硯水亭歳時記

千年前の日本 千年後の日本 つなぐのはあなた

     帰りこぬ日々を数えて (反日より侮日)

2013年04月12日 | 時事問題

 

 南北境界線警戒

 

 

      帰りこぬ日々を数えて (反日より侮日)

 

 

 そもそも中華思想とは可笑しなものである。中華思想とは「漢民族の思想は世界の中心にあり、漢民族の文化や思想は世界唯一正しいものである」とした極めて独善的な色合いが強い。56民族もの異民族を抱えながら、漢民族の優位性を説いている。それには敵が必要で、それを四つの夷狄(いてき)と称した。

〇 東夷(とうい) - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本・朝鮮などの東方諸国。

〇 西戎(せいじゅう) - 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は秦王朝をこれに当てた。(「夷狄論」)

〇 北狄(ほくてき) - 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国。犬の同類。

〇 南蛮(なんばん) - 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。

 何とも白けた話だが、習近平総書記は就任挨拶の第一声、真顔で第一番に中華思想の堅持を説き、脱汚職、格差是正なども歌い上げ、新しい指導者になった。如何にも民衆に沿った話に見えるが、たった7人の中央執行委員で果たして可能だろうか。13億の国民の半数以上は農工民と言って、大都会に出稼ぎに来て、幾ら長くなっても戸籍を変えられない。その格差こそ貧富の格差を助長している根源である。あの高速鉄道事故の時も、あれだけ乱暴な後始末は曾てどこでも見たことがなかった。日本から技術提供され製造された新幹線もどきは新中国の威信をかけた独自の開発で特許を取得し世界に売り出すという茶番であり臆面もない。恥もない。コピー文化の最たるものである。そして最近は猛烈なPM2,5の恐怖は我が国にも多大な影響を及ぼしているから、実に困ったものである。黄砂と共に逆輸出に応じて貰えないだろうか。あの山形の蔵王における樹氷にさえ多く検出されているのだ。また圧倒的な少子者社会は日本の物の数ではない。多くの矛盾を抱えたまま、それでもGDPに拘り、成長を続けるという。そのお手並み拝見と言ったところか。そんな矛盾を克服するためか、突如中華思想を言い出したのだ。中国4千年の歴史とは言え、その永き歴史の繋がりは極めて薄い。更に中華人民共和国家体制になったのはたった60年の伝統しかないのに、今頃になって随分大袈裟な話を持ち出すものであると感慨深い。モンゴル民族支配の元王朝もあったし、満州族支配の清王朝もあった。夏から始まり、秦や三国乱世もあり、しばしば群雄割拠した時代も多かったが、統一した高潔な中華思想とは何なのかを是非聞いてみたいものである。歴史的に領土領有権争いはお手の物だろうし、彼らは先ず自己批判することは絶対にない。だが中国漢民族の拡張主義は古来から染みついた思想であり、それがもとで、日本などへ歴史見直しを要求することは全くもって解せないものがある。韓国も高麗と李氏王朝時代が永い歴史として存在したが、アジア最後の鎖国をやっていた朝鮮は、「小中華」を自負して憚らなかった。寄らば大樹の陰とやら。またまたやらかしてくれたもので、習近平総書記は中国版ダボス会議として、ボアオ・アジアフォーラムを主催したが、東南アジアの各国家と互助の関係で行きたいと言いながらも、断固自国の主権問題は譲らなかった。南沙諸島・西沙諸島でも全く解決の糸口すらない。無論我が国が領有している尖閣諸島も然りである。分厚い顔皮のもと、二枚舌外交もいいところで、果たしてアジア諸国は納得したのだろうか。更に習総書記は意欲的にアフリカ諸国を歴訪し、如何にも権益のみ望む中国の本音がばれている。各国へインフラ整備を口実に、社会資本の充実を約束するが、だったら今まで援助してきた多くの国々が中国嫌いになるはずがない。軍事政権時代仲良しだったミャンマーはプッツリ関係を切った。資源だけ持ち帰り、本当の援助がないからだ。明日アウン・サン・スー・チー女史がやってくるが、日本は先ず法整備の充実を訴え、法務省の役人や民間弁護士をミャンマーに常駐させ、ミャンマーの国造りに貢献する手はずになっている。スー・チー女史は一年間京都大学へ通い、父・アウン・サン将軍の足跡(ビルマの独立運動)を研究した。修学院離宮の近くに住み、大学には中古の自転車で通った。連れてきた次男のキムさんは修学院小学校に通い、そして彼女はこの後これを転機にして、自宅軟禁という困難な雌伏の時を経て、今や押しも押されぬ最大野党国民民主主義連盟(NLD)の党首である。深い日本との縁を日本も自覚し積極的に協力すべきである。さて多くの反中国の国家と、現在の中国の根本はどこか違うというのだろう。又青島(チンタオ)に本拠地をおく海監・海洋局に、何と逮捕権を与えたのも遂最近のことである。我が国の漁船が我が国の排他的経済水域で、拿捕されかねない由々しき問題である。国境問題でも、南京大虐殺のデマでも、確か政治家を辞めたはずの鳩山由紀夫が新政権発足後ノコノコと出掛け、尖閣では話し合う余地があると言い、南京では謝罪のような言動をして泣いたのも、決して許されぬ国辱ではなかろうか。母親が最近亡くなり、月々1500万円の子供手当も貰えなくなったかどうか知らぬが、沖縄問題で「国外、最低でも県外」と大見得を切った大罪は日米関係を傷をつけたばかりではなく、沖縄県民に対し多大な迷惑を掛けっ放しである。こんなアホな宰相を一時的にも持った日本国民が馬鹿で不幸だったとしか言いようがない。最近の民主党は何故選挙に大敗したかを総括している最中らしいが、鳩山問題や小澤問題は全く出てきていない。未だに分かっていない。恐らく今後最低でも10年は分からないであろう。改憲問題でも真っ二つ。どうやら纏まらないのが民主党の得意技らしい。そして驚くことについ最近、内々で、習近平総書記と小澤一郎シェンシェイが三度も電話会談をしていると言う。何を話したか知らぬが、天皇と面会一か月ルールを完全無視し、習氏を強引に逢わせた彼の大罪は未だに記憶が新しく決して忘れることは出来ない。大勢の小澤チルドレンを連れ、時の総書記・胡錦濤に逢わせ、しかもみっともなく総書記と一人ずつ記念写真を撮っていたあの光景は、小澤の何の目的が隠されていたのか、アホらしいとしか言いようがない。小澤は今まで何の政治的功績があったのか。0(ゼロ)だ、あるいはマイナスだったとこの際断言しておこう。時の政局を何様のつもりかで弄っただけである。あのツラをよくよく見れば分かるだろう。輿石東と小澤一郎は悪相の政治家二大看板である。小澤の意図は恐らくは中国の都合に合わせ、歴史を改竄したいというわけではあるまいな。それこそ幾ら剛腕の政治家であっても無理無体なことである。どっちみちコロリと歴史を変えられるのは共産主義独裁政権でしかあり得ないから、日本では絶対に無理である。

