群芳園 入り口看板

竹林院群芳園 玄関

 

 

         子供たちと、吉野に遊ぶ

 

 古都・奈良の春。二日間奈良市内の奈良ホテルに滞在する。子供二人連れ。子供を相手にすると何故か時間の経つのが早い。春は奈良、秋は京都と定めてから久しい。下の千本がようやく五分咲き、中の千本はまだき蕾。4月11日~12日の蔵王堂で行われる「花供懺法会式」までは、中の千本も山櫻が爛漫と咲き誇ることだろう。まだ吉野は静かである。気の早い私のような人が蔵王堂近辺の商店をウロウロと歩き廻り、花が少しだけなのに、何故か清々としたお顔をしている。善男善女といったところか。ここへ来るまで、大宇陀の又兵衛櫻や貝原の枝垂れ櫻や大野寺の枝垂れ櫻や瀧蔵神社の権現櫻も観てきた。枝垂れ櫻系統はみな江戸彼岸櫻だから、染井吉野より遥かに早いもので、それだけでも充分だ。長谷寺の入り口付近にも枝垂れ櫻が豪華に咲き乱れていた。レンタカーで着いた吉野の宿泊先・竹林院群芳園は久方ぶりの宿泊。但し二人の子供たちと三人旅行で、人から見たら何事かと思われそうだが、子供たちは久し振りに父親を占領できるのだから、愚痴一つ言わない。そろそろ上の子は小学校で、下の弟は幼稚園の年長組。そして再び我が妻が妊娠した。その初期だけに、さすがに今回は連れて来なかったが、子供たちに困ることは一切なかった。旅籠の上の庭で思い切り遊んだり、家族風呂で悪戯をしながら遊んだり、寝物語をしてあげたりした。大人しいのは、でも不思議と言えば不思議である。そうして今年じゅうに、もう一人増えるのだ。水分神社は水の神であると同時に「身籠り=みくまり」と称して子安神社としても古来から有名で、本居宣長の父親も、男子を授けてくれとお祈りした。後年宣長は、吉野水分神社に詣で「菅笠日記」を残している。翌朝、商店街の中の知り合いに、子供たちを託し、タクシーで金峯神社まで行き、小走りで走って奥の千本の西行庵まで出掛けた。無論花は一つも咲いていなかったが、可愛い西行像に逢って、西行愛用の苔清水をゴクリと飲んでから直ぐさま引き返した。金峯神社まで帰ると、タクシーが直ぐ捕まえられ、それに乗り込んで、途中車中から水分神社にお参りし、子供たちのいるお店まで帰った。二人とも泣くこともなく待っていてくれた。よほどおばちゃんが優しかったのだろう。

 

奥の千本 西行庵

可愛い西行像 果たしてこうであったか定かではないが

 

 そうだ、こうして花が咲かないうちの櫻見物もいいもので、これから直ぐに咲くであろうことを予感するだけで、充分嬉しいに違いない。我が愛読書の一つ「山家集」には西行生涯の歌2000首から取られた櫻の歌、僅かに100首に過ぎないが載っている。全部で櫻歌は200首あったはずで、櫻を待つ歌、櫻の満開を堪能している歌、残りの櫻を惜しむ歌、様々である。やや女々しいような印象を受ける方がいるかも知れないが、何々西行は別れた妻子を晩年までずっと面倒を見ていた。かの弘川寺に西行が眠っているが、同墓ではなく、妻子もまた同寺境内に眠っている。公卿と同じ身分を持つ気高い北面の武士だった西行は、色々な出家の噂で今も喧しい。あの清盛とも同世代であり、清盛と身分は近かったが、西行のほうが遥かに高貴な武士であったことは確かである。鳥羽院に入内した待賢門院彰子に横恋慕したとか、よくもまぁ何百年と言われ続けているから、可笑しい。頼朝にも逢っているし、平泉には二度に渉って行っている。或いはスパイかという説がないでもない。天災で焼け果てた高野山再建の基金集めのために、高野聖として活躍したのも事実であろう。ただ西行のどの歌も、今の世知辛い時を生きている私を、強かに打つ。櫻歌は純粋で直向きである。新古今和歌集に多く出した技巧ではない。それだけに西行の、櫻への思いが伝わってくるというものだろう。

 

漢方胃腸薬・「陀羅尼助丸」の本舗 三本足の蛙は江戸時代、櫻の樹で創られた由緒あるもの

 

吉野葛の原料はかくも巨大な葛の根 吉野葛を売る店舗には必ず置いてあり 

お店によっては 店頭で白い澱粉を撹拌する機械も置いてある

 

