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資治通鑑第060卷【漢紀五十二】192年春正月

2017年04月21日 | Weblog
孝獻皇帝乙初平三年(192年)春正月丁丑の日,赦天下。
董卓 牛輔を遣し兵を將し陝に屯す,牛輔校尉北地の李傕・張掖の郭汜・武威の張濟に步騎數萬を將せしめ分して遣し朱儁を中牟で擊破す,因って陳留・穎川の諸縣を掠し,過す所の虜を遺り無く殺す。
初,荀淑 孫を有し荀彧と曰う,少にて才名を有す,何顒が見して之を異とし,曰:"王佐の才也!" 天下の亂に及し,彧 父老に謂曰:"穎川は四戰之地,之を亟避するが宜い。" 鄉人多く土を懷し去す不能,彧獨り宗族を率し去して韓馥に依す。袁紹已に馥の位を奪すに會し,彧を上賓之禮で待す。彧紹が終に大業を定す不能と度し,曹操が雄略を有すと聞す,乃ち紹を去し操に從す。操與語し,大悅し,曰:"吾子房也!" 以って奮武司馬と為。其鄉人の留する者,多く傕・汜等の為に殺さる。
袁紹 自出し公孫瓚を拒し,瓚と界橋の南二十里で戰う。瓚兵三萬,其鋒甚だ銳。紹令し麴義に精兵八百を領し先に登さし,強弩千張夾を之に承す。瓚其の兵の少を輕し,騎に縱し之に騰す。義兵が楯下に伏し不動,未だ十數步に至らずに,一時に同發す,歡呼地を動し,瓚軍大敗す。其の所置の冀州刺史嚴綱を斬し,甲首千餘級を獲す。界橋に追至し,瓚が兵を斂し還戰すも,義は復之を破し,遂に瓚の營に到し,其の牙門を拔し,餘眾皆敗走さす。
初,兗州刺史劉岱と紹・瓚連和す,紹令し妻子岱所に居す,瓚亦從事の范方を遣し騎を將し岱を助す。瓚紹軍を擊破するに及し,岱に紹の妻子を遣せよと語す,別に范方に敕す:"若し岱が紹家を遣せずば,將騎し還せよ! 吾紹を定すに,將に兵を岱に加さむ。"岱官屬と議すも,連日不決,東郡の程昱が智謀を有すと聞し,召して之に問,昱曰:"若し紹の近援を棄して瓚の遠助を求せば,此れ假人於越を以って溺子を救す之說也。夫れ公孫瓚は袁紹之敵に非ず也,今紹軍を壞すと雖ど,然り終に紹に禽さる。"
岱之に從す。范方其騎を歸すも,未だ至ずして瓚敗す。

孝獻皇帝乙初平三年(壬申,公元一九二年)春正月丁丑,赦天下。
董卓遣牛輔將兵屯陝,輔分遣校尉北地李傕・張掖郭汜・武威張濟將步騎數萬擊破朱儁於中牟,因掠陳留・穎川諸縣,所過殺虜無遺。
初,荀淑有孫曰彧,少有才名,何顒見而異之,曰:"王佐才也!"及天下亂,彧謂父老曰:"穎川四戰之地,宜亟避之。"鄉人多懷土不能去,彧獨率宗族去依韓馥。會袁紹已奪馥位,待彧以上賓之禮。彧度紹終不能定大業,聞曹操有雄略,乃去紹從操。操與語,大悅,曰:"吾子房也!"以為奮武司馬。其鄉人留者,多為傕・汜等所殺。
袁紹自出拒公孫瓚,與瓚戰於界橋南二十里。瓚兵三萬,其鋒甚銳。紹令麴義領精兵八百先登,強弩千張夾承之。瓚輕其兵少,縱騎騰之。義兵伏楯下不動,未至十數步,一時同發,歡呼動地,瓚軍大敗。斬其所置冀州刺史嚴綱,獲甲首千餘級。追至界橋,瓚斂兵還戰,義復破之,遂到瓚營,拔其牙門,餘眾皆走。
初,兗州刺史劉岱與紹・瓚連和,紹令妻子居岱所,瓚亦遣從事范方將騎助岱。及瓚擊破紹軍,語岱令遣紹妻子,別敕范方:"若岱不遣紹家,將騎還!吾定紹,將加兵於岱。"岱與官屬議,連日不決,聞東郡程昱有智謀,召而問之,昱曰:"若棄紹近援而求瓚遠助,此假人於越以救溺子之說也。夫公孫瓚非袁紹之敵也,今雖壞紹軍,然終為紹所禽。"岱從之。范方將其騎歸,未至而瓚敗。