 中国が幾ら駄法螺を吹いても、国民一人当たりの所得では日本は完璧に負けていない。都合の悪い時に新興国と言い、都合がいい時に世界第二位の超大国と使い分けをする中国。いい加減するにもほどがあると言いたい。2007年まで日本から出た中国への二国間ODAはトータルで6兆円。それを中国は他国へそのままODAとして使っている節がある。近年日本国内で厳しい意見があるというので、止める検討に入ったところ、かの伊藤忠商事の会長だった丹羽宇一郎中国大使は、日本へ一層強硬な反日感情が高まるだろうと大使自身が政府に警告してきた驚き。何のための大使か、アタリキシャリキで当然更迭されて然るべき。彼は出来る男と思っていたが、尖閣問題でも中国政府の回し者発言で、フニャチン男だったとは伊藤忠商事が影でシクシク泣いていることだろう。呆れた中国の本音と建て前の使い分け。弱者日本はこのままでいいわけがない。スバラシイ超大国に、日本人の血税という骨身を削る援助の役目はとっくに終わっている筈である。何だかだと言っても一党独裁国家に加担しなくともよい。企業進出も再考する余地が有り余る。私は香港オフィスで中国での損保事業を計画したことがあったが、それは正確には亡き主人の考え方で、私は徹底して反対し進出はしなかった経緯があり、あの時の判断に間違えはなかったと今も自負している。政府援助なんていうものは今や、中国の多くの民衆のためにもならぬ。そして日本民族よ、もちっと自信を持ったらいい。ガツンと胸を張って前へ進もう。明日の子供たちのために。

 韓国の売春問題も困ったものである。各国に多くの私娼を提供している現代韓国は果たして従軍慰安婦問題を言える資格があるのだろうか。公的に売春させろと私娼の人たちが街頭デモをしたのは2年前で記憶に新しい。あの時路上デモに参加した娼婦たちは何人だっけかなぁ。「花より男子」などに出ていた女優チャン・ヨジュンさんが性的接待を強要させられたことに苦しみ自殺した。その文面を読んだが、かなり衝撃的であった。しかし当局は一部本人の字ではないとして、大きな裁判にならず、事務所関係者だけの処罰に終わらせ、お茶を濁した。いわゆる公的もみ消しである。あんなに美しい人が無念で残念だったことだろう。伝統的に今でもザラに数多く同じような事例があると公然と語られている。然も自国の高級官僚や政治家や大手会社のトップが男性の加害者だと言うから始末に悪い。どこからそうした命が下るのだろう、恐ろしいことである。日本で大人気のKARAの解散騒動もその種に似た話のようで、彼女たちも可哀想に違いない。再活動したところをみると無事に済んだのかもと安堵する。永い鎖国制度中、妓生(キーセン)が厳然と存在した。李氏朝鮮時代の妓生は3つのランクに別れていた。最上の者を一牌(イルペ)、次の者を二牌(イペ)、最も下級な者を三牌(サムペ)と呼び、単なる売春行為だけを行う女性は寺党(サダン)・色酒家(セクチュガ)・鼻頭(コモリ)・トルビョン・花郎女(ファランニョ)などと呼ばれ、妓生とはされなかった。妓生はそれだけの教養もあり歌舞音曲にも長けていたからだ。日本における花魁と同じことだろう。その寺党(サダン)を政府要人が何の罪もない女優や歌手たちに強要したとしたら、一国の恥では済まされまい。それが大韓民国となった現在でも続いているのかと思うと、ガッカリしないわけはないだろう。尚朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)には喜び組があるが、その実態を小生は知らない。厳しい軍律のある日本陸軍軍部が自ら主導した従軍慰安婦問題などあろうはずがない。一般人の女衒(ぜげん~日韓関係なく)が活躍したのである。河野談話は、アホ鳩山クラスのいい加減さに尽きるのである。少なくとも史実をしっかり調べてからにしてほしい。又欧州やニューヨークやワシントンにいる韓国人ロビーストたちが日本の従軍慰安婦問題をガンガン喧伝しているけれど、あなた達の国家は「恥」と言う文化や美意識はないのかと声高に言いたい。だって自国の恥部をアホ面さげて喧伝しているのとまったく同じだからである。

