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資治通鑑第060卷【漢紀五十二】191年 術使.孫堅擊.劉表

2017年04月20日 | Weblog
袁術孫堅に劉表を擊さす,劉表其將の黃祖を遣し樊・鄧之間で逆戰す,孫堅之を擊破し,遂に襄陽を圍す。劉表夜に黃祖を遣し潛に兵を出發し,黃祖將に兵を還すを欲すも,孫堅逆に與戰し,黃祖敗走し,峴山中に竄す。孫堅勝に乘し夜に黃祖を追す,黃祖の部兵竹木の間從り孫堅を暗射し,之を殺す。孫堅が孝廉に舉した長沙の桓階が劉表に孫堅の喪を詣す,劉表は義して之を許す。孫堅の兄の子孫賁其の士眾を率し袁術に就す,袁術復孫賁を表し豫州刺史と為。袁術是に由り劉表に勝す能わず。
初,董卓關に入,朱儁シュンを留し雒陽を守す,而に朱儁潛に山東の諸將と通謀し,董卓に襲さるを懼し,荊州に出奔す。董卓弘農の楊懿を河南尹と為;朱儁復兵を引し雒に還し,楊懿を擊し,之を走さす。朱儁河南を殘破すも資する所無し,乃東の中牟に屯し,書を州郡に移し,師に董卓を討するを請す。徐州刺史の陶謙は朱儁を上表し車騎將軍に行し,精兵三千を遣し之を助す,餘の州郡亦給する所を有す。陶謙,丹楊の人。朝廷は黃巾が徐州を寇亂するを以って,陶謙を用し刺史と為す。陶謙至し,黃巾を擊し,之を大破し走さす,州境晏然。
劉焉エン益州に在し陰に異計を圖す。沛人の張魯,祖父の陵以來世々五斗米道を為し,蜀に客居す。魯の母鬼道を以って常に焉家を往來す,焉乃魯を督義司馬と為,張脩を別部司馬と為,兵を合し漢中太守の蘇固を掩殺し,斜谷閣を斷絕し,漢使を殺害す。焉上書して言:"米賊が道を斷し,復通し不得。" 又他事に托し州中の豪強の王鹹・李權等十餘人を殺し,以って威刑を立す。犍為太守の任岐及び校尉の賈龍が此に由り起兵し焉を攻すも,焉が岐・龍を擊殺す。焉の意漸盛し,乘輿の車具千餘乘を作す,"子夏が西河に在し聖人を疑すに似るを劉焉は有す"之論を劉表が上表す。時に劉焉の子の范左中郎將を為,誕治書御史を為,璋奉車都尉を為,皆帝に從し長安に在す,惟小子の別部車馬の瑁が素より焉に隨す;帝劉璋に劉焉を曉喻さすも,劉焉は劉璋を留し不遣。
*掩(エン=<おおう>1.覆い被せる 2.庇う 3.捕まえる 4.あわせる 5.不意を襲う)
*曉(ギョウ=1.あかつき 2.明らか 3.悟る 4.諭す 5.告ぐ,申し上げる)
*喻(ユ=1.<さとす>教える 2.さとる 3.さとり 4.<たとえる>比喩 5.和らぐ 6.喜ぶ)
*子夏=学問を好み孔門十哲の一人とされる。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」で「不及」と評価された人物である(『論語』先進篇)
『礼記』によると、自分の子供が死亡した際にあまりの悲しみに失明した。それを聞き、同門である曾子が子夏を訪ね、子夏が「なぜ、自分だけこのような不幸に会わなければならないのか」と嘆くと、「ずっと妻子を放っておいて何事か」と諭した。それに対し「我、過てり(われ、あやまてり)」と嘆いた。

術使孫堅擊劉表,表遣其將黃祖逆戰於樊・鄧之間,堅擊破之,遂圍襄陽。表夜遣黃祖潛出發兵,祖將兵欲還,堅逆與戰,祖敗走,竄峴山中。堅乘勝夜追祖,祖部兵從竹木間暗射堅,殺之。堅所舉孝廉長沙桓階詣表堅喪,表義而許之。堅兄子賁率其士眾就袁術,術復表賁為豫州刺史。術由是不能勝表。
初,董卓入關,留朱儁守雒陽,而俊潛與山東諸將通謀,懼為卓所襲,出奔荊州。卓以弘農楊懿為河南尹;俊復引兵還雒,擊懿,走之。俊以河南殘破無所資,乃東屯中牟,移書州郡,請師討卓。徐州刺史陶謙上俊行車騎將軍,遣精兵三千助之,餘州郡亦有所給。謙,丹楊人。朝廷以黃巾寇亂徐州,用謙為刺史。謙至,擊黃巾,大破走之,州境晏然。
劉焉在益州陰圖異計。沛人張魯,自祖父陵以來世為五斗米道,客居於蜀。魯母以鬼道常往來焉家,焉乃以魯為督義司馬,以張脩為別部司馬,與合兵掩殺漢中太守蘇固,斷絕斜谷閣,殺害漢使。焉上書言:"米賊斷道,不得復通。"又托他事殺州中豪強王鹹・李權等十餘人,以立威刑。犍為太守任岐及校尉賈龍由此起兵攻焉,焉擊殺岐・龍。焉意漸盛,作乘輿車具千餘乘,劉表上"焉有似子夏在西河疑聖人"之論。時焉子范為左中郎將,誕為治書御史,璋為奉車都尉,皆從帝在長安,惟小子別部車馬瑁素隨焉;帝使璋曉喻焉,焉留璋不遣。