どの店先も 櫻の花が待ち遠しいよう

 

 いい子たちであった。二三時間とは言え、泣くこともなく、知人宅で楽しく遊ばせて頂いたようである。昨晩三人で入った長風呂は楽しかったものであるが、そろそろ帰るかと聞けば、母親のことを躊躇いがちに言っていたので、やはりどこか淋しかったのだろう、微笑ましい。さもありなん、父は勝手である。慣れろよお前たち。父親は英語しか話さない。日本語は母親に聞けと、幼少のころからの癖で、もう通常の英語は不自由なく話している。簡単な絵本などの文字も読めているから、やれ大きくなったもので、頼もしいかな。どうやら子供は一人でに大きくなってゆくのかも知れない。そうして昨夕、三人で自宅に帰ったが、妻はマイペースで、学問づけ。四日間の子供の留守をそれほども感動していない。今夜も、ゆっくりと妻を融かしてあげなければならないだろう。じぃじとばぁばは、チビたちの帰りを飛び上がらんばかりに歓んでいた。

 

蔵王堂一部 満開にはほど遠いが充分かも 700年前 後醍醐天皇はここに御所として住んでいた

 

堂々たる金峯山寺・蔵王堂本堂 東大寺の次に大きい ご神体は櫻の樹で出来ている

 

 

何という椿か知れねども ビロードのような肌触りの竹林院群芳園の椿 さらばしばしの間よ

 

そうそう、今年の大阪・造幣局の櫻の通り抜けは4月16日(火曜日)から、

4月22日(金曜日)までと決まったらしい。

但し今年の櫻はどれと言った発表は未だなされていない。

 


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お帰りなさい (sohya)
2013-04-05 05:26:47
■松本さま。
お帰りなさい。
お子たちとご一緒でしたか。
あなたの身の回りが少し判りました。
では、また。
いつもことで (硯水亭歳時記)
2013-04-05 16:48:54
     Sohyaさま

 まぁ、ぼくは子供が大好きで、まして齢遅くして恵まれた子たちなので、特に仕事がない時など進んで一緒にいます。妻には学問の道がありますから、なるべく勉強できる環境を整えてやろうとしているだけです。奈良・若草山を駆けてみたり、竹林院群芳園の小山を汗をかきながら、走ってみたり、奈良旅行と言いましても、父親だけの楽しみにしてはいません。どうも性分なのでしょう。必要があれば、幼稚舎も休ませてアチコチ連れて行きます。どこか幼児記憶に残るかもと期待しつつ。
 西行の先生の記事に、ひと言書かせて戴きたかったのですが、長くなるといけないと思い、躊躇していました。済みません。他意は御座いませぬ。今朝も子供を連れて、新宿御苑に行ってまいりました。染井は葉櫻でしたが、櫻のあとの清涼感は堪らなく魅力があるものですね。今日もお越し頂き、心から感謝申し上げます!
まぁ、素敵! (りんこ猫)
2013-04-15 04:16:44
お子さんがもう一人でうか!
素直にうらやまし。
うちはまだまだ一人っ子です
旅行のお子様のほほえましい姿や
お兄様のまっすぐでかわいらしい姿も
なんとなく覗けてうれしかったです
そうなんですよ、済みません! (硯水亭歳時記)
2013-04-15 22:00:46
     りんこさま

 そうなんですよ、この年で可笑しいですね。でも家内は出来れば多く欲しいというものですから、つい頑張っちゃったりして。普段の妻は可笑しいぐらい冷徹で、自分のことばっかりやっています。でも仕事がらしょうがないわけで、そこを夜ゆっくりと融かしてあがるというか、恋愛中の二人になろうと努力しています。あの冷たそうな妻が沸点に達したように熱くなってくるのですから、女人の変幻さは分かりませんし、凄いと思う時ばっかりです。

 明日は会津に行ってから、仙台経由岩手や弘前へ北上するつもりです。幼稚舎が始まっていますから今回チビたちは連れてこれませんでした。不思議なことに、二人は仲がいいほうではありませんが、私といる時は私中心になってくれます。イクメンの実績でしょうか。あの二人が妻といる時は弟ばかり妻を独占したがりますが、上の杏はフフフンと言った感じで、一人遊びをしています。ですから旅に出ると杏のことばっかり気掛かりになってしまいます。多分杏は何も話さなくても母親とは通じていると信じているのでしょう。今日もお越し戴きまして有難う御座いました!

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