 「冬のソナタ」以来、日本では韓流ブームは続いているかに見える。ペ・ヨンジュン氏の韓国人独特なヒステリックな、セリフの言い方でないことに、私は多大な好感を持ったほうである。あの抑揚は恐らく彼だけかも知れない。アホヅラした日本の下品な中年女性たちが韓流ブームに狂い、夫に内緒で韓国へ旅行に行く実情が報告された際、これって何じゃいなぁと感心しつつ、我が目を真剣に疑ったことがある。然もコピー大国で、武士道から言わせるとまさに切腹ものである。そして今こんな時でも、テレビ各局は韓流テレビドラマを大量に放映し続けている。BS民放テレビではまことに顕著で、一日四本以上は当たり前だろう。あんなに反日感情がある国家の娯楽映画を、何故ここまでして放映するのか、その真意は全く是せない。NHKですらゴールデンタイムに、韓国歴史ドラマを流し、まるで日本国民を洗脳するかのような勢いであり、気味悪くていけない。「トンイ」とは第21代国王・英祖の生母で、王の水汲みをする最下層ムスリ出身の出世物語のフィクションだ。そう言えば第10代国王だった燕山君は全国から女性を徴発し、かの高貴な円覚寺をすべて妓生の場に変え、放蕩三昧の限りを尽くした国王だ。反対者は容赦なく死罪にし、韓国史上最悪の国王だったから戒名がなく放置され、僅か30歳でこの世を去った。あの時代から妓生の伝統が始まったのだ。韓国発テレビドラマは多分安く買えるのだろうけれど、いい加減にしたらどうだ。ケバイ色彩の画面、あり得ないストーリー構成など見るに耐えないものばかりだ。私など直ぐにチャンネルを変えてしまうが、どうだろう、放送業界ドノ、だったら水戸黄門とかゲバゲバとかひょっこりひょうたん島とか、嘗て大人気を誇った旧作の再放送でもしたらどうだろう。老人が多くなる一方で、彼らの楽しみも減っているのに。そうしていいのがワンサカあるだろうし。馬鹿の一つ覚えのようなケバイ芝居がかった韓流ドラマの人気に陰りがあるのを、ここらでチト考え直したらいいと提言したい。日本の歴史も覚束ない御仁が多いなか、特に覚える必要もないかの国の歴史フィクションをマジに観るのかと思うと愕然とする。おまけだが、あのヒステリックな言語の抑揚に、結構我慢出来ない日本人が多いことも合わせ考えて欲しいものだ。(利発な韓国人は特徴あるあの抑揚を完全に封じて話していることが殆どである)

 戦後独裁者・李承晩(イ・スンマン)大統領時代、海図にエイヤッと一方的に決めた李承晩ラインはさすがに排他的水域は移譲したが、それまでに何人の日本人が拿捕され銃撃されて死んでいったのだろうと思うと憤激が湧いてくる。竹島問題はどう足掻こうが、独島として呼称し、漫画のような厳戒体制を敷いた韓国国軍の在り様は、民族の尊厳も何のヘッタクレもないものだろう。竹島は列記とした日本の領土である。韓国独島博物館に、ウルルン島の古図面にあった証拠と言われるものは、何とウルルン島に付随する小さな島で、そこから92キロも離れた竹島が、韓国領有の実証には全くなっていないのであり、笑止の至りである。中国に初めて市場経済策を導入した小平時代、第一列島ラインと第二列島ラインと言う線引きを臆面もなくした。沖縄本島と奄美大島全部が中国領土であるという第一列島ライン。そして東京都から小笠原や南鳥島などに伸びる線引きを第二列島ラインと称して現在でも生きているから最低だ。そんな線引きに納得する日本人は一人もいないだろう。多分日本共産党ですら。それこそまさに李承晩ラインと全く同じ発想で、中国・韓国の両方に当て嵌まるものである。万一覇権主義を持っていないと習総書記が主張されるのなら、チベットを返還し、ウィグル自治区を独立させてから、努力して信用しよう。ついでに台湾に対し、これ以上の意欲を発揮しないならネ。

 

亡くなった女優チャン・ジョユンさん

 

 いつだったか、パリであるサロンに友人と行った時、如何にも中国人・金満家が発言していたのを忘れない。中東の御仁曰く「東京ってどこの都市?」。これに対して金満家ドノは「中国に決まっているだろ。だって、北京、南京、西京(西安=長安)というのが大陸にあって、海の向こうの島に東京(トンキン)があるじゃない」。パリっ子である友人と余りの品のなさにサロンを直ぐに出てきたが、呆れ返って何の言葉も出なかった。ただパリでは可笑しなことに東洋人を見ると、どの国の人かって必ず聞かれるが、日本人だと答えると直ちに安心される。言っておくが、中国人ほど嫌われている人種は少ないのである。

 福沢諭吉の論に「脱亜論」というのがある。近代文明を拒絶し旧秩序を固守する東アジア諸国との関係ではなく、近代文明の先達である欧米諸国との関係重視に日本は舵を切れと説く、有名な福沢諭吉のこの論文は、1885(明治18)年3月16日付けで「時事新報」紙上に掲載された社説であり、最初は匿名で書かれたものであった。前年、個人的にも支援していた金玉均らの甲申クーデタが袁世凱率いる清軍の介入によって失敗し、朝鮮の自主近代化路線が完全に頓挫したことに失望しての執筆だったのである。以後日本は諭吉の進言に従うかのように、中国(清・中華民国)、朝鮮(李氏朝鮮・大韓帝国)に、屈辱的な要求を、戦争と外交両面で突き付けることに躊躇しなくなる。その仕上げが「大東亜共栄圏」であった。美名とは裏腹な内実もさることながら、注目すべきことは中朝両国が日本を「東夷倭人」(東方の矮小なる野蛮人)「仮洋夷」(欧米モドキ)としてしか見ていなかったことだ。この顛末はご存知の通り。今度は新たに「東アジア共同体」構想が唱えられている。「大東亜共栄圏」は日本を盟主とする軍事・政治・経済連合構想であったが、今回は各国を対等とする軍事抜きの政治・経済連合構想だと言われている。経済同盟から政治統合へ歩を進めるEU(ヨーロッパ共同体)がそのモデルのようだが、私にはどだい無理な画餅と思われる。広義的にアジアと言えば、西洋人から見たアジアであり、広すぎて用をなさない。正確に「東アジア」とは中国・北朝鮮・韓国・日本・台湾(中華民国)、それにシベリア・カムチャッカを擁するロシアの6カ国の領域と言えなくもない。このうち、本稿で問題とする「反日」諸国は中国・北朝鮮・韓国の3国である。つまり、「中華」意識が強い3国こそ、日本の棘となっている。では、なぜ同じ中華圏である台湾はそうではないのか。答えは簡単だ。国名にこそ「中華」は残っているものの、彼らは中華意識をスッパリと捨去ってしまったからだ。([注]「中華」とは、世界の華やかなる中心、文明の中ツ国(つまり「中国」)の自賛である。これに対して四囲を、東夷・西戎・南蛮・北狄(すべて文明を知らない野蛮人のこと)と蔑んだ。近代に勃興したナショナリズムのような浅薄なものではない伝統的な自己中心主義の世界観のことである)