公孫度の威海外に行し,中國の人士亂を避す者多く之に歸す,北海の管寧・邴原・王烈皆往依す。
管寧少時に華歆と友を為,嘗って歆と共に菜を鋤す,地に金有すを見,管寧揮鋤を不顧,瓦石と異無し,華歆捉して之を擲す,人是を以って其優劣を知。
邴原遠行遊學し,八九年して歸す,師友が邴原の不飲酒を以って,米肉を之に送すに會し,邴原曰:"本は能く飲酒す,但し荒思廢業を以っての故に之を斷す耳。今遠別に當す,一飲燕すべし。" 於是共に坐し飲酒し,終日不醉。寧・原俱に操尚を以って稱さる,公孫度館を虛して之に候す。寧既に公孫度と見し,乃山谷に廬す。時に避難者の多くは郡の南に居すも,寧獨り北に居し,志を還す無しを示す,後漸く來り之に從す,旬月にて邑を成す。寧毎々度と見し,唯經典のみを語し,世事には不及;山に還し,《詩》・《書》を專講し,俎豆を習し,非學者に見す無し。由是公孫度其賢を安し,民其德に化す。邴原の性格は剛直で,清議するに格物*を以ってす,公孫度已に下心に之を不安。管寧が邴原に謂曰:"潛龍以って成德を不見。言其時に非ずば,皆禍を招する道也。" 密に邴原を遣し逃歸さす,公孫度之を聞,亦復追せず。
王烈器業人を過す,少時原・寧之右に在すを名聞す。教誘を善くし,鄉里牛を盜する者を有し,主が之を得し,盜人罪を請し,曰:"刑戮是れ甘,王彥方(王烈)に知らさずを乞うや!" 王烈聞して人に之を謝させ,布一端を遺す。或ものが其故を問す,烈曰:"盜人吾が其過を聞すを懼す,是れ恥惡之心を有し,既に恥惡を知す,則ち善心將生す,故に布を與え以勸為善す。"
後老父有りて劍を路に遺す,行道で一人が見して之を守す。至暮,老父還し,劍を得すを尋し,之を怪し,事を王烈に告,王烈に推求さすに,乃先の牛を盜する者也。諸々爭訟曲直を有し將の之を王烈に質す,或塗に至して反し,或廬を望して還し,皆直を以って相推し,敢て王烈に之に聞せず。公孫度長史にと欲っすも,王烈之を辭し,自穢して商賈と為る,乃ち免る。
*格物=物事の道理
*敢カン=あえて,勇敢 *敢然カンゼン=勇敢なさま・思い切ってするさま

公孫度威行海外,中國人士避亂者多歸之,北海管寧・邴原・王烈皆往依焉。寧少時與華歆為友,嘗與歆共鋤菜,見地有金,寧揮鋤不顧,與瓦石無異,歆捉而擲之,人以是知其優劣。邴原遠行遊學,八九年而歸,師友以原不飲酒,會米肉送之,原曰:"本能飲酒,但以荒思廢業,故斷之耳。今當遠別,可一飲燕。"於是共坐飲酒,終日不醉。寧・原俱以操尚稱,度虛館以候之。寧既見度,乃廬於山谷。時避難者多居郡南,而寧獨居北,示無還志,後漸來從之,旬月而成邑。寧每見度,語唯經典,不及世事;還山,專講《詩》・《書》,習俎豆,非學者無見也。由是度安其賢,民化其德。邴原性剛直,清議以格物,度已下心不安之。寧謂原曰:"潛龍以不見成德。言非其時,皆招禍之道也。"密遣原逃歸,度聞之,亦不復追也。王烈器業過人,少時名聞在原・寧之右。善於教誘,鄉里有盜牛者,主得之,盜請罪,曰:"刑戮是甘,乞不使王彥方知也!"烈聞而使人謝之,遺布一端。或問其故,烈曰:"盜懼吾聞其過,是有恥惡之心,既知恥惡,則善心將生,故與布以勸為善也。"後有老父遺劍於路,行道一人見而守之。至暮,老父還,尋得劍,怪之,以事告烈,烈使推求,乃先盜牛者也。諸有爭訟曲直將質之於烈,或至塗而反,或望廬而還,皆相推以直,不敢使烈聞之。度欲以為長史,烈辭之,為商賈以自穢,乃免。
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