曹操頓丘に軍し,於毒等東武陽を攻す。操兵を引し西し山に入し,毒等の本屯を攻す。諸將皆武陽を救すを請う。操"我が西して還すを賊に聞さす,武陽自解す,過せず,我能く其の本屯を敗す;虜武陽を拔す不能は必矣。"と曰い遂に行す。毒之を聞し,武陽を棄し還す。操遂に眭固を擊し匈奴の於夫羅を內黃に及し,皆之を大破す。
董卓其弟の旻を左將軍に為,兄の子璜を中軍校尉に為,皆兵事を典し,宗族內外並し朝廷に列す。卓侍妾の懷抱中の子皆侯に封し,金紫を以って弄す。卓の車服天子を僭擬し,三台(尚書台・御史台・符節台)を召呼す,尚書以下皆自ら卓府に詣し啟事*す。又塢*を郿に築す,高厚皆七丈,積穀三十年儲を為,自云:"事成,天下に雄據す;不成,此を守し畢老を以って足る。"卓誅殺を忍し,諸將の言語が蹉跌を有する者,便前で戮す,人生を聊せず。
司徒王允 司隸校尉黃琬・僕射士孫瑞・尚書楊瓚と密に卓を誅するを謀。中郎將の呂布,弓馬を便し,膂力人に過す,卓自ら人の無禮に遇するを以って,行止し常に布で自衛し,甚だ之を愛信し,誓いて父子と為る。然るに卓の性剛褊にて,嘗って卓の意を小失し,卓手の戟を拔し布を擲す,布拳捷し之を避す,而て改容顧謝し,卓意亦解す。布是に由り陰に卓を怨す。卓又布に中閣に守さす,而て傅婢を私す,益々自と安せず。王允素より善く布を待す,布允に見し,卓との幾見殺之狀*を自ら陳す,允因って誅卓之謀を布に告し,內應を為せしむ。布曰:"父子の如しとは何?" 曰:"君自姓は呂,本は骨肉に非ず。今死を憂し不暇,何父子と謂うや? 戟を擲する時,豈父子の情を有す邪!" 布遂に之を許す(内応を約束)。
*啓(ケイ=1.<ひらく>開,明,先払い,出掛ける 2.<もうす>申し上げる 3.跪く)
*啓事=1.申し上げる 2.申し上げる事柄
*塢(オ,ウ=土手,小さい砦)
*聊(リョウ=1.耳が鳴る 2.頼む 3.楽しむ 4.<いささか>ちょっと 5.安心する)
*幾見殺之狀=幾らもおかず殺される状態:見=受身の助動詞

曹操軍頓丘,於毒等攻東武陽。操引兵西入山,攻毒等本屯。諸將皆請救武陽。操曰:"使賊聞我西而還,武陽自解也,不過,我能敗其本屯;虜不能拔武陽必矣。"遂行。毒聞之,棄武陽還。操遂擊眭固及匈奴於夫羅於內黃,皆大破之。
董卓以其弟旻為左將軍,兄子璜為中軍校尉,皆典兵事,宗族內外並列朝廷。卓侍妾懷抱中子皆封侯,弄以金紫。卓車服僭擬天子,召呼三台,尚書以下皆自詣卓府啟事。又築塢於郿,高厚皆七丈,積穀為三十年儲,自云:"事成,雄據天下;不成,守此足以畢老。"卓忍於誅殺,諸將言語有蹉跌者,便戮於前,人不聊生。司徒王允與司隸校尉黃琬・僕射士孫瑞・尚書楊瓚密謀誅卓。中郎將呂布,便弓馬,膂力過人,卓自以遇人無禮,行止常以布自衛,甚愛信之,誓為父子。然卓性剛褊,嘗小失卓意,卓拔手戟擲布,布拳捷避之,而改容顧謝,卓意亦解。布由是陰怨於卓。卓又使布守中閣,而私於傅婢,益不自安。王允素善待布,布見允,自陳卓幾見殺之狀,允因以誅卓之謀告布,使為內應。布曰:"如父子何?"曰:"君自姓呂,本非骨肉。今憂死不暇,何謂父子?擲戟之時,豈有父子情邪!"布遂許之。
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