 さて、近年の「反日」諸事件、尖閣問題に端を発した反日デモとか、首相の靖国参拝や教科書記述とか、また島嶼領有(国境認識)に関する中国・韓国政府による抗議や日本大使館への両国民による抗議運動のことだが、直接的には3国にとって屈辱時代であった大東亜「侵略」戦争と朝鮮合併(植民地化)に起因するものであることは言うまでもない。最大の関門とされる靖国神社へのA級戦犯合祀問題もその一つにすぎない。だから、賛否喧しい靖国問題の解決だけでは最終的な解決になり得ないものだ。では、より全面的に戦争謝罪・補償問題が解決されれば、中国、北朝鮮・韓国の日本に対する態度は一変するのであろうか。おそらく、これもない。なぜなら、「反日」は彼らの心理と論理の表層であり、その深層には「侮日」が古今変わることなく底流しているからである。後者は戦争や合併以前からのものであり、文明開闢以来の言わば伝統となっている頑迷なる心理と論理なのであり、それが簡単に変化するわけがない。当然ながらここで歴史問題となる。日本人は、中韓両国が「歴史問題」として何を要求していると思っているだろうか。間違いなく、対中戦争と朝鮮植民地化を「侵略」行為であると日本が認め、これに謝罪と補償を要求していると思っているだろう。大韓民国には国家予算の三倍もの賠償をし、一定の決着があったはずだが、表層ではそれまでである。だが、彼らの歴史意識の拡がり・深みはこれに留まらない。近代の屈辱の歴史を「清算」し、中華の栄誉を回復すること、つまりは歴史の書き換えを要求しているのだ。日本人なら、唖然とせざるを得ないだろう。事実をねじ曲げよと言われているのだから。日本でも話題となっている南京大虐殺事件や従軍慰安婦問題のことを言っているのではない(これは完全に根拠薄弱だ 南京で戦った相手は中国人が嫌う台湾の蒋介石一派の国民党である)。明白に事実と反すること、すなわち中国は共産党の紅軍が日本軍と国民党軍(台湾政権)を駆逐して解放を勝ち取ったこと、また朝鮮の合併は国際法上の不法であり(朝鮮は不法占領地であり植民地ではなかった)、その後は日本軍と戦い、抵抗・独立運動の末に日帝のくびきを自ら解いたことを、共有の「歴史」とすることを要求しているからだ。以上は事実と反する。日本軍が大陸で戦ったのは国民党軍であり、共産党の紅軍はそのごく一部に組み込まれていたにすぎない。南京はその典型で、毛沢東軍とは戦っていない。蒋介石の国民党である。そしてその総体としての国民党軍も日本軍には負け通しで、米軍による攻撃で日本が自ら瓦解し、大陸を手放した。(紅軍が国民党軍を台湾に追いやったのは事実)。朝鮮はたとえ強制的であれ、国際法上は合法的に合併(植民地化)された。また1919年の万歳事件以降、抵抗運動を継続していたと言うが事実ではない。亡命政権による対日交戦は、金日成の一撃以外はなかった。

  これは伝統的な「正史」作りに他ならない。正史とは中国王朝の正統史で、現王朝(政権)が前王朝の事績を編纂するものだ。なぜそんなことをするのかと言えば、現王朝の正統性を前王朝の歴史の中に組み込むためである。王朝交替を天の命が改まったと解釈し「革命」と言うが、正史のポイントは前王朝末期に正義が行なわれなくなり戦乱や悪徳がはびこり、正義を回復するため、天の命により現王朝(政権)が立ち上がったというストーリーなのである(「正史」作りは王朝内での政権交替の際にも行なわれる。3国ともそうだが、特に韓国での前政権への仮借ない糾弾を想起されよ)。中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国の3国にとって、日本は現国家誕生の際に現れた大悪である。これを打ち払ったという「歴史」によって、正統国家を自任しているのだ。それだけではない。日本は中華文明から遠く離れおり、中国や朝鮮が教化してやったからこそ成り立ってきた国であり、彼らから見れば今も昔も道徳的に劣った礼儀知らずの蛮族「東夷倭人」なのである。そこで、中国は圧倒されたこと自体は消しがたいので、日本人がいかに道徳的に卑劣であるかを、南京大虐殺事件などを通じて喧伝しているのである。同様のことを韓国は従軍慰安婦問題などで行なっているのは明白だ。残念ながら、そこには真実はどうであれ、少なくとも一つひとつ事実を積み重ね合理的に共有の歴史を解明しようという冷静で真っ当な歴史的思考は殆ど働いていない。

 伝統的な中華意識の深層の上への、近代的なナショナリズムの接合。これが東アジアでの近代国家・国民形成を特徴づける。先行した日本は日露戦争あたりを大きな契機に、国家の近代化と国民形成を成し遂げる。中朝とはやや異質な中華意識は、東アジアで唯一近代化を成功させたことで過剰なナショナリズムとなって狂い咲く。それがアメリカに軍事・政治的に徹底的に打ち砕かれることによって、ようやく沈静化したのだった(60年安保闘争まで続いた)。中国、北朝鮮、韓国は戦後成立した新しい国家だ。3国にとって、今こそナショナリズムの時代であるとも言える。ナショナリズムは「民族主義」で装われるが、民族主義ではない。多民族国家・中国を見れば、よく分かる。近代国家も前近代の「国家」とは似て非なるものだ。ナショナリズムは近代「国民主義」と訳すのが正しい。そしてその「国民」こそ、「民族」意識や「民族主義」を生み出す主体だ。だからこそ、今になって高句麗の「民族」が中朝で争われているのだ。是非はともかく、日本人は中国人と南北朝鮮人の深層に潜む中華意識を深く理解する必要がある。実際にはたとえそのつながりに怪しいものがあったとしても、日本人が紀記神話以来の「日本民族」にそうであるように、彼らも「中華民族」「朝鮮民族」に誇りあるアイデンティティーを持っているのだから。彼らの側に立って、歴史を眺めてみよう。

