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資治通鑑第061卷【漢紀五十二】194年冬十月

2017年05月04日 | Weblog
操Cao Cao東阿に至。袁紹Yuan Shaoが人に操を說させ,操に家を遣し鄴に居させむとす。操新に兗州に失し,軍食が盡きので,之を許さむとするとき,程昱曰:"將軍殆ど事に臨して懼すを意すに,然ず,何で慮を深めずや! 夫れ袁紹は併天下之心を有すも,智は濟(=済民)す不能;將軍自ら度して能く下と為るや? 將軍は龍虎之威を以ってして,韓・彭と為るべきか! 今兗州に殘,尚を三城を有すと雖ど,戰之士を能し,萬人を下せず,將軍之神武を以ってして,文若・昱等を收して之を用,霸王之業が成す可し,將軍更に之を慮すを願う!" 操乃止す。
*濟(セイ,サイ=1.<わたる> 2.渡し場 3.<すくう>救済 4.<なす>完成 5.<ます>増やす)
冬十月,操至東阿。袁紹使人說操,欲使操遣家居鄴。操新失兗州,軍食盡,將許之,程昱曰:"意者將軍殆臨事而懼,不然,何慮之不深也!夫袁紹有併天下之心,而智不能濟也;將軍自度能為之下乎?將軍以龍虎之威,可為之韓・彭邪!今兗州雖殘,尚有三城,能戰之士,不下萬人,以將軍之神武,與文若・昱等收而用之,霸王之業可成也,願將軍更慮之!"操乃止。

○维基文库(文庫),自由的图书馆(図書館) :中國哲學書電子化計劃の記号
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○作者の添付記号(適当です。特に否定表現がそうです。)
S V:主語+述語構造 (半角スペース)
V.O:述語+目的語構造
V:(S)V.O:有無・知覚・論述の述語+[(主語)+述語+目的語構造]
V/V:並立構造
<於.A>:前置詞+目的語構造
< >:修飾語(形容詞・副詞・代名詞など 副詞化も含む)
{ }:接続詞 :助詞
[ ]:語句のまとまり:人名
( ):類義語・説明・意味
* :注記

194年十二月
司徒の淳于嘉が罷し,衛尉の趙溫を司徒と為,錄尚書事。
馬騰が李傕を攻したことにより,劉焉の二子範・誕が皆死す。議郎河南の龐羲,素より焉と善す,乃ち募し焉の諸孫を將し蜀に入る。天火が城を燒すに會し,焉徙し成都を治す,疽が背に發して卒す。州大吏の趙韙等は焉の子璋の溫仁を貪さむとし,共に璋を益州刺史と為と上すも,詔にて潁川の扈瑁が拜し刺史と為る。璋の將の沈彌・婁發・甘寧が反し,璋を擊すも,不勝,走し荊州に入す;詔にて乃ち璋が益州牧と為。璋は韙を征東中郎將と為,眾を率し劉表を擊し,朐に屯す。
徐州牧陶謙の疾篤し,別駕の東海の麋竺に謂曰:"劉備に非さるもの此の州を安す不能。"謙卒し,竺州人を率し備を迎す。備未敢當,曰:"袁公路ご近く壽春に在す,此の君は四世五公にて,海內が歸す所,君は州に之を與う可し。"
典農校尉下邳の陳登曰:"公路は驕豪,治亂之主に非ず。今欲するは使君が步騎十萬を合し,上は匡主濟民を可能とし,下は割地守境を可能とす;若し使君が聽許を見せずば,登も亦未だ敢えて使君を聽せず。"
北海相の孔融が備に謂曰:"袁公路は豈に憂國忘家の者ならんや! 塚中の枯骨にて,何ら意に介すに足るや! 今日之事,百姓與能。天與不取,悔を追すべからず。" 備遂に徐州を領す。
初,太傅の馬日磾は趙岐と俱に使を奉し壽春に至さす,岐の守志が不橈であるため,袁術は之を憚す。日磾は頗る術を求するところを有すため 術は之を侵侮し,日磾より節(天子より下された割符)を借し之を視し,因て奪し還せずして,軍中の十餘人を條し,之を促辟さす。日磾は術より去を求すも,術留し遣せず,又逼し軍師と為るを欲す。日磾其の節を失するを病し,嘔血して死す。
***
十二月,司徒淳于嘉罷,以衛尉趙溫為司徒,錄尚書事。
馬騰之攻李傕也,劉焉二子範・誕皆死。議郎河南龐羲,素與焉善,乃募將焉諸孫入蜀。會天火燒城,焉徙治成都,疽發背而卒。州大吏趙韙等貪焉子璋溫仁,共上璋為益州刺史,詔拜潁川扈瑁為刺史。璋將沈彌・婁發・甘寧反,擊璋,不勝,走入荊州;詔乃以璋為益州牧。璋以韙為征東中郎將,率眾擊劉表,屯朐[月+忍]。
徐州牧陶謙疾篤,謂別駕東海麋竺曰:"非劉備不能安此州也。"謙卒,竺率州人迎備。備未敢當,曰:"袁公路近在壽春,〔此君四世五公,海內所歸〕[4],君可以州與之。"典農校尉下邳陳登曰:"公路驕豪,非治亂之主。今欲為使君合步騎十萬,上可以匡主濟民,下可以割地守境;若使君不見聽許,登亦未敢聽使君也。"北海相孔融謂備曰:"袁公路豈憂國忘家者邪!塚中枯骨,何足介意!今日之事,百姓與能。天與不取,悔不可追。"備遂領徐州。
初,太傅馬日磾與趙岐俱奉使至壽春,岐守志不橈,袁術憚之。日磾頗有求於術。術侵侮之,從日磾借節視之,因奪不還,條軍中十餘人,使促辟之。日磾從術求去,術留不遣,又欲逼為軍師。日磾病其失節,嘔血而死。

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