 「中華」を自負する中国・朝鮮(南北に分離したのは戦後である)にとって、「近代」とは思いも寄らなかった暗黒の時代なのだ。それまで中国は自他ともに許す世界帝国であった。世界帝国に国境なぞなかった。対峙する異民族国家があろうとも、文明は常に「中ツ国」たる正統王朝から周辺の野蛮国に流れていった。異民族出身の征服王朝でさえひとたび中国王朝となれば、中華文明に呑み込まれていた。日本なぞ東夷の倭人であり、一朝貢国にすぎなかった。中国は元・明時代の穏やかな交流期を経て、清朝末期の19世紀、ついにアヘン戦争やアロー号戦争などで近代西欧列強と本格的な戦火を交える。それでも中国人は「中華」を捨て西欧の「近代」に付くことはなかった。しかし食い千切られるように国土は侵蝕されていった。後から振り返れば、「近代」と出会って以降、中国は中華の光を失い暗黒時代に突入していたのだ。その「近代」の出先こそ、東夷の日本であった。軍事日本は中国大陸を広く蹂躙し、そのことによって清朝を継いだ中華民国がなかなか実現できなかった民族や地域を越えた近代的な国民統合など「近代化」の種を蒔いたとも言える。日本の敗戦後、「文化大革命」などの内乱・停滞期を経てだが、生き残った小平が「近代化」推進を指示し、ようやく本格的な近代国家・国民形成が始まった。それが経済成長に伴い、ナショナリズムという形で中華意識を復活させているだけだ。

 朝鮮もまた誇り高い歴史の国である。蒙古に隷属を強いられた高麗王朝を経て、蒙古を打ち破った明王朝勃興に並行して生まれ日韓併合まで存続した李氏朝鮮の成立は、なんと室町幕府の足利義満の時代である。朝鮮は古来、中国王朝の第一の僕を自任してきた。日本への中華文明の伝播はすべて朝鮮がこれを行なってきたと信じてきた。剣道など日本武道もすべて朝鮮渡来の真似事にすぎないとの昨今の考えもここに由来する。朝鮮は中華そのものではないが、これを継ぐ者があるとすればそれは自分たちだと考えてきた。ところが、実際にそうなる。満州女真族が明を倒して清王朝を興したのだ。江戸初期の頃のことであった。軍事・政治的には清に服するものの、以後朝鮮人は漢人の中華文明の精髄を自らが受け継いだのだと考えるようになる。これが朝鮮人の「小中華意識」である。江戸時代の朝鮮通信使は、東夷の蛮族へ文明を伝播してやる施しに他ならなかった。また日本人も、漢詩の指導を受けるなど、これをそういう栄誉として受け取っていた。その日本が急に西欧の真似事(近代化)を始め、対等以上の態度で開国を求めてきたのである。1873(明治6)年のことであった。「倭夷」変じて「仮洋夷」となった日本の親書には「天皇」の文字があった。朝鮮にとっての「天子」は中国皇帝のみである。だから後ちに天皇は「日王」(中華帝国への一朝貢国王)と言い換えられ、それがなんと現在も続いているのである(中華への臣従は不変)。

 要は彼らにとって「近代」のルールはすべて寝耳に水であり、日本人のように自ら積極的に受け容れたものではなかった。文化的道徳的に劣った「仮洋夷」たる近代日本によって、軍事的に強制的に押しつけられたものだったのだ。しかし、もしひとたび「和魂洋才」ならぬ「中魂洋才」や「韓魂洋才」として自ら「近代」を身につけたら、東夷たる日本に負けるわけがない。こういう意識を韓国は1980年代以降、経済成長とともに持ち始めた。小中華意識に根ざすナショナリズムの台頭である。中国もまた1990年代以降、驚異的経済躍進を続け、いよいよ中華帝国は暗黒の時代を脱したという意識が拡がっている。東アジアにおけるナショナリズムの根は中華意識である。「反日」3国のナショナリズムは、実際に戦っていないからこそ「無敗」なのである。敵は、「大虐殺」と「侵略」戦争を起こし「不法占領」を犯してきた、「道徳的」にあらかじめ「敗北」している日本だ。決して負けない「戦い」なのである。「侮日」の中華意識こそ、現在の確固たるナショナリズムを支えるものになっている。この中華意識が打ち砕かれぬ限り、日本がいかなる謝罪や償いをしようとも、たとえどんなに懇願しようとも、対等の国家関係はあり得ないだろう。つまり、「東アジア共同体」も幻に終わらざるを得ないはずである。更によくよく考えてみると北朝鮮と中国は似て非なるものかも知れない。私服を肥やす官僚排除と言うが、あなたの守られているのは他でもなく、官僚機構そのものだから。数人独裁か、個人独裁かの違いしかない。

 朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる北朝鮮)は三世代目になって、いよいよ孤立化の道をひた走り、今日か明日かとミサイル発射の時刻を、韓国のマスコミは喧しい。核兵器を子供に、オモチャとして持たせたようなもので、金正日ですらやらなかった休戦協定を一方的(協定の一方的破棄は出来ないはず)に破棄し、南北直通電話も一方的に遮断し、両国唯一の和解の象徴であった開城(ケソン)工業団地の一方的閉鎖で、北朝鮮側労働者5万3千人の引き上げ、東京・名古屋・福岡・京都などを射程にしている、などなど恐るべき挑発行為に止まる気配はない。それでもアメリカは完全無視。クリントン時代に瀬戸際外交で何度も煮え湯を飲まされた経緯があるからだ。金正恩アニイは軍部からの突き上げか、何も掌握しきれていないのか、全く読めない。どんなに挑発しても得るものは何一つないのに、こればかりは測り兼ねる。又今回の騒動で韓国経済の瀕死の状態になりつつある中、経済界からの強い突き上げによって、対話への動きが今日から出てきている。新大統領になったばかりの朴 槿惠さんの、鼎の軽重が問われているはずである。同じ同胞、どうにでもしてくれと言いたいが、他山の石とはいかないから始末に悪い。政府認定の拉致被害者はたった17名だが、拉致された疑いのある特定失踪者は数百人にのぼる。今こそ声高に北に向かって声を出し続けなければならない。金正日の幾多の悪事を白日のもとに晒し、その伝承者に対し断固たる決意と覚悟が必要で、あんな小僧っ子に屈してはならない。国際的孤児である北朝鮮への同情より、拉致被害者の安否や、北朝鮮に溢れるほどいるコチェビの安否のほうが遥かに関心は高い。平壌都市だけがいい思いをしているが、共産社会でこんな風に世襲することをマルクスだって知り得なかったはずだろう。オイ!このままじゃ引っ込みがつくまい、やれるならやってみろ、いい加減にしろ!金正恩第一書記同志ドノ!

 ナヌ?今入ったニュースで、北は原子力工業省を新設するだって、まぁまぁご随意に!まったく核放棄さえすれば対話どころか余るほどの援助が今そこにあるのに、あの悪徳父親も使わなかった禁じ手をもすべて振り払い、限界をとっくに通り越してまで我が道を行くつもりだろうヨ!ナンマイダ!

 

北朝鮮 陸軍軍事パレード この戦時状態にありながら おじいちゃんのためにパレード準備中だと


      さわさわと、葉ざくらの中を歩き栄華の墓所へ

2013年04月10日 | 

 

清川妙著 早川茉莉編 「つらい時、いつも古典に救われた」

 

 

     さわさわと、葉ざくらの中を歩き栄華の墓所へ

 

 

 吉野から帰ると、東京にはまだ櫻が残っていた。さっそく家内を誘って家族四人で新宿御苑に出掛けた。広大な苑内に、花見客も少なく、私たちはノンビリとして手製の昼食を楽しんだ。自宅から自家用車で行き、千駄ヶ谷の身内の庭に駐車し、多くの躑躅咲くはずの裏門から入ったが、そこで何種類かの櫻を楽しむことができたのだ。葉ざくらの中を歩くのは大好きだ。花が終わったあとの、あの清涼感が堪らなく好きである。櫻を待って、ヤキモキしている日に一旦区切りがつくのかも知れないが、葉ざくらを吹き抜ける風がまるでいつもと違うからでもある。まさにフローラル系香水の香りが漂い、よくよく感じると、シプレ系かグリーン系の香水シャワーを浴びている瞬間へと変化する一瞬を感じるからである。花筏や、花散らし、いちめんに広がる散花こそ栄華の墓所というべきであり、花の余韻がまだまだ続くからだ。このところ日々寒暖の差がある日が続き、少し寒い日など櫻は散りそうになく、花が長くもったのかも知れない幸せ。だが夕べの弾丸低気圧で、さすがに花びらも残らず散ってしまった感がある。我が邸内に今朝も強い風が続くなか、花びらの翳が色濃く散らばっている。実は新宿御苑に行ったのはわけが二つある。中央付近の池の辺りに、「太白」が咲いているかどうかだったが、純白の大きな花びらが幾輪か残っていた。八重櫻はこれからもうすぐ咲く気配がした。もう一つのわけというのは八重櫻の見ごろを観察するためだ。こちらはここまま気温の上昇が続けば、後三日もしないうちに賑やかに咲きだすだろう。再び栄華の墓所の上にいられる真実。何とも幸せなことだろう。これから始まる被災地の櫻たちへ思いを馳せながら、風の中を歩く。

 花が散り、敷き詰められた花びらのうえは花の栄華の墓所だ。出遭い、別れ。死、誕生。卒業・入学・入社、新しい始まりの時であり終わりの時でもある。ここからあらゆる再生の美意識と生の儚さと、逆に生命力の強さとを、日本人は古代から実感してきた。それは大袈裟でも何でもなく、縄文時代から伝わる私たちのDANとして受け継がれているからである。中国では実のならない花木は大事にされない。ただ鑑賞し感嘆し、お互いに共感する日本人の櫻観は圧倒的に違う。縄文時代では櫻の咲く場所は山と海の交合する場所であり、神々との感応する場所であり、豊かな実りを約束し、部族間の平和が結実する花木であったろう。間違いなく豊かな季節感の象徴であり、弥生時代風に言えば農耕行事の始めとなる。どちらの時代も、そこに真摯な祈りがあったはずである。被災地で、中島みゆきの「時代」がよく歌われているようで、時を特定しないから猶更歌われているので、三月四月に多いのも大いに頷けることである。「さんげさんげ ろっこんしょうじょう」と唱和しながら神聖なお岩木山に登り、夏の終わりにある物悲しい「お山参詣」の行事は、何故か中島みゆきの「時代」に通じるものがあるかもと想像すると余計に不思議なことである。永い年月の間、自然災害による悲哀と、豊穣の山海への歓喜と、常に交互に体験してきた日本民族の意思の強さと謙虚さと叡智と祈りの深さを感じざるをえない。

 

爆弾低気圧に耐えしのぶ八房櫻 今年は既に葉ざくら

 

 今年から私の秘書は8人体制になった。塾生からも3人出たのは大きな出来事であり、気象大学校を卒業し、新たな任に就いたものもいる。私たちに無関係な仕事に就いたものも何人か出て行き、それでも徐々に肥大して行く組織の長として、より大きな視点と深い洞察力が必要となる。私には時間が必要で、苗畑に行くことも被災地へ行ってプロジェクトがどうなっているかも。今や人任せにならざるを得ない。

そうそういずれ書こうと思っていたことがある。本居宣長の「玉勝間」の一説である。漢意(からごころ)に関して次のように書かれてある。

 漢意(からごころ)とは、漢国のふりを好み、かの国をたふとぶのみをいふにあらず、大かた世の人の、万の事の善悪是非(よさあしさ)を論(あげつら)ひ、物の理(ことわり)をさだめいふたぐひ、すべてみな漢籍(からぶみ)の趣(おもむき)なるをいふ也。さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず。書といふ物一つも見たることなき者までも、同じこと也。そもからぶみをよまぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢国をよしとして、かれをまねぶ世のならひ、千年にもあまりぬれば、おのづからその意(こころ)世の中にゆきわたりて、人の心の底にそみつきて、つねの地となれる故に、我はからごころもたらずと思ひ、これはから意にあらず、当然理(しかあるべきことわり)也と思ふことも、なほ漢意をはなれがたきならひぞかし。そもそも人の心は、皇国も外つ国も、ことなることなく、善悪是非(よさあしさ)に二つなければ、別(こと)に漢意といふこと、あるべくもあらずと思ふは、一わたりさることのやうなれど、然思ふもやがてからごころなれば、とにかくに此意(このこころ)は、のぞこりがたきものになむ有ける。人の心の、いづれの国もことなることなきは、本のまごころこそあれ、からぶみにいへるおもむきは、皆かの国人のこちたきさかしら心もて、いつはりかざりたる事のみ多ければ、真心にあらず。かれが是(よし)とする事、実の是(よき)にはあらず、非(あし)とすること、まことの非(あしき)にあらざるたぐひもおほかれば、善悪是非に二つなしともいふべからず。又当然之理(しかあるべきことわり)とおもひとりたるすぢも、漢意の当然之理にこそあれ、実の当然之理にはあらざること多し。大かたこれらの事、古き書の趣をよくえて、漢意といふ物をさとりぬれば、おのづからいとよく分るるを、おしなべて世の人の心の地、みなから意なるがゆゑに、それをはなれて、さとることの、いとかたきぞかし。

 ここでは和文脈の文の、独特の言葉の使い方を味わっていただければ十分ではあるが、それとともに、本居宣長の思考の射程を知っていただくために、いささかの戯れまでに、この文全体の「からごころ」を、「欧米風のものの考え方」と言い換えて、下記のとおり、現代風に書き直して見た。

 ─ 欧米風の生き方を好み、欧米を崇敬する人だけが、「欧米風のものの考え方」をしているわけではない。世間の人が、ことの善し悪しや正しいか間違っているかを論じ、これが論理的に正しいなどというのは、欧米の本にそう書いてあったから言っていることが多い。そんなことを言うのは、欧米の本を読んだ人ばかりではない。本などというものを、一冊たりとも読んだことのない人でさえ、そうなのだ。
 もともと欧米の本を読んだことのない人なのだから、そんなはずはないのだが、どんなことでも欧米がよいといって、欧米に学ぶ風潮が百年以上も続いたので、自然にそのようなものの考え方が世間に行き渡って、人の心の底に染み付き、それが常識となってしまったために、自分は欧米風になど考えない、これは欧米の考え方ではなく、世界どこでも通用する、当然のことだと思うのも、実は欧米のものの考え方を一歩も出ていないのである。
 人間の心は、日本でも外国でも違うわけがなく、善いこと悪いこと、正しいこと間違っていることに二つはないのだから、別に「欧米風のものの考え方」だと強調する必要はないと思うのは、一応正しいように見えるが、そう思うのも実は欧米の考え方なのだ。このように「欧米式のものの考え方」は、なかなか捨て去ることが難しい。人間の心がどこでも違わないというのは、人間本来の感情はそうであるかも知れないが、欧米の書物に書いてあるのは、欧米人が考え出したご大層な理論の産物であり、人為的理屈をこねて考えたことばかりが多く、人間の自然な感情を反映していない。欧米人が正しいとすることが本当は正しくなく、間違っているといっていることが本当は間違っていない例も多いので、善いこと悪いこと、正しいこと間違っていることに二つはないともいえない。またものごとの当然の理と思われている論理も、欧米の論理であり、われわれがものを考えるときのすじ道とは矛盾することも多い。
 大体こうしたことは、昔の書物に書いてあることをよく理解し、欧米人がどのようにものを考えるかが分かれば、自然に納得できることなのだが、世間の人がおよそものを考えるときは、みな欧米の影響を受けているので、欧米のものの考え方を離れてものごとを納得するのは、ひどく難しい。

 「漢意」を廃し、宣長に最終的に残ったのは「もののあはれ」であった。日本人の情緒こそ他国からの影響されたものではないとするものだという。私たちは「漢意」というサングラスをかけて世の中を見ているようなものだ。サングラスをはずして自分の目(日本人としての目)で世の中を見てみよう、と宣長は提案する。そのための指針となるのが、『古事記』を中心とする古典であったのだ。

 

モタモタしていたら 八重櫻が咲き出した

 

 少し自分の時間が出来たので、この四月から女性陣を集めた読書会と、少々専門的な分野の男性向け読書会を開くことにした。それぞれ月に一度ずつで、巻頭の写真は清川妙さん著 早川茉莉さん編の「いつも辛い時、古典に救われた」を、今月最初に取り上げる。こちらは女性陣との読書会で毎月作者・作品が変わる。男性陣は「古事記伝」「玉勝間」「玉の小櫛」や、室町期の「看聞御記」などである。少しずつやってゆきたいが、受講する方々はみな楽しみにしているようである。

 


      子供たちと、吉野に遊ぶ

2013年04月03日 | 

竹林院群芳園 入り口看板

竹林院群芳園 玄関

 

 

         子供たちと、吉野に遊ぶ

 

 古都・奈良の春。二日間奈良市内の奈良ホテルに滞在する。子供二人連れ。子供を相手にすると何故か時間の経つのが早い。春は奈良、秋は京都と定めてから久しい。下の千本がようやく五分咲き、中の千本はまだき蕾。4月11日~12日の蔵王堂で行われる「花供懺法会式」までは、中の千本も山櫻が爛漫と咲き誇ることだろう。まだ吉野は静かである。気の早い私のような人が蔵王堂近辺の商店をウロウロと歩き廻り、花が少しだけなのに、何故か清々としたお顔をしている。善男善女といったところか。ここへ来るまで、大宇陀の又兵衛櫻や貝原の枝垂れ櫻や大野寺の枝垂れ櫻や瀧蔵神社の権現櫻も観てきた。枝垂れ櫻系統はみな江戸彼岸櫻だから、染井吉野より遥かに早いもので、それだけでも充分だ。長谷寺の入り口付近にも枝垂れ櫻が豪華に咲き乱れていた。レンタカーで着いた吉野の宿泊先・竹林院群芳園は久方ぶりの宿泊。但し二人の子供たちと三人旅行で、人から見たら何事かと思われそうだが、子供たちは久し振りに父親を占領できるのだから、愚痴一つ言わない。そろそろ上の子は小学校で、下の弟は幼稚園の年長組。そして再び我が妻が妊娠した。その初期だけに、さすがに今回は連れて来なかったが、子供たちに困ることは一切なかった。旅籠の上の庭で思い切り遊んだり、家族風呂で悪戯をしながら遊んだり、寝物語をしてあげたりした。大人しいのは、でも不思議と言えば不思議である。そうして今年じゅうに、もう一人増えるのだ。水分神社は水の神であると同時に「身籠り=みくまり」と称して子安神社としても古来から有名で、本居宣長の父親も、男子を授けてくれとお祈りした。後年宣長は、吉野水分神社に詣で「菅笠日記」を残している。翌朝、商店街の中の知り合いに、子供たちを託し、タクシーで金峯神社まで行き、小走りで走って奥の千本の西行庵まで出掛けた。無論花は一つも咲いていなかったが、可愛い西行像に逢って、西行愛用の苔清水をゴクリと飲んでから直ぐさま引き返した。金峯神社まで帰ると、タクシーが直ぐ捕まえられ、それに乗り込んで、途中車中から水分神社にお参りし、子供たちのいるお店まで帰った。二人とも泣くこともなく待っていてくれた。よほどおばちゃんが優しかったのだろう。

 

奥の千本 西行庵

可愛い西行像 果たしてこうであったか定かではないが

 

 そうだ、こうして花が咲かないうちの櫻見物もいいもので、これから直ぐに咲くであろうことを予感するだけで、充分嬉しいに違いない。我が愛読書の一つ「山家集」には西行生涯の歌2000首から取られた櫻の歌、僅かに100首に過ぎないが載っている。全部で櫻歌は200首あったはずで、櫻を待つ歌、櫻の満開を堪能している歌、残りの櫻を惜しむ歌、様々である。やや女々しいような印象を受ける方がいるかも知れないが、何々西行は別れた妻子を晩年までずっと面倒を見ていた。かの弘川寺に西行が眠っているが、同墓ではなく、妻子もまた同寺境内に眠っている。公卿と同じ身分を持つ気高い北面の武士だった西行は、色々な出家の噂で今も喧しい。あの清盛とも同世代であり、清盛と身分は近かったが、西行のほうが遥かに高貴な武士であったことは確かである。鳥羽院に入内した待賢門院彰子に横恋慕したとか、よくもまぁ何百年と言われ続けているから、可笑しい。頼朝にも逢っているし、平泉には二度に渉って行っている。或いはスパイかという説がないでもない。天災で焼け果てた高野山再建の基金集めのために、高野聖として活躍したのも事実であろう。ただ西行のどの歌も、今の世知辛い時を生きている私を、強かに打つ。櫻歌は純粋で直向きである。新古今和歌集に多く出した技巧ではない。それだけに西行の、櫻への思いが伝わってくるというものだろう。

 

漢方胃腸薬・「陀羅尼助丸」の本舗 三本足の蛙は江戸時代、櫻の樹で創られた由緒あるもの

 

吉野葛の原料はかくも巨大な葛の根 吉野葛を売る店舗には必ず置いてあり 

お店によっては 店頭で白い澱粉を撹拌する機械も置いてある

 

どの店先も 櫻の花が待ち遠しいよう

 

 いい子たちであった。二三時間とは言え、泣くこともなく、知人宅で楽しく遊ばせて頂いたようである。昨晩三人で入った長風呂は楽しかったものであるが、そろそろ帰るかと聞けば、母親のことを躊躇いがちに言っていたので、やはりどこか淋しかったのだろう、微笑ましい。さもありなん、父は勝手である。慣れろよお前たち。父親は英語しか話さない。日本語は母親に聞けと、幼少のころからの癖で、もう通常の英語は不自由なく話している。簡単な絵本などの文字も読めているから、やれ大きくなったもので、頼もしいかな。どうやら子供は一人でに大きくなってゆくのかも知れない。そうして昨夕、三人で自宅に帰ったが、妻はマイペースで、学問づけ。四日間の子供の留守をそれほども感動していない。今夜も、ゆっくりと妻を融かしてあげなければならないだろう。じぃじとばぁばは、チビたちの帰りを飛び上がらんばかりに歓んでいた。

 

蔵王堂一部 満開にはほど遠いが充分かも 700年前 後醍醐天皇はここに御所として住んでいた

 

堂々たる金峯山寺・蔵王堂本堂 東大寺の次に大きい ご神体は櫻の樹で出来ている

 

 

何という椿か知れねども ビロードのような肌触りの竹林院群芳園の椿 さらばしばしの間よ

 

そうそう、今年の大阪・造幣局の櫻の通り抜けは4月16日(火曜日)から、

4月22日(金曜日)までと決まったらしい。

但し今年の櫻はどれと言った発表は未だなされていない。